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【独り言】「生きるのヘタ男」の半生① 幼少期~高校時代編

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「なんやこのタイトル?まーた自分語りするでコイツ」

はい、すみません。他人の自分語りを聞くのが好きな方だけ読んでください。しかも筆者の黒歴史暴露コーナーみたいなものです。ほとんどが興味のない方だと思いますので即ブラウザバックをしていただくことを推奨します。

タイトルは「いきるのへたお」と読んでください。私自身は実際かなり不器用ですしコミュ障ですし世渡りが絶望的に下手くそです。おそらくほとんどの人が思い描いている人生設計通りにはならないでしょう。ただネガティブになるだけでは意味がないし何も面白くありません。今回は私の半生をできるだけ面白おかしく振り返ってまいります。多分涙目になりながらキーボードを叩くことになるでしょう。そのうち発狂してキーボードを破壊する恐れもありますがなんとかやっていきます。

 

幼少期、すべての歯車が狂った瞬間

(悪い意味で)現在の自分の礎ができたのは保育園児だったころでした。祖父母の家で朝の情報番組の最後にやる血液型占いを見ていた時です。血液型別に4匹のキャラクターが木登り競争をしていたと思います。自身の血液型であるAB型は最下位。この瞬間「ワーッ」と泣き叫んでものすごい勢いで茶の間を出て行ってしまいました。この後、母親から怒られてしまいましたがどんな内容だったのかは覚えていませんしなぜ怒られたかも理解できませんでした。この日を境に私は気に入らないことがあるとよく癇癪を起こすようになりました。

何が言いたいのかと言いますと、思い通りにいかないことがあると結果を呑み込めずパニックになってしまうようになったのです。ゲームや遊びでも1位でないとダメなのです。「2位じゃダメなんですか?」という言葉がはやりましたが、本当に2位ではダメだったようです。つまり「完璧主義」という特徴が身についてしまいました。現在では癇癪を起こすようなことはほとんどなくなりましたが、「完璧主義」は今も色濃く残っています。

「歯車が狂った」とは言ってもまだ4つ5つの子供です。この先の人生、どうなるか知ったこっちゃないと思います。しかし、ここからが混沌の連続だったと大人になって思います。

 

小学校生活で「いじられキャラ」に

小学校に入学すると勉強が始まります。この時の私は宿題も欠かすことのないまじめな子供でした。真面目さは今も変わらない一方で、現在とは真逆でよくも悪くも図々しさのあるがきんちょという一面もありました。友達によくちょっかいをかけていたりしていた記憶があります。

ただ癇癪持ちというのは変わっておらず気に入らないことがあると泣き叫ぶ悪癖はそのまま。友達にこれをからかわれることもしょっちゅうありました。同時に純粋すぎる一面もあり、友達の冗談を本気で真に受けていました。こういったキャラクターでしたからある意味「いじられキャラ」的なポジションにいました。この時は「みんな喜んでくれてるなあ」と思う程度でしたが、今思うといじられたときのリアクションがわからず「えへへ」と笑ってごまかしてばかりいました。いじられたときのリアクションをどうすればよいかは今でもわかっちゃいません。つまり私は「超」が付くほどの「アドリブに弱い」人間なのです。マニュアルがないと動けないのです。当時は子供だったのでもちろん何も考えていませんでしたが、よくも悪くも当時のキャラクターが今の自分を作っているのだと大人になって気づきました。

 

中学で「中途半端な優等生」に

中学に進学すると他の小学校の子も入学してきます。部活(陸上部)にも入り、友達も増え楽しい楽しい中学生活が始まりました。中学からはテストの成績も気にしないといけませんので、一層勉強にも力を入れなければなりません。私としては今まで通り真面目に勉強をやっていて成績も可もなく不可もなくといった感じでしたが、際立った成績は残せませんでした。それもそのはず、「教科書・ノートを丸写し」という勉強法しか知らないのですから。テストの「こうなった理由を説明しなさい」といった文章問題は丸暗記じゃないと正解できないと信じ込んでいました。自分の大きな特徴であるはずの「素直さ」と「真面目さ」が勉強の面で大きなハードルとなっていたのです。

