【みちのくひとり旅】Part.3 世界遺産の町・平泉ってどんなとこ?
2日目の朝、仙台に戻ってここから高速バスで北へ向かいます。ついに人生初上陸となる岩手県へ足を踏み入れるのです。灰色の空模様が気がかりですが、気にせず岩手へ行きましょう!
前回:【みちのくひとり旅】Part.2 ああ松島や、松島や(涙) - Konpei’s NOTE
<目次>
廃墟と化した「さくら野」からスタート
私が乗車するのは仙台駅前にある「旧さくら野」停留所。「さくら野」というのは東北に数店舗を構える百貨店のことなのですが、仙台店は運営していた企業が破産したことにより2017年2月に閉店しました。この時には空きビルとなっており、中はもぬけの殻状態となっていました。ここを見ると何となく姫路にあった大型百貨店の「ヤマトヤシキ」を思い出します。下の写真はGoogleマップからスクショしたさくら野前です。よく見るとシャッターが閉まっています。
さて、バスは定刻通りにさくら野前を発車。予報通りの雨の中、東北道を北上します。
毛越寺の大きな庭園がスゴかった!
仙台を出発してからおよそ二時間で目的地・平泉に到着です。バスはJRの平泉駅前に停車、そこから荷物を近くにある美術品のお店に預けます。いつもはコインロッカーに預けるのですが、代金はなんと200円(記憶が正しければ)。コインロッカーだと大体は300~400円するのでお店に直接預ける方が安いのです。この美術展の御主人、ものすごく優しそうな方でした。人見知りの激しい筆者も安心して預けることができました。
最初の目的地である毛越寺は平泉駅から歩いて約15分の場所にあります。着いた時の第一印象としてはかなり静かな雰囲気で、人もそこまで多くなかったです。「毛越寺」って何て読むの?と思った方も多いでしょうが、「けごしでら」ではなく「もうつうじ」です。元々は「もうおつじ」と読んでいたのが現在の読み方に変化したそうです。私も初見で一発で読むことはできませんでした。
この毛越寺を語るうえで外せないのが「白鹿伝説」です。寺伝によりますと、平安時代に慈覚大師円仁(比叡山延暦寺の高僧)が地面に落ちていた白鹿の毛をたどった先に白鹿がうずくまっているのを発見します。しかし、その白鹿は姿を消し一人の老人が現れたのです。その老人は大師に「ここに堂を建てて霊場にせよ」と告げました。そして、この老人が「薬師如来の化身」であると感じた大師は老人のお告げ通りに堂を建て、当時の年号から「嘉祥寺」と名付けたのが毛越寺の始まりです。
その後、奥州藤原氏の全盛期(特に二代目基衡の頃)に境内に多くの伽藍が造営されましたが、奥州藤原氏が滅亡した後は多くの災禍に遭いすべての建物が消失。それでも後にお話しする浄土庭園と伽藍の遺構がほぼ完ぺきな状態で保存され、国の特別史跡・特別名勝と二重の指定を受けています。これに加え平成元年には平安様式の新本堂が建立されました。
先ほど出てきました「浄土庭園」ですが、仏堂と苑池が一体となった庭園のことを指します。最大の特徴として境内に「大泉が池」という大きな池が広がっており、日本最古の作庭書である「作庭記」の思想や技法を現代に伝える貴重な庭園なのです。
写真からは十分に広さが伝わらないのが残念なんですが、池を一周するのもそれなりの時間がかかります。とにかく庭園が広いというのが毛越寺最大の見どころです。
奥州藤原氏が眠る中尊寺へ
毛越寺を後にし、いよいよ中尊寺へ向かいます。バスで移動したのですが筆者はあることに驚きを隠せません。普通バスって運賃を支払う時に両替機に通してお金を崩してから指定の運賃を払うと思うのですが、私が乗ったバスに運賃箱というハイテクなものは搭載されていませんでした。なんと運賃箱の近くに雑巾らしき布が敷かれ、その上に小銭の山ができているではありませんか。ちょうど出せない人は自分で金額を計算して運賃を投入するというセルフサービス方式。この時小銭がなく、千円札しか持ち合わせがなかったので計算に手間取ってしまいました。貶すつもりはありませんが都会育ちの筆者は唖然としました。
そんなこんなで中尊寺の入り口に着いたのですが、人出は毛越寺の倍以上いたと思われます。やはり皆さん金色堂目当てに来ているものかと思いますが、こんなに多いとは思っていなかったのでびっくりしました。金色堂まではこの人出をかき分けながら長い坂を上る必要があります。また境内には本堂や金色堂の他、10以上もの堂が点在しています。
中尊寺の始まりについてですが、ここも毛越寺と同じ慈覚大師円仁が開いた寺なのです。大規模な堂塔造営が本格的に行われたのは12世紀の初めで、奥州藤原氏初代清衡の頃です。東北では前九年合戦や後三年合戦などの戦乱が相次ぎ、多くの方が亡くなりました。亡くなった方々の霊を慰め、平和な理想社会を表す「仏国土」を建設するという清衡の願いのもと造営が行われたのです。
平泉の代表的な寺院としてはこの中尊寺と毛越寺、さらには奥州藤原氏三代目の秀衡が建立した「無量光院」があります。中尊寺は釈迦を、毛越寺は薬師如来を、無量光院は阿弥陀如来を本尊としているのですが、過去釈迦・現世薬師・未来世阿弥陀を合わせて「三世仏」と言います。これらの寺院の建立は「すべての生あるものを過去世から現世、さらには未来世に至るまで仏国土に導きたい」という清衡の思いが具現化されたものなのです。
境内に点在する堂塔に立ち寄りながら金色堂を目指します。金色堂は本堂のさらに奥まったところにあるので寄り道をしなくともそれなりの時間がかかります。結局寄り道しながら金色堂に着いたのは境内に入ってから約40分後。やっと入れると思ったらこの人だかりです。お察しの通り、モザイクをかけているところはすべて人です。
しかし、回転が速いおかげで10分ほどで入ることができました。内部の様子を撮影することはできませんが、一面まぶしいほどの金色でした。堂の内部全体を金箔で囲うことにより「極楽浄土」を表しているのです。数体の仏像が安置されているほか、奥州藤原氏初代~四代目泰衡の遺体が納められています。
義経最後の地、高館義経堂へ
たくさん歩けば当然腹も減るわけですが、中尊寺近くのレストランもなかなか混んでいました。一度は入ることをためらいましたが、空腹には耐え切れずそこで昼食に。一人なので何とか席も確保できました。さて、今回私がいただくのは「義経そばとカレー丼のセット」です。「義経そば」とは普通に山菜のたくさん入ったそばのことで、山菜を食べる機会があまりない分おいしく味わうことができたと思います。
体力を回復させた後は中尊寺から歩いておよそ15分の所にある高館義経堂に向かいます。ここは兄である源頼朝に追われた源義経が身を隠した地であり、壮絶な最期を迎えた場所でもあります。街のはずれにひっそりとたたずむ小さな堂で、東の方角には北上川が流れています。曇り空でもやもやした天気でしたが、それ以上に静かな風景が私の心を癒してくれます。あまり好きでないセミの鳴き声も聞こえていましたが、それすらも心地よく感じてしまう場所です。
「義経最期の地」という風な紹介をしましたが、ある伝説では「義経は亡くなったとされる一年前に平泉を脱し、北を目指して旅に出た」とされています。この伝説からかの有名な「源義経チンギス・ハーン説」も提唱されたのです。
歩いて平泉を満喫!
高館義経堂からは平泉駅に戻ります。歩くと30分ほどかかりますがせっかくなんで歩いて雰囲気を味わうことにします。やはり始めてきた土地は歩くに限りますよ。その道中で面白そうなものを見つけました。かつて奥州藤原氏が政治を行っていたとされる「平泉館」の遺跡である「柳之御所史跡公園」です。ここから発掘調査によって見つかった堀・園池・井戸などの遺構をはじめ、隣接する資料館には多量の土器や陶磁器なども展示されています。広大な史跡公園内はほぼ一人占め状態でした。
空の色がどす黒くなっていることに気づきましたが、近くに道の駅があったのでそこで休憩。ソフトクリームを食べながら休憩しました。
300kmを一気に南下!?
