Konpei’s NOTE

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【みちのくひとり旅】Part.3 世界遺産の町・平泉ってどんなとこ?

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2日目の朝、仙台に戻ってここから高速バスで北へ向かいます。ついに人生初上陸となる岩手県へ足を踏み入れるのです。灰色の空模様が気がかりですが、気にせず岩手へ行きましょう!

前回:【みちのくひとり旅】Part.2 ああ松島や、松島や(涙) - Konpei’s NOTE

<目次>

 

廃墟と化した「さくら野」からスタート

私が乗車するのは仙台駅前にある「旧さくら野」停留所。「さくら野」というのは東北に数店舗を構える百貨店のことなのですが、仙台店は運営していた企業が破産したことにより2017年2月に閉店しました。この時には空きビルとなっており、中はもぬけの殻状態となっていました。ここを見ると何となく姫路にあった大型百貨店の「ヤマトヤシキ」を思い出します。下の写真はGoogleマップからスクショしたさくら野前です。よく見るとシャッターが閉まっています。

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さて、バスは定刻通りにさくら野前を発車。予報通りの雨の中、東北道を北上します。

 

毛越寺の大きな庭園がスゴかった!

仙台を出発してからおよそ二時間で目的地・平泉に到着です。バスはJRの平泉駅前に停車、そこから荷物を近くにある美術品のお店に預けます。いつもはコインロッカーに預けるのですが、代金はなんと200円(記憶が正しければ)。コインロッカーだと大体は300~400円するのでお店に直接預ける方が安いのです。この美術展の御主人、ものすごく優しそうな方でした。人見知りの激しい筆者も安心して預けることができました。

最初の目的地である毛越寺平泉駅から歩いて約15分の場所にあります。着いた時の第一印象としてはかなり静かな雰囲気で、人もそこまで多くなかったです。「毛越寺」って何て読むの?と思った方も多いでしょうが、「けごしでら」ではなく「もうつうじ」です。元々は「もうおつじ」と読んでいたのが現在の読み方に変化したそうです。私も初見で一発で読むことはできませんでした。

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この毛越寺を語るうえで外せないのが「白鹿伝説」です。寺伝によりますと、平安時代に慈覚大師円仁(比叡山延暦寺の高僧)が地面に落ちていた白鹿の毛をたどった先に白鹿がうずくまっているのを発見します。しかし、その白鹿は姿を消し一人の老人が現れたのです。その老人は大師に「ここに堂を建てて霊場にせよ」と告げました。そして、この老人が「薬師如来の化身」であると感じた大師は老人のお告げ通りに堂を建て、当時の年号から「嘉祥寺」と名付けたのが毛越寺の始まりです。

その後、奥州藤原氏の全盛期(特に二代目基衡の頃)に境内に多くの伽藍が造営されましたが、奥州藤原氏が滅亡した後は多くの災禍に遭いすべての建物が消失。それでも後にお話しする浄土庭園と伽藍の遺構がほぼ完ぺきな状態で保存され、国の特別史跡特別名勝と二重の指定を受けています。これに加え平成元年には平安様式の新本堂が建立されました。

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先ほど出てきました「浄土庭園」ですが、仏堂と苑池が一体となった庭園のことを指します。最大の特徴として境内に「大泉が池」という大きな池が広がっており、日本最古の作庭書である「作庭記」の思想や技法を現代に伝える貴重な庭園なのです。

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写真からは十分に広さが伝わらないのが残念なんですが、池を一周するのもそれなりの時間がかかります。とにかく庭園が広いというのが毛越寺最大の見どころです。

 

奥州藤原氏が眠る中尊寺

毛越寺を後にし、いよいよ中尊寺へ向かいます。バスで移動したのですが筆者はあることに驚きを隠せません。普通バスって運賃を支払う時に両替機に通してお金を崩してから指定の運賃を払うと思うのですが、私が乗ったバスに運賃箱というハイテクなものは搭載されていませんでした。なんと運賃箱の近くに雑巾らしき布が敷かれ、その上に小銭の山ができているではありませんか。ちょうど出せない人は自分で金額を計算して運賃を投入するというセルフサービス方式。この時小銭がなく、千円札しか持ち合わせがなかったので計算に手間取ってしまいました。貶すつもりはありませんが都会育ちの筆者は唖然としました。

そんなこんなで中尊寺の入り口に着いたのですが、人出は毛越寺の倍以上いたと思われます。やはり皆さん金色堂目当てに来ているものかと思いますが、こんなに多いとは思っていなかったのでびっくりしました。金色堂まではこの人出をかき分けながら長い坂を上る必要があります。また境内には本堂や金色堂の他、10以上もの堂が点在しています。

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中尊寺の始まりについてですが、ここも毛越寺と同じ慈覚大師円仁が開いた寺なのです。大規模な堂塔造営が本格的に行われたのは12世紀の初めで、奥州藤原氏初代清衡の頃です。東北では前九年合戦や後三年合戦などの戦乱が相次ぎ、多くの方が亡くなりました。亡くなった方々の霊を慰め、平和な理想社会を表す仏国土を建設するという清衡の願いのもと造営が行われたのです。