同級生とのコミュニケーションでもこの二つが災いしていたかと思います。相も変わらずいじられたら「えへへ」としか返すことができず、やんちゃな同級生は素直過ぎて真面目過ぎる私を面白がって毎日のようにからかってきました。そんな私を弄ぶためだけに遊びに誘い、嘘をつきまくってあちこち連れまわすというヤツもいました。それに相手のリアクションを異常に怖がるようになったのもこのころでした。相手に「お前こんなん好きなん?きっしょ」などと言われるのが怖くて、自分の趣味嗜好ややりたいことを人に伝えるのが非常に苦手でした。

楽しい中学校生活でしたが、素直過ぎて真面目過ぎる性格のためプラスよりはマイナスの方が大きかったような感じでした。「真面目だけが取り柄の中途半端な優等生」というキャラクターで、「愛される」「慕われる」というよりかは「人に利用されていた」というイメージが非常に強かったです。

 

そして(ほとんど)誰もいなくなった高校時代

高校受験も勉強法は同じ、「教科書・ノートの丸写し」でした。塾にも行ってないですし、赤本などというものにも手を出さず高校受験に臨みました。こんなめちゃくちゃな勉強法だったので、当然「受かる」という手ごたえをつかめないままでした。そんな中でも公立の志望校が定員割れしていたので無事合格。前年まで地域屈指の人気校でしたが、この年を境に近隣のライバル校に人気を逆転されてしまったようです。

部活は中学に引き続き陸上部。なぜかわかりませんがこの時から「目立ちたい!」という気持ちが芽生え始めたのです。おそらく友達をたくさん作って彼女も作りたいとでも考えていたんでしょうね。「コミュ障」なのに目立ちたいがための突飛な行動を取るようになりました。とはいっても「いきなり大声を出す」といったものではなく、入学してからも「いじられキャラ」というのに変わりなかったので、いじられたら全力のリアクションで返すようにしていたのです。これにより「普段口数は少ないけど、たまに奇々怪々な行動を取るギャップがえげつない陰キャ」といった感じの認識が学年に広がったようで、二年の時にはクラスのほぼ全員から干されました。特に地獄だったのが修学旅行の班決めでした。自分から声をかけることもできなければ、クラスに友達のいなかった私に手を差し伸べてくれるクラスメイトはいません。最終的に業を煮やした部活が一緒のヤツに拾ってもらったのがせめてもの救いでした。

しかし、三年時はこれを上回っていました。高校生活をエンジョイするラストチャンスでしたが、部活と勉強に全力を出し過ぎました。授業が終わればすぐ部活、部活を引退してからも休憩時間中はずっと勉強。こんな奴に友達などできるはずがありませんよね。卒業式に至っては式の後に教室で行われる雑談タイムで置いてけぼりにされる状況に耐えられなくなりひっそりと教室を抜け出し帰宅、家に帰って即寝ました。いろんな感情が混ざって涙一つ流せませんでした。こうした経験から、体感的には三年時の方が地獄でした。

今思えば勇気を振り絞っていろいろな人に話しかけた方がよかったんでしょうね。他の人からしたら勇気を振り絞らなくても声をかけることはできるんでしょうが、私にとっては「話しかける」という行為自体、難易度が高かったのだと思います。ちなみに、クラスに「友人」と言える人はほとんどいませんでしたが、部活には数人いました。今でも付き合いがある人もいるのでこのつながりは大切にしておかないといけないですね。

 

これ以上は筆者のメンタルが持たないのでいったん区切ります。当時は全く気付かなかったことに気づいてしまうとすごく恥ずかしくなるんですよね。先日の記事でも申し上げましたが、過去は変えることができないので未来を変えるしかないものの、何かの拍子でふっと過去を思い出して悶絶するときがあるのです。また、私は何とも鈍感な人間でして同い年の人間が普通に気づくことに時間差で3年ぐらい遅れて初めて気づいてしまうレベルの人間です。

人は誰かに「身の上話」を聞いてほしいだけのですが、それを「自分語り」と捉えられてしまうことが多々あります。「身の上話」だとまだ聞こえはいいですが、過剰な身の上話は「自分語り」になりあまりいいイメージは持たれません。私も若気の至りからそれと同じようなことをして更なる後悔を生むことになります。次回お話しすることにします。では、この辺で失礼いたします!

 

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