Konpei’s NOTE

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【大阪~長崎】どこにも行けないので人生初の一人旅を振り返ってみた

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突然ではあるが、2016年の夏に大阪から長崎まで青春18きっぷを使って一人旅に出たときの様子を振り返ってみようと思う。現在進めているシリーズ「ひとり旅のすゝめ」の番外編的なものになる。大学4回生で就活を終え、単位も取りつくしたのでやることと言えばバイトか遊ぶかしかなく、せっかくなので就活で疲弊した心を癒したいと思い人生初の一人旅に踏み切った次第である。

「電車の旅をしたい」と思い始めたのは就活終盤のことだった。ある企業の面接で「就活が終わったら何がしたいか」という質問があり、無意識に「青春18きっぷを使って旅行に行きたい」と答えてしまった。面接を受けた会社の業種柄、面接官も一緒に面接を受けた学生も「えぇ…」と引き気味だった。案の定その会社からはお祈りメールが来たわけだが気にも留めず、帰ってからすぐに計画を練り始めたのであった。

<目次>

 

【1日目:大阪~呉】初日からロングラン

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1日目のルート

時は2016年8月1日。世間では夏休みは始まったばかりで私も非常にワクワクしていたのだが、「人生で最後の夏休みなんやな…」と思うと少し寂しい気持ちもあった。この日は広島の呉まで乗車し、広島にいる祖父母と合流して二人の家で一泊する予定だ。

それはさておき、出発地の大阪駅から新快速に乗り込みまずは終点の姫路を目指す。朝の通勤ラッシュ時間帯ということもあり車内は満席に近い状態で、神戸を出たくらいでやっと座ることができた。終点の姫路に到着すると岡山に直通する電車が来ていたので乗り換えるのだが、席が空いておらず座ることができなかった。結局岡山まで1時間立ちっぱなしのまま終わってしまったが、相生での壮絶な座席争奪戦に巻き込まれないで済むと考えるとこちらの方がまだ楽な気がする。しかし、序盤で足腰をやられるのは相当痛い。岡山に着くころには体が座席を求めているせいか、小刻みに震えていた。次の電車で席が空いてなかったら体力的に今後の行程に支障をきたすかもしれない。と思っていたが、岡山で乗り換えた広島方面直通の電車は幸運にもがら空きで座ることができた。涙が出るんじゃないかというくらい嬉しかった。

この電車で三原まで乗車し、呉線に乗り換える。呉線と言えば、母の実家の最寄り駅だった広を境に景色が一変することで知られている。私も幼少期に乗車していたが、三原から広(単線で本数まばら)は初乗車となる。個人的には広より西側(複線で本数もそれなり)を走る電車で広島市内に出かけていた記憶が濃く残っている。三原を出ると間もなく瀬戸内海の島々が広がり、多島美と爽快な気分を味わうことができる。

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呉線からの車窓

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広駅ロータリー

瀬戸内海の多島美に見とれているうちに広駅に到着。ここからかつて母の実家があった地区までブラブラと歩いてみたが、夏場の暑さの中歩くのは過酷なので30分ほどで引き返した。景色も変わっていて短い時間の中ではあったが、思い出の地を再訪することができた嬉しさでいっぱいだった。この後、呉駅に移動して大和ミュージアムへ入館。子どもの頃にはなかったので初めての入館となる。館内に展示された戦艦大和零戦も圧巻であったが、それ以上に戦死を遂げた兵士たちの生きざまを記録していたのが非常に印象的だった。

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大和ミュージアム内の戦艦大和

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大和ミュージアム内の零戦

大和ミュージアムを後にし、ようやく祖父母と合流を果たした。こちらも幼少期以来の再訪となる音戸の瀬戸あたりまで車で連れて行ってもらい、景色を楽しんだ。そんな中、ここでスマホの災害アプリが鳴動し「まもなく東京で震度7地震」という通知が来たときは戦慄が走った。幸い誤報だったので安心したが、本当に発生していたのであれば今後の旅に多少の影響があっただろう。ドキッとしたが無事に一日目を終えることができた。

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音戸の瀬戸

 

【2日目:西条~岩国】広島市内をちょっと観光

2日目は祖父によるドライブ。私が子どもの頃から連れて行ってもらっているレストランで昼食を取ったり、海岸線を眺めながら竹原方面へ走ったりといった行程であった。写真が何枚か残っているのだが、信じられないほどもやがかかっており皆さんにお見せできる状態ではないので割愛させていただく。

