Konpei’s NOTE

旅行記や独り言などいろいろ

【安全第一】ペーパードライバーの山口ドライブ旅 Part.1

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※筆者より※

普段は「ですます調」が基本ですが、今回は試験的に「だである調」を採用します。「ですます調」だと堅苦しさが否めないので、ちょっと雰囲気を変えるためにやってみようかと思います。お見苦しいところがあるかと思いますが、どうか温かい目で見てやってください(笑)

 

序章:目的地に迷ったら…

3月のある日、例のごとく一人で遠出をしたくなった。年明けから例のウイルスが猛威を振るっていたため遠出も自粛していたが、状況にやや落ち着きが見られていたため実行することにした。しかし、私は優柔不断な人間で旅の目的地が決まるのも早くて1週間前であることがほとんどだ。そこで、今回は「サイコロ」に運命を委ねてしまうことにした。ある番組の人気企画をパクっているように見えるが、私がやるのは単に「一泊二日の旅でどこに行くか」ということを決めるのみ。本家のように目的地に着くごとにサイコロを回し、あらぬ方向へ行ってしまったり2夜連続で夜行バスに乗ってケツの肉が取れる夢を見たりするようなクレイジーな企画ではない。

前置きが長くなったが、早速サイコロを回してみようかと思う。目的地候補として設定したのはこの6か所である。

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飛騨高山は昨年2月に計画していたが例のウイルスの影響で中止になったのでそのリベンジに、広島は筆者生誕の地であるが市内についてはほぼ何も知らないから(ちなみに生まれたのは呉市)という理由で設定した。それ以外はシンプルに「行ったことがない・行ってみたい」というスポットを集めた。それでは参ろう。

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出目は3の山口。錦帯橋ぐらいは行ったことがあるが、それ以外の地域は未開となっている。特に日本海側は絶景が多いと聞いたので今回は日本海側を攻めてみることにした。

 

旅程を決めよう

目的地が決まったので今度は旅程を決めなければならない。最初は電車で行こうとしていたのだが日本海側を走る山陰本線は本数が少なく、機敏に動くのは正直厳しいところがある。さらに、せっかく日本海側へ出るからにはかの有名な角島大橋に行きたい。交通アクセスを調べてみるとバスの本数も少なかったので、残された選択肢は「車」しかない。ペーパードライバーではあるが、ここはチャレンジということでレンタカーを借りることにした。仕事で車に乗ることはそれなりにあるが、このようにプライベートで使うのは初めてだ。一人でレンタカーなんて借りたことがないからなおさら緊張しかない。

なんやかんやで最終的な旅程が固まった。「<一日目>下関で車を借りる→角島大橋→萩にて一泊→<二日目>秋芳洞→徳山で車返却」。レンタカーの乗り捨てはびっくりするぐらいの金額がかかってしまうのだが、今回は県内であれば乗り捨て料金が発生しないプランを選択。さあ、どんな旅になることやら。

 

 旅のスタートは下関!しかし…

3月19日の金曜日、新大阪を朝8時過ぎに出る新幹線で一旦小倉へ。山陽新幹線はたまに乗るのだが岡山より西に行くことが片手で数えるぐらいしかない。車窓を眺めていて気付いたがやたらトンネルが多い。多いし長い。こんなに多く長かったっけと首をかしげながら小倉までの2時間余りを過ごした。小倉からは在来線に乗り換え、関門トンネルをくぐって下関へ。11時ちょい前に到着したがレンタカーを予約したのが12時だったので時間に余裕がある。そこで、「海峡ゆめタワー」から関門海峡を見下ろすことにした。平日の昼間とあって人は数人程度、最上階からは関門橋や巌流島がよく見えた。

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オープニングアクト(?)はこのくらいにして、いよいよ車を借りる。生まれて初めてレンタカーを借りる手続きをしたが、店員さんが非常に親切で手際が良くものすごく心強い。この二日でお世話になるのはコンパクトカー。予約の際はマツダデミオを借りるはずだったがなぜかスズキのソリオとなった。デミオのつもりでイメトレしていたのでこのオーダー変更には少し驚いたが、コンパクトカーであることには変わりないので気にしないでおこう。

手続きを終え、ナビを設定するなどして出発。ここからは国道191号線を北上して角島方面へと向かう。道は事前にグーグルマップで予習していたのだが、それなりに交通量が多くカーブの数も多く感じた。そんな中、開始早々慣れない道で急ブレーキを2回も使ってしまった。車間距離を空けていたこともあり事故は何とか回避したものの、急ブレーキを使ってしまったこと自体が悔しくて仕方がない。おそらく前の日は緊張と楽しみであまり寝ることができず、少しばかり反応が遅れてしまったのだろう。それにしても今回の相棒ソリオはかなり有能だった。前の車に近づくと警報音を鳴らしてくれるし、速度超過を検知して注意もしてくれるのでこれらの機能に助けられた感が大きい。

ドライブと言えば音楽が欠かせない。車内でラジオをつけてみると福岡のFMラジオ局につながった。ゴッリゴリの博多弁で出演者がトークを展開していたので、「遠くに来たなあ」としみじみ実感する筆者であった。これから遠出をしたときは一度は現地のラジオを聴くことにしよう(笑)

 

「ふく」を食べていざ角島へ!

車を走らせることおよそ1時間が過ぎたがまだ下関市内から抜け出せていない。おそらく平成の大合併とやらで近くの町村を吸収したと思われる。時間は昼の1時を回ったのでそろそろ腹が減った。角島に行く前に道の駅で昼食休憩、やって来たのは「道の駅 北浦街道豊北」。角島大橋は意外にも目と鼻の先にあり割とはっきりとその姿を捉えることができた。

海が近いところに来た時は刺身を食べることを楽しみの一つとしており、この時も海鮮丼や刺身系の口だったが、山口まで来たからにはふぐを食べなければならないと思い予定を変えて「ふくフライ定食」を注文。このエリアでは「ふぐ」と読むと「不具」となることで縁起が悪いとされ、「幸福をもたらす」という意味で「ふく」と読んでいるそうな。

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一見普通の白身魚のフライに見えるが、食べてみると非常に淡白な味で身はプリプリっとしていてサクサクと食べ進めることができる。もう一切れフライがあったら文句なしだった。今度はふぐ刺しを食べることができればいいな。

 

食事を終え、道の駅から10分ほど車を走らせると今回のメイン角島大橋が見えてきた。平日だがそれなりに観光客の人がいた。車を停めて展望スペースへ向かうとそこには青い海とまっすぐ島に向かって伸びる橋が目の前いっぱいに広がっていた。

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日本で海がこんなに青いのは沖縄ぐらいだと勝手に思っていたが、ここも沖縄と十分に肩を並べるレベルで青い。上の2枚は少々加工を加えているが、加工がないいわゆる「すっぴん」の状態でもこの青さである。

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この角島大橋は1993年に工事が始まり、2000年に開通した比較的新しい橋である。橋の長さは1,780メートルと歩いて渡るにはかなりしんどい距離だし、そもそも歩道がない。そして、当たり前の話だが「角島」があっての角島大橋なのでそこに行ってみないと意味がない。再び車に乗り込み角島大橋を渡って角島に上陸、島の最果てにある角島灯台に到着。昨年の夏に行った出雲の日御碕灯台ほどではないがそれなりにのっぽさんの灯台だ。中に入れるみたいなので、てっぺんから角島を見てみることにした。

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灯台は下から上まで螺旋階段が続き、しかもめちゃくちゃ細い。人ひとりが通れるほどの幅しかなく、離合しようもんなら0.5人分の幅を削って進路を譲らなければならない。この時は私一人だったので下から上まで一気に駆け上がることができた。頂点から見た景色がこちら。

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ここもまた絶景なのだが風がとてつもなく強い。私も華奢な方の人間だが、体ごと飛ばされそうな風の強さだった。帽子を被っている方やかつらを着けている方も覚悟しておいた方が良い。風の強さに負け、5分足らずで灯台を下りた。夏の時期は涼めるかもしれないが、まだ寒さの残るこの時期は体が冷える一方でせっかくの景色もゆっくり見ることができない。このような灯台には夏の時期に来ることをお勧めしたい。

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角島灯台の付近をぶらぶらしてから再び車を走らせる。島の真ん中あたりにある道の駅でアイスでも食べようと思ったが既にオーダーストップの時間を過ぎており、泣く泣く諦めることにしたが手ぶらで去るわけにはいかなかったのでふぐの味噌汁を買って道の駅を後にした。家に帰ってから食べることにしよう。

 

角島→萩へのロングドライブ

ドライブとなると時間感覚が狂う。角島から本日の最終目的である萩までは1時間10分少々かかり、距離にすると63kmである。普通の人ならば「長いなあ」と感じるだろうが、私の場合は「まあこんなもんやろ」程度にしか思えない。ペーパードライバーのくせに考え方だけはいっちょ前である。

日が落ちてからはあまり運転したくないので日没までに萩に着くことを目標とした。早速東の方向に車を走らせる。地図である程度予習はしたのだが、思ったより起伏があってくねくねとした線形になっている。当たり前だが、私が最も意識したのが「速度を出し過ぎない」こと。そして、これを実践するうえで重要となるのがエンジンブレーキ。車に乗る方ならほとんどがご存じかと思うが、下り坂がきつい道ではシフトレバーを「L」に入れ、適度にブレーキペダルを踏みこんで速度調整を行う。下り坂では自然に速度が上がってしまうので速度抑制が必要だ。

冒頭でもお話しした通り、仕事ぐらいでしか車は運転しないがドライブは楽しい。ハンドルを握る前は緊張するが、ハンドルを握ると楽しくなってくる。もしかするとハンドルを握ると性格が変わってしまうのかもしれない。これはこれで気を付けなければ。

