Konpei’s NOTE

旅行記や独り言などいろいろ

【大阪~長崎】どこにも行けないので人生初の一人旅を振り返ってみた

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突然ではあるが、2016年の夏に大阪から長崎まで青春18きっぷを使って一人旅に出たときの様子を振り返ってみようと思う。現在進めているシリーズ「ひとり旅のすゝめ」の番外編的なものになる。大学4回生で就活を終え、単位も取りつくしたのでやることと言えばバイトか遊ぶかしかなく、せっかくなので就活で疲弊した心を癒したいと思い人生初の一人旅に踏み切った次第である。

「電車の旅をしたい」と思い始めたのは就活終盤のことだった。ある企業の面接で「就活が終わったら何がしたいか」という質問があり、無意識に「青春18きっぷを使って旅行に行きたい」と答えてしまった。面接を受けた会社の業種柄、面接官も一緒に面接を受けた学生も「えぇ…」と引き気味だった。案の定その会社からはお祈りメールが来たわけだが気にも留めず、帰ってからすぐに計画を練り始めたのであった。

<目次>

 

【1日目:大阪~呉】初日からロングラン

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1日目のルート

時は2016年8月1日。世間では夏休みは始まったばかりで私も非常にワクワクしていたのだが、「人生で最後の夏休みなんやな…」と思うと少し寂しい気持ちもあった。この日は広島の呉まで乗車し、広島にいる祖父母と合流して二人の家で一泊する予定だ。

それはさておき、出発地の大阪駅から新快速に乗り込みまずは終点の姫路を目指す。朝の通勤ラッシュ時間帯ということもあり車内は満席に近い状態で、神戸を出たくらいでやっと座ることができた。終点の姫路に到着すると岡山に直通する電車が来ていたので乗り換えるのだが、席が空いておらず座ることができなかった。結局岡山まで1時間立ちっぱなしのまま終わってしまったが、相生での壮絶な座席争奪戦に巻き込まれないで済むと考えるとこちらの方がまだ楽な気がする。しかし、序盤で足腰をやられるのは相当痛い。岡山に着くころには体が座席を求めているせいか、小刻みに震えていた。次の電車で席が空いてなかったら体力的に今後の行程に支障をきたすかもしれない。と思っていたが、岡山で乗り換えた広島方面直通の電車は幸運にもがら空きで座ることができた。涙が出るんじゃないかというくらい嬉しかった。

この電車で三原まで乗車し、呉線に乗り換える。呉線と言えば、母の実家の最寄り駅だった広を境に景色が一変することで知られている。私も幼少期に乗車していたが、三原から広(単線で本数まばら)は初乗車となる。個人的には広より西側(複線で本数もそれなり)を走る電車で広島市内に出かけていた記憶が濃く残っている。三原を出ると間もなく瀬戸内海の島々が広がり、多島美と爽快な気分を味わうことができる。

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呉線からの車窓

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広駅ロータリー

瀬戸内海の多島美に見とれているうちに広駅に到着。ここからかつて母の実家があった地区までブラブラと歩いてみたが、夏場の暑さの中歩くのは過酷なので30分ほどで引き返した。景色も変わっていて短い時間の中ではあったが、思い出の地を再訪することができた嬉しさでいっぱいだった。この後、呉駅に移動して大和ミュージアムへ入館。子どもの頃にはなかったので初めての入館となる。館内に展示された戦艦大和零戦も圧巻であったが、それ以上に戦死を遂げた兵士たちの生きざまを記録していたのが非常に印象的だった。

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大和ミュージアム内の戦艦大和

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大和ミュージアム内の零戦

大和ミュージアムを後にし、ようやく祖父母と合流を果たした。こちらも幼少期以来の再訪となる音戸の瀬戸あたりまで車で連れて行ってもらい、景色を楽しんだ。そんな中、ここでスマホの災害アプリが鳴動し「まもなく東京で震度7地震」という通知が来たときは戦慄が走った。幸い誤報だったので安心したが、本当に発生していたのであれば今後の旅に多少の影響があっただろう。ドキッとしたが無事に一日目を終えることができた。

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音戸の瀬戸

 

【2日目:西条~岩国】広島市内をちょっと観光

2日目は祖父によるドライブ。私が子どもの頃から連れて行ってもらっているレストランで昼食を取ったり、海岸線を眺めながら竹原方面へ走ったりといった行程であった。写真が何枚か残っているのだが、信じられないほどもやがかかっており皆さんにお見せできる状態ではないので割愛させていただく。

昼過ぎに祖父母と別れ、山陽本線で本日の宿がある岩国へと向かう。ここからが一人旅本番なのだが寂しい気持ちになった。現在は寂しさなどみじんも感じることがないのだが、この時ばかりは慣れない一人旅とあってか少し泣きそうになった。チェックインの時間まで余裕があるので途中の広島で電車を降り、広島市内の観光をすることに。広島市内の観光と言えば、原爆ドーム広島城あたりに行くのがベターなものかと思われるが、私が行ったのは比治山公園と海沿いの宇品周辺といったニッチなスポットであった。なぜここをチョイスしたのか私にもわからないが、リフレッシュになったことは間違いない。この記事のサムネイルにしているのが宇品島から撮った広島の海の様子である。

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比治山にある陸軍兵士の墓地

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宇品周辺。漁船が多く係留されている

この後、市電に乗って市内中心部に戻り再びJRに乗って本日の目的地岩国へ。退勤時間帯と被ってしまったため車内はかなり混雑しており、記憶が確かだとほとんどの人が宮内串戸で下車したのだが住宅地か何かがあるのだろうか。結局は無事岩国に到着しホテルにもチェックインしたのだが、夕食を食べるお店がないという問題が発生。20分ほど歩いてたどり着いたのはココ壱番屋。飲み屋ぐらいしかない街だと夕食難民になってしまうということを身をもって痛感した。その点どこにでもあるココイチは救世主だ。ココイチを称えよ。

 

【3日目:岩国~長崎】おしりが死んだ日

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3日目のルート

3日目にしてこの旅のメインかつ山場を迎える。それもそのはず、岩国から長崎までの約400kmを1日で駆け抜けるのである。電車に乗るのは好きなので苦でもないのだが、車窓に見所がなくなり暇になった時のためにコンビニでこち亀の傑作選を購入した。8時前に岩国を出発し、長崎に着くのは夕方の5時ごろ。実に9時間もの間電車に揺られ続けることになる。

電車は瀬戸内海沿いを快調に飛ばしていく。乗っている分には何一つ苦にはならないのだが、「虫」という思わぬ難敵(乗客というべきだろうか)と対峙することになる。まず気分を変えるためにコンビニで買ったこち亀を読んでいる時、足元をふっと見てみるとブリッブリのゴキブリが我が物顔で乗り込んでいるではないか。恐れおののく私を見て察したのか、通路を挟んで隣に座っていたおじさまが紙でGをくるんでそれを空き缶の中に詰め込んだ。「ありがとうございます!」と声をかけると、おじさまは「わけねえぜ」と言わんばかりの笑顔を浮かべていた。珍客はこれにとどまらず、今度は大きめのハチ(スズメバチと思われる)が乗り込んできた。これに対しても先ほどとは別の作業着を着たおじさまが持っていたタオルでハチをくるんで窓の外にヤツを放った。私が都会の人間でビビりすぎなのだろうか、それとも山口の方が虫に強すぎるのか。

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周防大島にかかる大島大橋

思わぬ遭遇はあったものの無事に下関に到着。下関から関門トンネルをくぐって小倉、小倉からは鹿児島本線の快速に乗り込んで鳥栖を目指す。山口県内はずっと各駅停車の旅だったからか、快速に乗車すると駅を通過することで格段にスピードが上がった感覚があった。

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北九州市スペースワールド。2018年に閉園となった

鳥栖に到着すると待ち時間ができたので昼食に。駅のホーム上にある「中央軒」といううどん屋で「丸天うどん」を注文、これが非常にうまい。駅のホームで食べるうどんやそばがおいしくないわけがないのだ。そして、中央軒のお母さまから「鳥栖駅の屋根はめちゃくちゃ古い」という話も聞かせてもらった。なんと1896年に作られたものなのだそう。もっと調べてみると、屋根を支える鉄柱がその年に作られた線路を再利用しているようだ。はやり病が落ち着いたころに佐賀へ行くつもりにしているので、鳥栖駅にも再訪してみたい。

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「中央軒」の丸天うどん

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鳥栖駅ホームを支える屋根(1896年製)。奥に見えるのが「中央軒」

しかし、ここからが地獄であった。途中で乗り換えがいらない長崎行きに乗車するのだが、乗ってびっくり全席ロングシート。これで3時間以上もの間耐えろと言うのだ。乗り換えがない分、最後の最後でこのような試練を与えてくるとは思ってもみなかった。腹いせ(?)に運転席の真後ろで車窓にかじりつくことにしたのだがそんな勇気もなく、ぼーっと正面に映る景色を眺めるしかなかった。

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筆者にとって最後の難敵となった長崎行きの電車

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有明海。奥にうっすらと見えるのはどこの山だろうか?

鳥栖周辺では雨模様だったが、長崎に近づくにつれ天気は良くなっていった。夕方5時過ぎごろついに最終目的地の長崎に到着。最後のロングシートで完全にとどめを刺されたか、お尻の肉はないに等しい感覚だった。しかしちゃんぽんを食べて稲佐山からの夜景を見るという夜の重大ミッションが残っている。朝から長時間電車に乗ったにも関わらず長崎に着いてからもかなり歩いた。当時の私は旅先で交通機関を使うことが少なく、2kmぐらいの移動であれば余裕で徒歩移動をしていた。今思うとこの時の私はまだ体力があったんだと思った。

ある中華料理屋さんでちゃんぽんを食べ、その後にロープウェイで稲佐山に登頂。当時のiPhoneのカメラは今のに比べると性能が低かったためきれいに撮ることができなかったが、眼下に広がる夜景は格別だった。今は一眼レフがあるのでそれでリベンジしてみたい。

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3日目の夕食、ちゃんぽん

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長崎の夜景

 

【4日目:長崎~門司港、下関~大阪】長崎観光etc.