筆者は非常にバカな生き物でして、この日の宿を栃木の宇都宮に取ってしまったのです。平泉から宇都宮までゆうに300kmを超えています。ホテルのチェックイン時間は20時、それでも17時に平泉駅に着いていれば間に合うらしいです。日本の鉄道半端ないですね。
美術品のお店で預けていた手荷物を受け取り、平泉からは新幹線の駅がある一ノ関に電車で向かうのですが、本数はかなり少なくほぼ一時間に一本です。偶然にも乗る電車より先に一ノ関行きのバスが来たのでそれに乗ります。難なく一ノ関に着き新幹線を待っている間、通過する新幹線も何本か見送りましたが轟音を立てて通過していくんです。東北新幹線って最高速度何キロでしたっけ、東海道・山陽新幹線で味わうそれよりも恐怖を感じました。鉄道は好きなほうですが流石に怖かったです。
そして新幹線に乗車、宇都宮までの300キロ超をただひたすら一気に南下します。車内では東日本でしか味わえない炭酸飲料「ドクターペッパー」を飲みました。この時初めて飲んだのですが、筆者としてはずっと前から気になっていました。シロップの飲み薬みたいな味ですが私は好きな味ですね。ただ好き嫌いは分かれるかと思います。興味のある方は是非とも飲んでみてください。
仙台で別の新幹線に乗り換えたのですが、私の乗る車両はツアー帰りの観光客と思われる方々でいっぱいになりました。三列シートの一番左の窓側の席を取りましたが、その右隣には若い女性が二人座ってきて楽しそうに会話をしています。なんだか申し訳ない気持ちになりました。
夜で車窓も見えないので携帯を触っていたらいつの間にか宇都宮に到着。ホテルにチェックインしてから部屋に入ると外は雷鳴が轟いていました。さすがに雷が落ちてきたら死ぬので雷鳴が止むのを待ってから食事に出かけました。夕食はなんと栃木まで来たのに吉野家。お前栃木に何しに来たんだ…
ということで、二日目の様子はここまで。三日目はついに大阪に帰るのですが、帰阪前に寄りたいところがあるのです。次回はその様子をお見せしますのでお楽しみに。それでは、今回はこれで失礼します!
【独り言】「生きるのヘタ男」の半生① 幼少期~高校時代編
「なんやこのタイトル?まーた自分語りするでコイツ」
はい、すみません。他人の自分語りを聞くのが好きな方だけ読んでください。しかも筆者の黒歴史暴露コーナーみたいなものです。ほとんどが興味のない方だと思いますので即ブラウザバックをしていただくことを推奨します。
タイトルは「いきるのへたお」と読んでください。私自身は実際かなり不器用ですしコミュ障ですし世渡りが絶望的に下手くそです。おそらくほとんどの人が思い描いている人生設計通りにはならないでしょう。ただネガティブになるだけでは意味がないし何も面白くありません。今回は私の半生をできるだけ面白おかしく振り返ってまいります。多分涙目になりながらキーボードを叩くことになるでしょう。そのうち発狂してキーボードを破壊する恐れもありますがなんとかやっていきます。
幼少期、すべての歯車が狂った瞬間
(悪い意味で)現在の自分の礎ができたのは保育園児だったころでした。祖父母の家で朝の情報番組の最後にやる血液型占いを見ていた時です。血液型別に4匹のキャラクターが木登り競争をしていたと思います。自身の血液型であるAB型は最下位。この瞬間「ワーッ」と泣き叫んでものすごい勢いで茶の間を出て行ってしまいました。この後、母親から怒られてしまいましたがどんな内容だったのかは覚えていませんしなぜ怒られたかも理解できませんでした。この日を境に私は気に入らないことがあるとよく癇癪を起こすようになりました。
何が言いたいのかと言いますと、思い通りにいかないことがあると結果を呑み込めずパニックになってしまうようになったのです。ゲームや遊びでも1位でないとダメなのです。「2位じゃダメなんですか?」という言葉がはやりましたが、本当に2位ではダメだったようです。つまり「完璧主義」という特徴が身についてしまいました。現在では癇癪を起こすようなことはほとんどなくなりましたが、「完璧主義」は今も色濃く残っています。
「歯車が狂った」とは言ってもまだ4つ5つの子供です。この先の人生、どうなるか知ったこっちゃないと思います。しかし、ここからが混沌の連続だったと大人になって思います。
小学校生活で「いじられキャラ」に
小学校に入学すると勉強が始まります。この時の私は宿題も欠かすことのないまじめな子供でした。真面目さは今も変わらない一方で、現在とは真逆でよくも悪くも図々しさのあるがきんちょという一面もありました。友達によくちょっかいをかけていたりしていた記憶があります。
ただ癇癪持ちというのは変わっておらず気に入らないことがあると泣き叫ぶ悪癖はそのまま。友達にこれをからかわれることもしょっちゅうありました。同時に純粋すぎる一面もあり、友達の冗談を本気で真に受けていました。こういったキャラクターでしたからある意味「いじられキャラ」的なポジションにいました。この時は「みんな喜んでくれてるなあ」と思う程度でしたが、今思うといじられたときのリアクションがわからず「えへへ」と笑ってごまかしてばかりいました。いじられたときのリアクションをどうすればよいかは今でもわかっちゃいません。つまり私は「超」が付くほどの「アドリブに弱い」人間なのです。マニュアルがないと動けないのです。当時は子供だったのでもちろん何も考えていませんでしたが、よくも悪くも当時のキャラクターが今の自分を作っているのだと大人になって気づきました。
中学で「中途半端な優等生」に
中学に進学すると他の小学校の子も入学してきます。部活(陸上部)にも入り、友達も増え楽しい楽しい中学生活が始まりました。中学からはテストの成績も気にしないといけませんので、一層勉強にも力を入れなければなりません。私としては今まで通り真面目に勉強をやっていて成績も可もなく不可もなくといった感じでしたが、際立った成績は残せませんでした。それもそのはず、「教科書・ノートを丸写し」という勉強法しか知らないのですから。テストの「こうなった理由を説明しなさい」といった文章問題は丸暗記じゃないと正解できないと信じ込んでいました。自分の大きな特徴であるはずの「素直さ」と「真面目さ」が勉強の面で大きなハードルとなっていたのです。
同級生とのコミュニケーションでもこの二つが災いしていたかと思います。相も変わらずいじられたら「えへへ」としか返すことができず、やんちゃな同級生は素直過ぎて真面目過ぎる私を面白がって毎日のようにからかってきました。そんな私を弄ぶためだけに遊びに誘い、嘘をつきまくってあちこち連れまわすというヤツもいました。それに相手のリアクションを異常に怖がるようになったのもこのころでした。相手に「お前こんなん好きなん?きっしょ」などと言われるのが怖くて、自分の趣味嗜好ややりたいことを人に伝えるのが非常に苦手でした。
楽しい中学校生活でしたが、素直過ぎて真面目過ぎる性格のためプラスよりはマイナスの方が大きかったような感じでした。「真面目だけが取り柄の中途半端な優等生」というキャラクターで、「愛される」「慕われる」というよりかは「人に利用されていた」というイメージが非常に強かったです。
そして(ほとんど)誰もいなくなった高校時代
高校受験も勉強法は同じ、「教科書・ノートの丸写し」でした。塾にも行ってないですし、赤本などというものにも手を出さず高校受験に臨みました。こんなめちゃくちゃな勉強法だったので、当然「受かる」という手ごたえをつかめないままでした。そんな中でも公立の志望校が定員割れしていたので無事合格。前年まで地域屈指の人気校でしたが、この年を境に近隣のライバル校に人気を逆転されてしまったようです。
部活は中学に引き続き陸上部。なぜかわかりませんがこの時から「目立ちたい!」という気持ちが芽生え始めたのです。おそらく友達をたくさん作って彼女も作りたいとでも考えていたんでしょうね。「コミュ障」なのに目立ちたいがための突飛な行動を取るようになりました。とはいっても「いきなり大声を出す」といったものではなく、入学してからも「いじられキャラ」というのに変わりなかったので、いじられたら全力のリアクションで返すようにしていたのです。これにより「普段口数は少ないけど、たまに奇々怪々な行動を取るギャップがえげつない陰キャ」といった感じの認識が学年に広がったようで、二年の時にはクラスのほぼ全員から干されました。特に地獄だったのが修学旅行の班決めでした。自分から声をかけることもできなければ、クラスに友達のいなかった私に手を差し伸べてくれるクラスメイトはいません。最終的に業を煮やした部活が一緒のヤツに拾ってもらったのがせめてもの救いでした。
しかし、三年時はこれを上回っていました。高校生活をエンジョイするラストチャンスでしたが、部活と勉強に全力を出し過ぎました。授業が終わればすぐ部活、部活を引退してからも休憩時間中はずっと勉強。こんな奴に友達などできるはずがありませんよね。卒業式に至っては式の後に教室で行われる雑談タイムで置いてけぼりにされる状況に耐えられなくなりひっそりと教室を抜け出し帰宅、家に帰って即寝ました。いろんな感情が混ざって涙一つ流せませんでした。こうした経験から、体感的には三年時の方が地獄でした。
今思えば勇気を振り絞っていろいろな人に話しかけた方がよかったんでしょうね。他の人からしたら勇気を振り絞らなくても声をかけることはできるんでしょうが、私にとっては「話しかける」という行為自体、難易度が高かったのだと思います。ちなみに、クラスに「友人」と言える人はほとんどいませんでしたが、部活には数人いました。今でも付き合いがある人もいるのでこのつながりは大切にしておかないといけないですね。
これ以上は筆者のメンタルが持たないのでいったん区切ります。当時は全く気付かなかったことに気づいてしまうとすごく恥ずかしくなるんですよね。先日の記事でも申し上げましたが、過去は変えることができないので未来を変えるしかないものの、何かの拍子でふっと過去を思い出して悶絶するときがあるのです。また、私は何とも鈍感な人間でして同い年の人間が普通に気づくことに時間差で3年ぐらい遅れて初めて気づいてしまうレベルの人間です。
人は誰かに「身の上話」を聞いてほしいだけのですが、それを「自分語り」と捉えられてしまうことが多々あります。「身の上話」だとまだ聞こえはいいですが、過剰な身の上話は「自分語り」になりあまりいいイメージは持たれません。私も若気の至りからそれと同じようなことをして更なる後悔を生むことになります。次回お話しすることにします。では、この辺で失礼いたします!