角島から1時間半ほどで萩のホテルに到着。ホテルの駐車場には猫が数匹いた。猫が暖を取るために車のエンジンルームに忍び込むことがあるらしいので翌朝出る前に「猫バンバン」をしなければならない。晩から朝にかけて厳しい冷え込みの予想はないが、あんなに可愛い生き物をミンチにしてしまってはトラウマ間違いなしだ。

 

誰もいない萩の町をそぞろ歩く

ホテルにチェックインしてから部屋に荷物を置くと眠気が一気に襲ってきた。一日中運転に神経を使っていたのだから当然であろう。それでもせっかく萩に来たのだから寝るだけではもったいないので少し散歩をすることにした。

目指すは萩城下町。ホテルから歩いて20分少々かかるが歩くことに関しては何の抵抗もないのでお構いなしに一歩一歩進む。日が長くなったというものの、18時半を過ぎると暗闇が顔をのぞかせる。日中は多かれ少なかれ人がいたのだろうが、この時間ともなるとほとんどの店が閉まっており人通りもない。萩の町と言えば、吉田松陰木戸孝允高杉晋作など幕末から明治期において活躍した数多くの偉人を輩出した土地として知られ、歴史を感じることができるスポットが多く存在する。二日目の朝に散策してみるのも一つの手だったかもしれない。

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50分ほど歩いただろうか、さすがに腹が減ってきた。「どんどん」という店があったので入ってみたが、どうやらうどんの店のようだ。メニューが豊富だったのでしばし考えたのち、温玉肉ぶっかけうどん(冷)を注文。2分も経たないうちにやって来た。

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うまい。うどんほど疲れた体を癒す食べ物はないかもしれない。ちなみに「どんどん」はここ萩に本部を構えており、チェーン展開もしている。山口県を中心とした中国地方のほか、東京にも1店舗を構えているとのこと。是非大阪にも来てほしい。

 

2日間の様子を一気にまとめたかったが、文字数の関係上ここで一旦区切らせていただく。いっぺんにまとめるとおそらく8,000~10,000字ほどになり、読む気が失せてくることが予想される。私も一つの記事でそんなに長いこと書く気力がないのでご容赦いただきたい。この旅の余韻が残っているうちに必ず次回の更新をする。では、皆さんごきげんよう

【ひとり旅のすゝめ②】ひとり旅の装備品を紹介!

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さあ始まりました、「ひとり旅のすゝめ」。今回は第二回目となります。この企画では単独行動が好きな筆者がひとり旅の魅力を皆さんに布教し、ひとり旅に興味を持つ方を一人でも多く増やすことを目的としています。今回は「ひとり旅で持って行く荷物」についてお話しさせていただきます。

当然のことを言うようですが、旅は手ぶらではできません。財布と携帯電話だけといった最低限の貴重品だけなら辛うじてできるかもしれませんが、そんな旅では楽しみは半減すると思いますし、どこかで行き詰まるかと思います。今回は私がひとり旅をするときに持って行くものを紹介します。

<目次>

 

カバンを制する者がひとり旅を制す!?

まず初めにひとり旅で使うカバンの紹介です。旅行の際、荷物を両手いっぱいに抱える人はまずいないと思います。私は旅先で身軽に動きたいタイプですので、リュックや斜めがけタイプのカバンを愛用しています。極力手に物を持ちたくないので入るものは半ば強引にリュックなどに詰め込みます。ただし、詰め込み過ぎると重くなって肩が疲れますので要注意です。

「MEI」の16リットルリュック

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こちらは私が大学の頃から愛用している「MEI」のリュックです。日帰りで近場に出かける時や買い物で使っており、黒地に薄い迷彩が入っているのが特徴です。カバンの中に一部ほころびが見えるものの、外見は傷も汚れもほとんどないので購入から4年以上たった今でも愛用しています。容量は16リットルなのですが、着替えの少ない春~夏の一泊二日の旅行くらいであれば着替えなどを入れてちょうどいい量になります。ただし、経年劣化のせいなのか生地が少し薄めなので重いものを入れすぎると破れてしまう可能性があります。

「オークリー」の32リットルリュック

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続いておととしの年末に購入した「オークリー」のリュック。主に日帰りで遠出するときや泊りがけの旅行で使用しています。「オークリー」と言えば、サングラスで有名なブランドでアスリートも使っていることで知られています。容量は先ほど紹介した「MEI」のリュックの約2倍となる32リットル。特筆すべきはノートパソコンを入れるスペースだったり靴を入れることができるスペースが設けられていることです。季節にもよりますが、これらのスペースを活用しつつ旅先で買ったお土産などもこのリュックにひとまとめにすることもできます。

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「Chululu」のカメラバッグ

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こちらは斜めがけタイプのカメラバッグ。旅行の際は先ほど紹介したリュックと併用することが非常に多く、リュックを背負ってこのカメラバッグを前に斜めがけするというスタイルです。中にはテープで自由に動かすことができる仕切りが付いていて、好みのスペースを作ることができます。コンパクトなので単体だと身軽に動くことができるのですが、入れる荷物には要注意。私はカメラと財布を入れることが多いのですが、この二つを入れるとカバンの中がほぼ埋まってしまうので荷物の入れ方に工夫がいります。ちなみにマグネット式となっているので財布に入れているキャッシュカードが磁気不良を起こす可能性もあります。これは私の実体験ですので、使う方はご注意ください!

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ひとり旅必須アイテム大発表!

お待たせしました。ここからは筆者がひとり旅の際に持って行くアイテムの紹介に移ります。旅に持って行くものは人それぞれかと思いますので、そっくりそのまま真似する必要なんぞございません。これから紹介するアイテムはあくまで参考程度にしていただければ幸いです。

一眼レフカメラCanon:EOS Kiss X9)

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旅先での一番の目的と言ったら写真撮影。写真撮影にはもちろんカメラが必要です。スマートフォンでもワンタッチできれいな写真が撮れる時代ですが、やはりカメラで撮る写真は格別ですしファインダーを覗いてシャッターを切ることで「撮る楽しさ」というのも味わうことができます。私が使っているのはCanonの「EOS Kiss X9」、かれこれ3年以上は使用しているカメラです。学生の時からずっとカメラが欲しいと思っていたのですが、なかなか手が出せず社会人に。そんな社会人一年目の冬のボーナスが出た後ぐらいに念願かなって購入しました。この「EOS Kiss X9」ですが、初心者の方でも操作しやすいのが一番の特徴。シーンにあった機能を使うことで複雑な操作をせずにきれいな写真が撮れてしまうのです。「ミスター不器用」と呼ばれるほど手元がおぼつかないこの私でも簡単に撮れます。

②ワイヤレスイヤホン(オーディオテクニカ:ATH-CK330BT)

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以前にお話ししたかもしれないのですが、電車に乗って車窓を眺めながら音楽を聴く時間ってとても落ち着くんですよね。もちろんラジカセを担ぎながら音楽聴くわけではなくイヤホンを使います。イヤホンと言えば音楽プレーヤーのイヤホンジャックにつなぐイメージがありますが、最近のイヤホンはそれがいらないのです。私が使っているのはBluetoothスマートフォンや音楽プレーヤーにつなぐタイプです。首にかけて使うタイプなので、コードが引っかかる心配もありません。それにこのイヤホンのすごいところが最大で連続20時間の再生が可能だということ、バッテリーが非常に長持ちする優れモノなんです。バッテリーが少なくなっても10分の充電で約2時間の再生が可能なので一日ごとに充電する必要はありません。値段も5,000円を切っておりコスパが高い商品です。

③各種充電器

携帯・カメラ・ワイヤレスイヤホンと充電が必要なアイテムが多いのでこれらの充電器も必須アイテムとなります。旅先でコンセントを探すのは苦労するので、基本的には宿泊するホテルでこれらの充電を行います。

④モバイルバッテリー

前述の通り、携帯もホテルで充電することが多いのですがそれまでに充電がピンチになることがよくあります。近くにカフェなどがあればそこで事なきを得るのですが、旅先ではなかなかそういうところが見つからないのが現実です。そんなときの救世主としてこのモバイルバッテリーくんが活躍するのです。充電式ですので、携帯を1回充電した後にこのモバイルバッテリーも充電しなければなりません。充電したやつを充電するというのもおかしな話ですけれどもね(笑)

⑤メガネ

左目のみ度が入ったメガネです。筆者は基本的に裸眼で生活していますが、職場でのデスクワークの影響で左目の近視が進んでいるので特定の状況でメガネを使用します。その状況というのが主に運転をするときや長時間PCを使う時で、その時用にメガネを携帯しています。左右の視力に差があるって結構しんどいんですよ…

⑥ボディ用泡立てネット

お風呂で体を洗う時、これがないと正直気持ちが悪いです。どうしてかって言いますと、手で洗っても体全体に泡が行き届かずボディソープを継ぎ足すことになってしまい、非常に手間がかかるのです。これがあると一気に泡立てることができて体全体をきれいにできるので重宝してます。

⑦ハンカチ・タオル

手を洗ったあとに使うハンカチです。特に最近の情勢的に公衆トイレのジェットタオルが使えないので、本当に手放せません。タオルも(代謝がいいという意味で)汗っかきな私にとっては必要なものです。夏場は2~3枚持って行っています。

⑧温泉セット

「温泉セットってなに?」と思われた方のためにご説明しますと、バスタオル・ボディ用泡立てネット・ハンドタオルの三点セットのことです。バスタオルとハンドタオルはホテルに常備されていますが、保険で各一枚持って行っています。また、日帰りの旅行でも温泉やスーパー銭湯に入ることがあるので持って行くようにしています。