早くも最終日を迎えた人生初の一人旅。この日は長崎観光として大浦天主堂グラバー園へ行くことにした。その前に宿泊したホテルの真横にカステラの老舗である「文明堂」の総本店があったのでお土産でカステラを購入。カステラと言えば、元々ポルトガルの南蛮菓子だったのを日本風にアレンジした和菓子で、南蛮貿易の拠点だった長崎から全国に広まっていった。恥ずかしながらこれを知るまでは洋菓子としか思っていなかった。

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大浦天主堂

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グラバー園

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長崎港に停泊中の豪華客船。このためか中国人の人が多かった

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リンガーハット」の元ネタとなったリンガー

こんな感じで異国情緒のあふれる町並みを観光していると「長崎を最終目的地にしてよかったな」と感じた。限られた時間の中ではあったが、短い時間の中でもいろいろな場所で楽しめるしなにより勉強になる。初めての一人旅だったこともあり時間配分など勝手がわからないところもあったが、自分にとって長崎は今まで訪れた場所の中でも三本の指に入る街だ。今度は是非軍艦島にでも行ってみたい。「長崎に行ったことがない」という方は是非一度行ってみてほしい。

名残惜しいがここいらで長崎を後にし高速バスで博多に戻る。最初は青春18きっぷで行った道を戻る予定にしていたが、前日の長時間移動で心を折られてしまったので高速バスで行きとは違う景色を見ながら帰ることにした。長崎を出たのは昼前だったが、食べ物を何も買わずに出てしまったので空腹に耐えながらの移動となった。博多からはこの日初となる青春18きっぷを発動、門司港に寄ってから帰路に着くことにした。

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門司港から撮った関門海峡

時刻は16時を過ぎており、体力的にも疲れがピークに近い状況だったので楽をしたくて仕方がなかった。この状況の中、行きと同様に在来線で大阪へ帰るのは酷なので新下関からは新幹線に課金することにした。このまま新大阪に帰ってもよかったのだが、当時はお金がない貧乏学生だったので姫路まで乗車することに。在来線とはスピードの面で圧倒しており、景色が一瞬で飛んでいくように見えた。やはり新幹線しか勝たん。

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1万円を超える出費。学生にとっては痛い…

姫路に着いてからは新快速に乗り換え大阪へ向かう。もはや外は真っ暗で何も見えないが車内は空いていたのでのんびりと過ごすことができた。そして無事に帰宅。初めての一人旅がようやく終わった。長いようで短く感じた4日間だった。

 

まとめ

これまでに日帰りで遠くに行ったことは数回ほどあったが、泊りでかつ一人で旅行するのは初めてだったので緊張の連続だった。ビジネスホテルなんてチェックイン時間ぴったりに来なければいけないもんだと思い込んでいたし一度チェックインしたら外には出られないもんだと思っていたが、意外と融通が利くということがわかって只々安心した。また、途中で寂しさを感じて泣きそうになったが改めて考えると複数人で行く旅行はいろいろと制約があるので自由な一人旅の方が自分のやりたいことが楽しめる。私は周りの意見に流されやすい人間なのでそういうことを一切気にしなくていいというのが何よりの魅力だ。

これが一人旅に目覚めるきっかけとなり、以来国内の様々な所へ出かけるようになった。行きたい場所は日本中に山ほどあるので、これからも健康を維持しつついろいろな所へ出かけたい。一人旅に勝るストレス解消法はないとまで思っている。はやく遠くへ行きたい。

【はよ終われ】大阪難読地名制覇の旅 Part.5

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前回:【チャリで来た】大阪難読地名の旅 Part.4 - Konpei’s NOTE

本音が出てしまったがタイトルの通りだ。正直な話、この企画は早いとこ決着をつけたい。行くのも体力がいるし、それ以上に記事の執筆や由来の調査に時間を要する。しかし、やると決めた以上は最後までやり切らないといけない。実際、訪問を予定している難読地名の数はとうに半分を切っているし、ここで諦めたら企画は成立しない。それにしても、大阪には難読地名が多すぎる。長くても半年程度で終わると思っていたが、度重なる感染拡大に振り回される上にアクセスに苦労する場所も多いため思うように動くことができない。文句が多くなったが、そろそろ始めさせていただこう。

<目次>

 

34.三栗(2021.2.6訪問)

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  • 所在地:枚方市
  • 読み方:めぐり
  • 到達難易度:★★☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★☆☆

京阪電車御殿山駅牧野駅の間にまたがるのが「三栗」。この二駅の間を歩いてみたが、周辺には住宅地や団地が広がっていた。歩いてみると駅間はそれなりに長く、30分ほどかかった。この周辺に住んでいる方には大変申し訳ないのだが、特筆すべき名所もないごく普通の住宅街であった。

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この地名の由来に関しては明らかとなっていないが、元々は「みぐり」という読み方だったのが転じて「めぐり」になったという説がある。「三栗」という単語自体は「日本書紀」に登場しているそうで、ここでの読みは「みつくり」となっている。

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35.招提元町(2021.2.6訪問)

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  • 所在地:枚方市
  • 読み方:しょうだいもとまち
  • 到達難易度:★★★☆☆
  • 初見殺し度:★★★☆☆

京阪牧野駅からバスでおよそ10分の場所にあるのがここ「招提元町」。「寺院」を意味する「招提」が地名の由来となっている。京阪バスの停留所でも同名のものがあるのだが、不思議なことにこちらの読み方は「しょだいもとまち」である。

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また、頭に「招提」の名が付いた町はこの周りに多く存在し、これらの町は元々「招提村」という一つの村だった。招提元町には「敬応寺」という寺があるのだが、元々浄土真宗の「招提道場」というところだった。ここを中心に人が集まって形成されたのが現在の「招提」地区となっているそうだ。

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36.私市(2021.2.6訪問)

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  • 所在地:交野市
  • 読み方:きさいち
  • 到達難易度:★★★☆☆
  • 初見殺し度:★★★★☆

京阪交野線の終着駅の名前になっているのがここ「私市」。周辺は大阪らしからぬ緑の多い地域であり、南へ行くと大吊橋「星のブランコ」で有名な「ほしだ園地」に、南東方向へ行くと「くろんど園地」にたどり着く。いずれも「府民の森」としての役割を担っており、行楽シーズンにはハイキング客でにぎわう。

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由来に関してはこれまた日本書紀に記述があるのだが、天皇の后に関する用事を行う役所を「私府(きさふ)」、后のために農耕をした人を「私部(きさべ)」と称した。この地域一帯は推古天皇の代から皇室領であったことから「部民(べのたみ)」と呼ばれ、現在の私市地区は部民の中でも中心であったことから「私部内(きさべのうち)」と名付けられた。そこから訛って「私市」と名付けられたそうだ。ちなみに、くろんど園地の地名は「私部」となっている。

また、この時くろんど園地方面に向かって歩いてみた。家々が立ち並ぶ道を20分ほど歩くと「月の輪滝」という小さな滝にたどり着いた。近くには閉店したお土産屋と思われる建物があり、かつて賑わいを見せていたような形跡が見られるが現在は草木の生い茂った荒れ地のような状態となっている。

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37.御供田(2021.2.7訪問)

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  • 所在地:大東市
  • 読み方:ごくでん
  • 到達難易度:★★☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★★☆

前述の3か所を訪問した翌日、次の難読地名を回収すべく大東へ向かった。大東は意外にも難読地名激戦区であり、このシリーズで4か所登場する。以前紹介した「住道」と「深野」も大東市にある。

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場所はJR住道駅から東へ15~20分ほど歩いたところにあり、近くには恩智川という川が流れる。住宅が立ち並ぶ中、「御供田公園」という比較的大きな公園があり近隣住民憩いの場?となっている。「○○緑地」レベルの大きさではないものの、野球ができそうなスペースもあるので公園にしては大きい方だろう。

地名としての「御供田」の由来は明らかとなっていないようだが、名字でも存在するのでそちらの由来を説明しよう。元々は鹿児島県日置市に存在した「御供田門」からきているそう。また、石川県金沢市にも「御供田町」という地名が存在している。「御供」というのは仏前や神前に供えるお供え物を指す言葉である。

 

38.中垣内(2021.2.7訪問)

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  • 所在地:大東市
  • 読み方:なかがいと
  • 到達難易度:★★★☆☆
  • 初見殺し度:★★★★☆

続いて「御供田」からさらに東の方向にある「中垣内」。東の方角に目をやると生駒の山々が目前に迫っており、阪奈道路沿いの廃墟と化した旅館?もはっきりと見える。大阪産業大学やその付属校で高校野球吹奏楽の名門として知られる大阪桐蔭高校もここ中垣内に位置する。

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「垣内」という単語は垣根に囲まれた武家屋敷を意味する言葉であり、「かいと」と読むのは近畿地方特有の言い回しなのだそう。ちなみに、近畿での「垣内」は他の地方では「堀の内」に相当するとされている。

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39.深日(2021.2.13訪問)

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  • 所在地:泉南郡岬町
  • 読み方:ふけ
  • 到達難易度:★★★☆☆
  • 初見殺し度:★★★★★