「筆者についてもっと知りたい!」という物好きな方はこちらもどうぞ…
【目標設定!】当ブログの今後について
最近寒くなったり暖かくなったり忙しいですね。暖かい日は気分も上がりますし外に出ると気持ちいいのですが、逆に寒いと何をするにも億劫になります。皆さんもどうか体調を崩さぬようご自愛くださいませ。
さて、最近悩んでいることが二つほどございまして記事を書かせていただきます。まず一つ目が「アクセス数の不振」、ここ数週間アクセス数がゼロの日が多くなっており不安を感じています。調子のいいときは一日10~20のアクセスがあったのですが、最近は低空飛行が続いております。こればかりは筆者の工夫や努力が足りないものと責任を感じている部分もありますので、いろいろな方に見ていただけるようにさらに頑張ります。
※もし万が一、当ブログの記事において「何かに違反している」という項目があるのであればお知らせください。恥ずかしながら、筆者はブログのルール等をあまりよく把握できていないもので…
ちなみにですが、当ブログは旅行好きな筆者が旅先での思い出を残すために始めたものです。最初は「見ていただくもの」というよりは「筆者自身の備忘録」という意味合いが強かったのですが、ブログを始めて一年半以上が過ぎた今、「せっかくブログをやっているのだから趣味嗜好が同じ人だけにでも見てもらいたい」という気持ちが強くなってきました。今後も「旅先・お出かけ先での思い出を記録として残すため」という目的は変えませんが、見ている方に楽しいと感じていただけるように一層の工夫・努力をしていきます。
もう一つの悩みですが、「目標を見失いつつある」ということです。昨今のコロナ禍で一人でいる時間が増えたことにより、自然と「自分は今まで何をしてこれから何をすべきなんだろうか」と正解がないことを考えるようになりました。この過程で過去のことを振り返り、後悔の念に苛まれて精神的に沈んでいた時もたくさんありました。私は他人が気にしないような細かいことも気にしてしまうタイプの人間なのです。しかし同時に「過去は変えられないが未来はいくらでも変える余地がある」ということに気づきました。過去から反省材料を炙り出して今後の糧にするというのであればいいのですが、私の場合はいつまでもくよくよし続けるという悪いパターンでした。
「目標がない」ということはその目標に向かって行動・努力する習慣がないということではないかと最近思うようになりました。高校時代に陸上部に所属していた時は「100メートルで11秒台を出す」とか「三段跳びで13メートル台跳ぶ」という目標を作って、それに向かって辛い練習を頑張っていましたが、今はそのような明確な目標を立てて行動することがほぼありません。曖昧な目標を立て、それに達するのであればまだいいのですが達する見込みがなければ軌道修正、言い換えると妥協癖が付いてしまっていると感じています。目標を達成させるために行動する時間を作ることによって考え込んだりぼーっとしたりする時間を減らせるのではないかと考えているんです。
そこで、以上の点を踏まえある目標を立てることといたしました。
年内に総アクセス数1,000を達成させる。もし達成できなければブログの更新を停止(=引退)。
ということでございます。恥ずかしい話、このブログを始めて一年半を超えますが総アクセス数は500を切っています。ただ言い訳させていただくと、開設当初はPRする気が一切なく自分のSNSにはどこにもブログのリンクを貼っていなかったので半ば「深層web」みたいなものになっていたという部分もありました。現在も私自身のPR能力のなさからアクセス数も低空飛行気味ですが、だらだらと続けるよりは明確な目標を立てないと自分自身もなかなか行動しないと思います。ボケっとしている自分自身に危機感を促しさらに喝を入れるという意味でも今回の目標を立てた次第です。
終始「なに言ってんだこいつ」というような文章でしたが、「過去<未来」という考えは非常に大切だと考えています。また、目標自体も明確に立てなければなりませんが、達成させる「期限」というのも明確にしておかないと意味がありません。期限を定めず後回しにしてしまうとこれまた「妥協癖」がついてしまいます。当たり前のことを言っているようですが、筆者は何に関しても気づくのが遅い鈍感な男なのでご容赦ください。
最後になりますが、年内1,000アクセスを目指して努力してまいりますので今後ともよろしくお願いいたします!!!
【ひとり旅のすゝめ①】私が一人で旅する理由
こんにちわ。またしても(思い付きで)新たな企画を始めようと思います。私は旅行をするときは一人で行くことがほとんどなんですが、一人旅というのは人によって「寂しくないのか」「つまらないんじゃないか」と感じる方もいらっしゃいます。確かに、「友達とワイワイしながら思い出を作りたい」「いっぱいバカ話して笑いながら過ごしたい」というご意見もあると思います。
ですがこの度、「一人旅の魅力を伝えたい!」という思いから「ひとり旅のすゝめ」という企画を立ち上げました。このご時世、大勢での旅行が制限されている中で「一人旅」または「少人数での旅行」という選択肢も密かにではありますがフィーチャーされているようです。この企画を通じて一人でも多くの方に一人旅に興味を持っていただきたいというのが筆者の思いであります。この第一回目は「私が一人旅をする理由」についてお話して参ります。なお、あくまで「おすすめ」であって「押しつけ・強制」ではないことをご理解くださいますよう、お願いいたします。
<目次>
1.一人旅の始まり
私が初めて一人旅をしたのは2016年の夏、大学4回生の夏休みでした。就職活動を終え、時間的に余裕ができたので「青春18きっぷ」を使って九州に行く計画を立てたのです。幼いころは鉄道が好きだったのですが、このころからなぜか再び鉄道熱が再燃しだしたのです。おそらくこのころからYouTubeなどで鉄道旅行に関する動画を見始めたからだと思いますが、これに影響されて関西エリアの大回り乗車(わからない方は調べてみてください…)をしたのもこの頃だったと記憶しています。一人で「遠出をする」のは大学2回生の時から始めていましたが、宿泊を伴った一人での旅行というのはこれが初めてでした。
一日目は大阪から広島にある祖父母の家まで行き、広島の至る所に連れて行ってもらい一泊。二日目の午前中も祖父母とともに行動し、午後からは広島市内の観光を挟んで岩国で一泊。三日目は岩国から一気に長崎へ、鳥栖から長崎の区間に至ってはロングシートの各停に乗車したのでお尻が爆発するかと思いました。到着後はちゃんぽんを食べ、夜景を見て一泊。四日目にグラバー邸などを観光したあと、帰りも普通列車のみはしんどいと思い長崎から博多は高速バス、下関から大阪まで新幹線を使ってしまいました。今思うとちょっともったいなかったような気もしますが、非常に有意義で充実した四日間でした。
この一人旅で感じたこととしては「始めは寂しく感じるが後から楽しくて仕方がない」「知らない景色に出会うことが最高の瞬間」「自分自身で計画を立て、好き放題できる」ということです。大阪から広島に向かう電車の中にいる時と二日目に祖父母と別れた時は正直不安な気持ちが圧倒的に強かったですが、二日目に生まれて初めて一人でホテルに泊まった時や岩国から長崎へ向かう電車の中ではワクワクが止まりませんでした。「この先これから何が待ってるんやろ?」という感情が延々と続くのです。初めて行く土地、初めて見る景色だとその期待感は倍になります。まれにがっかりする景色もありますが、見たことのない景色に出会うとなぜか元気になれるし感動すら覚えます。「好き放題できる」というのは主にスケジュール的な意味でということで、多少のイレギュラーがあっても柔軟に予定を変えることができます。詳しいことについてはこの後の項目でお話しします。
この旅がきっかけで私は一人旅にハマるようになりました。ここからは私が思う一人旅のポイントについて簡単に解説いたします。
2.一人旅のメリット
予定を自分で自由に決めることができる
先ほどお話しした内容と多少被りますが、一人旅は自分ひとりで予定を考え、計画を立てることが可能です。極端な話、行先と大雑把なタイムテーブルさえ決めればあとは行先の状況次第(思っていたより見所があり滞在時間が長くなった等)で柔軟に予定の追加・削除を行えばいいのです。最低でも電車やバスを使う場合は発車時刻に間に合うように、ホテルにチェックインする場合はその時間までに間に合うような計画を立てる必要がありますがこれも一人旅の楽しみですね。旅行は「計画している時が一番楽しい」とも言いますし(笑)
「自分へのご褒美」的意味合いが強い
一人旅は「自分自身の自分自身による自分自身のための旅」です。「自分へのご褒美」と言い換えてもよいでしょう。人に気を使う必要は正直言って一切ありません。自分が行きたいところに行き、食べたいものを食べればよい。ただそれだけなのです。時間も金銭面も全て自分が管理しますので、旅行期間中は基本的に自分の好き勝手にできます。一方で、調子に乗りすぎると財布のひもが緩みまくってしまうのでどこかでストッパーをかけることが望ましいです。後の項目でも説明させていただきます。
カメラの腕を磨くことができる
私自身の旅先での大きな目的の一つが「風景写真を撮る」ことです。3年ほど前にデジタル一眼レフを購入し、旅行の度に持って行っています。カメラに関してはまだまだ素人ですが、少しづつ上達はしてきた実感があります。特に一人旅だと何度でも撮り直しが可能なので納得の1枚が撮れるまで鍛錬を積むことができるのです。「ここのダイヤルをこう設定したらいい感じやな」とか「この画角から撮ったらきれいやな」とか自分の感覚で勉強することができます。さらに、カメラの操作方法について解説したマニュアル本を買って読み込んで練習すれば更なる上達が期待できるかと思います。
自分と向き合う時間ができる→自身の成長にもつながる?