⑨寝ぐせ直しスプレー

朝の敵と言えば、100人中90人ぐらいは「眠気」と「寝ぐせ」と答えるかと思います。個人的には旅行において欠かせないアイテムの上位に入ります。筆者の髪質ときたら超直毛で非常に寝ぐせができやすく、寝起きに鏡を見るとハネまくりです。ひどい時は1寝ぐせにつき7~10プッシュぐらいやります。

⑩衛生用品類

感染予防策として、マスクやアルコール消毒液が手放せなくなりました。アルコール消毒液はキャップを取り外して使うタイプのものより画像のように一体になっているタイプのものをお勧めします。キャップを外して持ったままだと手に刷り込むのがめんどくさいことこの上ないです。マスクは基本的に不織布のものを使っていますが、ひもが切れたときなどのために不織布以外のマスクも予備で携帯しておくと安心です。

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⑪着替えやタオルを入れる用の袋

特に温泉や大浴場があるホテルなどでは地味に役に立ちます。靴屋でもらうひも付きの袋やナップサックなどが大きさもちょうどいいので使いやすいです。

⑫折り畳み傘

筆者は旅先ではしょっちゅう雨に降られる男で、特に泊りがけの旅行では一日は必ず雨が降ります。大きな傘は邪魔になりますし、手軽に持ち運びができる折り畳み傘がなければ全身ずぶ濡れ不可避です。

 

必須ではないが、あれば便利なアイテムも紹介!

ここからは毎回は持って行っていないものの、必要に応じて持って行ったりあればどこかで役立つであろうアイテムの紹介です。あんまり入れすぎるとカバンがパンパンになってしまうので、カバンの容量に応じて調整しましょう。

御朱印

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熊野那智大社で買った黄色い御朱印帳です。表紙に那智の滝五重塔が描かれています。旅先で寺社仏閣に行く予定があれば持って行くのですが忘れてしまうことがそれなりに多いです。御朱印帳を忘れたときはお守りを買ったりおみくじを引いたりするなど何らかの形でお金を落とすようにしています。

②ネックピロー

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普通の枕にも変えることができる2wayタイプのネックピローです。夜行の高速バスを利用するときに持って行くことがありますが、リュックに入れるとスペースを取ってしまいますし、結局使わない方がよく眠れるので稼働率は極めて少なめです。

③帽子

普段ワックスを付けて髪を整えていますが、それが面倒なときは帽子を被ります。夏はキャップで冬はニット帽と季節によって使い分けます。

④割り箸

ホテルの部屋で何か食べる時にあると役に立ちます。ちなみに筆者は一度酒のつまみとしてホテル近くのスーパーで鯛の刺身を買ったにもかかわらず、箸がなくて素手で食べた経験があります。自分一人の空間だったとはいえ、あれは恥ずかしかったですね~

アイマスク・耳栓

「電車で寝たい!」という方にはお勧めですが、降りる駅を通りすぎないよう注意しましょう。私は電車からの景色を見たい派なので稼働率は皆無に等しいです。

⑥本

スマホだけじゃ退屈」「スマホより読書派」という方もいらっしゃると思います。移動にストレスを感じる方はご自身のお好きな本を1冊持っているといいかもしれません。ただし、乗り物の中で読むと酔うこともあるので気を付けましょう。私もたまに電車の中で本を読みますが、読み始めるまでが非常に億劫なんですね。読みだしたら止まらないんですがなんででしょうか。

 

まとめ:楽しむためのアイテムは十人十色!

少し長くなりましたが、ここまで私がひとり旅に持って行くアイテムを紹介させていただきました。長々と紹介しましたが、結局は人それぞれこだわりも好みも違うのでご自身にとって必要なアイテムや持って行きたいアイテムを持って行けばいいのです。荷作りもご自身の負担にならない範囲で物を詰め込むようにしてください。

旅先での思い出作りもそうですが、目的地以外でも楽しみを作るチャンスは山ほどあります。旅先へ向かう乗り物から見る風景というのも捨てがたいですし、ご当地のおいしいものを食べたりお土産選びに迷ったり… 旅先での観光を楽しむことだけがひとり旅ではないと思います。ひとりな分、楽しみを作るチャンスは無限にあります。自分の好きなように「ひとり旅のしおり」を作りましょう。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。次回は「海外へのあこがれ」についてお話ししようかなと思っていますが、内容は変更となる可能性がありますのでご承知おきください。では、皆さんごきげんよう

【みちのくひとり旅】Part.3 世界遺産の町・平泉ってどんなとこ?

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2日目の朝、仙台に戻ってここから高速バスで北へ向かいます。ついに人生初上陸となる岩手県へ足を踏み入れるのです。灰色の空模様が気がかりですが、気にせず岩手へ行きましょう!

前回:【みちのくひとり旅】Part.2 ああ松島や、松島や(涙) - Konpei’s NOTE

<目次>

 

廃墟と化した「さくら野」からスタート

私が乗車するのは仙台駅前にある「旧さくら野」停留所。「さくら野」というのは東北に数店舗を構える百貨店のことなのですが、仙台店は運営していた企業が破産したことにより2017年2月に閉店しました。この時には空きビルとなっており、中はもぬけの殻状態となっていました。ここを見ると何となく姫路にあった大型百貨店の「ヤマトヤシキ」を思い出します。下の写真はGoogleマップからスクショしたさくら野前です。よく見るとシャッターが閉まっています。

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さて、バスは定刻通りにさくら野前を発車。予報通りの雨の中、東北道を北上します。

 

毛越寺の大きな庭園がスゴかった!

仙台を出発してからおよそ二時間で目的地・平泉に到着です。バスはJRの平泉駅前に停車、そこから荷物を近くにある美術品のお店に預けます。いつもはコインロッカーに預けるのですが、代金はなんと200円(記憶が正しければ)。コインロッカーだと大体は300~400円するのでお店に直接預ける方が安いのです。この美術展の御主人、ものすごく優しそうな方でした。人見知りの激しい筆者も安心して預けることができました。

最初の目的地である毛越寺平泉駅から歩いて約15分の場所にあります。着いた時の第一印象としてはかなり静かな雰囲気で、人もそこまで多くなかったです。「毛越寺」って何て読むの?と思った方も多いでしょうが、「けごしでら」ではなく「もうつうじ」です。元々は「もうおつじ」と読んでいたのが現在の読み方に変化したそうです。私も初見で一発で読むことはできませんでした。

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この毛越寺を語るうえで外せないのが「白鹿伝説」です。寺伝によりますと、平安時代に慈覚大師円仁(比叡山延暦寺の高僧)が地面に落ちていた白鹿の毛をたどった先に白鹿がうずくまっているのを発見します。しかし、その白鹿は姿を消し一人の老人が現れたのです。その老人は大師に「ここに堂を建てて霊場にせよ」と告げました。そして、この老人が「薬師如来の化身」であると感じた大師は老人のお告げ通りに堂を建て、当時の年号から「嘉祥寺」と名付けたのが毛越寺の始まりです。

その後、奥州藤原氏の全盛期(特に二代目基衡の頃)に境内に多くの伽藍が造営されましたが、奥州藤原氏が滅亡した後は多くの災禍に遭いすべての建物が消失。それでも後にお話しする浄土庭園と伽藍の遺構がほぼ完ぺきな状態で保存され、国の特別史跡特別名勝と二重の指定を受けています。これに加え平成元年には平安様式の新本堂が建立されました。

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先ほど出てきました「浄土庭園」ですが、仏堂と苑池が一体となった庭園のことを指します。最大の特徴として境内に「大泉が池」という大きな池が広がっており、日本最古の作庭書である「作庭記」の思想や技法を現代に伝える貴重な庭園なのです。

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写真からは十分に広さが伝わらないのが残念なんですが、池を一周するのもそれなりの時間がかかります。とにかく庭園が広いというのが毛越寺最大の見どころです。

 

奥州藤原氏が眠る中尊寺

毛越寺を後にし、いよいよ中尊寺へ向かいます。バスで移動したのですが筆者はあることに驚きを隠せません。普通バスって運賃を支払う時に両替機に通してお金を崩してから指定の運賃を払うと思うのですが、私が乗ったバスに運賃箱というハイテクなものは搭載されていませんでした。なんと運賃箱の近くに雑巾らしき布が敷かれ、その上に小銭の山ができているではありませんか。ちょうど出せない人は自分で金額を計算して運賃を投入するというセルフサービス方式。この時小銭がなく、千円札しか持ち合わせがなかったので計算に手間取ってしまいました。貶すつもりはありませんが都会育ちの筆者は唖然としました。

そんなこんなで中尊寺の入り口に着いたのですが、人出は毛越寺の倍以上いたと思われます。やはり皆さん金色堂目当てに来ているものかと思いますが、こんなに多いとは思っていなかったのでびっくりしました。金色堂まではこの人出をかき分けながら長い坂を上る必要があります。また境内には本堂や金色堂の他、10以上もの堂が点在しています。

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中尊寺の始まりについてですが、ここも毛越寺と同じ慈覚大師円仁が開いた寺なのです。大規模な堂塔造営が本格的に行われたのは12世紀の初めで、奥州藤原氏初代清衡の頃です。東北では前九年合戦や後三年合戦などの戦乱が相次ぎ、多くの方が亡くなりました。亡くなった方々の霊を慰め、平和な理想社会を表す仏国土を建設するという清衡の願いのもと造営が行われたのです。