大阪府最南端の自治体である岬町に位置するのが「深日」。探せど探せど町名表示板が見つからなかったので交差点の看板でご辛抱いただきたい。近くにある深日港はかつて淡路島や徳島へ向かうフェリーが発着していたこともあって賑わっていたそうだが、現在では定期旅客航路ゼロとなっている。一方で、2017年から船旅活性化を目指す社会実験として淡路島の洲本までを結ぶ航路が期間限定で運行されていた。2020年度も実施する予定であったが、コロナ禍の影響により取りやめとなっている。このように現在フェリー発着場としての役割はほぼないに等しいが、休日には多くの釣り客でにぎわっている。訪問した日も快晴で釣り日和だったので多くの釣り人が釣竿を海に垂らして獲物がかかるのを待っていた。

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深日港周辺は万葉集の時代から歌枕として有名な景勝地であり、「吹飯浦(ふけいのうら)」と呼ばれていた。「ふけい」が訛って今の読み方になったのだそう。また、「深日」の字は奈良時代に記された文書に残っているとのことで、非常に歴史のある地名だそうだ。

地名とは関係のない話だが、この地域では「逆さ言葉」で会話する文化があるようで、漁師が「今日は(釣果が)あかんかったわ」と言えば実際は大漁などといった具合にわざと事実と反対のことを口にするのだそう。

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39.近木町(2021.2.13訪問)

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  • 所在地:貝塚市
  • 読み方:こぎちょう
  • 到達難易度:★★☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★☆☆

深日から電車でおよそ40分、南海と水間鉄道貝塚駅の真ん前にある近木町。この近木町の象徴と言えるのが「貝塚中央商店街」。テレビでよく見るような昔ながらの小さなお店が数多く立ち並び、下町情緒を感じることができる。ちなみに、前述した水間鉄道の本社もここ近木町に存在している。外から見たところ、かなり小規模なオフィスだった。鉄道会社のオフィスと言えば大きなビルを構えているイメージがあるのでこれは意外だった。

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貝塚市には「近木川」という川が流れているのだが、そこに関係のある地名であると考えられる。この「近木川」の由来としては、「和泉国日根郡近義郷」という集落に存在したことから名づけられたものとされている。ちなみに、水間鉄道の駅に「近義の里」という駅があるのだが、ここの地名は「石才」である。

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40.包近町(2021.2.13訪問)

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  • 所在地:岸和田市
  • 読み方:かねちかちょう
  • 到達難易度:★★★☆☆
  • 初見殺し度:★★★★☆

こちらも町名表示板がなかったので交差点の看板でご辛抱いただきたい。字が違うものの「お笑い第7世代感がある地名やなあ」と思った。それはさておき、ここへ向かうには岸和田駅から牛滝山行きのバスに乗車する。30分ほどで包近町に到着、付近には「包近公園」という大きめの公園があり、季節ごとに様々な花が咲いてきれいなのだそう。また、ここ包近町は大阪府内でも屈指の桃の名産地とのこと。大阪で桃を栽培していること自体知らなかったのだが、糖度20度を超える美味な桃のようだ。

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かつて国司が地方政治を行う際に役所が置かれた区画である国衙に充てる費用として設けられた名田で、「包近名」がその由来なのだそう。日本史の単語はわかっても仕組みそのものを説明するのは非常に難しい。また、包近町に隣接する地名も難読で「山直」とかいて「やまだい」と読む。

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毎回文字数が多くなるこの企画だが、今回は比較的コンパクトにまとまったと思う。そして、残す難読地名はついに10を切った。次回がおそらく最終回になると思うが、訪問のめどが全く立っていない。夏に入るまでに終わらせたいが果たしてどうなるのか。「はよ終われ」と思う反面、終わりが近づくとなると寂しさもある。最後まで決して手を抜くことなく、噛みしめながらやっていきたい。では、またお会いしましょう。ごきげんよう

 

【参考としたサイト等】

枚方つーしん -枚方市の雑談ネタをもりもりと!

大阪府/私市のまちなみ(交野市)

名字の由来、語源、分布 - 日本姓氏語源辞典・人名力

深日町 | 南海100駅自慢|南海電鉄

大阪・岬町 港町で謎の会話 「おっきい」は「ちっさい」!?(とことんサーチ): 日本経済新聞

第23号 近木川/貝塚市

岸和田のむかし話8 地名などにかかわる伝承 - 岸和田市公式ウェブサイト

【土砂降り】ペーパードライバーの山口ドライブ旅 Part.2

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前回:【安全第一】ペーパードライバーの山口ドライブ旅 Part.1 - Konpei’s NOTE

2日目、朝起きて早速カーテンを開いてみた。日差しがたっぷり差し込むのが理想だが、思いっきりグレーの空模様である。そう、この日は雨の予報。旅先では必ず1日は天気が崩れる。俗に言う「雨男」というやつだ。雨の中のドライブは一層安全運転に努めなければならないので、今日はタフな1日になりそうだ。

 

 

「道の駅=ソフトクリーム」

本日の目的地は秋芳洞。山口を代表する観光地であり、特定天然記念物に指定された鍾乳洞だ。電車やバスで行けないことはないのだが、鉄道駅からバスで1時間〜2時間乗らなければならないのでペーパードライバーの自分には縁のない場所だと思っていた。

本日のメインを前に少し寄り道をする。やって来たのは「道の駅 萩往還、お土産を買うのとソフトクリームを食べるのが目的だ。「萩往還」というのは、萩から瀬戸内海側の防府市までのおよそ53kmを結ぶ道のことを指し、この道の駅が「萩往還」上に位置することから名づけられた。ソフトクリームを売っている軽食屋は9時半開店でまだ開いていなかったのでお土産屋に入店。ここで「夏蜜柑の丸漬」という山口名物の和菓子と日本酒、さらに萩にゆかりのある偉人たちが描かれたクリアファイルも購入。お土産の詳しい内容は最後に紹介しよう。

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その後、隣接していた入場無料の「松陰記念館」へ。吉田松陰の生い立ちや生きざまについて学ぶことができる。30歳で処刑され短い人生だった松陰だが、濃い30年を過ごした人物であるということを知った。20代前半にして日本全国を旅したり、30前にして松下村塾を継いだり。30年でこんな密度の濃い人生を過ごした人物は松陰以外にはなかなか見当たらないのではないか。

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ようやく軽食屋が開店、バニラと夏みかんのミックスソフトを注文。朝っぱらからソフトクリームを食べるのはなんだか知らないが罪悪感を感じる。だが道の駅からソフトクリームを外すことはできない。子供の頃、母の実家がある広島に遊びに行くと必ずと言っていいほど祖父の運転で様々な道の駅に行き、祖母がソフトクリームを買ってくれた。このイメージが強いからだろう。ちなみに祖父母は80を超えているが二人ともびっくりするほど元気で今も休日にはドライブに行っているようだ。コロナに気を付けながらその調子でいつまでも元気でいてほしい。

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秋芳洞までは試練の連続!?

ここからが本番、いよいよ秋芳洞に向けて車を走らせる。グーグルマップで予習している限りは整備されて見通しの良い道が続いているようなので正直安心していた。実際途中までは交通量も少なく非常に走りやすかった。

しかしナビ通りに車を走らせていると、急に景色が一変した。なんと、山道に入ろうとしているではないか。道は細くなり両脇には森が広がっている。YouTubeでよく見る「酷道」と同じような景色だ。森区間はすぐに抜けたが、細い道はしばらくの間続いた。幸い対向車は軽トラ1台だけだったので無事に通過することができたのだが、緊張の連続だった。前の日以上に神経をすり減らしたことは言うまでもない。

また、ところどころにカーブミラーで対向車を確認しなければならない箇所があった。私の位置取りが悪かっただけなのかもしれないが、運転席からはミラーが非常に見にくかった。地方にはこのような道もたくさんあるだろうからいい勉強になったと思う。

 

 自然が作った芸術作品!

50分ほどのドライブの末、無事に秋芳洞の駐車場へ到着。土曜ということもあり車がいっぱいかと思いきやガラガラだったので苦手な駐車もスムーズに済んだ。駐車場から秋芳洞の入場口までは15分ほど歩かねばならない。そこまでの間にはお土産屋や食事処が数多く並んでいるので、お土産や食に困る心配もほとんどない。

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受付で検温と入場券を購入してようやく秋芳洞の中へ。洞内は1kmほどのコースとなっており、正面入り口から反対側の黒谷口までは早くても30分はかかる。洞内の温度は一年を通じて17度と一定だそうで、暑い夏でも寒い冬でも快適に過ごすことができる。この時私はコートを1枚羽織っていたが、歩くと汗ばむくらいの気温だった。

洞内にはそれぞれの形状に合わせて名づけられた石柱などの造形物が数多く存在する。例えば下の写真、名称を予想していただきたい。ヒントは「食器」といったところか。

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 正解は「百枚皿」。お皿が積み上げられているように見えることから付いた名称であると思われる。この他にも「洞内富士」(1枚目)、「大黒柱」(2枚目)、「傘づくし」(3枚目)などなどその形にあった名前が付けられている。これらは何万年という歳月をかけて作られたものだそうで、「自然が生み出した芸術作品」というべきだろう。私としては美術館に来たような感覚だった。

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無限に広がるカルスト台地

秋芳洞には三か所出入口がある。先ほど紹介した正面出入口と黒谷口の他、秋吉台方面へ抜けることができる出入口もある。ということで、今度は秋吉台を一望してみようかと思う。

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秋吉台を一望できる展望台に到着した矢先、雨が強くなってきた。持っているカメラを濡らすわけにはいかないので、近くにあったカフェでお茶をしばいて秋吉台を眺めながら小休止。20分ほどで雨が小康状態となったので、近くの「若竹山」という小高い丘まで歩いてみることに。