昼過ぎに祖父母と別れ、山陽本線で本日の宿がある岩国へと向かう。ここからが一人旅本番なのだが寂しい気持ちになった。現在は寂しさなどみじんも感じることがないのだが、この時ばかりは慣れない一人旅とあってか少し泣きそうになった。チェックインの時間まで余裕があるので途中の広島で電車を降り、広島市内の観光をすることに。広島市内の観光と言えば、原爆ドーム広島城あたりに行くのがベターなものかと思われるが、私が行ったのは比治山公園と海沿いの宇品周辺といったニッチなスポットであった。なぜここをチョイスしたのか私にもわからないが、リフレッシュになったことは間違いない。この記事のサムネイルにしているのが宇品島から撮った広島の海の様子である。

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比治山にある陸軍兵士の墓地

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宇品周辺。漁船が多く係留されている

この後、市電に乗って市内中心部に戻り再びJRに乗って本日の目的地岩国へ。退勤時間帯と被ってしまったため車内はかなり混雑しており、記憶が確かだとほとんどの人が宮内串戸で下車したのだが住宅地か何かがあるのだろうか。結局は無事岩国に到着しホテルにもチェックインしたのだが、夕食を食べるお店がないという問題が発生。20分ほど歩いてたどり着いたのはココ壱番屋。飲み屋ぐらいしかない街だと夕食難民になってしまうということを身をもって痛感した。その点どこにでもあるココイチは救世主だ。ココイチを称えよ。

 

【3日目:岩国~長崎】おしりが死んだ日

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3日目のルート

3日目にしてこの旅のメインかつ山場を迎える。それもそのはず、岩国から長崎までの約400kmを1日で駆け抜けるのである。電車に乗るのは好きなので苦でもないのだが、車窓に見所がなくなり暇になった時のためにコンビニでこち亀の傑作選を購入した。8時前に岩国を出発し、長崎に着くのは夕方の5時ごろ。実に9時間もの間電車に揺られ続けることになる。

電車は瀬戸内海沿いを快調に飛ばしていく。乗っている分には何一つ苦にはならないのだが、「虫」という思わぬ難敵(乗客というべきだろうか)と対峙することになる。まず気分を変えるためにコンビニで買ったこち亀を読んでいる時、足元をふっと見てみるとブリッブリのゴキブリが我が物顔で乗り込んでいるではないか。恐れおののく私を見て察したのか、通路を挟んで隣に座っていたおじさまが紙でGをくるんでそれを空き缶の中に詰め込んだ。「ありがとうございます!」と声をかけると、おじさまは「わけねえぜ」と言わんばかりの笑顔を浮かべていた。珍客はこれにとどまらず、今度は大きめのハチ(スズメバチと思われる)が乗り込んできた。これに対しても先ほどとは別の作業着を着たおじさまが持っていたタオルでハチをくるんで窓の外にヤツを放った。私が都会の人間でビビりすぎなのだろうか、それとも山口の方が虫に強すぎるのか。

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周防大島にかかる大島大橋

思わぬ遭遇はあったものの無事に下関に到着。下関から関門トンネルをくぐって小倉、小倉からは鹿児島本線の快速に乗り込んで鳥栖を目指す。山口県内はずっと各駅停車の旅だったからか、快速に乗車すると駅を通過することで格段にスピードが上がった感覚があった。

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北九州市スペースワールド。2018年に閉園となった

鳥栖に到着すると待ち時間ができたので昼食に。駅のホーム上にある「中央軒」といううどん屋で「丸天うどん」を注文、これが非常にうまい。駅のホームで食べるうどんやそばがおいしくないわけがないのだ。そして、中央軒のお母さまから「鳥栖駅の屋根はめちゃくちゃ古い」という話も聞かせてもらった。なんと1896年に作られたものなのだそう。もっと調べてみると、屋根を支える鉄柱がその年に作られた線路を再利用しているようだ。はやり病が落ち着いたころに佐賀へ行くつもりにしているので、鳥栖駅にも再訪してみたい。

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「中央軒」の丸天うどん

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鳥栖駅ホームを支える屋根(1896年製)。奥に見えるのが「中央軒」

しかし、ここからが地獄であった。途中で乗り換えがいらない長崎行きに乗車するのだが、乗ってびっくり全席ロングシート。これで3時間以上もの間耐えろと言うのだ。乗り換えがない分、最後の最後でこのような試練を与えてくるとは思ってもみなかった。腹いせ(?)に運転席の真後ろで車窓にかじりつくことにしたのだがそんな勇気もなく、ぼーっと正面に映る景色を眺めるしかなかった。

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筆者にとって最後の難敵となった長崎行きの電車

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有明海。奥にうっすらと見えるのはどこの山だろうか?