一人で行動している時って普段思い浮かばないようなことが次から次に思い浮かぶことがあるんです。考えすぎなんじゃないかというくらいにいろんな考えが思い浮かびます。例えば移動中の電車の中で車窓を眺めながらぼーっとしている時、自分自身のことについて思い浮かぶことが多いのです。例えば自分の弱点や将来・過去のこと、不安に感じたり後悔することもありますがなるべくポジティブに考えるようにしています。要するに己と向き合う時間を作ることができ、今後の方向性を定めたり自身の成長のためにするべきことを考えることだってできます。ただし、考えすぎるとかえって自分を追い込むことになるのでどこかでストップをかけて気分転換をしましょう。
3.一人旅のデメリット
財布のひもがユルユルに
いくら「自分自身へのご褒美」とは言えど、お金は無限にあるわけではありません。ましてや管理するのが自分自身ですから旅先で買いたいものはいっぱい買ってしまいます。私も旅行に行ったら「これも買わんと後悔する!」という気持ちが芽生えるせいか自宅に帰るときにはカバンはパンパンになっていることが多いです。また、乗り物に乗るのが好きなので交通費もそれなりに消費します。旅先で節約しすぎるのももったいないですが、月末にカード引き落とし額を見るのは怖いですよ…
周囲から冷たい目線で見られる時がある
「一人旅のベテラン」を自称している筆者ですが、周りの目を気にする性格なので未だに一人じゃ入りにくい店や施設はあります。地元の小さな飲み屋でお酒を飲むというのに密かに憧れを抱いている筆者ですが、極度の人見知りですから結局はホテルでの一人飲みで終わってしまいます。また、「え、こいつ一人??」みたいな感じで冷ややかな目線を感じるときもあります。一人で行くには勇気のいる店や施設もありますが、一人旅の間はそのような視線はフル無視で結構です。最初の内は周りの目を気にしてしまいますが、場数を踏むことでなんの抵抗も感じなくなる…はずです。
体力的消耗が大きい
これは私だけかもしれませんが、一人旅だと一日で色々な場所に行きたいと思ってしまう性なのです。そのため、一日の歩数が一万歩を超えることもザラにあります。「体力は極力セーブしたい」と考えていても寝る前に万歩計を見るとびっくりするような歩数になっていることがほぼ毎回です。健康的ですね。つまり何が言いたいかと言いますと、一人旅は意外と「体力勝負」になります。さらにスケジュールの面で時間配分等も考慮しなくてはならないので脳も疲れます。体力に自信がない方はいかに効率的に移動するかということも頭に入れておくことをお勧めします。
昼食のタイミングを逃すことがある
私にとって一人旅最大のデメリットです。どうしてかと言いますと、目的地にいると時計を見なくなるんです。当然電車やバスの時間が近づけば見るのですが、観光スポットで写真を撮っている時なんかは景色に夢中になりますよね。空腹感は感じるのですが、「まあどうにかなるっしょ」で時間が過ぎいつの間にか夕方になりトホホ…ということが結構あります。二人以上の旅行だとどこで何を食べるかというのをあらかじめ決めることがほとんどだと思うのですが、一人旅だと基本的に行き当たりばったりです。人間一日三食が当たり前と言われているので、時間に余裕があるときは必ずお昼ごはんも食べるようにしましょう。元気が出ませんからね。
4.一人旅で意識すべきこと
ここからは一人旅をする上でのルールとまではいきませんが、個人的に意識すべきだと思うポイントを紹介します。すべて当たり前で一人旅に限ったことではないかもしれませんが、これらを意識すれば快適な一人旅になることは間違いないと思います。
直前でもいいので複数のプランを用意しておく
旅行には何が起こるかわかりません。ハプニングが起こればそれによってスケジュールに狂いが出ますのでイレギュラーが生じた場合のことも想定しておく必要があります。ただしハプニングありきでスケジュールを立ててしまうとなにも楽しめないので、起こった時に考えればOKです。
ここからは私の実体験になりますが、茨城の大洗に行ったとき常磐線が停電で運転を見合わせ乗るはずだった特急が運休となりました。別の特急に乗ることができましたが、予定していた時間より1時間ほどの遅れをもって大洗に到着しました。予定通りにいけば時間に余裕ができたので水戸の偕楽園にも行くことができたのですが、そこは諦め大洗の観光に時間を割きました。時間はどうしても待ってはくれません。時間に抗うことはできないので当初の計画を柔軟に変えるほかないのです。時間に追われて忙しないスケジュールになるよりはゆっくり楽しむ方が良いですし、ハプニングも思い出の一つとなるのです。
※ちなみに言っておくと大洗が舞台の某アニメの聖地巡礼ではありません。筆者はアニメにそこまで詳しくありません(笑)
感謝の気持ちを伝える
「当たり前やろ、人生で大事なこととちゃうんかい!?」って感じなんですけど、旅先では意外と多くの方にお世話になります。お土産屋の方、ホテルのフロントの方、地元のレストランの方、観光案内のボランティアの方。私は人見知りな性格ですが、対応してくださったらどんなに不器用でも必ず「ありがとうございます」と言うようにしています。もし恥ずかしいというのであれば会釈から始めても問題はないです。「ありがとう」と言われて嫌な人などほとんどいませんので、何かしらのかたちで感謝の気持ちを伝えることができれば相手さんもいい気分になるはずです。
ネットで予約する際の日付に注意!
一度特急の予約で日付を1週間間違えたことがあるんです。当ブログを開設して間もないころに記事も書いていますが、大恥をかきました。
【大失態】乗車券のネット予約には気をつけよう - Konpei’s NOTE
ね、恥ずかしいでしょう? こんな思いをしますとスタッフの方に迷惑をかけてしまいますし、何より「こいつ何しとんねん…」みたいな目で見られることは間違いありません。何度も言いますが、私は極度の人見知りなのでこういうのは窓口ではなく極力ネットで済ませたいのです。便利なんですがこういうミスが生じてしまうこともあるので皆さんはくれぐれも気を付けてくださいね。
ざっくりではございましたが、一人旅の魅力について紹介しました。旅の形態はたくさんあり、人によって好みの旅も違うと思います。しかし、一人でも多くの方が今回の記事で「一人旅っておもろそうやな」と感じてくださったら幸甚に存じます。
今後もシリーズものとして続けていくのですが、次回は「一人旅での持ち物」について紹介したいと思います。興味のある方は是非ご覧ください。では皆様、ごきげんよう。
【チャリで来た】大阪難読地名の旅 Part.4
前回、ルーレットで「包近町」を出したところで終了したこの企画。ですがこのことは一旦忘れてください。「約束が違うぞ」って話なんですが、全国的な感染状況の深刻化及び緊急事態宣言の発出により公共交通を使った移動を極力控えざるを得ない状況に陥ったのです。これでは企画が進まないぞ、どうする筆者!?