この秋吉台を遠くから見た感じではなんだか荒れ果てた感じにも見えたが、近くで見るとごつごつとした岩が敷き詰められるように遠くまで並んでいるのでただの岩石がオブジェが並んでいるようにも見えた。展望台から歩くこと15分で若竹山の頂上に到着、通った道を振り返ると思った以上に禍々しい風景が広がっていた。

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季節やその日の天候によって見え方も違うのだろうが、曇りや雨の日だとなんだか不気味にも見える。一個人の見解だが、どんな季節や天候であっても違う見方ができて楽しいというのが秋吉台の魅力の一つである。一度夏場の晴れの日に秋吉台の風景を見てみたい。

 

秋芳洞グルメとお土産

秋吉台からは秋芳洞を通って30分ほどで最初に入った入り口に戻ることができた。2時間半以上も歩き続けたので腹が減った。時間は1時過ぎ、昼食にはちょうどいい時間帯だ。秋芳洞の入口への道中で目に入った「河童そば」を食べるため、食事処とお土産屋が併設された「安富屋」というお店に入った。界隈では名の知れた名店だそうで店内は満席に近い状況だったが、なんとか席を確保することができた。

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この「河童そば」だが、本来は数人でつついて食べる下関名物の「瓦そば」を一人でも食べられるようにアレンジされたもののようだ。秋芳洞に河童伝説が残っていることからこの名が付いたらしい。焼いた茶そばを瓦に盛り付け、その上にねぎ・牛肉・錦糸卵をトッピング。これをざるそばの要領でつゆにつけていただく。味はもちろん申し分ないのだが、個人的にはこげの部分があったのが高ポイントだった。普通のざるそばとは違い、焼いているのでこげの部分も味わうことができる。

食事を終えると、あるお土産屋の御主人に呼び止められた。「これは秋芳洞でしか手に入らないよ~」と言わんばかりの軽妙な語り口でテンポよく商品の紹介を進めていく。そして、次から次へと試食品を私に差し出してくる。その中でおいしいと感じたこれらの商品を購入。こちらも最後に紹介させていただく。決して御主人の圧に押されたとかそういうのではないのだが、流れるように商品を紹介していく様は圧巻だった。口から生まれてきた人というはまさにあの御主人のような人を指すのだろう。営業マンの鑑だ。

 

アドベンチャー感満載の大正洞

時間は2時を過ぎたが、車の返却は5時。ここから返却場所である徳山へは1時間半もあれば行けるので、もう一か所立ち寄ることに。車で秋吉台を縫うように通っている「カルストロード」を走るのだが、再び雨脚が強まってきた。ワイパーを最高速にしながらくねくね道のカルストロードを疾走。残念ながら車から秋吉台を眺める余裕などなかった。15分ほどで目的地である「大正洞」に到着。秋芳洞とは違って洞内は最低限の照明や設備となっているので、受付で懐中電灯を受け取る。全体的に道は細めでさらに滑りやすくなっているので足元には十分注意しなければならない。この大正洞も秋芳洞と同じようにそれぞれの造形にあった名称が付けられている。

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特に印象深かったのがこちらの「ロマンスくぐり」。通ると恋愛が成就するといううわさもある。見たところロマンスのかけらもないように見えるが、おそらくくぐるときに身を寄せ合わないと通れないことから付けられたのだろう。ちなみに「ロマンス」という言葉を辞書で調べてみると、恋愛的な意味合いのほか「空想的、冒険的な要素の強い物語」という意味もあるらしいのでそちらから付けられたのかもしれない。

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規模としては秋芳洞には及ばないが、大正洞の方は短時間の間で冒険した気分になれる。時間に余裕があればこちらにも立ち寄ることをお勧めしたい。

 

無事故で車を返却!!

大正洞を後にして、車を返却すべく徳山へ向かう。時間に余裕を持って出発したが、ガソリンの給油もあり返却は結構ぎりぎりとなった。それなりにヒヤリハットはあったものの、結果的に無事故で車を返却できて安心した。今回の相棒となった青ソリオには二日間ありがとうとねぎらいの言葉をかけてあげたい。

新幹線に乗り込み、広島と岡山の間らへんで徳山駅「幸ふく弁当」を食べることに。ふぐを使った食材がたくさん入った駅弁であったが、私が今までに食べた駅弁の中でトップクラスのおいしさだった。店に残っていた最後の1個だったので買うことができて本当に良かった。こうして、山口でのドライブ旅が無事終了した。

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まとめ&お土産紹介

Part.1でもお話しした通り、初めてのレンタカーを使ったドライブだったので非常に緊張した。初めて乗る車だったからか、駐車には非常に時間がかかってしまったのが反省点である。ただ、美しい景色を見ながらのドライブは楽しいと思えた二日間だった。電車やバスとは違って時間をあまり気にする必要がないというのが大きい。これからも状況に応じて車を活用していきたいと思う。

 

最後に、山口で買ったお土産を一気に紹介して締めくくることにしよう。

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1枚目は「夏蜜羹」。萩は夏みかんの名産地として知られているが、その夏みかんの中身をくりぬき、中に羊羹を流し込んだお菓子である。夏みかん特有の酸っぱさと皮の苦みを味わうことができる一品だ。

2枚目は秋芳洞の土産屋で口達者な御主人に促されるままに購入したお土産。「山焼きだんご」はお餅にきな粉をまぶした串だんご。甘すぎずさっぱりしすぎずで次から次に口に運ぶことができる。もう一つは秋芳洞まんじゅう」。味は大阪の「月化粧」や福岡の「通りもん」に似ている。私が好きなタイプの饅頭だった。

3枚目は徳山駅売店で買った山口の地酒が2本。1本はもはや説明不要の「獺祭」。買った日の夜に早速飲んでみたが少々辛口であるように感じたものの、とても飲みやすい感じがした。2本目は「八千代」というお酒。こちらはソーダ割りやロックでもおいしいらしい。まだ開けていないので開ける時は是非それらを試してみたい。

 

ここにきて再び自粛生活を強いられることになりそうだが、次にこのような旅行ができるのはいつになるのだろうか。その日が来るまで穏やかに生きていたい。まだまだいろんなところへ行きたいので私自身も健康第一で毎日を過ごすことにする。皆さんもご自愛くださいませ。それでは、ごきげんよう

【安全第一】ペーパードライバーの山口ドライブ旅 Part.1

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※筆者より※

普段は「ですます調」が基本ですが、今回は試験的に「だである調」を採用します。「ですます調」だと堅苦しさが否めないので、ちょっと雰囲気を変えるためにやってみようかと思います。お見苦しいところがあるかと思いますが、どうか温かい目で見てやってください(笑)

 

序章:目的地に迷ったら…

3月のある日、例のごとく一人で遠出をしたくなった。年明けから例のウイルスが猛威を振るっていたため遠出も自粛していたが、状況にやや落ち着きが見られていたため実行することにした。しかし、私は優柔不断な人間で旅の目的地が決まるのも早くて1週間前であることがほとんどだ。そこで、今回は「サイコロ」に運命を委ねてしまうことにした。ある番組の人気企画をパクっているように見えるが、私がやるのは単に「一泊二日の旅でどこに行くか」ということを決めるのみ。本家のように目的地に着くごとにサイコロを回し、あらぬ方向へ行ってしまったり2夜連続で夜行バスに乗ってケツの肉が取れる夢を見たりするようなクレイジーな企画ではない。

前置きが長くなったが、早速サイコロを回してみようかと思う。目的地候補として設定したのはこの6か所である。

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飛騨高山は昨年2月に計画していたが例のウイルスの影響で中止になったのでそのリベンジに、広島は筆者生誕の地であるが市内についてはほぼ何も知らないから(ちなみに生まれたのは呉市)という理由で設定した。それ以外はシンプルに「行ったことがない・行ってみたい」というスポットを集めた。それでは参ろう。

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出目は3の山口。錦帯橋ぐらいは行ったことがあるが、それ以外の地域は未開となっている。特に日本海側は絶景が多いと聞いたので今回は日本海側を攻めてみることにした。

 

旅程を決めよう

目的地が決まったので今度は旅程を決めなければならない。最初は電車で行こうとしていたのだが日本海側を走る山陰本線は本数が少なく、機敏に動くのは正直厳しいところがある。さらに、せっかく日本海側へ出るからにはかの有名な角島大橋に行きたい。交通アクセスを調べてみるとバスの本数も少なかったので、残された選択肢は「車」しかない。ペーパードライバーではあるが、ここはチャレンジということでレンタカーを借りることにした。仕事で車に乗ることはそれなりにあるが、このようにプライベートで使うのは初めてだ。一人でレンタカーなんて借りたことがないからなおさら緊張しかない。

なんやかんやで最終的な旅程が固まった。「<一日目>下関で車を借りる→角島大橋→萩にて一泊→<二日目>秋芳洞→徳山で車返却」。レンタカーの乗り捨てはびっくりするぐらいの金額がかかってしまうのだが、今回は県内であれば乗り捨て料金が発生しないプランを選択。さあ、どんな旅になることやら。

 

 旅のスタートは下関!しかし…

3月19日の金曜日、新大阪を朝8時過ぎに出る新幹線で一旦小倉へ。山陽新幹線はたまに乗るのだが岡山より西に行くことが片手で数えるぐらいしかない。車窓を眺めていて気付いたがやたらトンネルが多い。多いし長い。こんなに多く長かったっけと首をかしげながら小倉までの2時間余りを過ごした。小倉からは在来線に乗り換え、関門トンネルをくぐって下関へ。11時ちょい前に到着したがレンタカーを予約したのが12時だったので時間に余裕がある。そこで、「海峡ゆめタワー」から関門海峡を見下ろすことにした。平日の昼間とあって人は数人程度、最上階からは関門橋や巌流島がよく見えた。