平泉の代表的な寺院としてはこの中尊寺毛越寺、さらには奥州藤原氏三代目の秀衡が建立した「無量光院」があります。中尊寺は釈迦を、毛越寺薬師如来を、無量光院は阿弥陀如来を本尊としているのですが、過去釈迦・現世薬師・未来世阿弥陀を合わせて「三世仏」と言います。これらの寺院の建立は「すべての生あるものを過去世から現世、さらには未来世に至るまで仏国土に導きたい」という清衡の思いが具現化されたものなのです。

境内に点在する堂塔に立ち寄りながら金色堂を目指します。金色堂は本堂のさらに奥まったところにあるので寄り道をしなくともそれなりの時間がかかります。結局寄り道しながら金色堂に着いたのは境内に入ってから約40分後。やっと入れると思ったらこの人だかりです。お察しの通り、モザイクをかけているところはすべて人です。

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しかし、回転が速いおかげで10分ほどで入ることができました。内部の様子を撮影することはできませんが、一面まぶしいほどの金色でした。堂の内部全体を金箔で囲うことにより「極楽浄土」を表しているのです。数体の仏像が安置されているほか、奥州藤原氏初代~四代目泰衡の遺体が納められています。

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義経最後の地、高館義経堂へ

たくさん歩けば当然腹も減るわけですが、中尊寺近くのレストランもなかなか混んでいました。一度は入ることをためらいましたが、空腹には耐え切れずそこで昼食に。一人なので何とか席も確保できました。さて、今回私がいただくのは「義経そばとカレー丼のセット」です。「義経そば」とは普通に山菜のたくさん入ったそばのことで、山菜を食べる機会があまりない分おいしく味わうことができたと思います。

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体力を回復させた後は中尊寺から歩いておよそ15分の所にある高館義経堂に向かいます。ここは兄である源頼朝に追われた源義経が身を隠した地であり、壮絶な最期を迎えた場所でもあります。街のはずれにひっそりとたたずむ小さな堂で、東の方角には北上川が流れています。曇り空でもやもやした天気でしたが、それ以上に静かな風景が私の心を癒してくれます。あまり好きでないセミの鳴き声も聞こえていましたが、それすらも心地よく感じてしまう場所です。

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義経最期の地」という風な紹介をしましたが、ある伝説では「義経は亡くなったとされる一年前に平泉を脱し、北を目指して旅に出た」とされています。この伝説からかの有名な「源義経チンギス・ハーン説」も提唱されたのです。

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歩いて平泉を満喫!

高館義経堂からは平泉駅に戻ります。歩くと30分ほどかかりますがせっかくなんで歩いて雰囲気を味わうことにします。やはり始めてきた土地は歩くに限りますよ。その道中で面白そうなものを見つけました。かつて奥州藤原氏が政治を行っていたとされる「平泉館」の遺跡である「柳之御所史跡公園」です。ここから発掘調査によって見つかった堀・園池・井戸などの遺構をはじめ、隣接する資料館には多量の土器や陶磁器なども展示されています。広大な史跡公園内はほぼ一人占め状態でした。

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空の色がどす黒くなっていることに気づきましたが、近くに道の駅があったのでそこで休憩。ソフトクリームを食べながら休憩しました。

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300kmを一気に南下!?

筆者は非常にバカな生き物でして、この日の宿を栃木の宇都宮に取ってしまったのです。平泉から宇都宮までゆうに300kmを超えています。ホテルのチェックイン時間は20時、それでも17時に平泉駅に着いていれば間に合うらしいです。日本の鉄道半端ないですね。

美術品のお店で預けていた手荷物を受け取り、平泉からは新幹線の駅がある一ノ関に電車で向かうのですが、本数はかなり少なくほぼ一時間に一本です。偶然にも乗る電車より先に一ノ関行きのバスが来たのでそれに乗ります。難なく一ノ関に着き新幹線を待っている間、通過する新幹線も何本か見送りましたが轟音を立てて通過していくんです。東北新幹線って最高速度何キロでしたっけ、東海道・山陽新幹線で味わうそれよりも恐怖を感じました。鉄道は好きなほうですが流石に怖かったです。

そして新幹線に乗車、宇都宮までの300キロ超をただひたすら一気に南下します。車内では東日本でしか味わえない炭酸飲料ドクターペッパーを飲みました。この時初めて飲んだのですが、筆者としてはずっと前から気になっていました。シロップの飲み薬みたいな味ですが私は好きな味ですね。ただ好き嫌いは分かれるかと思います。興味のある方は是非とも飲んでみてください。

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仙台で別の新幹線に乗り換えたのですが、私の乗る車両はツアー帰りの観光客と思われる方々でいっぱいになりました。三列シートの一番左の窓側の席を取りましたが、その右隣には若い女性が二人座ってきて楽しそうに会話をしています。なんだか申し訳ない気持ちになりました。

夜で車窓も見えないので携帯を触っていたらいつの間にか宇都宮に到着。ホテルにチェックインしてから部屋に入ると外は雷鳴が轟いていました。さすがに雷が落ちてきたら死ぬので雷鳴が止むのを待ってから食事に出かけました。夕食はなんと栃木まで来たのに吉野家。お前栃木に何しに来たんだ…

 

ということで、二日目の様子はここまで。三日目はついに大阪に帰るのですが、帰阪前に寄りたいところがあるのです。次回はその様子をお見せしますのでお楽しみに。それでは、今回はこれで失礼します!

【独り言】「生きるのヘタ男」の半生① 幼少期~高校時代編

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「なんやこのタイトル?まーた自分語りするでコイツ」

はい、すみません。他人の自分語りを聞くのが好きな方だけ読んでください。しかも筆者の黒歴史暴露コーナーみたいなものです。ほとんどが興味のない方だと思いますので即ブラウザバックをしていただくことを推奨します。

タイトルは「いきるのへたお」と読んでください。私自身は実際かなり不器用ですしコミュ障ですし世渡りが絶望的に下手くそです。おそらくほとんどの人が思い描いている人生設計通りにはならないでしょう。ただネガティブになるだけでは意味がないし何も面白くありません。今回は私の半生をできるだけ面白おかしく振り返ってまいります。多分涙目になりながらキーボードを叩くことになるでしょう。そのうち発狂してキーボードを破壊する恐れもありますがなんとかやっていきます。

 

幼少期、すべての歯車が狂った瞬間

(悪い意味で)現在の自分の礎ができたのは保育園児だったころでした。祖父母の家で朝の情報番組の最後にやる血液型占いを見ていた時です。血液型別に4匹のキャラクターが木登り競争をしていたと思います。自身の血液型であるAB型は最下位。この瞬間「ワーッ」と泣き叫んでものすごい勢いで茶の間を出て行ってしまいました。この後、母親から怒られてしまいましたがどんな内容だったのかは覚えていませんしなぜ怒られたかも理解できませんでした。この日を境に私は気に入らないことがあるとよく癇癪を起こすようになりました。

何が言いたいのかと言いますと、思い通りにいかないことがあると結果を呑み込めずパニックになってしまうようになったのです。ゲームや遊びでも1位でないとダメなのです。「2位じゃダメなんですか?」という言葉がはやりましたが、本当に2位ではダメだったようです。つまり「完璧主義」という特徴が身についてしまいました。現在では癇癪を起こすようなことはほとんどなくなりましたが、「完璧主義」は今も色濃く残っています。

「歯車が狂った」とは言ってもまだ4つ5つの子供です。この先の人生、どうなるか知ったこっちゃないと思います。しかし、ここからが混沌の連続だったと大人になって思います。

 

小学校生活で「いじられキャラ」に

小学校に入学すると勉強が始まります。この時の私は宿題も欠かすことのないまじめな子供でした。真面目さは今も変わらない一方で、現在とは真逆でよくも悪くも図々しさのあるがきんちょという一面もありました。友達によくちょっかいをかけていたりしていた記憶があります。

ただ癇癪持ちというのは変わっておらず気に入らないことがあると泣き叫ぶ悪癖はそのまま。友達にこれをからかわれることもしょっちゅうありました。同時に純粋すぎる一面もあり、友達の冗談を本気で真に受けていました。こういったキャラクターでしたからある意味「いじられキャラ」的なポジションにいました。この時は「みんな喜んでくれてるなあ」と思う程度でしたが、今思うといじられたときのリアクションがわからず「えへへ」と笑ってごまかしてばかりいました。いじられたときのリアクションをどうすればよいかは今でもわかっちゃいません。つまり私は「超」が付くほどの「アドリブに弱い」人間なのです。マニュアルがないと動けないのです。当時は子供だったのでもちろん何も考えていませんでしたが、よくも悪くも当時のキャラクターが今の自分を作っているのだと大人になって気づきました。

 

中学で「中途半端な優等生」に

中学に進学すると他の小学校の子も入学してきます。部活(陸上部)にも入り、友達も増え楽しい楽しい中学生活が始まりました。中学からはテストの成績も気にしないといけませんので、一層勉強にも力を入れなければなりません。私としては今まで通り真面目に勉強をやっていて成績も可もなく不可もなくといった感じでしたが、際立った成績は残せませんでした。それもそのはず、「教科書・ノートを丸写し」という勉強法しか知らないのですから。テストの「こうなった理由を説明しなさい」といった文章問題は丸暗記じゃないと正解できないと信じ込んでいました。自分の大きな特徴であるはずの「素直さ」と「真面目さ」が勉強の面で大きなハードルとなっていたのです。

同級生とのコミュニケーションでもこの二つが災いしていたかと思います。相も変わらずいじられたら「えへへ」としか返すことができず、やんちゃな同級生は素直過ぎて真面目過ぎる私を面白がって毎日のようにからかってきました。そんな私を弄ぶためだけに遊びに誘い、嘘をつきまくってあちこち連れまわすというヤツもいました。それに相手のリアクションを異常に怖がるようになったのもこのころでした。相手に「お前こんなん好きなん?きっしょ」などと言われるのが怖くて、自分の趣味嗜好ややりたいことを人に伝えるのが非常に苦手でした。

