Konpei’s NOTE

旅行記や独り言などいろいろ

【独り言】「私」という人間

皆さんこんにちは。旅行関係のネタを中心に取り扱っているこのブログですが、今回は本題から逸れ自分語りをさせていただきます。気持ち悪りぃですね。

 

独り言みたいな感じで綴っていくので、言葉がおかしかったり構成が崩れたりしている箇所があります。独り言ではありますが、私と同じような悩みを持つ方の励みになれば幸いです。

 

さて、単刀直入に言うと、私は痛い人間でした。その理由がこちらです。

  1. 「俺の勝ち!」1つ優れているところを見つけただけで調子に乗る
  2. 「出しゃばらないが勝ち!」なんでも人任せ。考えもなく動きもしない
  3. 「はい、そうですね!」人の意見の取捨選択ができない。なんでも鵜呑み
  4. 「真面目こそが正義!」ルールに縛られ融通が利かない

今でこそマシになった自覚はありますが、完全に直った訳ではありません。順を追って説明します。

 

1.「俺の勝ち!」

元々完璧主義な人間であるため、いちいち人と比較しては優れている点を探ります。1つでもそういう点を見つけたら

「俺の勝ち!なんで負けたか明日まで考えといてください」

と調子に乗り、マウントを取りたがる訳です。しかし、その後相手が総合的に優れているとわかると、尋常ならざる劣等感に苛まれるのです。酷い時は遊びでも本気になって、べべになると悔しさから取り乱して大声で叫ぶこともありました。大昔の話です。

例えば、友人のAくんよりもテストの点数がよいだけで「よし、俺はこいつより強い!」と浮かれます。しかし、Aくんの方が運動神経抜群で最終的に自分より良い大学に行き可愛い彼女ができるとなると自信が打ち砕かれるのです。

 

結局何が言いたいかと言うと、「優劣に一喜一憂せず、自分の能力・個性を認める」ことが大事なんだと思います。相手が優れているからと言って、安易に相手の真似をしても自分が強くなるとは限りません。結果が不満でも、自分を受け入れる寛容さと覚悟が重要だと私は思います。

 

2.「出しゃばらないが勝ち!」

私の性格としては、「引っ込み思案で人見知りが激しい、後方支援的な役割に適する」という言い方が近いと思います。しかし裏を返せば、「行動しない=地蔵」という捕まえ方もできるでしょう。

学生の時は遊びにしても、グループワークにしても企画や発言を他人に任せてしまい、自分は適当な相槌を打つのみ。自分で提案して他人を巻き込んで行動に移すことなんかしたことがありません。できた試しがありません。これが一番安全だと思っていたのでしょう。考えてみると、根底には「こう言ったら笑われる」と言った不安があったのかもしれません。失敗を恐れていたのです。

一度、大学の部活でキャンプを企画した機会があったのですが、大事な式の段取りを間違えて指導者の方にボロクソ言われたことがあります。勇気を出して企画担当を名乗り出たのですが、行き当たりバッタリのアイデアをそのまま実行し他の企画メンバーを置いてけぼりにしてしまいました。

「人を引っ張る」ことをするということはある程度の段取りが必要です。普段から「考える」という習慣がなく、段取りを組むということにも慣れていなかったのに、部内での役職を与えられなかった劣等感から「俺はできるんやぞ」アピールをしたいが為にこのような役割を買って出たのです。たらればの話になってしまいますが、自分の考える性格の通り後方支援的な役割に回っていればこんな失敗をせずに済んだかもしれません。

 

社会人になりますと、会議などで発言する機会も多くあります。ここでは「出しゃばらないが勝ち!」は正直通用しないと思います。だからと言って何も考えずに支離滅裂な発言をするのもダメですが、どんな形であれ自分の考えを発信していくことが大事だと考えています。

 

3.「はい、そうですね!」

真面目な性格ということは、人の話に疑いを持たない素直な一面があります。それが裏目に出ると、人の話をなんでも信じ込んだり鵜呑みにしたりしてしまいます。加えて、自分が「間違えている」と思う意見にも反論できないところがあるので結果的に多くの人の色んな意見を全部受け入れてしまうのです。