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オープニングアクト(?)はこのくらいにして、いよいよ車を借りる。生まれて初めてレンタカーを借りる手続きをしたが、店員さんが非常に親切で手際が良くものすごく心強い。この二日でお世話になるのはコンパクトカー。予約の際はマツダデミオを借りるはずだったがなぜかスズキのソリオとなった。デミオのつもりでイメトレしていたのでこのオーダー変更には少し驚いたが、コンパクトカーであることには変わりないので気にしないでおこう。

手続きを終え、ナビを設定するなどして出発。ここからは国道191号線を北上して角島方面へと向かう。道は事前にグーグルマップで予習していたのだが、それなりに交通量が多くカーブの数も多く感じた。そんな中、開始早々慣れない道で急ブレーキを2回も使ってしまった。車間距離を空けていたこともあり事故は何とか回避したものの、急ブレーキを使ってしまったこと自体が悔しくて仕方がない。おそらく前の日は緊張と楽しみであまり寝ることができず、少しばかり反応が遅れてしまったのだろう。それにしても今回の相棒ソリオはかなり有能だった。前の車に近づくと警報音を鳴らしてくれるし、速度超過を検知して注意もしてくれるのでこれらの機能に助けられた感が大きい。

ドライブと言えば音楽が欠かせない。車内でラジオをつけてみると福岡のFMラジオ局につながった。ゴッリゴリの博多弁で出演者がトークを展開していたので、「遠くに来たなあ」としみじみ実感する筆者であった。これから遠出をしたときは一度は現地のラジオを聴くことにしよう(笑)

 

「ふく」を食べていざ角島へ!

車を走らせることおよそ1時間が過ぎたがまだ下関市内から抜け出せていない。おそらく平成の大合併とやらで近くの町村を吸収したと思われる。時間は昼の1時を回ったのでそろそろ腹が減った。角島に行く前に道の駅で昼食休憩、やって来たのは「道の駅 北浦街道豊北」。角島大橋は意外にも目と鼻の先にあり割とはっきりとその姿を捉えることができた。

海が近いところに来た時は刺身を食べることを楽しみの一つとしており、この時も海鮮丼や刺身系の口だったが、山口まで来たからにはふぐを食べなければならないと思い予定を変えて「ふくフライ定食」を注文。このエリアでは「ふぐ」と読むと「不具」となることで縁起が悪いとされ、「幸福をもたらす」という意味で「ふく」と読んでいるそうな。

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一見普通の白身魚のフライに見えるが、食べてみると非常に淡白な味で身はプリプリっとしていてサクサクと食べ進めることができる。もう一切れフライがあったら文句なしだった。今度はふぐ刺しを食べることができればいいな。

 

食事を終え、道の駅から10分ほど車を走らせると今回のメイン角島大橋が見えてきた。平日だがそれなりに観光客の人がいた。車を停めて展望スペースへ向かうとそこには青い海とまっすぐ島に向かって伸びる橋が目の前いっぱいに広がっていた。

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日本で海がこんなに青いのは沖縄ぐらいだと勝手に思っていたが、ここも沖縄と十分に肩を並べるレベルで青い。上の2枚は少々加工を加えているが、加工がないいわゆる「すっぴん」の状態でもこの青さである。

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この角島大橋は1993年に工事が始まり、2000年に開通した比較的新しい橋である。橋の長さは1,780メートルと歩いて渡るにはかなりしんどい距離だし、そもそも歩道がない。そして、当たり前の話だが「角島」があっての角島大橋なのでそこに行ってみないと意味がない。再び車に乗り込み角島大橋を渡って角島に上陸、島の最果てにある角島灯台に到着。昨年の夏に行った出雲の日御碕灯台ほどではないがそれなりにのっぽさんの灯台だ。中に入れるみたいなので、てっぺんから角島を見てみることにした。

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灯台は下から上まで螺旋階段が続き、しかもめちゃくちゃ細い。人ひとりが通れるほどの幅しかなく、離合しようもんなら0.5人分の幅を削って進路を譲らなければならない。この時は私一人だったので下から上まで一気に駆け上がることができた。頂点から見た景色がこちら。

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ここもまた絶景なのだが風がとてつもなく強い。私も華奢な方の人間だが、体ごと飛ばされそうな風の強さだった。帽子を被っている方やかつらを着けている方も覚悟しておいた方が良い。風の強さに負け、5分足らずで灯台を下りた。夏の時期は涼めるかもしれないが、まだ寒さの残るこの時期は体が冷える一方でせっかくの景色もゆっくり見ることができない。このような灯台には夏の時期に来ることをお勧めしたい。

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角島灯台の付近をぶらぶらしてから再び車を走らせる。島の真ん中あたりにある道の駅でアイスでも食べようと思ったが既にオーダーストップの時間を過ぎており、泣く泣く諦めることにしたが手ぶらで去るわけにはいかなかったのでふぐの味噌汁を買って道の駅を後にした。家に帰ってから食べることにしよう。

 

角島→萩へのロングドライブ

ドライブとなると時間感覚が狂う。角島から本日の最終目的である萩までは1時間10分少々かかり、距離にすると63kmである。普通の人ならば「長いなあ」と感じるだろうが、私の場合は「まあこんなもんやろ」程度にしか思えない。ペーパードライバーのくせに考え方だけはいっちょ前である。

日が落ちてからはあまり運転したくないので日没までに萩に着くことを目標とした。早速東の方向に車を走らせる。地図である程度予習はしたのだが、思ったより起伏があってくねくねとした線形になっている。当たり前だが、私が最も意識したのが「速度を出し過ぎない」こと。そして、これを実践するうえで重要となるのがエンジンブレーキ。車に乗る方ならほとんどがご存じかと思うが、下り坂がきつい道ではシフトレバーを「L」に入れ、適度にブレーキペダルを踏みこんで速度調整を行う。下り坂では自然に速度が上がってしまうので速度抑制が必要だ。

冒頭でもお話しした通り、仕事ぐらいでしか車は運転しないがドライブは楽しい。ハンドルを握る前は緊張するが、ハンドルを握ると楽しくなってくる。もしかするとハンドルを握ると性格が変わってしまうのかもしれない。これはこれで気を付けなければ。

角島から1時間半ほどで萩のホテルに到着。ホテルの駐車場には猫が数匹いた。猫が暖を取るために車のエンジンルームに忍び込むことがあるらしいので翌朝出る前に「猫バンバン」をしなければならない。晩から朝にかけて厳しい冷え込みの予想はないが、あんなに可愛い生き物をミンチにしてしまってはトラウマ間違いなしだ。

 

誰もいない萩の町をそぞろ歩く

ホテルにチェックインしてから部屋に荷物を置くと眠気が一気に襲ってきた。一日中運転に神経を使っていたのだから当然であろう。それでもせっかく萩に来たのだから寝るだけではもったいないので少し散歩をすることにした。

目指すは萩城下町。ホテルから歩いて20分少々かかるが歩くことに関しては何の抵抗もないのでお構いなしに一歩一歩進む。日が長くなったというものの、18時半を過ぎると暗闇が顔をのぞかせる。日中は多かれ少なかれ人がいたのだろうが、この時間ともなるとほとんどの店が閉まっており人通りもない。萩の町と言えば、吉田松陰木戸孝允高杉晋作など幕末から明治期において活躍した数多くの偉人を輩出した土地として知られ、歴史を感じることができるスポットが多く存在する。二日目の朝に散策してみるのも一つの手だったかもしれない。

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50分ほど歩いただろうか、さすがに腹が減ってきた。「どんどん」という店があったので入ってみたが、どうやらうどんの店のようだ。メニューが豊富だったのでしばし考えたのち、温玉肉ぶっかけうどん(冷)を注文。2分も経たないうちにやって来た。

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うまい。うどんほど疲れた体を癒す食べ物はないかもしれない。ちなみに「どんどん」はここ萩に本部を構えており、チェーン展開もしている。山口県を中心とした中国地方のほか、東京にも1店舗を構えているとのこと。是非大阪にも来てほしい。

 

2日間の様子を一気にまとめたかったが、文字数の関係上ここで一旦区切らせていただく。いっぺんにまとめるとおそらく8,000~10,000字ほどになり、読む気が失せてくることが予想される。私も一つの記事でそんなに長いこと書く気力がないのでご容赦いただきたい。この旅の余韻が残っているうちに必ず次回の更新をする。では、皆さんごきげんよう

【ひとり旅のすゝめ②】ひとり旅の装備品を紹介!

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さあ始まりました、「ひとり旅のすゝめ」。今回は第二回目となります。この企画では単独行動が好きな筆者がひとり旅の魅力を皆さんに布教し、ひとり旅に興味を持つ方を一人でも多く増やすことを目的としています。今回は「ひとり旅で持って行く荷物」についてお話しさせていただきます。

当然のことを言うようですが、旅は手ぶらではできません。財布と携帯電話だけといった最低限の貴重品だけなら辛うじてできるかもしれませんが、そんな旅では楽しみは半減すると思いますし、どこかで行き詰まるかと思います。今回は私がひとり旅をするときに持って行くものを紹介します。

<目次>

 

カバンを制する者がひとり旅を制す!?