楽しい中学校生活でしたが、素直過ぎて真面目過ぎる性格のためプラスよりはマイナスの方が大きかったような感じでした。「真面目だけが取り柄の中途半端な優等生」というキャラクターで、「愛される」「慕われる」というよりかは「人に利用されていた」というイメージが非常に強かったです。

 

そして(ほとんど)誰もいなくなった高校時代

高校受験も勉強法は同じ、「教科書・ノートの丸写し」でした。塾にも行ってないですし、赤本などというものにも手を出さず高校受験に臨みました。こんなめちゃくちゃな勉強法だったので、当然「受かる」という手ごたえをつかめないままでした。そんな中でも公立の志望校が定員割れしていたので無事合格。前年まで地域屈指の人気校でしたが、この年を境に近隣のライバル校に人気を逆転されてしまったようです。

部活は中学に引き続き陸上部。なぜかわかりませんがこの時から「目立ちたい!」という気持ちが芽生え始めたのです。おそらく友達をたくさん作って彼女も作りたいとでも考えていたんでしょうね。「コミュ障」なのに目立ちたいがための突飛な行動を取るようになりました。とはいっても「いきなり大声を出す」といったものではなく、入学してからも「いじられキャラ」というのに変わりなかったので、いじられたら全力のリアクションで返すようにしていたのです。これにより「普段口数は少ないけど、たまに奇々怪々な行動を取るギャップがえげつない陰キャ」といった感じの認識が学年に広がったようで、二年の時にはクラスのほぼ全員から干されました。特に地獄だったのが修学旅行の班決めでした。自分から声をかけることもできなければ、クラスに友達のいなかった私に手を差し伸べてくれるクラスメイトはいません。最終的に業を煮やした部活が一緒のヤツに拾ってもらったのがせめてもの救いでした。

しかし、三年時はこれを上回っていました。高校生活をエンジョイするラストチャンスでしたが、部活と勉強に全力を出し過ぎました。授業が終わればすぐ部活、部活を引退してからも休憩時間中はずっと勉強。こんな奴に友達などできるはずがありませんよね。卒業式に至っては式の後に教室で行われる雑談タイムで置いてけぼりにされる状況に耐えられなくなりひっそりと教室を抜け出し帰宅、家に帰って即寝ました。いろんな感情が混ざって涙一つ流せませんでした。こうした経験から、体感的には三年時の方が地獄でした。

今思えば勇気を振り絞っていろいろな人に話しかけた方がよかったんでしょうね。他の人からしたら勇気を振り絞らなくても声をかけることはできるんでしょうが、私にとっては「話しかける」という行為自体、難易度が高かったのだと思います。ちなみに、クラスに「友人」と言える人はほとんどいませんでしたが、部活には数人いました。今でも付き合いがある人もいるのでこのつながりは大切にしておかないといけないですね。

 

これ以上は筆者のメンタルが持たないのでいったん区切ります。当時は全く気付かなかったことに気づいてしまうとすごく恥ずかしくなるんですよね。先日の記事でも申し上げましたが、過去は変えることができないので未来を変えるしかないものの、何かの拍子でふっと過去を思い出して悶絶するときがあるのです。また、私は何とも鈍感な人間でして同い年の人間が普通に気づくことに時間差で3年ぐらい遅れて初めて気づいてしまうレベルの人間です。

人は誰かに「身の上話」を聞いてほしいだけのですが、それを「自分語り」と捉えられてしまうことが多々あります。「身の上話」だとまだ聞こえはいいですが、過剰な身の上話は「自分語り」になりあまりいいイメージは持たれません。私も若気の至りからそれと同じようなことをして更なる後悔を生むことになります。次回お話しすることにします。では、この辺で失礼いたします!

 

「筆者についてもっと知りたい!」という物好きな方はこちらもどうぞ…

【独り言】「私」という人間 - Konpei’s NOTE

【独り言】「主役」と思い込むことの恐ろしさ - Konpei’s NOTE

【独り言】自分自身を「アスペ」と疑うワケ - Konpei’s NOTE

【目標設定!】当ブログの今後について

最近寒くなったり暖かくなったり忙しいですね。暖かい日は気分も上がりますし外に出ると気持ちいいのですが、逆に寒いと何をするにも億劫になります。皆さんもどうか体調を崩さぬようご自愛くださいませ。

さて、最近悩んでいることが二つほどございまして記事を書かせていただきます。まず一つ目が「アクセス数の不振」、ここ数週間アクセス数がゼロの日が多くなっており不安を感じています。調子のいいときは一日10~20のアクセスがあったのですが、最近は低空飛行が続いております。こればかりは筆者の工夫や努力が足りないものと責任を感じている部分もありますので、いろいろな方に見ていただけるようにさらに頑張ります。

※もし万が一、当ブログの記事において「何かに違反している」という項目があるのであればお知らせください。恥ずかしながら、筆者はブログのルール等をあまりよく把握できていないもので…

ちなみにですが、当ブログは旅行好きな筆者が旅先での思い出を残すために始めたものです。最初は「見ていただくもの」というよりは「筆者自身の備忘録」という意味合いが強かったのですが、ブログを始めて一年半以上が過ぎた今、「せっかくブログをやっているのだから趣味嗜好が同じ人だけにでも見てもらいたい」という気持ちが強くなってきました。今後も「旅先・お出かけ先での思い出を記録として残すため」という目的は変えませんが、見ている方に楽しいと感じていただけるように一層の工夫・努力をしていきます。

 

もう一つの悩みですが、「目標を見失いつつある」ということです。昨今のコロナ禍で一人でいる時間が増えたことにより、自然と「自分は今まで何をしてこれから何をすべきなんだろうか」と正解がないことを考えるようになりました。この過程で過去のことを振り返り、後悔の念に苛まれて精神的に沈んでいた時もたくさんありました。私は他人が気にしないような細かいことも気にしてしまうタイプの人間なのです。しかし同時に「過去は変えられないが未来はいくらでも変える余地がある」ということに気づきました。過去から反省材料を炙り出して今後の糧にするというのであればいいのですが、私の場合はいつまでもくよくよし続けるという悪いパターンでした。

「目標がない」ということはその目標に向かって行動・努力する習慣がないということではないかと最近思うようになりました。高校時代に陸上部に所属していた時は「100メートルで11秒台を出す」とか「三段跳びで13メートル台跳ぶ」という目標を作って、それに向かって辛い練習を頑張っていましたが、今はそのような明確な目標を立てて行動することがほぼありません。曖昧な目標を立て、それに達するのであればまだいいのですが達する見込みがなければ軌道修正、言い換えると妥協癖が付いてしまっていると感じています。目標を達成させるために行動する時間を作ることによって考え込んだりぼーっとしたりする時間を減らせるのではないかと考えているんです。

 

そこで、以上の点を踏まえある目標を立てることといたしました。

年内に総アクセス数1,000を達成させる。もし達成できなければブログの更新を停止(=引退)。

ということでございます。恥ずかしい話、このブログを始めて一年半を超えますが総アクセス数は500を切っています。ただ言い訳させていただくと、開設当初はPRする気が一切なく自分のSNSにはどこにもブログのリンクを貼っていなかったので半ば「深層web」みたいなものになっていたという部分もありました。現在も私自身のPR能力のなさからアクセス数も低空飛行気味ですが、だらだらと続けるよりは明確な目標を立てないと自分自身もなかなか行動しないと思います。ボケっとしている自分自身に危機感を促しさらに喝を入れるという意味でも今回の目標を立てた次第です。

 

終始「なに言ってんだこいつ」というような文章でしたが、「過去<未来」という考えは非常に大切だと考えています。また、目標自体も明確に立てなければなりませんが、達成させる「期限」というのも明確にしておかないと意味がありません。期限を定めず後回しにしてしまうとこれまた「妥協癖」がついてしまいます。当たり前のことを言っているようですが、筆者は何に関しても気づくのが遅い鈍感な男なのでご容赦ください。

最後になりますが、年内1,000アクセスを目指して努力してまいりますので今後ともよろしくお願いいたします!!!

【ひとり旅のすゝめ①】私が一人で旅する理由

カメラ, 写真, お土産, 地図, 旅行, 休暇, 旅, ノスタルジア, アドベンチャー, 古い, レトロ

こんにちわ。またしても(思い付きで)新たな企画を始めようと思います。私は旅行をするときは一人で行くことがほとんどなんですが、一人旅というのは人によって「寂しくないのか」「つまらないんじゃないか」と感じる方もいらっしゃいます。確かに、「友達とワイワイしながら思い出を作りたい」「いっぱいバカ話して笑いながら過ごしたい」というご意見もあると思います。

ですがこの度、「一人旅の魅力を伝えたい!」という思いから「ひとり旅のすゝめ」という企画を立ち上げました。このご時世、大勢での旅行が制限されている中で「一人旅」または「少人数での旅行」という選択肢も密かにではありますがフィーチャーされているようです。この企画を通じて一人でも多くの方に一人旅に興味を持っていただきたいというのが筆者の思いであります。この第一回目は「私が一人旅をする理由」についてお話して参ります。なお、あくまで「おすすめ」であって「押しつけ・強制」ではないことをご理解くださいますよう、お願いいたします。

<目次>

 

