Konpei’s NOTE

旅行記や独り言などいろいろ

【難読地名制覇の旅】最終回 さようなら、全ての難読地名

f:id:Konpeix:20210822202714j:plain

昨年7月18日から始まった「大阪難読地名の旅」。コロナ禍で満足に出かけることができない中、大阪府内において初見では読むことができないであろう地名を直接行って確かめるという企画です。企画した私が言うのもなんですが、完結まで一年以上続くとは思いもしませんでした。それも今回でようやく終わりとなります。

個人的には「もうアホみたいに歩かんで済む」と安堵している一方で、寂しさも多少ありますね。大阪を隅から隅まで回ることができた貴重な機会になったのではないかと思いますし、「大阪にもこんな所があったんや!」という新鮮な発見がいっぱいありました。街のど真ん中や大阪らしからぬ山奥までいろんなところに行くことができてよかったです。では、本編に参ります。ハンカチを50枚ぐらい用意していただくことをお勧めします。(ウソです)

前回:【はよ終われ】大阪難読地名制覇の旅 Part.5 - Konpei’s NOTE

 

40.雁多尾畑(2021.6.5訪問)

f:id:Konpeix:20210809223351j:image

所在地:柏原市
読み方:かりんどおばた
到達難易度:★★★★★
初見殺し度:★★★★☆

JR大和路線河内堅上駅から山道を歩いたところに位置します。この河内堅上駅は大阪の駅とは思えぬほどのどかな佇まいをしており、「秘境駅」と呼ばれる駅に匹敵するくらい駅舎が小さいです。東隣には奈良県三郷町があり、「大阪の端っこ」と呼ばれる場所となっています。

f:id:Konpeix:20210814231947j:image

この雁多尾畑には多くの神社やお寺があるのですが、その中で地名の由来となったのが「光徳寺」というお寺です。かつては違う名前だったそうですが、戦乱によって一度消失。その後、園城寺の僧である俊円が再興し「照曜山光徳寺」と改め、その堂を「雁林堂(かりんどう)」と称したことに由来しているらしいです。これに関連してか「雁林堂畑」という書き方もあるそうです。

ここまでの道のりはシリーズ屈指のハードさでして、駅から数百メートル歩いたところで急な坂が私を待ち受けています。その後ほんの少し平坦になりますが、それも束の間ですぐに山道が続きます。山道の途中には小学校・中学校があり、道路沿いには生徒さんが描いた絵が並びます。写真のバス停がある場所は駅から30分も歩いたところにあります。ここで道中の写真を立て続けに貼っていきます。f:id:Konpeix:20210814232056j:image
f:id:Konpeix:20210814232052j:image
f:id:Konpeix:20210814232103j:image

 

41.彼方(2021.6.19訪問)

f:id:Konpeix:20210814232124j:image

  • 所在地:富田林市
  • 読み方:おちかた
  • 到達難易度:★★★☆☆
  • 初見殺し度:★★★☆☆

梅雨真っただ中の6月中旬、無謀にも雨の日なのに傘を片手に難読地名の回収にいそしむ筆者。この周辺は難読地名激戦区となっており、ここから富田林の難読地名が続きます。近鉄滝谷不動駅から石川をまたいで東側に位置するのが彼方です。駅名のもととなっている瀧谷不動尊もここにあります。

f:id:Konpeix:20210814232137j:image

通常であれば「かなた」とも読めるこの地名ですが、なぜ「おちかた」という読み方なのでしょうか。由来を調べてみると、万葉集にこのような句があったようです。

彼方の 赤土(はにふ)の小屋に小雨降り 床さえ濡れぬ 身に添え我妹

「彼方の赤土の小屋に小雨が降ってきて、床も濡れてきた。私のそばに身をよせなさい、いとしい人よ」という意味だそうです。ロマンチックですね。また、ここはかつて「彼方村」という村でそこから合併を繰り返して現在に至るそうです。

 