まず初めにひとり旅で使うカバンの紹介です。旅行の際、荷物を両手いっぱいに抱える人はまずいないと思います。私は旅先で身軽に動きたいタイプですので、リュックや斜めがけタイプのカバンを愛用しています。極力手に物を持ちたくないので入るものは半ば強引にリュックなどに詰め込みます。ただし、詰め込み過ぎると重くなって肩が疲れますので要注意です。

「MEI」の16リットルリュック

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こちらは私が大学の頃から愛用している「MEI」のリュックです。日帰りで近場に出かける時や買い物で使っており、黒地に薄い迷彩が入っているのが特徴です。カバンの中に一部ほころびが見えるものの、外見は傷も汚れもほとんどないので購入から4年以上たった今でも愛用しています。容量は16リットルなのですが、着替えの少ない春~夏の一泊二日の旅行くらいであれば着替えなどを入れてちょうどいい量になります。ただし、経年劣化のせいなのか生地が少し薄めなので重いものを入れすぎると破れてしまう可能性があります。

「オークリー」の32リットルリュック

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続いておととしの年末に購入した「オークリー」のリュック。主に日帰りで遠出するときや泊りがけの旅行で使用しています。「オークリー」と言えば、サングラスで有名なブランドでアスリートも使っていることで知られています。容量は先ほど紹介した「MEI」のリュックの約2倍となる32リットル。特筆すべきはノートパソコンを入れるスペースだったり靴を入れることができるスペースが設けられていることです。季節にもよりますが、これらのスペースを活用しつつ旅先で買ったお土産などもこのリュックにひとまとめにすることもできます。

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「Chululu」のカメラバッグ

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こちらは斜めがけタイプのカメラバッグ。旅行の際は先ほど紹介したリュックと併用することが非常に多く、リュックを背負ってこのカメラバッグを前に斜めがけするというスタイルです。中にはテープで自由に動かすことができる仕切りが付いていて、好みのスペースを作ることができます。コンパクトなので単体だと身軽に動くことができるのですが、入れる荷物には要注意。私はカメラと財布を入れることが多いのですが、この二つを入れるとカバンの中がほぼ埋まってしまうので荷物の入れ方に工夫がいります。ちなみにマグネット式となっているので財布に入れているキャッシュカードが磁気不良を起こす可能性もあります。これは私の実体験ですので、使う方はご注意ください!

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ひとり旅必須アイテム大発表!

お待たせしました。ここからは筆者がひとり旅の際に持って行くアイテムの紹介に移ります。旅に持って行くものは人それぞれかと思いますので、そっくりそのまま真似する必要なんぞございません。これから紹介するアイテムはあくまで参考程度にしていただければ幸いです。

一眼レフカメラCanon:EOS Kiss X9)

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旅先での一番の目的と言ったら写真撮影。写真撮影にはもちろんカメラが必要です。スマートフォンでもワンタッチできれいな写真が撮れる時代ですが、やはりカメラで撮る写真は格別ですしファインダーを覗いてシャッターを切ることで「撮る楽しさ」というのも味わうことができます。私が使っているのはCanonの「EOS Kiss X9」、かれこれ3年以上は使用しているカメラです。学生の時からずっとカメラが欲しいと思っていたのですが、なかなか手が出せず社会人に。そんな社会人一年目の冬のボーナスが出た後ぐらいに念願かなって購入しました。この「EOS Kiss X9」ですが、初心者の方でも操作しやすいのが一番の特徴。シーンにあった機能を使うことで複雑な操作をせずにきれいな写真が撮れてしまうのです。「ミスター不器用」と呼ばれるほど手元がおぼつかないこの私でも簡単に撮れます。

②ワイヤレスイヤホン(オーディオテクニカ:ATH-CK330BT)

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以前にお話ししたかもしれないのですが、電車に乗って車窓を眺めながら音楽を聴く時間ってとても落ち着くんですよね。もちろんラジカセを担ぎながら音楽聴くわけではなくイヤホンを使います。イヤホンと言えば音楽プレーヤーのイヤホンジャックにつなぐイメージがありますが、最近のイヤホンはそれがいらないのです。私が使っているのはBluetoothスマートフォンや音楽プレーヤーにつなぐタイプです。首にかけて使うタイプなので、コードが引っかかる心配もありません。それにこのイヤホンのすごいところが最大で連続20時間の再生が可能だということ、バッテリーが非常に長持ちする優れモノなんです。バッテリーが少なくなっても10分の充電で約2時間の再生が可能なので一日ごとに充電する必要はありません。値段も5,000円を切っておりコスパが高い商品です。

③各種充電器

携帯・カメラ・ワイヤレスイヤホンと充電が必要なアイテムが多いのでこれらの充電器も必須アイテムとなります。旅先でコンセントを探すのは苦労するので、基本的には宿泊するホテルでこれらの充電を行います。

④モバイルバッテリー

前述の通り、携帯もホテルで充電することが多いのですがそれまでに充電がピンチになることがよくあります。近くにカフェなどがあればそこで事なきを得るのですが、旅先ではなかなかそういうところが見つからないのが現実です。そんなときの救世主としてこのモバイルバッテリーくんが活躍するのです。充電式ですので、携帯を1回充電した後にこのモバイルバッテリーも充電しなければなりません。充電したやつを充電するというのもおかしな話ですけれどもね(笑)

⑤メガネ

左目のみ度が入ったメガネです。筆者は基本的に裸眼で生活していますが、職場でのデスクワークの影響で左目の近視が進んでいるので特定の状況でメガネを使用します。その状況というのが主に運転をするときや長時間PCを使う時で、その時用にメガネを携帯しています。左右の視力に差があるって結構しんどいんですよ…

⑥ボディ用泡立てネット

お風呂で体を洗う時、これがないと正直気持ちが悪いです。どうしてかって言いますと、手で洗っても体全体に泡が行き届かずボディソープを継ぎ足すことになってしまい、非常に手間がかかるのです。これがあると一気に泡立てることができて体全体をきれいにできるので重宝してます。

⑦ハンカチ・タオル

手を洗ったあとに使うハンカチです。特に最近の情勢的に公衆トイレのジェットタオルが使えないので、本当に手放せません。タオルも(代謝がいいという意味で)汗っかきな私にとっては必要なものです。夏場は2~3枚持って行っています。

⑧温泉セット

「温泉セットってなに?」と思われた方のためにご説明しますと、バスタオル・ボディ用泡立てネット・ハンドタオルの三点セットのことです。バスタオルとハンドタオルはホテルに常備されていますが、保険で各一枚持って行っています。また、日帰りの旅行でも温泉やスーパー銭湯に入ることがあるので持って行くようにしています。

⑨寝ぐせ直しスプレー

朝の敵と言えば、100人中90人ぐらいは「眠気」と「寝ぐせ」と答えるかと思います。個人的には旅行において欠かせないアイテムの上位に入ります。筆者の髪質ときたら超直毛で非常に寝ぐせができやすく、寝起きに鏡を見るとハネまくりです。ひどい時は1寝ぐせにつき7~10プッシュぐらいやります。

⑩衛生用品類

感染予防策として、マスクやアルコール消毒液が手放せなくなりました。アルコール消毒液はキャップを取り外して使うタイプのものより画像のように一体になっているタイプのものをお勧めします。キャップを外して持ったままだと手に刷り込むのがめんどくさいことこの上ないです。マスクは基本的に不織布のものを使っていますが、ひもが切れたときなどのために不織布以外のマスクも予備で携帯しておくと安心です。

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⑪着替えやタオルを入れる用の袋

特に温泉や大浴場があるホテルなどでは地味に役に立ちます。靴屋でもらうひも付きの袋やナップサックなどが大きさもちょうどいいので使いやすいです。

⑫折り畳み傘

筆者は旅先ではしょっちゅう雨に降られる男で、特に泊りがけの旅行では一日は必ず雨が降ります。大きな傘は邪魔になりますし、手軽に持ち運びができる折り畳み傘がなければ全身ずぶ濡れ不可避です。

 

必須ではないが、あれば便利なアイテムも紹介!

ここからは毎回は持って行っていないものの、必要に応じて持って行ったりあればどこかで役立つであろうアイテムの紹介です。あんまり入れすぎるとカバンがパンパンになってしまうので、カバンの容量に応じて調整しましょう。

御朱印

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熊野那智大社で買った黄色い御朱印帳です。表紙に那智の滝五重塔が描かれています。旅先で寺社仏閣に行く予定があれば持って行くのですが忘れてしまうことがそれなりに多いです。御朱印帳を忘れたときはお守りを買ったりおみくじを引いたりするなど何らかの形でお金を落とすようにしています。

②ネックピロー

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普通の枕にも変えることができる2wayタイプのネックピローです。夜行の高速バスを利用するときに持って行くことがありますが、リュックに入れるとスペースを取ってしまいますし、結局使わない方がよく眠れるので稼働率は極めて少なめです。

③帽子

普段ワックスを付けて髪を整えていますが、それが面倒なときは帽子を被ります。夏はキャップで冬はニット帽と季節によって使い分けます。

④割り箸

ホテルの部屋で何か食べる時にあると役に立ちます。ちなみに筆者は一度酒のつまみとしてホテル近くのスーパーで鯛の刺身を買ったにもかかわらず、箸がなくて素手で食べた経験があります。自分一人の空間だったとはいえ、あれは恥ずかしかったですね~

アイマスク・耳栓

「電車で寝たい!」という方にはお勧めですが、降りる駅を通りすぎないよう注意しましょう。私は電車からの景色を見たい派なので稼働率は皆無に等しいです。

⑥本

スマホだけじゃ退屈」「スマホより読書派」という方もいらっしゃると思います。移動にストレスを感じる方はご自身のお好きな本を1冊持っているといいかもしれません。ただし、乗り物の中で読むと酔うこともあるので気を付けましょう。私もたまに電車の中で本を読みますが、読み始めるまでが非常に億劫なんですね。読みだしたら止まらないんですがなんででしょうか。

 

まとめ:楽しむためのアイテムは十人十色!