1.一人旅の始まり

私が初めて一人旅をしたのは2016年の夏、大学4回生の夏休みでした。就職活動を終え、時間的に余裕ができたので「青春18きっぷ」を使って九州に行く計画を立てたのです。幼いころは鉄道が好きだったのですが、このころからなぜか再び鉄道熱が再燃しだしたのです。おそらくこのころからYouTubeなどで鉄道旅行に関する動画を見始めたからだと思いますが、これに影響されて関西エリアの大回り乗車(わからない方は調べてみてください…)をしたのもこの頃だったと記憶しています。一人で「遠出をする」のは大学2回生の時から始めていましたが、宿泊を伴った一人での旅行というのはこれが初めてでした。

一日目は大阪から広島にある祖父母の家まで行き、広島の至る所に連れて行ってもらい一泊。二日目の午前中も祖父母とともに行動し、午後からは広島市内の観光を挟んで岩国で一泊。三日目は岩国から一気に長崎へ、鳥栖から長崎の区間に至ってはロングシートの各停に乗車したのでお尻が爆発するかと思いました。到着後はちゃんぽんを食べ、夜景を見て一泊。四日目にグラバー邸などを観光したあと、帰りも普通列車のみはしんどいと思い長崎から博多は高速バス、下関から大阪まで新幹線を使ってしまいました。今思うとちょっともったいなかったような気もしますが、非常に有意義で充実した四日間でした。

この一人旅で感じたこととしては「始めは寂しく感じるが後から楽しくて仕方がない」「知らない景色に出会うことが最高の瞬間」「自分自身で計画を立て、好き放題できる」ということです。大阪から広島に向かう電車の中にいる時と二日目に祖父母と別れた時は正直不安な気持ちが圧倒的に強かったですが、二日目に生まれて初めて一人でホテルに泊まった時や岩国から長崎へ向かう電車の中ではワクワクが止まりませんでした。「この先これから何が待ってるんやろ?」という感情が延々と続くのです。初めて行く土地、初めて見る景色だとその期待感は倍になります。まれにがっかりする景色もありますが、見たことのない景色に出会うとなぜか元気になれるし感動すら覚えます。「好き放題できる」というのは主にスケジュール的な意味でということで、多少のイレギュラーがあっても柔軟に予定を変えることができます。詳しいことについてはこの後の項目でお話しします。

この旅がきっかけで私は一人旅にハマるようになりました。ここからは私が思う一人旅のポイントについて簡単に解説いたします。

 

2.一人旅のメリット

予定を自分で自由に決めることができる

先ほどお話しした内容と多少被りますが、一人旅は自分ひとりで予定を考え、計画を立てることが可能です。極端な話、行先と大雑把なタイムテーブルさえ決めればあとは行先の状況次第(思っていたより見所があり滞在時間が長くなった等)で柔軟に予定の追加・削除を行えばいいのです。最低でも電車やバスを使う場合は発車時刻に間に合うように、ホテルにチェックインする場合はその時間までに間に合うような計画を立てる必要がありますがこれも一人旅の楽しみですね。旅行は「計画している時が一番楽しい」とも言いますし(笑)

「自分へのご褒美」的意味合いが強い

一人旅は「自分自身の自分自身による自分自身のための旅」です。「自分へのご褒美」と言い換えてもよいでしょう。人に気を使う必要は正直言って一切ありません。自分が行きたいところに行き、食べたいものを食べればよい。ただそれだけなのです。時間も金銭面も全て自分が管理しますので、旅行期間中は基本的に自分の好き勝手にできます。一方で、調子に乗りすぎると財布のひもが緩みまくってしまうのでどこかでストッパーをかけることが望ましいです。後の項目でも説明させていただきます。

カメラの腕を磨くことができる

私自身の旅先での大きな目的の一つが「風景写真を撮る」ことです。3年ほど前にデジタル一眼レフを購入し、旅行の度に持って行っています。カメラに関してはまだまだ素人ですが、少しづつ上達はしてきた実感があります。特に一人旅だと何度でも撮り直しが可能なので納得の1枚が撮れるまで鍛錬を積むことができるのです。「ここのダイヤルをこう設定したらいい感じやな」とか「この画角から撮ったらきれいやな」とか自分の感覚で勉強することができます。さらに、カメラの操作方法について解説したマニュアル本を買って読み込んで練習すれば更なる上達が期待できるかと思います。

自分と向き合う時間ができる→自身の成長にもつながる?

一人で行動している時って普段思い浮かばないようなことが次から次に思い浮かぶことがあるんです。考えすぎなんじゃないかというくらいにいろんな考えが思い浮かびます。例えば移動中の電車の中で車窓を眺めながらぼーっとしている時、自分自身のことについて思い浮かぶことが多いのです。例えば自分の弱点や将来・過去のこと、不安に感じたり後悔することもありますがなるべくポジティブに考えるようにしています。要するに己と向き合う時間を作ることができ、今後の方向性を定めたり自身の成長のためにするべきことを考えることだってできます。ただし、考えすぎるとかえって自分を追い込むことになるのでどこかでストップをかけて気分転換をしましょう。

 

3.一人旅のデメリット

財布のひもがユルユルに

いくら「自分自身へのご褒美」とは言えど、お金は無限にあるわけではありません。ましてや管理するのが自分自身ですから旅先で買いたいものはいっぱい買ってしまいます。私も旅行に行ったら「これも買わんと後悔する!」という気持ちが芽生えるせいか自宅に帰るときにはカバンはパンパンになっていることが多いです。また、乗り物に乗るのが好きなので交通費もそれなりに消費します。旅先で節約しすぎるのももったいないですが、月末にカード引き落とし額を見るのは怖いですよ…

周囲から冷たい目線で見られる時がある

「一人旅のベテラン」を自称している筆者ですが、周りの目を気にする性格なので未だに一人じゃ入りにくい店や施設はあります。地元の小さな飲み屋でお酒を飲むというのに密かに憧れを抱いている筆者ですが、極度の人見知りですから結局はホテルでの一人飲みで終わってしまいます。また、「え、こいつ一人??」みたいな感じで冷ややかな目線を感じるときもあります。一人で行くには勇気のいる店や施設もありますが、一人旅の間はそのような視線はフル無視で結構です。最初の内は周りの目を気にしてしまいますが、場数を踏むことでなんの抵抗も感じなくなる…はずです。

体力的消耗が大きい

これは私だけかもしれませんが、一人旅だと一日で色々な場所に行きたいと思ってしまう性なのです。そのため、一日の歩数が一万歩を超えることもザラにあります。「体力は極力セーブしたい」と考えていても寝る前に万歩計を見るとびっくりするような歩数になっていることがほぼ毎回です。健康的ですね。つまり何が言いたいかと言いますと、一人旅は意外と「体力勝負」になります。さらにスケジュールの面で時間配分等も考慮しなくてはならないので脳も疲れます。体力に自信がない方はいかに効率的に移動するかということも頭に入れておくことをお勧めします。

昼食のタイミングを逃すことがある

私にとって一人旅最大のデメリットです。どうしてかと言いますと、目的地にいると時計を見なくなるんです。当然電車やバスの時間が近づけば見るのですが、観光スポットで写真を撮っている時なんかは景色に夢中になりますよね。空腹感は感じるのですが、「まあどうにかなるっしょ」で時間が過ぎいつの間にか夕方になりトホホ…ということが結構あります。二人以上の旅行だとどこで何を食べるかというのをあらかじめ決めることがほとんどだと思うのですが、一人旅だと基本的に行き当たりばったりです。人間一日三食が当たり前と言われているので、時間に余裕があるときは必ずお昼ごはんも食べるようにしましょう。元気が出ませんからね。

 

4.一人旅で意識すべきこと

ここからは一人旅をする上でのルールとまではいきませんが、個人的に意識すべきだと思うポイントを紹介します。すべて当たり前で一人旅に限ったことではないかもしれませんが、これらを意識すれば快適な一人旅になることは間違いないと思います。

直前でもいいので複数のプランを用意しておく

旅行には何が起こるかわかりません。ハプニングが起こればそれによってスケジュールに狂いが出ますのでイレギュラーが生じた場合のことも想定しておく必要があります。ただしハプニングありきでスケジュールを立ててしまうとなにも楽しめないので、起こった時に考えればOKです。

ここからは私の実体験になりますが、茨城の大洗に行ったとき常磐線が停電で運転を見合わせ乗るはずだった特急が運休となりました。別の特急に乗ることができましたが、予定していた時間より1時間ほどの遅れをもって大洗に到着しました。予定通りにいけば時間に余裕ができたので水戸の偕楽園にも行くことができたのですが、そこは諦め大洗の観光に時間を割きました。時間はどうしても待ってはくれません。時間に抗うことはできないので当初の計画を柔軟に変えるほかないのです。時間に追われて忙しないスケジュールになるよりはゆっくり楽しむ方が良いですし、ハプニングも思い出の一つとなるのです。

※ちなみに言っておくと大洗が舞台の某アニメの聖地巡礼ではありません。筆者はアニメにそこまで詳しくありません(笑)

感謝の気持ちを伝える

「当たり前やろ、人生で大事なこととちゃうんかい!?」って感じなんですけど、旅先では意外と多くの方にお世話になります。お土産屋の方、ホテルのフロントの方、地元のレストランの方、観光案内のボランティアの方。私は人見知りな性格ですが、対応してくださったらどんなに不器用でも必ず「ありがとうございます」と言うようにしています。もし恥ずかしいというのであれば会釈から始めても問題はないです。「ありがとう」と言われて嫌な人などほとんどいませんので、何かしらのかたちで感謝の気持ちを伝えることができれば相手さんもいい気分になるはずです。

ネットで予約する際の日付に注意!