このような状況の中で私が使ったのはクロスバイクという名の愛車。今回紹介する場所はほとんどが自転車で訪問した場所となります。中には思ったより起伏の激しい場所もありしんどかったです。では早速まいりましょう。あ、前回がまだの方は是非ご覧ください。
【怒涛の9連発】大阪難読地名の旅 Part.3 - Konpei’s NOTE
<目次>
- 20.道祖本(2020.12.19訪問)
- 21.耳原(2020.12.19訪問)
- 22.鴫野西/鴫野東(2020.12.20訪問)
- 23.馬場町(2020.12.20訪問)
- 24.衣摺(2020.12.20訪問)
- 25.深野(2020.12.20訪問)
- 26.蔀屋本町(2020.12.20訪問)
- 27.内代町(2020.12.27訪問)
- 28.小橋町(2020.12.27訪問)
- 29.喜連(2020.12.27訪問)
- 30.瓜破(2020.12.27訪問)
- 31.西五百住町(2021.1.17訪問)
- 32.芝生町(2021.1.17訪問)
- 33.点野(2021.1.17訪問)
20.道祖本(2020.12.19訪問)
- 所在地:茨木市
- 読み方:さいのもと
- 到達難易度:No Count
- 初見殺し度:★★★★★
写真が出てこない? ご安心ください。ご使用の端末は正常です。なんと、町名表示板が見当たらないというハプニングに直面しました。それもそのはず。こちらの「道祖本」、全域が茨木カンツリー倶楽部というゴルフ場の土地となっているのです。地図をご覧ください。
ゴルフ場である以上、部外者がフラフラ立ち入ることはできません。私自身ゴルフなんて一度もプレイしたことがないのでゴルフ場のお世話になることが皆無です。近づくことができたのはゴルフ場のフェンスの手前まで。この写真の左半分、フェンス越しにあるのが「道祖本」です。小高い丘の上にある場所なので自転車で行くには少々ハードな場所。しかも鉄道の駅からはかなり離れているので公共交通を使う場合はバスを利用する必要があります。なお、最寄りのバス停は阪急バスの「茨木ヒルズ」というシャレオツな名前の停留所です。
名前の由来ですが、付近にある「道祖(どうそ)神社」という神社からきているようです。外来の疫病や悪霊を防ぐ神様である「道祖神」にちなんだ神社で、「どうそじん」と読むこともあれば「さいのかみ」と読むことができます。「疫病・悪霊を『さへぎる(遮る)』」という意味で「さへの神」と記されたこともあり、それが転じたものであると考えられます。また、隣接する豊川地区には「さいのもと保育園」や「道祖本一号公園」といった名前の場所もあります。ゴルフ場になる前の様子は一体どんな感じだったんでしょうか。
21.耳原(2020.12.19訪問)
- 所在地:茨木市
- 読み方:みのはら
- 到達難易度:★★☆☆☆
- 初見殺し度:★★★★☆
道祖本から自転車を走らせることおよそ20分、「耳原」と書いて「みのはら」に到着です。こちらも鉄道駅から離れた場所に位置しているのでバスを使った方が良いです。
近くには「耳原公園」という大きな池を有した公園があります。子供の時は遊具がいっぱいある公園が好きだったのですが、大人になるとこういう公園の方が好きになるんですかね。日がもう少し高ければベンチでぼーっとくつろいでいたかったのですが、夕方5時を過ぎていたのでそんな余裕はありませんでした。今回は行けていませんが、「耳原古墳」という古墳も付近にあるそうです。
ここ耳原は元々西国街道に面した土地であり、様々な商品を扱う屋号の商人たちが集まっていたところだそうです。由来も調べたのですが、出てきたのは以前Part.2で紹介した堺市の「百舌鳥」の由来である「百舌鳥耳原」にまつわる逸話ばかり。ここ茨木の耳原も「百舌鳥耳原」と関係のある土地なのでしょうか。それともかつて「みみのはら」と読んでいたのが「みのはら」と短縮されたお決まりのパターンなのでしょうか。
22.鴫野西/鴫野東(2020.12.20訪問)
茨木の難読地名を2か所制覇した翌日、またも自転車を走らせ今度は南へ。この日最初にたどり着いたのはJRや地下鉄の駅も存在する「鴫野」。厳密にいうと「鴫野西」と「鴫野東」に分かれています。トリッキーな読み方というよりは漢字そのものが難読極まりない地名です。漢検1~2級レベルではないでしょうか。
近くには大手住宅設備機器メーカーである「タカラスタンダード」の本社があります。筆者も就活をしていたころに1度だけ行った記憶があります。それ以外は普通の下町といった感じで住宅が多く立ち並んでいます。町の北側には寝屋川が流れ、「新喜多(しぎた)大橋」という橋が架かっています。「新喜多」というのは鴫野に隣接する地域の名前でもあります。
ここ鴫野はかつて水田が広がる地域で、「シギ(鴫)」という鳥がたくさん群れていたことからこの名前が付いたそうです。それじゃあ「新喜多」も似たようなもんなのか。こちらはまた別で、かつてこのあたりの新田を開発した「鴻池新十郎」「鴻池喜七」「今喜多多兵衛」の3人の頭文字を一文字ずつ取った地名だそうです。
23.馬場町(2020.12.20訪問)
- 所在地:大阪市中央区
- 読み方:ばんばちょう
- 到達難易度:★☆☆☆☆
- 初見殺し度:★★★★☆
「一見簡単に読めそうなのに読めない」。そんな感じでフェイントをかけてくる腹立つタイプの難読地名です。
場所は大阪の代名詞の一つでもある大阪城の目と鼻の先、さらにNTT西日本の本社ビルが建っておりこの馬場町一帯を支配しているかのような存在感を醸し出しています。かつてはNHK大阪放送会館があったそうですが、現在は上町筋を挟んで少し西側に移転しまして大阪歴史博物館と隣り合った場所にあります。
「馬場町」という地名自体は全国に数多くあります。読み方は様々で「ばばちょう」「ばばのちょう」「ばばんちょう」などといった読み方があります。どこの「馬場町」もかつて厩舎や練習用の馬場があったことからこの名が付いたとされています。城下町に多い地名ということで、この馬場町も大阪城のすぐ近くですからそれが関係しているものと思われます。
24.衣摺(2020.12.20訪問)
- 所在地:東大阪市
- 読み方:きずり
- 到達難易度:★★☆☆☆
- 初見殺し度:★★★☆☆
馬場町からさらに南東へ自転車を走らせ東大阪市へ突入。JRおおさか東線の駅名の一部にも採用されている「衣摺」にやって来ました。付近はごく普通の閑静な住宅街が広がっており、これと言って目立った施設などは特に見当たりませんでした。
この地名の由来としてまず挙げられるのが、この地域ではかつて「摺衣」を作っていた人が多く住んでいたこと。「摺衣」とは模様染の一種で、草木の花や葉を衣に擦り付けて自然のまま文様を染め出したものだそうです。もう一つの説がかつての豪族であった物部守屋がこの地で討たれ、これを哀れんだ厩戸皇子(聖徳太子と言えば通じるでしょうか?)が大エノキの木に衣の袖を擦り付けるくらいに嘆き悲しまれたことからついた地名なのではないかと言われています。
25.深野(2020.12.20訪問)
- 所在地:大東市
- 読み方:ふこの
- 到達難易度:★★☆☆☆
- 初見殺し度:★★★☆☆
先ほどの馬場町と同じくフェイントをかけてくるタイプの難読地名です。当初立ち寄る予定はありませんでしたが、帰る途中で深野方面を指す標識を見つけたので寄ってみました。
場所はJR野崎駅の西側一帯。東の方角に目をやりますと生駒の山々が大きくはっきりと見えます。この時は紅葉シーズンを少し過ぎたぐらいでしたが、山が程よい感じに色づいていました。また、近くに「新深野橋」という橋が架かっていましたが、こちらは地名と違って「しんふかのばし」と読むようです。
この地にはかつて「深野池(ふこのいけ、ふこうのいけ)」という大きな池が存在していました。地名もここから名づけられたものであると考えられますが、なぜ「ふこの」と読むのかまではわかりませんでした。現在も深北緑地という大きな公園の中に同名の池が人工池として残っていますが、かつての深野池は現在のものよりはるかに大きな池でした。しかし、江戸時代あたりで深野池を干拓したことによって浸水による被害が多発。このような被害を抑えるために作られた深北緑地が遊水地としての役割を果たすようになり、緑地内に(河川の方の)寝屋川からの越流水を減勢するために「深野池」と名付けられた人工池が作られました。なお、深北緑地にある深野池は過去にあった深野池が縮小したものではないようです。
26.蔀屋本町(2020.12.20訪問)
- 所在地:四條畷市
- 読み方:しとみやほんまち
- 到達難易度:★★☆☆☆
- 初見殺し度:★★★☆☆
初見だと読むのが難しい四條畷市、JRの駅の漢字は「四条畷」でしかも大東市にあるという大阪有数のカオスな町です。この蔀屋本町の他に「蔀屋新町」という地名も存在します。
少し北の方角にはイオンモール四條畷があります。こちらも敷地が半分四條畷で半分寝屋川という少し変わったスポットとなっております。