少し長くなりましたが、ここまで私がひとり旅に持って行くアイテムを紹介させていただきました。長々と紹介しましたが、結局は人それぞれこだわりも好みも違うのでご自身にとって必要なアイテムや持って行きたいアイテムを持って行けばいいのです。荷作りもご自身の負担にならない範囲で物を詰め込むようにしてください。

旅先での思い出作りもそうですが、目的地以外でも楽しみを作るチャンスは山ほどあります。旅先へ向かう乗り物から見る風景というのも捨てがたいですし、ご当地のおいしいものを食べたりお土産選びに迷ったり… 旅先での観光を楽しむことだけがひとり旅ではないと思います。ひとりな分、楽しみを作るチャンスは無限にあります。自分の好きなように「ひとり旅のしおり」を作りましょう。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。次回は「海外へのあこがれ」についてお話ししようかなと思っていますが、内容は変更となる可能性がありますのでご承知おきください。では、皆さんごきげんよう

【みちのくひとり旅】Part.3 世界遺産の町・平泉ってどんなとこ?

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2日目の朝、仙台に戻ってここから高速バスで北へ向かいます。ついに人生初上陸となる岩手県へ足を踏み入れるのです。灰色の空模様が気がかりですが、気にせず岩手へ行きましょう!

前回:【みちのくひとり旅】Part.2 ああ松島や、松島や(涙) - Konpei’s NOTE

<目次>

 

廃墟と化した「さくら野」からスタート

私が乗車するのは仙台駅前にある「旧さくら野」停留所。「さくら野」というのは東北に数店舗を構える百貨店のことなのですが、仙台店は運営していた企業が破産したことにより2017年2月に閉店しました。この時には空きビルとなっており、中はもぬけの殻状態となっていました。ここを見ると何となく姫路にあった大型百貨店の「ヤマトヤシキ」を思い出します。下の写真はGoogleマップからスクショしたさくら野前です。よく見るとシャッターが閉まっています。

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さて、バスは定刻通りにさくら野前を発車。予報通りの雨の中、東北道を北上します。

 

毛越寺の大きな庭園がスゴかった!

仙台を出発してからおよそ二時間で目的地・平泉に到着です。バスはJRの平泉駅前に停車、そこから荷物を近くにある美術品のお店に預けます。いつもはコインロッカーに預けるのですが、代金はなんと200円(記憶が正しければ)。コインロッカーだと大体は300~400円するのでお店に直接預ける方が安いのです。この美術展の御主人、ものすごく優しそうな方でした。人見知りの激しい筆者も安心して預けることができました。

最初の目的地である毛越寺平泉駅から歩いて約15分の場所にあります。着いた時の第一印象としてはかなり静かな雰囲気で、人もそこまで多くなかったです。「毛越寺」って何て読むの?と思った方も多いでしょうが、「けごしでら」ではなく「もうつうじ」です。元々は「もうおつじ」と読んでいたのが現在の読み方に変化したそうです。私も初見で一発で読むことはできませんでした。

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この毛越寺を語るうえで外せないのが「白鹿伝説」です。寺伝によりますと、平安時代に慈覚大師円仁(比叡山延暦寺の高僧)が地面に落ちていた白鹿の毛をたどった先に白鹿がうずくまっているのを発見します。しかし、その白鹿は姿を消し一人の老人が現れたのです。その老人は大師に「ここに堂を建てて霊場にせよ」と告げました。そして、この老人が「薬師如来の化身」であると感じた大師は老人のお告げ通りに堂を建て、当時の年号から「嘉祥寺」と名付けたのが毛越寺の始まりです。

その後、奥州藤原氏の全盛期(特に二代目基衡の頃)に境内に多くの伽藍が造営されましたが、奥州藤原氏が滅亡した後は多くの災禍に遭いすべての建物が消失。それでも後にお話しする浄土庭園と伽藍の遺構がほぼ完ぺきな状態で保存され、国の特別史跡特別名勝と二重の指定を受けています。これに加え平成元年には平安様式の新本堂が建立されました。

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先ほど出てきました「浄土庭園」ですが、仏堂と苑池が一体となった庭園のことを指します。最大の特徴として境内に「大泉が池」という大きな池が広がっており、日本最古の作庭書である「作庭記」の思想や技法を現代に伝える貴重な庭園なのです。

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写真からは十分に広さが伝わらないのが残念なんですが、池を一周するのもそれなりの時間がかかります。とにかく庭園が広いというのが毛越寺最大の見どころです。

 

奥州藤原氏が眠る中尊寺

毛越寺を後にし、いよいよ中尊寺へ向かいます。バスで移動したのですが筆者はあることに驚きを隠せません。普通バスって運賃を支払う時に両替機に通してお金を崩してから指定の運賃を払うと思うのですが、私が乗ったバスに運賃箱というハイテクなものは搭載されていませんでした。なんと運賃箱の近くに雑巾らしき布が敷かれ、その上に小銭の山ができているではありませんか。ちょうど出せない人は自分で金額を計算して運賃を投入するというセルフサービス方式。この時小銭がなく、千円札しか持ち合わせがなかったので計算に手間取ってしまいました。貶すつもりはありませんが都会育ちの筆者は唖然としました。

そんなこんなで中尊寺の入り口に着いたのですが、人出は毛越寺の倍以上いたと思われます。やはり皆さん金色堂目当てに来ているものかと思いますが、こんなに多いとは思っていなかったのでびっくりしました。金色堂まではこの人出をかき分けながら長い坂を上る必要があります。また境内には本堂や金色堂の他、10以上もの堂が点在しています。

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中尊寺の始まりについてですが、ここも毛越寺と同じ慈覚大師円仁が開いた寺なのです。大規模な堂塔造営が本格的に行われたのは12世紀の初めで、奥州藤原氏初代清衡の頃です。東北では前九年合戦や後三年合戦などの戦乱が相次ぎ、多くの方が亡くなりました。亡くなった方々の霊を慰め、平和な理想社会を表す仏国土を建設するという清衡の願いのもと造営が行われたのです。

平泉の代表的な寺院としてはこの中尊寺毛越寺、さらには奥州藤原氏三代目の秀衡が建立した「無量光院」があります。中尊寺は釈迦を、毛越寺薬師如来を、無量光院は阿弥陀如来を本尊としているのですが、過去釈迦・現世薬師・未来世阿弥陀を合わせて「三世仏」と言います。これらの寺院の建立は「すべての生あるものを過去世から現世、さらには未来世に至るまで仏国土に導きたい」という清衡の思いが具現化されたものなのです。

境内に点在する堂塔に立ち寄りながら金色堂を目指します。金色堂は本堂のさらに奥まったところにあるので寄り道をしなくともそれなりの時間がかかります。結局寄り道しながら金色堂に着いたのは境内に入ってから約40分後。やっと入れると思ったらこの人だかりです。お察しの通り、モザイクをかけているところはすべて人です。

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しかし、回転が速いおかげで10分ほどで入ることができました。内部の様子を撮影することはできませんが、一面まぶしいほどの金色でした。堂の内部全体を金箔で囲うことにより「極楽浄土」を表しているのです。数体の仏像が安置されているほか、奥州藤原氏初代~四代目泰衡の遺体が納められています。

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義経最後の地、高館義経堂へ

たくさん歩けば当然腹も減るわけですが、中尊寺近くのレストランもなかなか混んでいました。一度は入ることをためらいましたが、空腹には耐え切れずそこで昼食に。一人なので何とか席も確保できました。さて、今回私がいただくのは「義経そばとカレー丼のセット」です。「義経そば」とは普通に山菜のたくさん入ったそばのことで、山菜を食べる機会があまりない分おいしく味わうことができたと思います。

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体力を回復させた後は中尊寺から歩いておよそ15分の所にある高館義経堂に向かいます。ここは兄である源頼朝に追われた源義経が身を隠した地であり、壮絶な最期を迎えた場所でもあります。街のはずれにひっそりとたたずむ小さな堂で、東の方角には北上川が流れています。曇り空でもやもやした天気でしたが、それ以上に静かな風景が私の心を癒してくれます。あまり好きでないセミの鳴き声も聞こえていましたが、それすらも心地よく感じてしまう場所です。

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義経最期の地」という風な紹介をしましたが、ある伝説では「義経は亡くなったとされる一年前に平泉を脱し、北を目指して旅に出た」とされています。この伝説からかの有名な「源義経チンギス・ハーン説」も提唱されたのです。

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歩いて平泉を満喫!

高館義経堂からは平泉駅に戻ります。歩くと30分ほどかかりますがせっかくなんで歩いて雰囲気を味わうことにします。やはり始めてきた土地は歩くに限りますよ。その道中で面白そうなものを見つけました。かつて奥州藤原氏が政治を行っていたとされる「平泉館」の遺跡である「柳之御所史跡公園」です。ここから発掘調査によって見つかった堀・園池・井戸などの遺構をはじめ、隣接する資料館には多量の土器や陶磁器なども展示されています。広大な史跡公園内はほぼ一人占め状態でした。

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空の色がどす黒くなっていることに気づきましたが、近くに道の駅があったのでそこで休憩。ソフトクリームを食べながら休憩しました。

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300kmを一気に南下!?