一度特急の予約で日付を1週間間違えたことがあるんです。当ブログを開設して間もないころに記事も書いていますが、大恥をかきました。

【大失態】乗車券のネット予約には気をつけよう - Konpei’s NOTE

ね、恥ずかしいでしょう? こんな思いをしますとスタッフの方に迷惑をかけてしまいますし、何より「こいつ何しとんねん…」みたいな目で見られることは間違いありません。何度も言いますが、私は極度の人見知りなのでこういうのは窓口ではなく極力ネットで済ませたいのです。便利なんですがこういうミスが生じてしまうこともあるので皆さんはくれぐれも気を付けてくださいね。

 

ざっくりではございましたが、一人旅の魅力について紹介しました。旅の形態はたくさんあり、人によって好みの旅も違うと思います。しかし、一人でも多くの方が今回の記事で「一人旅っておもろそうやな」と感じてくださったら幸甚に存じます。

今後もシリーズものとして続けていくのですが、次回は「一人旅での持ち物」について紹介したいと思います。興味のある方は是非ご覧ください。では皆様、ごきげんよう

【チャリで来た】大阪難読地名の旅 Part.4

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前回、ルーレットで「包近町」を出したところで終了したこの企画。ですがこのことは一旦忘れてください。「約束が違うぞ」って話なんですが、全国的な感染状況の深刻化及び緊急事態宣言の発出により公共交通を使った移動を極力控えざるを得ない状況に陥ったのです。これでは企画が進まないぞ、どうする筆者!?

このような状況の中で私が使ったのはクロスバイクという名の愛車。今回紹介する場所はほとんどが自転車で訪問した場所となります。中には思ったより起伏の激しい場所もありしんどかったです。では早速まいりましょう。あ、前回がまだの方は是非ご覧ください。

【怒涛の9連発】大阪難読地名の旅 Part.3 - Konpei’s NOTE

<目次>

 

20.道祖本(2020.12.19訪問)

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  • 所在地:茨木市
  • 読み方:さいのもと
  • 到達難易度:No Count
  • 初見殺し度:★★★★★

写真が出てこない? ご安心ください。ご使用の端末は正常です。なんと、町名表示板が見当たらないというハプニングに直面しました。それもそのはず。こちらの「道祖本」、全域が茨木カンツリー倶楽部というゴルフ場の土地となっているのです。地図をご覧ください。

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ゴルフ場である以上、部外者がフラフラ立ち入ることはできません。私自身ゴルフなんて一度もプレイしたことがないのでゴルフ場のお世話になることが皆無です。近づくことができたのはゴルフ場のフェンスの手前まで。この写真の左半分、フェンス越しにあるのが「道祖本」です。小高い丘の上にある場所なので自転車で行くには少々ハードな場所。しかも鉄道の駅からはかなり離れているので公共交通を使う場合はバスを利用する必要があります。なお、最寄りのバス停は阪急バスの「茨木ヒルズ」というシャレオツな名前の停留所です。

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名前の由来ですが、付近にある「道祖(どうそ)神社」という神社からきているようです。外来の疫病や悪霊を防ぐ神様である「道祖神」にちなんだ神社で、「どうそじん」と読むこともあれば「さいのかみ」と読むことができます。「疫病・悪霊を『さへぎる(遮る)』」という意味で「さへの神」と記されたこともあり、それが転じたものであると考えられます。また、隣接する豊川地区には「さいのもと保育園」や「道祖本一号公園」といった名前の場所もあります。ゴルフ場になる前の様子は一体どんな感じだったんでしょうか。

 

21.耳原(2020.12.19訪問)

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  • 所在地:茨木市
  • 読み方:みのはら
  • 到達難易度:★★☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★★☆

道祖本から自転車を走らせることおよそ20分、「耳原」と書いて「みのはら」に到着です。こちらも鉄道駅から離れた場所に位置しているのでバスを使った方が良いです。

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近くには「耳原公園」という大きな池を有した公園があります。子供の時は遊具がいっぱいある公園が好きだったのですが、大人になるとこういう公園の方が好きになるんですかね。日がもう少し高ければベンチでぼーっとくつろいでいたかったのですが、夕方5時を過ぎていたのでそんな余裕はありませんでした。今回は行けていませんが、「耳原古墳」という古墳も付近にあるそうです。

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ここ耳原は元々西国街道に面した土地であり、様々な商品を扱う屋号の商人たちが集まっていたところだそうです。由来も調べたのですが、出てきたのは以前Part.2で紹介した堺市の「百舌鳥」の由来である「百舌鳥耳原」にまつわる逸話ばかり。ここ茨木の耳原も「百舌鳥耳原」と関係のある土地なのでしょうか。それともかつて「みみのはら」と読んでいたのが「みのはら」と短縮されたお決まりのパターンなのでしょうか。

 

22.鴫野西/鴫野東(2020.12.20訪問)

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  • 所在地:大阪市城東区
  • 読み方:しぎの
  • 到達難易度:★☆☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★☆☆

茨木の難読地名を2か所制覇した翌日、またも自転車を走らせ今度は南へ。この日最初にたどり着いたのはJRや地下鉄の駅も存在する「鴫野」。厳密にいうと「鴫野西」と「鴫野東」に分かれています。トリッキーな読み方というよりは漢字そのものが難読極まりない地名です。漢検1~2級レベルではないでしょうか。

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近くには大手住宅設備機器メーカーである「タカラスタンダード」の本社があります。筆者も就活をしていたころに1度だけ行った記憶があります。それ以外は普通の下町といった感じで住宅が多く立ち並んでいます。町の北側には寝屋川が流れ、「新喜多(しぎた)大橋」という橋が架かっています。「新喜多」というのは鴫野に隣接する地域の名前でもあります。

ここ鴫野はかつて水田が広がる地域で、「シギ(鴫)」という鳥がたくさん群れていたことからこの名前が付いたそうです。それじゃあ「新喜多」も似たようなもんなのか。こちらはまた別で、かつてこのあたりの新田を開発した「鴻池十郎」「鴻池七」「今喜多兵衛」の3人の頭文字を一文字ずつ取った地名だそうです。

 

23.馬場町(2020.12.20訪問)

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  • 所在地:大阪市中央区
  • 読み方:ばんばちょう
  • 到達難易度:★☆☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★★☆

「一見簡単に読めそうなのに読めない」。そんな感じでフェイントをかけてくる腹立つタイプの難読地名です。

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場所は大阪の代名詞の一つでもある大阪城の目と鼻の先、さらにNTT西日本の本社ビルが建っておりこの馬場町一帯を支配しているかのような存在感を醸し出しています。かつてはNHK大阪放送会館があったそうですが、現在は上町筋を挟んで少し西側に移転しまして大阪歴史博物館と隣り合った場所にあります。

馬場町」という地名自体は全国に数多くあります。読み方は様々で「ばばちょう」「ばばのちょう」「ばばんちょう」などといった読み方があります。どこの「馬場町」もかつて厩舎や練習用の馬場があったことからこの名が付いたとされています。城下町に多い地名ということで、この馬場町大阪城のすぐ近くですからそれが関係しているものと思われます。

 

24.衣摺(2020.12.20訪問)

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  • 所在地:東大阪市
  • 読み方:きずり
  • 到達難易度:★★☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★☆☆

馬場町からさらに南東へ自転車を走らせ東大阪市へ突入。JRおおさか東線の駅名の一部にも採用されている「衣摺」にやって来ました。付近はごく普通の閑静な住宅街が広がっており、これと言って目立った施設などは特に見当たりませんでした。

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この地名の由来としてまず挙げられるのが、この地域ではかつて「摺衣」を作っていた人が多く住んでいたこと。「摺衣」とは模様染の一種で、草木の花や葉を衣に擦り付けて自然のまま文様を染め出したものだそうです。もう一つの説がかつての豪族であった物部守屋がこの地で討たれ、これを哀れんだ厩戸皇子聖徳太子と言えば通じるでしょうか?)が大エノキの木に衣の袖を擦り付けるくらいに嘆き悲しまれたことからついた地名なのではないかと言われています。

 

25.深野(2020.12.20訪問)

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  • 所在地:大東市
  • 読み方:ふこの
  • 到達難易度:★★☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★☆☆

先ほどの馬場町と同じくフェイントをかけてくるタイプの難読地名です。当初立ち寄る予定はありませんでしたが、帰る途中で深野方面を指す標識を見つけたので寄ってみました。

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場所はJR野崎駅の西側一帯。東の方角に目をやりますと生駒の山々が大きくはっきりと見えます。この時は紅葉シーズンを少し過ぎたぐらいでしたが、山が程よい感じに色づいていました。また、近くに「新深野橋」という橋が架かっていましたが、こちらは地名と違って「しんふかのばし」と読むようです。

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この地にはかつて「深野池(ふこのいけ、ふこうのいけ)」という大きな池が存在していました。地名もここから名づけられたものであると考えられますが、なぜ「ふこの」と読むのかまではわかりませんでした。現在も深北緑地という大きな公園の中に同名の池が人工池として残っていますが、かつての深野池は現在のものよりはるかに大きな池でした。しかし、江戸時代あたりで深野池を干拓したことによって浸水による被害が多発。このような被害を抑えるために作られた深北緑地が遊水地としての役割を果たすようになり、緑地内に(河川の方の)寝屋川からの越流水を減勢するために「深野池」と名付けられた人工池が作られました。なお、深北緑地にある深野池は過去にあった深野池が縮小したものではないようです。

 

26.蔀屋本町(2020.12.20訪問)

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  • 所在地:四條畷市
  • 読み方:しとみやほんまち
  • 到達難易度:★★☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★☆☆

初見だと読むのが難しい四條畷市、JRの駅の漢字は「四条畷」でしかも大東市にあるという大阪有数のカオスな町です。この蔀屋本町の他に「蔀屋新町」という地名も存在します。

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少し北の方角にはイオンモール四條畷があります。こちらも敷地が半分四條畷で半分寝屋川という少し変わったスポットとなっております。