平泉の代表的な寺院としてはこの中尊寺毛越寺、さらには奥州藤原氏三代目の秀衡が建立した「無量光院」があります。中尊寺は釈迦を、毛越寺薬師如来を、無量光院は阿弥陀如来を本尊としているのですが、過去釈迦・現世薬師・未来世阿弥陀を合わせて「三世仏」と言います。これらの寺院の建立は「すべての生あるものを過去世から現世、さらには未来世に至るまで仏国土に導きたい」という清衡の思いが具現化されたものなのです。

境内に点在する堂塔に立ち寄りながら金色堂を目指します。金色堂は本堂のさらに奥まったところにあるので寄り道をしなくともそれなりの時間がかかります。結局寄り道しながら金色堂に着いたのは境内に入ってから約40分後。やっと入れると思ったらこの人だかりです。お察しの通り、モザイクをかけているところはすべて人です。

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しかし、回転が速いおかげで10分ほどで入ることができました。内部の様子を撮影することはできませんが、一面まぶしいほどの金色でした。堂の内部全体を金箔で囲うことにより「極楽浄土」を表しているのです。数体の仏像が安置されているほか、奥州藤原氏初代~四代目泰衡の遺体が納められています。

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義経最後の地、高館義経堂へ

たくさん歩けば当然腹も減るわけですが、中尊寺近くのレストランもなかなか混んでいました。一度は入ることをためらいましたが、空腹には耐え切れずそこで昼食に。一人なので何とか席も確保できました。さて、今回私がいただくのは「義経そばとカレー丼のセット」です。「義経そば」とは普通に山菜のたくさん入ったそばのことで、山菜を食べる機会があまりない分おいしく味わうことができたと思います。

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体力を回復させた後は中尊寺から歩いておよそ15分の所にある高館義経堂に向かいます。ここは兄である源頼朝に追われた源義経が身を隠した地であり、壮絶な最期を迎えた場所でもあります。街のはずれにひっそりとたたずむ小さな堂で、東の方角には北上川が流れています。曇り空でもやもやした天気でしたが、それ以上に静かな風景が私の心を癒してくれます。あまり好きでないセミの鳴き声も聞こえていましたが、それすらも心地よく感じてしまう場所です。

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義経最期の地」という風な紹介をしましたが、ある伝説では「義経は亡くなったとされる一年前に平泉を脱し、北を目指して旅に出た」とされています。この伝説からかの有名な「源義経チンギス・ハーン説」も提唱されたのです。

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歩いて平泉を満喫!

高館義経堂からは平泉駅に戻ります。歩くと30分ほどかかりますがせっかくなんで歩いて雰囲気を味わうことにします。やはり始めてきた土地は歩くに限りますよ。その道中で面白そうなものを見つけました。かつて奥州藤原氏が政治を行っていたとされる「平泉館」の遺跡である「柳之御所史跡公園」です。ここから発掘調査によって見つかった堀・園池・井戸などの遺構をはじめ、隣接する資料館には多量の土器や陶磁器なども展示されています。広大な史跡公園内はほぼ一人占め状態でした。

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空の色がどす黒くなっていることに気づきましたが、近くに道の駅があったのでそこで休憩。ソフトクリームを食べながら休憩しました。

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300kmを一気に南下!?

筆者は非常にバカな生き物でして、この日の宿を栃木の宇都宮に取ってしまったのです。平泉から宇都宮までゆうに300kmを超えています。ホテルのチェックイン時間は20時、それでも17時に平泉駅に着いていれば間に合うらしいです。日本の鉄道半端ないですね。

美術品のお店で預けていた手荷物を受け取り、平泉からは新幹線の駅がある一ノ関に電車で向かうのですが、本数はかなり少なくほぼ一時間に一本です。偶然にも乗る電車より先に一ノ関行きのバスが来たのでそれに乗ります。難なく一ノ関に着き新幹線を待っている間、通過する新幹線も何本か見送りましたが轟音を立てて通過していくんです。東北新幹線って最高速度何キロでしたっけ、東海道・山陽新幹線で味わうそれよりも恐怖を感じました。鉄道は好きなほうですが流石に怖かったです。

そして新幹線に乗車、宇都宮までの300キロ超をただひたすら一気に南下します。車内では東日本でしか味わえない炭酸飲料ドクターペッパーを飲みました。この時初めて飲んだのですが、筆者としてはずっと前から気になっていました。シロップの飲み薬みたいな味ですが私は好きな味ですね。ただ好き嫌いは分かれるかと思います。興味のある方は是非とも飲んでみてください。

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仙台で別の新幹線に乗り換えたのですが、私の乗る車両はツアー帰りの観光客と思われる方々でいっぱいになりました。三列シートの一番左の窓側の席を取りましたが、その右隣には若い女性が二人座ってきて楽しそうに会話をしています。なんだか申し訳ない気持ちになりました。

夜で車窓も見えないので携帯を触っていたらいつの間にか宇都宮に到着。ホテルにチェックインしてから部屋に入ると外は雷鳴が轟いていました。さすがに雷が落ちてきたら死ぬので雷鳴が止むのを待ってから食事に出かけました。夕食はなんと栃木まで来たのに吉野家。お前栃木に何しに来たんだ…

 

ということで、二日目の様子はここまで。三日目はついに大阪に帰るのですが、帰阪前に寄りたいところがあるのです。次回はその様子をお見せしますのでお楽しみに。それでは、今回はこれで失礼します!