42.廿山(2021.6.19訪問)

f:id:Konpeix:20210814232649j:image

  • 所在地:富田林市
  • 読み方:つづやま
  • 到達難易度:★★★☆☆
  • 初見殺し度:★★★★☆

彼方を後にし、その足で向かったのが「廿山」です。場所は近鉄川西駅から西へおよそ1.5kmほどのところ。小高い丘の上の街で、地図を見ると住宅街や団地が並んでいます。飛び地となっているのでこちらを「廿山①」とすると、「廿山②」は後述の「パーフェクトリバティー教団」のシンボルである大平和記念塔の付近にあります。付近にはこの地名の由来であると考えられる「廿山古墳」がありますが、この古墳自体の詳細がよくわかっていません。ちなみに、この「廿山古墳」と隣接する「二本松古墳」はトンネルの上にある古墳というユニークなものになっています。

f:id:Konpeix:20210814232708j:image

f:id:Konpeix:20210818002134j:image

肝心な「廿山」という名前自体の由来を調べてみたのですが、こちらも詳細不明ということです。日常においてあまりなじみのない「廿」という漢字を使っていますが、本来であれば「じゅう」と読むそうで、漢数字の「十」が二つ横に並んでいることからきているそうです。ちなみに、この「廿山」の近くに同じ読み方で「津々山台」と言う地名もあります。この二つに何か関連はあるのでしょうか?

 

43.毛人谷(2021.6.19訪問)

f:id:Konpeix:20210211133505j:plain

  • 所在地:富田林市
  • 読み方:えびたに
  • 到達難易度:No Count
  • 初見殺し度:★★★★☆

ここ「毛人谷」ですが、いろんな意味で到達困難です。地名表示板はおろか、地名がわかるものすら撮影することもできませんでした。ご了承ください。

では、そうなってしまった理由を説明させていただきます。ここ毛人谷の約1/3を占めるのが「西山墓地」という公営の墓地、残りは「パーフェクトリバティー教団(以下PL教団)」の土地となっていて許可なく立ち入ることができない場所でした。「PL教団」と聞いて真っ先に思い浮かべたのが、昭和から平成にかけて高校野球の名門校として名を馳せた「PL学園」です。現在は野球部も休部となり、学園自体の生徒数も大幅に減っているという話を聞きます。花火大会もコロナの影響で実施されていませんし、教団自体の現状と今後が気になるところですね。

f:id:Konpeix:20210902225943j:image

かつて「毛人谷」のエリアは現在よりも広かったとされており、近くには南北朝時代楠木正成が設けたとされる「毛人谷城跡」もあります。この毛人谷城跡があった場所というのが、前述した現在の西山墓地のあたりだとされているとのことです。また、「毛人谷」という名前が付いた理由ですが、古代蝦夷人を指す「毛人」が居住していたことから付いた名前だとされています。「蝦夷」と書いて「えぞ」「えみし」と読むことが知られていますが、7世紀以前は「毛人」と書いて「えびす」と読まれていました。そこから「えびたに」と言うようになったそうです。

f:id:Konpeix:20210902230029j:image

 

44.大饗(2021.7.3訪問)

f:id:Konpeix:20210902230121j:image

  • 所在地:堺市美原区
  • 読み方:おわい
  • 到達難易度:★★★☆☆
  • 初見殺し度:★★★☆☆

続いてやって来ましたのは堺市にある「大饗」というところ。最寄り駅は南海高野線初芝駅ですが、徒歩だと20分ほどかかります。初芝駅からバスが出ていますが、本数もそこまで多くはないです。私は歩くのが好きなので駅から徒歩で行きましたが、7月に入ったこともあって汗だくになりました。しかも、頑張って歩いていると横を大饗方面へ向かうバスが通り過ぎていきました。見事、心身ともにダメージを受けました。

f:id:Konpeix:20210902230143j:image

「大饗」には名字も存在しており、「おおわい」「おおあえ」「おおあい」「おおば」という読み方もあるそうです。なぜこのような漢字と読み方になったかは不明ですが、かつて存在した「河内国八上郡大饗村」という地域があったことから現在に至っているようです。

f:id:Konpeix:20210902230258j:image

 