「蔀」という漢字自体を使う機会が少ないかと思われますが、寺院などでよくみられる「蔀戸」からきています。言葉で説明するのが難しいので気になる方は調べてみてください。由来については不詳だそうですが、その蔀戸で囲った小屋のことを「蔀屋」と読んだそうで、この付近にそのようなものがあったことから名づけられたと推測されています。
27.内代町(2020.12.27訪問)
ここからは公共交通機関を使っての訪問が続きます。都島区にある内代町ですが、どう考えても「ん」はいらんやろというのが率直な感想です。
場所は地下鉄谷町線の野江内代駅を出て北西に進んだところ。この野江内代駅は「内代町」と「野江」という地域の間にあることから名づけられたものであると考えられます。ここから少し南東に進みますとJR野江駅と京阪の野江駅に出ます。また、南の方角に進むと京橋駅に出ることもできます。
この地名は江戸時代に徳川家代官の支配地だったことから「代官の領地内にある土地」という意味で名づけられたそうです。江戸時代に記された摂津国についてまとめられた資料では「うちむだい」と記されていたということで、これが転じて「うちんだい」と読まれるようになったものであると考えられます。また、内代町は京橋から京都の伏見を結ぶ京街道のルートの一部となっており、それを示す石碑もありました。京街道、一度歩いてみたいですね。
28.小橋町(2020.12.27訪問)
近鉄の大阪上本町駅から歩いてすぐのところにあるのが小橋町です。今回は一見すると読めそうなのにフェイントをかけてくる地名が多いですね。
大阪の難読地名というのは大半が住宅街ですが、ここは完全に都会のほぼ真ん中に位置しております。この地域の南側には千日前通という大きな道が通っていますが、やはり多くの車が行き来していました。
この小橋町ですが、「日本書紀」や「古事記」に少し出てきています。「日本書紀」にはこの近くに小橋がかけられていたという記述が、「古事記」には神功皇后の側近だった雷大臣の子である大小橋命の館舎が付近にあったという記述があります。
29.喜連(2020.12.27訪問)
地下鉄谷町線の喜連瓜破駅の北側に位置するのが「喜連」です。両隣には「喜連西」と「喜連東」という地区もあります。長居公園通りを挟んだ南側には後ほど紹介する「瓜破」があります。こちらも先ほどの「野江内代」と同じ理屈で「喜連」と「瓜破」の間にあるから喜連瓜破という名が付いたのです。おそらく初見の人に読ませる気はゼロでしょう。
長居公園通り沿いにはお店が多く立ち並んでいますが、通りを外れると下町でよく見る風景が広がります。地図を見る限りですが、学校など教育施設が多い印象です。小学校以外にも特別支援学校や英会話教室、さらには日本語学校までありました。
下の写真は長居公園通りを東向きに撮った写真です。道路挟んで左側が「喜連」、右側が「瓜破」です。
この地名のルーツですが、古代と言われる時代までさかのぼります。この地に「伎人」と言われた朝鮮・高句麗からの渡来人が集団移住してきたことに由来します。そのことから「伎人郷(くれのごう)」という地名ができあがり、そこから訛って「きれ」となり現在使われている漢字があてがわれたという経緯だそうです。なお、「伎人」は「久礼」ともいうそうなのですが、読み方がいろいろありすぎて説明するのが大変ややこしいです(泣)
30.瓜破(2020.12.27訪問)
続きまして「喜連」とニコイチの「瓜破」です。 長居公園通りを挟んで北側が「喜連」、南側が「瓜破」です。こちらも両隣に「瓜破西」「瓜破東」という地区があり、「瓜破西」のさらに西側にはこの企画の記念すべき一発目、「住道矢田」があります。この辺って難読地名激戦区なんでしょうか。
駅のすぐそこにはみんな大好きイオンがあります。訪問したのが年末の日曜だったのでそれなりに人がいました。「イオンモール」と言われる施設くらいの大きさはありませんが、他のスーパーと比較するとかなり大きい方かと思われます。ちなみにイオンの前は「ダイヤモンドシティ」の第一号店だったそうです。私的にダイヤモンドシティと言えば伊丹が真っ先に思い浮かびますね。小さいころによく行ったので。
地名の由来として主に二つの説が挙げられています。一つ目は飛鳥時代の僧侶である道昭が疫病が流行っていたころにこの地を通りかかり、お祈りをしているところに天神さまの像が出現。お堂に天神さまをお祀りして瓜を二つに割ってお供えをすると疫病が収まったという説。二つ目が弘法大師がここを通りかかったときに住民が瓜を勧めたという説です。現在でこそ「破」という漢字は「わる」と読みませんが、よく考えてみると読めないこともないかもですね。
31.西五百住町(2021.1.17訪問)
- 所在地:高槻市
- 読み方:にしよすみちょう
- 到達難易度:★☆☆☆☆
- 初見殺し度:★★★★☆
ここまで10か所紹介しましたがもう少しだけ頑張ります。こちらは新年一発目の難読地名回収です。またまた自転車での訪問となります。最初は「にしごひゃくじゅうちょう?」と読んでしまいましたが、初見だとほとんどの方がこうなりますよね。「五百住」と書いて「いおずみ」と読む名字がありますが、この地域が発祥だと言われています。
場所は阪急の富田駅から少し南東に進んだところ。西五百住町の北東には「東五百住町」という地域も存在します。いずれも閑静な住宅街となっています。当たり前のことですが、西があれば東もあるのは当然なんですね。
はるか昔(西暦500年代)、この地域の首長が天皇に田を献上し、その田を耕すために農民500人を遣わせたことからこの名が付いたとされています。ただし、「よすみ」と読むようになったいきさつはよくわかっていません。
32.芝生町(2021.1.17訪問)
- 所在地:高槻市
- 読み方:しぼちょう
- 到達難易度:★★★☆☆
- 初見殺し度:★★★☆☆
先ほどの西五百住町から東の方向に自転車を走らせますと、20分ほどで「芝生町」に着きます。公共交通を使う場合、鉄道駅からは少し離れたところにあるので高槻市バスに乗車するのがベターです。阪急高槻市駅や富田駅からもバスは出ていますが、JR高槻駅からの方が本数は断トツで多いようです。
付近には「高槻芝生住宅」という大きな団地が広がり、さらには高槻市バスの車庫もあります。町の東側には高槻を代表する河川とも言える芥川が流れています。
ここで悲しいお知らせです。ネットでは調べても調べても「しぼちょう」と読むようになった由来に関する記載が出てきません。粘って文献などを読み漁ったら何かわかるかもしれませんがそんな気力も体力も時間もございません。「わからない」で済ませたくなかったのですが、ここはひとつ温かい目で見ていただけませんでしょうか。大変申し訳ない。。。
33.点野(2021.1.17訪問)
- 所在地:寝屋川市
- 読み方:しめの
- 到達難易度:★★★☆☆
- 初見殺し度:★★★★★
今回最後の難読地名です。最後の最後で曲者が出てきました。小学生の時に「点」は「てん」と読むと習ったはずなのに何がどうなって「しめ」と読むようになったんでしょうか。
目の前には淀川が流れており、橋を超えると摂津市や茨木市、高槻市方面に抜けることができます。ちょうど淀川新橋と鳥飼仁和寺大橋に挟まれるところに位置しているので向こう岸との行き来が非常にしやすい場所となっています。また、川沿いということもあるので風がきつく感じます。国道1号線寝屋川バイパスが通っているので交通量は常に多めです。
「点野」というのは皇室や貴人が占拠して一般の人の立ち入りを禁じた場所である「標野(しめの)」からきています。宇多天皇の時代に天皇が鷹狩りをするときの猟場で、囲いをして多くの人が入って猟をすることを禁じたことに由来しており、「標野」→「〆野」→「点野」と転じたとされています。なお、同じ寝屋川市にある「禁野(きんや)」という地名も同じ由来だそうです。
非常に長くなりましたがいかがでしたでしょうか。一気に14か所もつぶすことができました。ここまでやるとさすがに半分をを超えたようで、ようやく残すところ20か所を切りました。現地に行くことよりも文章を考えながらキーボードを叩いているこの瞬間が一番しんどいです。その一方で由来や歴史などを知ることができて楽しいという気持ちもあります。地味に当ブログの目玉企画になりつつあるみたいなので、もう少しですが最後までやり切りたいと思います。
次回こそは行けずじまいの「包近町」に行きたいと思います。ではでは、皆さんごきげんよう!
【参考としたサイト等(一部)】
難読駅「野江内代」をぶらぶら歩いてみた|ジモトぶらぶらマガジン サンポー
【GoTo静岡の旅】Part.3 出でよ富士山!
前回念願の大井川鐵道に乗車、アプト式列車に乗って山奥で大自然を満喫しました。この旅のメインは終わりましたが、最終日なのでもう少し静岡を満喫しようかと思います。今回は宿泊した藤枝からさらに東へ進みます。
前回:【GoTo静岡の旅】Part.2 大井川鐵道で秘境を行く! - Konpei’s NOTE
<目次>
「ちびまる子ちゃん」のふるさと、清水へ!