 

自分の場合、「人からよく見られたい」が為に全ての意見を実現させようとしていた部分があります。しかし、そんなことは不可能です。1つの意見を反映できた時点でもう1つの意見は切り捨てなければならないことが多いです。確かに「イエスマン」に徹することは無難と言えば無難ですが、やがて自分のやりたいことができなくなることに気付きます。最悪、人に利用されることもあるかもしれません。自分にとって何が重要か、何を最優先すべきか。人と接する時、「疑う勇気」「断る勇気」を持って相手に向き合うべきではないかと思います。

 

4.「真面目こそが正義」

就活などの自己アピールで長所を「真面目なところ」と強調していました。人に自分の長所は何か聞いても「真面目」という答えぐらいしか返ってきませんでした。自分でも「真面目にさえしていれば何も困らない」と思っていたのです。しかし、後になって「真面目だけが取り柄」というのは逆に短所であることに気づきました。ルールに忠実なのはいいことなのですが、イレギュラーなことが起こった時にパニックを起こしてしまいます。マニュアルにないことが実際に起こってしまうと頭が真っ白になってしまうのです。

不測の事態が起こった時、ルールを破らざるを得ない場合があります。ですが、私の場合はこのような時もルールに従おうとしてしまうのです。そして対応が後手に回って更なるパニックを誘発してしまう… このような経験が何度もありました。こんな時でも柔軟に頭を働かせて行動できる人が羨ましくてなりません。

また、勉強に関しても同様です。皆さんなら受験勉強をする時は過去問などを解いて実戦感覚を養うと思うのですが、私の場合は「基本さえ押さえとけばどんな問題でも解ける!」と言わんばかりに教科書や参考書を丸写しするようなことばかりしていました。もちろん、基本を押さえることは大事ですが実際に出題される問題に触れなければ基本を押さえていても答えることはできません。今考えると、効率の悪いことをしていたなあと思います。

 

人生というのは正解のないもので、常識に囚われるばかりでは何もできません。「正直者がバカを見る」世の中なので、真面目なだけでは損をしてしまうと思っています。真面目に越したことはありませんが常にルールに縛られるのではなく、時には自分なりに考え、工夫することが必要になります。仕事や日常生活においても自分なりの工夫が足りないように思うので、もっと楽に、そして楽しく生きていけるように工夫をしていければと思っています。

 

これからの「私」

人間、完璧になんてなれません。しかし、私は完璧を追い求めるあまり人と比較しては劣等感を感じていました。そして、自分がやってきたことの愚かさに気づいたのはつい最近のことです。周りの人たちは私よりもっと早くに己の弱さや未熟さに気づくことができていたのでしょう。ただ、遅くはなりましたが自分の弱さに気づくことができたのはある意味よかったのかもしれません。

 

経験上、人と比べるということはかなり疲れます。「あいつも頑張ってるから俺も!」ぐらいならまだしも、「あいつが羨ましいから俺もあいつに追いつくんだ!」となると無駄な体力を使う一方ではないでしょうか。人間には「個性」というものがあり、他人と同じ能力を手に入れるのは容易ではないことです。それなのに、人に追いつこうとするのは無駄に自分を追い込むだけなので自分は自分らしく生きていくのがベストであると最近思えてきました。

 

今でも真面目さゆえに「失敗する自分が許せない」と思う時があります。致命的なミスは反省して再発防止に努めなければなりませんが、小さなミスも大袈裟に受け止めてしまうと最悪病んでしまいます。周りの人からも「考えすぎや」と言われるので、小さなミスをしても切り替えて次に移すことを意識していきたいです。

 

という訳で、愚痴という名の自分語りは以上です。最後に言っておきますが、これは自己啓発のブログではありません(大汗)

 

最後まで読んでくださった方がいるかわかりませんが、お読みいただきありがとうございました!