45.毛穴町(2021.7.3訪問)

f:id:Konpeix:20210912223328j:image

  • 所在地:堺市中区
  • 読み方:けなちょう
  • 到達難易度:★★☆☆☆
  • 初見殺し度:★★☆☆☆

JR阪和線の鳳駅から東に15分ちょっと歩いたところにあるのが「毛穴町」、「けあな」と書いて「けな」と読みます。周囲には工場などが多く、下町の雰囲気が感じられました。また、「泉北2号線」という大きな道路がこの街を南北に貫いているので、通りにはマクドナルドやしまむらといった有名店が軒を連ねています。さらに、滅多に見たことがない「シャディ」の看板があったのですが、ここ毛穴町にはなく、鳳駅の近くにあるようです。CMではよく聞いたりするのですが、実物を見るのは初めてな気がします。単なるスーパーではなく、ギフトを販売するお店なんですね。ずっと関東あたりでブイブイ言わせているスーパーだと思っていました。

f:id:Konpeix:20210902230321j:image

名前の由来には諸説あるようですが、鎌倉時代にこの周辺を統治していた「毛穴一族」に由来する説が有力です。また、付近にあるバスの停留所に「毛穴なかよし橋」という名称のものがあるらしく、そのインパクトからネットを賑わせたみたいです。

 

46.蕎原(2021.8.8訪問)

f:id:Konpeix:20210912223403j:image

  • 所在地:貝塚市
  • 読み方:そぶら
  • 到達難易度:★★★★★
  • 初見殺し度:★★★☆☆

交通網が豊かな大阪において到達難易度が星5つ。それが貝塚市の山間部に位置する「蕎原」です。今回のサムネイルにしていますが、大阪とは思えぬほどのどかな地域です。南海の貝塚駅から水間鉄道で終点の水間観音駅へ向かうまではまだいいのですが、ここから一日6便のコミュニティバスに乗車する必要があります。水間観音駅からはバスでおよそ15分の場所ですが、眼下には大阪のものとは思えぬほどの田園風景が広がっています。また、和泉葛城山への登山ルートになっているため、バスにもハイカーの方が何人か乗車されていました。折り返しのバスが来るまで1時間40分ほど時間が空いたので、私も時間の許す限り山道を散歩してみました。

f:id:Konpeix:20210912223426j:image

道は「林道」と呼ぶにふさわしいほど木々に囲まれた道でしたが、意外にも車通りが多かったです。それもそのはずで、山道を進んでいくとキャンプ場がありました。駐車場にもかなりの車が停まっており、家族連れのキャンパーでにぎわっていました。大阪のキャンプ地としては結構穴場なのかもしれませんね。さらに「森のレストラン」なるものもあって、思っていた以上に見所がありました。

f:id:Konpeix:20210912223458j:image
f:id:Konpeix:20210912223455j:image
f:id:Konpeix:20210912223452j:image

キリのいいところで山道を引き返し、「蕎原」バス停の近くまで戻ってきました。まだ時間が余っていたので周辺をブラブラしていると小さなお堂がありましたので、今後の健康と多幸を祈って手を合わせました。ここのみならず、行った先々の神社やお寺で手を合わせているのですが一向にいいことが起こらないのが少し心配です。

f:id:Konpeix:20210912223515j:image

この「蕎原」は南北朝時代に記載のある地名だそうで、「蕎麦原」とかいて「そばはら」と読むこともあるようです。写真にもある町名表示にも「ソバハラ又はソブラ」という表記があるので、どちらでも読まれているのかもしれません。明確な記述はありませんが、文字通り蕎麦の産地として有名な場所だったためにこの名が付いたのでしょうか。

 

47.清児(2021.8.8訪問)

f:id:Konpeix:20210912223912j:image

  • 所在地:貝塚市
  • 読み方:せちご
  • 到達難易度:★★☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★☆☆

古典に詳しい方なら初見でもギリギリ読めるかもしれません。「清い児(ちご)」と書いて「せちご」と読みます。先ほど出てきました水間鉄道の駅に同名の駅が存在し、駅前にはかつて「水間街道」という主要道路があった関係からか、昔ながらの家々が並んでいます。

f:id:Konpeix:20210912223611j:image

地名の由来となるのが付近にある「稚児塚」という場所なのですが、その話は奈良時代までさかのぼります。行基(日本史でも出てくる僧侶で、水間寺の開祖)が一羽の白鳥に導かれ、その途中で白鳥が羽を落として飛び去ります。道に迷った行基ですが、この稚児塚のあたりで一人の童子が現われて水間の地まで案内して姿を消したのです。この童子が「十六童子」の化身だったので、以後この地に塚を築き祀ったという話です。以上、清児駅にあった観光案内の看板の文言をまるまる拝借しました。