「さあ~、みんな集まってぇ~ ちびまるこちゃんが始まるよ~ \ワーイ‼/」
このセリフから「おどるポンポコリン」が流れるアニメと言えば日曜18時の「ちびまる子ちゃん」ですよね。到着したここ清水はこの原作者であるさくらももこさん(2018年逝去)の生まれ故郷として有名で、駅構内の案内フラッグもさくら先生が描いています。また、Jリーグ・清水エスパルスのホームタウンとしても知られています。昔のエスパルスと言えば日本代表でもプレーした岡崎選手が所属していたイメージが強いですが現在の選手はほとんどわかりませんでした。
さて、ここからはバスに乗って「三保の松原」へ向かいます。この時は曇り空でしたが富士山のてっぺんが見えていました。てっぺんが見えるうちに行かなければ。朝9時前ですが連休中にも関わらず車内は閑散としています。しずてつジャストラインのバスに乗りましたが、アイドリングストップ中にクラシックの音楽がかかるのは斬新だと思いました。
羽衣伝説の地、三保の松原へ
バスは終点に到着。この時点で乗客は私一人でした。ここから15分ほど歩いて三保の松原へ向かいます。三保の松原にたどり着くには松の木々で囲まれた「神の道」を通らなければなりません。
木製の歩道が整備されていますが、松の根を傷めないようにすることが目的だそうです。今回私は三保の松原に向かう道として歩きましたが、本来は三保の松原を起点に羽衣伝説ゆかりの地とされる「御穂神社」への参道としての役割を果たしています。長さは450メートルあり、時間にすると5分少々かかります。
「神の道」を歩き切りますと売店やレストランなどが立ち並ぶエリアに出てきます。ここにはそれなりに人がいて観光地っぽさがありました。ここからさらに石段を上がってみると足元がコンクリートからさらっさらの砂に変わっていました。目の前には駿河湾が広がっています。さあ、富士山はどう見えるのか!?
天候は清水駅に着いた時とさほど変わらず曇り空。山頂こそ見えるのですが期待していた姿とは程遠い結果となりました。この後晴れることを願いましょう。周辺をブラブラしてみましたが、「松原」と付くだけあって松の木が辺り一面に広がっています。
三保の松原と言えば羽衣伝説ゆかりの地として知られていますが、羽衣伝説とはいったいどんなものなのでしょうか。昔々、若い漁師が松の枝に美しい衣が引っかかっているのを見つけました。漁師がそれを手に取ると、天女が現れ以下のようなやり取りが行われました。
天「それは天人の羽衣です。返していただけませんか」
漁「いややわ、なんで返さなあかんねん」
天「その羽衣がないと天に戻ることができないんです!(泣)」
漁「天人の舞を踊ってくれたら返したるわ」
天「羽衣がないと踊れないの、先に返して!!」
漁「先にこれ返したらアンタ踊らずに帰るやろがい!」
天「疑いの心を持っているのは人間だけ、我々天人に偽りの心はありません」
漁「…はっ!おれはなんてことをしてしまったんや。羽衣返しますわ」
このようなやり取りが行われたのちに天女は天人の舞を踊り、天高く昇っていったという物語です。なお、漁師が関西弁をしゃべっていたかどうかは不明です。それを象徴するかのように植樹されているのが「羽衣の松」で、現在植樹されているのは3代目だそうです。この羽衣伝説は能でも演じられており、やがて海外にも広く知られるようになりました。
その後は三保の松原の歴史などを紹介する施設「みほしるべ」に入館。ここでは松の倒木で作った木琴と海の音や鳥のさえずりなどを組み合わせたオリジナルの曲が流れていました。三保の松原にまつわるものだけで曲を作るのはすごいと思いましたが、私にとっては結構不気味にも聞こえました。聞く人によって感じ方は違うと思いますが、普段聞く曲とは全く違う感じがしました。興味があれば是非聞いてみてください。「オトノキ」という曲だそうです。
「みほしるべ」を出てからは静岡茶のソフトクリームを食べました。文句なしでおいしかったです。ソフトクリームを食べながら再び富士山を見てみましたが依然曇り空で山頂のみがひょっこりと顔を出しているだけという状況。先が思いやられます。
次の目的地へ向かうべく行きと同じように「神の道」を通ってバス停に向かうのですが、三保の松原近くの駐車場は大混雑。警備員の誘導を待つ車が数百メートルの列をなしていました。4連休の3日目とはいえ、コロナ禍でこの混雑は驚きでした。前日の晩までレンタカーを借りるか否かでものすごく迷っていましたが借りなくて正解でしたね。「神の道」を抜け、せっかくなので御穂神社にも寄りました。
沼津は激混み!
ここからはさらに東へ向かいます。はっきりとした目的地は決めていませんでしたが、伊豆か沼津に行こうかと思っていたのでひとまず沼津へ向かいます。正直沼津に対するイメージはあまりなかったのですが、人気マンガでアニメやゲーム化もしている「ラブライブサンシャイン」の舞台であることは知っていました。私自身は名前を知っているというだけでマンガもアニメも見たことはないですし、ゲームもしたことがありません。ただ純粋に沼津がどんなところなのか行ってみたかったのです。
沼津駅の改札を出ますと、驚くことに沼津港行きのバスは満員御礼。バスは諦め徒歩で沼津港へ向かいます。駅の目の前には「ラブライブ~」の特設カフェが設けられており、長蛇の列ができていました。「聖地巡礼」を促す町おこしのかたち、これができる町って羨ましいですよね。
しかし、驚くのはまだ早かったようです。商店街のアーケードにも登場するキャラクター達がお出迎え。歩いていてすれ違うのは聖地巡礼に来たであろうファンの方々ばかりでした。それ以上に道路の渋滞が激しく、先ほど満員で沼津駅を出たバスも全く進んでいないようでした。聖地巡礼もそうでしょうが皆さん何が目当てなのかこの時はまだわかりませんでした。そうこう考えているうちにある場所へたどり着きました。9月末だというのに駅から30分ほど歩いたおかげで結構汗をかきました。
ここは「びゅうお」、正式名称は「沼津港大型展望水門」。津波から住民の命を守ることを目的に作られた水門で、沼津の町を一望することができる観光スポットとしても機能しています。もちろん富士山も見ることができるのですが、どのように見えるのでしょうか?
…思ってたんとちゃう!!!
天気が回復したと思ったら三保の松原の時とは真逆、山頂が雲に隠れて麓がしっかり見えていました。ここでも私の求めている姿の富士山は見られず。条件がそろわないと理想の富士山は見られないということがよくわかりました。こうなりゃ仕方ありません、昼飯はうまいもん食いましょう。
ということでやってきたのは「沼津魚市場食堂」という海鮮料理のお店。時間は1時半過ぎと昼飯時のピークを過ぎていましたが行列ができていました。時間に余裕があるので並ぶことにします。私以外のお客さんはほとんどが家族連れやカップルだったこともあり結局は30分以上待つことになりました。並んでいる間ずっと何を食べるか考えていましたが、最終的に海鮮丼をチョイス。港町に来たらやっぱり海鮮丼ですわ。
港町の魚に外れなし、鮮度抜群の魚を味わうことができました。
もう少し沼津の町を散策すべく沼津港付近を歩き回っていましたがとにかく人の多いこと多いこと。深海水族館も混んでいるのかな、気になったので覗いてみましたが…
見た瞬間白目でした。アトラクションですね。心苦しいですが密になり得るところは避けましょう。この後バスで沼津駅に帰りましたが、運転士さんも混雑に大層いらだってらっしゃる様子でバスを飛ばし上げてました。気持ちはわかりますけどもね(笑)
改めて沼津駅周辺をぶらつきます。行きとは違う商店街のようですが、ここでも「ラブライブ」を前面に押し出しています。ここまでの推しようだと「はよ大阪帰って黙ってラブライブ見ろや」という雰囲気すら感じます。まだ見ることができていませんが。
旅の最後は三島で
帰りは新幹線に乗車するので新幹線の駅がある三島まで移動します。次の日も休みなのでもっと長居できたのですが、静岡旅行は最終盤に近づきつつあります。
最後は三島駅前にある庭園、楽寿園に立ち寄り。明治維新で活躍した小松宮彰仁親王の別邸として造営され、現在は三島市が管理しています。また、「国の天然記念物及び名勝」に指定されており、「どうぶつ広場」も併設されておりアルパカやレッサーパンダといった人気の動物たちに会うこともできます。やはり一番人気はレッサーパンダのようで、見ている人の数はどの動物よりも多かったです。
さらに楽寿園には「小浜池」という池があるのですが、池なのに渇水していることがほとんどという池があります。「池の水全部抜く」って番組がありますがその状態が想像できます。「それは池ではない何かではないのか」と思いましたが、私が行ったときは偶然にも池の水が思いっきり湧いていました。レアですね。せっかくなんで「ラッキー」とポジティブにとらえましょう。
庭園内をうろついていると閉園時間が近づいてきました。これにて「GoTo静岡の旅」、終了でございます。その後三島駅から新幹線に乗り込み、緑茶ハイを飲みながら大阪に帰りました。
「GoTo静岡の旅」 総括
今回の旅まで静岡は浜松しか知らなかった筆者ですが、3日間でほぼ静岡横断を達成できてよかったです。自然も豊かで食べ物もおいしく、山も海も味わえる場所なんだということがよくわかりました。かねてからの念願だった大井川鐵道に乗車して絶景を見ることができたことが最も印象深いですが、どこを見ても茶畑と言っても過言ではない風景は圧巻でした。この「GoTo静岡の旅」で私の中の好きな都道府県ランキングが更新されました。静岡は間違いなくトップ3(※)に入ります。繰り返しになりますが文句のつけようがないくらい景色はきれいですし、おいしいものが多いですよね。店などで対応してくださった方も皆さん親切でしたし、好感度爆上げです。次は伊豆の方にでも行きたいもんです。あとは富士山周辺もかな。次行ったときには富士山もきれいな姿を見せてほしいな…
今回で「GoTo静岡の旅」シリーズは完結。次回以降はまた過去の旅に関する記事が続いていくと思います。このご時世なのでよろしければ私の記事で旅行気分に浸ってください。これからもよろしくお願いします。では、皆さんごきげんよう!!