筆者は非常にバカな生き物でして、この日の宿を栃木の宇都宮に取ってしまったのです。平泉から宇都宮までゆうに300kmを超えています。ホテルのチェックイン時間は20時、それでも17時に平泉駅に着いていれば間に合うらしいです。日本の鉄道半端ないですね。

美術品のお店で預けていた手荷物を受け取り、平泉からは新幹線の駅がある一ノ関に電車で向かうのですが、本数はかなり少なくほぼ一時間に一本です。偶然にも乗る電車より先に一ノ関行きのバスが来たのでそれに乗ります。難なく一ノ関に着き新幹線を待っている間、通過する新幹線も何本か見送りましたが轟音を立てて通過していくんです。東北新幹線って最高速度何キロでしたっけ、東海道・山陽新幹線で味わうそれよりも恐怖を感じました。鉄道は好きなほうですが流石に怖かったです。

そして新幹線に乗車、宇都宮までの300キロ超をただひたすら一気に南下します。車内では東日本でしか味わえない炭酸飲料ドクターペッパーを飲みました。この時初めて飲んだのですが、筆者としてはずっと前から気になっていました。シロップの飲み薬みたいな味ですが私は好きな味ですね。ただ好き嫌いは分かれるかと思います。興味のある方は是非とも飲んでみてください。

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仙台で別の新幹線に乗り換えたのですが、私の乗る車両はツアー帰りの観光客と思われる方々でいっぱいになりました。三列シートの一番左の窓側の席を取りましたが、その右隣には若い女性が二人座ってきて楽しそうに会話をしています。なんだか申し訳ない気持ちになりました。

夜で車窓も見えないので携帯を触っていたらいつの間にか宇都宮に到着。ホテルにチェックインしてから部屋に入ると外は雷鳴が轟いていました。さすがに雷が落ちてきたら死ぬので雷鳴が止むのを待ってから食事に出かけました。夕食はなんと栃木まで来たのに吉野家。お前栃木に何しに来たんだ…

 

ということで、二日目の様子はここまで。三日目はついに大阪に帰るのですが、帰阪前に寄りたいところがあるのです。次回はその様子をお見せしますのでお楽しみに。それでは、今回はこれで失礼します!

【独り言】「生きるのヘタ男」の半生① 幼少期~高校時代編

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「なんやこのタイトル?まーた自分語りするでコイツ」

はい、すみません。他人の自分語りを聞くのが好きな方だけ読んでください。しかも筆者の黒歴史暴露コーナーみたいなものです。ほとんどが興味のない方だと思いますので即ブラウザバックをしていただくことを推奨します。

タイトルは「いきるのへたお」と読んでください。私自身は実際かなり不器用ですしコミュ障ですし世渡りが絶望的に下手くそです。おそらくほとんどの人が思い描いている人生設計通りにはならないでしょう。ただネガティブになるだけでは意味がないし何も面白くありません。今回は私の半生をできるだけ面白おかしく振り返ってまいります。多分涙目になりながらキーボードを叩くことになるでしょう。そのうち発狂してキーボードを破壊する恐れもありますがなんとかやっていきます。

 

幼少期、すべての歯車が狂った瞬間

(悪い意味で)現在の自分の礎ができたのは保育園児だったころでした。祖父母の家で朝の情報番組の最後にやる血液型占いを見ていた時です。血液型別に4匹のキャラクターが木登り競争をしていたと思います。自身の血液型であるAB型は最下位。この瞬間「ワーッ」と泣き叫んでものすごい勢いで茶の間を出て行ってしまいました。この後、母親から怒られてしまいましたがどんな内容だったのかは覚えていませんしなぜ怒られたかも理解できませんでした。この日を境に私は気に入らないことがあるとよく癇癪を起こすようになりました。

何が言いたいのかと言いますと、思い通りにいかないことがあると結果を呑み込めずパニックになってしまうようになったのです。ゲームや遊びでも1位でないとダメなのです。「2位じゃダメなんですか?」という言葉がはやりましたが、本当に2位ではダメだったようです。つまり「完璧主義」という特徴が身についてしまいました。現在では癇癪を起こすようなことはほとんどなくなりましたが、「完璧主義」は今も色濃く残っています。

「歯車が狂った」とは言ってもまだ4つ5つの子供です。この先の人生、どうなるか知ったこっちゃないと思います。しかし、ここからが混沌の連続だったと大人になって思います。

 

小学校生活で「いじられキャラ」に

小学校に入学すると勉強が始まります。この時の私は宿題も欠かすことのないまじめな子供でした。真面目さは今も変わらない一方で、現在とは真逆でよくも悪くも図々しさのあるがきんちょという一面もありました。友達によくちょっかいをかけていたりしていた記憶があります。

ただ癇癪持ちというのは変わっておらず気に入らないことがあると泣き叫ぶ悪癖はそのまま。友達にこれをからかわれることもしょっちゅうありました。同時に純粋すぎる一面もあり、友達の冗談を本気で真に受けていました。こういったキャラクターでしたからある意味「いじられキャラ」的なポジションにいました。この時は「みんな喜んでくれてるなあ」と思う程度でしたが、今思うといじられたときのリアクションがわからず「えへへ」と笑ってごまかしてばかりいました。いじられたときのリアクションをどうすればよいかは今でもわかっちゃいません。つまり私は「超」が付くほどの「アドリブに弱い」人間なのです。マニュアルがないと動けないのです。当時は子供だったのでもちろん何も考えていませんでしたが、よくも悪くも当時のキャラクターが今の自分を作っているのだと大人になって気づきました。

 

中学で「中途半端な優等生」に

中学に進学すると他の小学校の子も入学してきます。部活(陸上部)にも入り、友達も増え楽しい楽しい中学生活が始まりました。中学からはテストの成績も気にしないといけませんので、一層勉強にも力を入れなければなりません。私としては今まで通り真面目に勉強をやっていて成績も可もなく不可もなくといった感じでしたが、際立った成績は残せませんでした。それもそのはず、「教科書・ノートを丸写し」という勉強法しか知らないのですから。テストの「こうなった理由を説明しなさい」といった文章問題は丸暗記じゃないと正解できないと信じ込んでいました。自分の大きな特徴であるはずの「素直さ」と「真面目さ」が勉強の面で大きなハードルとなっていたのです。

同級生とのコミュニケーションでもこの二つが災いしていたかと思います。相も変わらずいじられたら「えへへ」としか返すことができず、やんちゃな同級生は素直過ぎて真面目過ぎる私を面白がって毎日のようにからかってきました。そんな私を弄ぶためだけに遊びに誘い、嘘をつきまくってあちこち連れまわすというヤツもいました。それに相手のリアクションを異常に怖がるようになったのもこのころでした。相手に「お前こんなん好きなん?きっしょ」などと言われるのが怖くて、自分の趣味嗜好ややりたいことを人に伝えるのが非常に苦手でした。

楽しい中学校生活でしたが、素直過ぎて真面目過ぎる性格のためプラスよりはマイナスの方が大きかったような感じでした。「真面目だけが取り柄の中途半端な優等生」というキャラクターで、「愛される」「慕われる」というよりかは「人に利用されていた」というイメージが非常に強かったです。

 

そして(ほとんど)誰もいなくなった高校時代

高校受験も勉強法は同じ、「教科書・ノートの丸写し」でした。塾にも行ってないですし、赤本などというものにも手を出さず高校受験に臨みました。こんなめちゃくちゃな勉強法だったので、当然「受かる」という手ごたえをつかめないままでした。そんな中でも公立の志望校が定員割れしていたので無事合格。前年まで地域屈指の人気校でしたが、この年を境に近隣のライバル校に人気を逆転されてしまったようです。

部活は中学に引き続き陸上部。なぜかわかりませんがこの時から「目立ちたい!」という気持ちが芽生え始めたのです。おそらく友達をたくさん作って彼女も作りたいとでも考えていたんでしょうね。「コミュ障」なのに目立ちたいがための突飛な行動を取るようになりました。とはいっても「いきなり大声を出す」といったものではなく、入学してからも「いじられキャラ」というのに変わりなかったので、いじられたら全力のリアクションで返すようにしていたのです。これにより「普段口数は少ないけど、たまに奇々怪々な行動を取るギャップがえげつない陰キャ」といった感じの認識が学年に広がったようで、二年の時にはクラスのほぼ全員から干されました。特に地獄だったのが修学旅行の班決めでした。自分から声をかけることもできなければ、クラスに友達のいなかった私に手を差し伸べてくれるクラスメイトはいません。最終的に業を煮やした部活が一緒のヤツに拾ってもらったのがせめてもの救いでした。

しかし、三年時はこれを上回っていました。高校生活をエンジョイするラストチャンスでしたが、部活と勉強に全力を出し過ぎました。授業が終わればすぐ部活、部活を引退してからも休憩時間中はずっと勉強。こんな奴に友達などできるはずがありませんよね。卒業式に至っては式の後に教室で行われる雑談タイムで置いてけぼりにされる状況に耐えられなくなりひっそりと教室を抜け出し帰宅、家に帰って即寝ました。いろんな感情が混ざって涙一つ流せませんでした。こうした経験から、体感的には三年時の方が地獄でした。

今思えば勇気を振り絞っていろいろな人に話しかけた方がよかったんでしょうね。他の人からしたら勇気を振り絞らなくても声をかけることはできるんでしょうが、私にとっては「話しかける」という行為自体、難易度が高かったのだと思います。ちなみに、クラスに「友人」と言える人はほとんどいませんでしたが、部活には数人いました。今でも付き合いがある人もいるのでこのつながりは大切にしておかないといけないですね。

 

これ以上は筆者のメンタルが持たないのでいったん区切ります。当時は全く気付かなかったことに気づいてしまうとすごく恥ずかしくなるんですよね。先日の記事でも申し上げましたが、過去は変えることができないので未来を変えるしかないものの、何かの拍子でふっと過去を思い出して悶絶するときがあるのです。また、私は何とも鈍感な人間でして同い年の人間が普通に気づくことに時間差で3年ぐらい遅れて初めて気づいてしまうレベルの人間です。

人は誰かに「身の上話」を聞いてほしいだけのですが、それを「自分語り」と捉えられてしまうことが多々あります。「身の上話」だとまだ聞こえはいいですが、過剰な身の上話は「自分語り」になりあまりいいイメージは持たれません。私も若気の至りからそれと同じようなことをして更なる後悔を生むことになります。次回お話しすることにします。では、この辺で失礼いたします!

 

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