ちなみに、「十六童子」というのは水間地域で伝えられてきた伝説に登場します。この十六童子行基観音菩薩に導いたとされており、昨年からは水間鉄道水間寺がタッグを組んで十六童子の石像を設置しました。これによって沿線の魅力向上を図っているようです。

f:id:Konpeix:20210912223858j:image
f:id:Konpeix:20210912223855j:image

 

48.出灰(2021.9.12訪問)

f:id:Konpeix:20210912223707j:image

  • 所在地:高槻市
  • 読み方:いずりは
  • 到達難易度:★★★★☆
  • 初見殺し度:★★★★☆

難読地名制覇の旅もついに最後の一つとなりました。ラストは高槻市の山間部にある「出灰」のご紹介となります。南北に長い高槻市のほぼ最北端に位置しており、アクセスはJR高槻駅から高槻市バスで30分ほど乗車、「出灰」のバス停で降車します。「ポンポン山」への登山ルートの一つになっていますが、2021年9月現在では台風による倒木のため出灰からポンポン山への登山ルートは通行不能となっています。

f:id:Konpeix:20210912224534j:image

通行不能とはなっているものの、途中行けるところまでは行くことができました。登山道沿いには多くの神社や寺院が立ち並んでおり、特に「素盞嗚神社」には樹齢約300年のご神木があります。私の約10倍もの年月を過ごしていると考えると気が遠くなりました。そこからさらに山道を進んでいくと、ナイトスクープによく出てきた「パラダイス」的な建物もあります。そのまた奥に進みますと、木々がなぎ倒されている風景が飛び込んできました。ここまで来ると流石に怖くなってきたので引き返すことにしましたが、それでも思っていたよりは奥の方まで進むことはできました。

f:id:Konpeix:20210912225828j:image

f:id:Konpeix:20210912225849j:image
f:id:Konpeix:20210912225847j:image

ちなみに、地図の●が指す位置(出灰不動尊奥の院付近)までは進むことは可能でした。また、帰りのバスでは私の他にハイカーの方が5人ほど乗車されました。通行不能になっているのにどこからいらっしゃったのかが気になりました(笑)

f:id:Konpeix:20210912230054j:image

由来の説明の前に少しだけ。「出」と言う字は「で」と読むのがメジャーですが、「出づる」と書いて「いづる」とも読むことができます。聖徳太子が中国の皇帝に宛てた所の中にある「日出る処の天子…」の一説は日本史で習った方もいるかと思います。他にもアニメのキャラクターとかが「出でよ○○!」と言ったりしていますね。少し長くなりましたが、この地域では石灰岩が多く取れた場所で、漆喰の原料となる消石灰を生産していたことに由来します。近くを流れる出灰川では現在も石灰岩を見つけることができるそうです。

 

さて、ようやく終わってしまいました「難読地名の旅」。思うことは山のようにあるのですが、文字数が引くほど多くなってしまいましたので、また別で「後日譚」を更新しようかと思います。大変だったことや気づいたことを色々とお話しできればと考えています。今月中(近日中に2回目のワクチン接種があり、副反応が落ち着いてからになると思います)には必ず更新しますので、引き続きよろしくお願いします!

 

参考にさせていただいたサイト等

光徳寺 | OSAKA-INFO

彼方(大阪府富田林市)

廿山古墳&二本松古墳|まさかな場所にある古墳〜富田林市〜 - 南河内に何がある?|南河内の観光スポットを紹介

【いくつ読める?】遠里小野、毛人谷、道修町…大阪府の難読地名〜中級編〜

大阪府には「毛穴町」がある - 雑学ぼっくす

「蕎原」(そばはら / そはら)さんの名字の由来、語源、分布。 - 日本姓氏語源辞典・人名力

2ページ/貝塚市

6月25日 地域の歴史を学ぶ 樫田小児童が素盞嗚神社や出灰川を散策/高槻市ホームページ