【体を動かせ!】ステイホーム中の娯楽とは?
新年早々、二回目の緊急事態宣言が発出されましたね。昨年発出されたときは休日に関しては家からほとんど出ることもなかったですが、今回は時期が時期なので精神的なダメージも考慮しなくてはなりません。というのも筆者は冬と相性が悪いようで精神的に落ち込んだり荒れたりすることが多いのです。私のように冬との相性が悪いという方は少なからずいらっしゃるかと思います。そこで今回のステイホーム期間中にお勧めしたいものが二つ、「ウォーキング」と「サイクリング」です。「外出自粛なんだから外に出ちゃダメやろ!」「ステイホームなのに矛盾しているのでは?」というご意見も当然あるかと思いますが、「一人で行う」「必ず密集地を避ける」「徹底した感染防止対策をとる」(後述)という前提でお話をしたいと思います。
ウォーキングとサイクリングを勧める理由としては、私が好きだからという超単純な理由になりますが、それ以上に人と接触する機会は少なく唾液が飛び交うような状況になることもほぼないというのがポイント。感染リスクはかなり少ないと言えます。さらに、家にこもりっぱなしだとどうしても運動不足に陥りやすく、逆に免疫力低下につながって体調を崩すこともあります。今回は再び始まるステイホーム期間に行うウォーキングとサイクリング、それぞれのメリットとデメリットや注意点を解説していきたいと思います!
<目次>
1.ウォーキングのメリットとデメリット
ここで一枚の写真を見ていただきましょう。こちらは作者が寝る間も惜しんで作成したと言えば嘘になりますが、ウォーキングのメリットとデメリットをまとめた表でございます。早速見ていただきましょう。
それぞれ5つ挙げておりますが、「気軽にリフレッシュできる」というのが最大の特徴で、「何もすることはないけど外に出たい」という時に大した準備をすることもなくできるのです。私みたいに40kmも歩かなければ体力を極端に消耗することもありませんし、大きな荷物も必要ありません。それに歩きながらゆっくりと景色を見ることができるので、何気なく通る道で新たな発見があるかもしれません。さらに音楽を聴きながら機嫌よく歩くことができます。もちろんウォーキングでも交通状況に気を配りながら歩かねばなりませんが、現在は自転車でイヤホンを付けていたら法律違反になりますもんね。
デメリットとしてはまず時間と距離の制約があることでしょうか。我々も人間ですので長時間・長時間歩くと脚への負担が大きくなります。私も実際にやってみましたが、9時間・40kmも歩くと何度も足がつりそうになりますし帰りに歩くのもしんどいです。さらに熱がこもりやすいアスファルトの上を歩くわけですから夏場なんかは猛暑との戦いです。殺人的な紫外線にもさらされるので熱中症のリスクが大いにあります。スポーツはほとんどが「冬がシーズンオフ」ですが、ウォーキングのシーズンオフは夏です。夏場の日中のウォーキングは避けましょう。そして人の目も少しは気にする必要があり、時間と場所を誤ると警察の職務質問を受ける可能性もあります。特に日没以降はマークがきつくなるので、日没と同時にスパッと切り上げる方がよいかと思います。万が一職質を受けた場合も毅然とした態度で受け答えをすれば何ら問題はないはずです。
「ウォーキングはいいけどランニングはダメなの?」という質問が飛んでくるかと思いますので一言。以前にもお話したのですが私は長距離を走るのが苦手なのでウォーキングをやっているだけです。私としてはウォーキングもランニングも似て非なるもの・大して変わらないものと考えていますので、「走る方が好き!」という方はランニングで構いません。好きな方をお選びください!
ちなみに、筆者が敢行した40kmのウォーキングの様子は以下リンクからどうぞ。(露骨な宣伝)
【挑戦】フルマラソンを徒歩で完走する男 - Konpei’s NOTE
2.サイクリングのメリット・デメリット
こちらも5つずつ挙げましたが、正直サイクリングの方が体を動かした実感があります。実際ウォーキングよりも長い距離・広い範囲を移動することができますし、脚力の強化にも効果てきめんです。私がサイクリングの楽しさに気づいたのは高校生の頃。当時は移動手段でしかないという考えでしたが、自転車通学を始めると同時に「なにこれ楽しい」とドはまり。自転車を使うことで行動範囲が格段に広がりましたし、学校や部活の帰り道にいつもと違うルートで帰ったりもできました。またウォーキングでも同じようなことが言えますが、目的地を決めて走り切った時の達成感は何とも言えないものがあります。ただ、帰りのしんどさがあります(笑)
続いてデメリットですが、サイクリングは天候に左右されやすいもので向かい風が吹けば前に進むこともままなりません。さらに雨が降れば体も冷えるのでしんどい思いをするでしょう。雨の中でも構わず漕ぐ猛者もいますが私はイヤですね。また自転車というのはメンテナンスも必要で、面倒かもしれませんがタイヤの空気を定期的に入れなければならないですしギアやチェーンのさびなどにも注意する必要があります。そして何よりも事故のリスクが高まりますので安全を最優先しなければなりません。自転車は「軽車両」に該当しますから基本的に車道を走行します。周囲の交通状況に気を配りながら安全なスピードで走行しましょう。悪路の走行も自転車の劣化が早まる要因になりますのでなるべく避けた方がいいです。
3.注意すべきこと
ウォーキング・サイクリングを行う際の注意点として、冒頭で「必ず密集地を避ける」「徹底した感染防止対策をとる」とお伝えしました。密を避けることのできるウォーキングやサイクリングで繁華街など人の多い場所に出てしまうと本末転倒です。例外として、「買い物のついで」という方や休憩などでスーパーなどの商業施設に入ることもあるかと思いますが、マスクの着用はもちろんできるだけ密になる時間を少なくすることが大事だと思います。
そして感染対策についてですが、休憩のタイミングなどで手洗い・うがい・アルコール消毒を適宜行うようにしましょう。特に消毒液は常に携帯しておいて損はないです。これらで感染を100%防止できるという保証はありませんが、当たり前の対策をきっちりととることは何よりも大切だと思います。
時間については皆さんのご都合や体力に合った範囲でやっていただければ結構なのですが、短すぎず長すぎずな時間でやるようにしましょう。短すぎるとどうしても消化不良に終わりますし、長すぎると疲労を抱えて免疫力が落ちてしまいかねません。
4.どれがいいかは人それぞれ!
ここまでウォーキングとサイクリングについて紹介してきましたが、ステイホーム中の娯楽など人それぞれです。私みたいに短い時間で外に出て体を動かす方もいれば、読書や映画鑑賞など家の中で過ごすことが好きな方もいらっしゃいますし、自己研鑽に努めるというストイックな方もいらっしゃるでしょう。ご自身の体力や好みに合わせて過ごされたらいいと思います。私も毎日外に出るというわけではないので、ネットフリックスでドラマやアニメを見たり本を読んだりする時間もあるかと思います。先の見えないステイホーム期間ですが、決してストレスを溜めることなく自分のやりたいことをできる範囲で思いのままやっちゃいましょう。
最後になりましたが、ウォーキングやサイクリングのメリットとデメリットは筆者が思いつく範囲で記したものです。「これ忘れてんぞ!」ってものがありましたら教えていただければ嬉しく思います。では皆さん、健康第一でストレスを溜めることなくこの状況を乗り切りましょう!!