鳥栖周辺では雨模様だったが、長崎に近づくにつれ天気は良くなっていった。夕方5時過ぎごろついに最終目的地の長崎に到着。最後のロングシートで完全にとどめを刺されたか、お尻の肉はないに等しい感覚だった。しかしちゃんぽんを食べて稲佐山からの夜景を見るという夜の重大ミッションが残っている。朝から長時間電車に乗ったにも関わらず長崎に着いてからもかなり歩いた。当時の私は旅先で交通機関を使うことが少なく、2kmぐらいの移動であれば余裕で徒歩移動をしていた。今思うとこの時の私はまだ体力があったんだと思った。

ある中華料理屋さんでちゃんぽんを食べ、その後にロープウェイで稲佐山に登頂。当時のiPhoneのカメラは今のに比べると性能が低かったためきれいに撮ることができなかったが、眼下に広がる夜景は格別だった。今は一眼レフがあるのでそれでリベンジしてみたい。

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3日目の夕食、ちゃんぽん

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長崎の夜景

 

【4日目:長崎~門司港、下関~大阪】長崎観光etc.

早くも最終日を迎えた人生初の一人旅。この日は長崎観光として大浦天主堂グラバー園へ行くことにした。その前に宿泊したホテルの真横にカステラの老舗である「文明堂」の総本店があったのでお土産でカステラを購入。カステラと言えば、元々ポルトガルの南蛮菓子だったのを日本風にアレンジした和菓子で、南蛮貿易の拠点だった長崎から全国に広まっていった。恥ずかしながらこれを知るまでは洋菓子としか思っていなかった。

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大浦天主堂

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グラバー園

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長崎港に停泊中の豪華客船。このためか中国人の人が多かった

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リンガーハット」の元ネタとなったリンガー

こんな感じで異国情緒のあふれる町並みを観光していると「長崎を最終目的地にしてよかったな」と感じた。限られた時間の中ではあったが、短い時間の中でもいろいろな場所で楽しめるしなにより勉強になる。初めての一人旅だったこともあり時間配分など勝手がわからないところもあったが、自分にとって長崎は今まで訪れた場所の中でも三本の指に入る街だ。今度は是非軍艦島にでも行ってみたい。「長崎に行ったことがない」という方は是非一度行ってみてほしい。

名残惜しいがここいらで長崎を後にし高速バスで博多に戻る。最初は青春18きっぷで行った道を戻る予定にしていたが、前日の長時間移動で心を折られてしまったので高速バスで行きとは違う景色を見ながら帰ることにした。長崎を出たのは昼前だったが、食べ物を何も買わずに出てしまったので空腹に耐えながらの移動となった。博多からはこの日初となる青春18きっぷを発動、門司港に寄ってから帰路に着くことにした。

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門司港から撮った関門海峡

時刻は16時を過ぎており、体力的にも疲れがピークに近い状況だったので楽をしたくて仕方がなかった。この状況の中、行きと同様に在来線で大阪へ帰るのは酷なので新下関からは新幹線に課金することにした。このまま新大阪に帰ってもよかったのだが、当時はお金がない貧乏学生だったので姫路まで乗車することに。在来線とはスピードの面で圧倒しており、景色が一瞬で飛んでいくように見えた。やはり新幹線しか勝たん。

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1万円を超える出費。学生にとっては痛い…

姫路に着いてからは新快速に乗り換え大阪へ向かう。もはや外は真っ暗で何も見えないが車内は空いていたのでのんびりと過ごすことができた。そして無事に帰宅。初めての一人旅がようやく終わった。長いようで短く感じた4日間だった。

 

まとめ

これまでに日帰りで遠くに行ったことは数回ほどあったが、泊りでかつ一人で旅行するのは初めてだったので緊張の連続だった。ビジネスホテルなんてチェックイン時間ぴったりに来なければいけないもんだと思い込んでいたし一度チェックインしたら外には出られないもんだと思っていたが、意外と融通が利くということがわかって只々安心した。また、途中で寂しさを感じて泣きそうになったが改めて考えると複数人で行く旅行はいろいろと制約があるので自由な一人旅の方が自分のやりたいことが楽しめる。私は周りの意見に流されやすい人間なのでそういうことを一切気にしなくていいというのが何よりの魅力だ。

これが一人旅に目覚めるきっかけとなり、以来国内の様々な所へ出かけるようになった。行きたい場所は日本中に山ほどあるので、これからも健康を維持しつついろいろな所へ出かけたい。一人旅に勝るストレス解消法はないとまで思っている。はやく遠くへ行きたい。