「蔀」という漢字自体を使う機会が少ないかと思われますが、寺院などでよくみられる「蔀戸」からきています。言葉で説明するのが難しいので気になる方は調べてみてください。由来については不詳だそうですが、その蔀戸で囲った小屋のことを「蔀屋」と読んだそうで、この付近にそのようなものがあったことから名づけられたと推測されています。

 

27.内代町(2020.12.27訪問)

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  • 所在地:大阪市都島区
  • 読み方:うちんだいちょう
  • 到達難易度:★☆☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★☆☆

ここからは公共交通機関を使っての訪問が続きます。都島区にある内代町ですが、どう考えても「ん」はいらんやろというのが率直な感想です。

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場所は地下鉄谷町線野江内代駅を出て北西に進んだところ。この野江内代駅は「内代町」と「野江」という地域の間にあることから名づけられたものであると考えられます。ここから少し南東に進みますとJR野江駅と京阪の野江駅に出ます。また、南の方角に進むと京橋駅に出ることもできます。

この地名は江戸時代に徳川家代官の支配地だったことから「代官の領地内にある土地」という意味で名づけられたそうです。江戸時代に記された摂津国についてまとめられた資料では「うちむだい」と記されていたということで、これが転じて「うちんだい」と読まれるようになったものであると考えられます。また、内代町は京橋から京都の伏見を結ぶ京街道のルートの一部となっており、それを示す石碑もありました。京街道、一度歩いてみたいですね。

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28.小橋町(2020.12.27訪問)

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  • 所在地:大阪市天王寺区
  • 読み方:おばせちょう
  • 到達難易度:★☆☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★★☆

近鉄大阪上本町駅から歩いてすぐのところにあるのが小橋町です。今回は一見すると読めそうなのにフェイントをかけてくる地名が多いですね。

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大阪の難読地名というのは大半が住宅街ですが、ここは完全に都会のほぼ真ん中に位置しております。この地域の南側には千日前通という大きな道が通っていますが、やはり多くの車が行き来していました。

この小橋町ですが、「日本書紀」や「古事記」に少し出てきています。「日本書紀」にはこの近くに小橋がかけられていたという記述が、「古事記」には神功皇后の側近だった雷大臣の子である大小橋命の館舎が付近にあったという記述があります。 

 

29.喜連(2020.12.27訪問)

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  • 所在地:大阪市平野区
  • 読み方:きれ
  • 到達難易度:★☆☆☆☆
  • 初見殺し度:★★☆☆☆

地下鉄谷町線喜連瓜破駅の北側に位置するのが「喜連」です。両隣には「喜連西」と「喜連東」という地区もあります。長居公園通りを挟んだ南側には後ほど紹介する「瓜破」があります。こちらも先ほどの「野江内代」と同じ理屈で「喜連」と「瓜破」の間にあるから喜連瓜破という名が付いたのです。おそらく初見の人に読ませる気はゼロでしょう。

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長居公園通り沿いにはお店が多く立ち並んでいますが、通りを外れると下町でよく見る風景が広がります。地図を見る限りですが、学校など教育施設が多い印象です。小学校以外にも特別支援学校や英会話教室、さらには日本語学校までありました。

下の写真は長居公園通りを東向きに撮った写真です。道路挟んで左側が「喜連」、右側が「瓜破」です。

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この地名のルーツですが、古代と言われる時代までさかのぼります。この地に「伎人」と言われた朝鮮・高句麗からの渡来人が集団移住してきたことに由来します。そのことから「伎人郷(くれのごう)」という地名ができあがり、そこから訛って「きれ」となり現在使われている漢字があてがわれたという経緯だそうです。なお、「伎人」は「久礼」ともいうそうなのですが、読み方がいろいろありすぎて説明するのが大変ややこしいです(泣)

 

30.瓜破(2020.12.27訪問)

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  • 所在地:大阪市平野区
  • 読み方:うりわり
  • 到達難易度:★☆☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★☆☆

続きまして「喜連」とニコイチの「瓜破」です。 長居公園通りを挟んで北側が「喜連」、南側が「瓜破」です。こちらも両隣に「瓜破西」「瓜破東」という地区があり、「瓜破西」のさらに西側にはこの企画の記念すべき一発目、「住道矢田」があります。この辺って難読地名激戦区なんでしょうか。

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駅のすぐそこにはみんな大好きイオンがあります。訪問したのが年末の日曜だったのでそれなりに人がいました。「イオンモール」と言われる施設くらいの大きさはありませんが、他のスーパーと比較するとかなり大きい方かと思われます。ちなみにイオンの前は「ダイヤモンドシティ」の第一号店だったそうです。私的にダイヤモンドシティと言えば伊丹が真っ先に思い浮かびますね。小さいころによく行ったので。

地名の由来として主に二つの説が挙げられています。一つ目は飛鳥時代の僧侶である道昭が疫病が流行っていたころにこの地を通りかかり、お祈りをしているところに天神さまの像が出現。お堂に天神さまをお祀りして瓜を二つに割ってお供えをすると疫病が収まったという説。二つ目が弘法大師がここを通りかかったときに住民が瓜を勧めたという説です。現在でこそ「破」という漢字は「わる」と読みませんが、よく考えてみると読めないこともないかもですね。

 

31.西五百住町(2021.1.17訪問)

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  • 所在地:高槻市
  • 読み方:にしよすみちょう
  • 到達難易度:★☆☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★★☆

ここまで10か所紹介しましたがもう少しだけ頑張ります。こちらは新年一発目の難読地名回収です。またまた自転車での訪問となります。最初は「にしごひゃくじゅうちょう?」と読んでしまいましたが、初見だとほとんどの方がこうなりますよね。「五百住」と書いて「いおずみ」と読む名字がありますが、この地域が発祥だと言われています。

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場所は阪急の富田駅から少し南東に進んだところ。西五百住町の北東には「東五百住町」という地域も存在します。いずれも閑静な住宅街となっています。当たり前のことですが、西があれば東もあるのは当然なんですね。

はるか昔(西暦500年代)、この地域の首長が天皇に田を献上し、その田を耕すために農民500人を遣わせたことからこの名が付いたとされています。ただし、「よすみ」と読むようになったいきさつはよくわかっていません。

 

32.芝生町(2021.1.17訪問)

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  • 所在地:高槻市
  • 読み方:しぼちょう
  • 到達難易度:★★★☆☆
  • 初見殺し度:★★★☆☆

先ほどの西五百住町から東の方向に自転車を走らせますと、20分ほどで「芝生町」に着きます。公共交通を使う場合、鉄道駅からは少し離れたところにあるので高槻市バスに乗車するのがベターです。阪急高槻市駅富田駅からもバスは出ていますが、JR高槻駅からの方が本数は断トツで多いようです。

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付近には「高槻芝生住宅」という大きな団地が広がり、さらには高槻市バスの車庫もあります。町の東側には高槻を代表する河川とも言える芥川が流れています。

ここで悲しいお知らせです。ネットでは調べても調べても「しぼちょう」と読むようになった由来に関する記載が出てきません。粘って文献などを読み漁ったら何かわかるかもしれませんがそんな気力も体力も時間もございません。「わからない」で済ませたくなかったのですが、ここはひとつ温かい目で見ていただけませんでしょうか。大変申し訳ない。。。

 

33.点野(2021.1.17訪問)

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  • 所在地:寝屋川市
  • 読み方:しめの
  • 到達難易度:★★★☆☆
  • 初見殺し度:★★★★★

今回最後の難読地名です。最後の最後で曲者が出てきました。小学生の時に「点」は「てん」と読むと習ったはずなのに何がどうなって「しめ」と読むようになったんでしょうか。

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目の前には淀川が流れており、橋を超えると摂津市茨木市高槻市方面に抜けることができます。ちょうど淀川新橋と鳥飼仁和寺大橋に挟まれるところに位置しているので向こう岸との行き来が非常にしやすい場所となっています。また、川沿いということもあるので風がきつく感じます。国道1号線寝屋川バイパスが通っているので交通量は常に多めです。

「点野」というのは皇室や貴人が占拠して一般の人の立ち入りを禁じた場所である「標野(しめの)」からきています。宇多天皇の時代に天皇が鷹狩りをするときの猟場で、囲いをして多くの人が入って猟をすることを禁じたことに由来しており、「標野」→「〆野」→「点野」と転じたとされています。なお、同じ寝屋川市にある「禁野(きんや)」という地名も同じ由来だそうです。

 

非常に長くなりましたがいかがでしたでしょうか。一気に14か所もつぶすことができました。ここまでやるとさすがに半分をを超えたようで、ようやく残すところ20か所を切りました。現地に行くことよりも文章を考えながらキーボードを叩いているこの瞬間が一番しんどいです。その一方で由来や歴史などを知ることができて楽しいという気持ちもあります。地味に当ブログの目玉企画になりつつあるみたいなので、もう少しですが最後までやり切りたいと思います。

 

次回こそは行けずじまいの「包近町」に行きたいと思います。ではでは、皆さんごきげんよう

 

【参考としたサイト等(一部)】

「道祖本」の地名の由来

大阪市城東区鴫野「南鴫野商店街」 : 大阪どっかいこ!

馬場町 - Wikipedia

東大阪、地名の由来

深野池 - Wikipedia

難読駅「野江内代」をぶらぶら歩いてみた|ジモトぶらぶらマガジン サンポー

大阪市天王寺区:2 味原地域にある資源 (…>地域活動協議会・各地域の情報>味原)

「喜連」の地名の由来

瓜破地域の歴史 - 瓜破西地域の地域活動

点野(しめの)/寝屋川市ホームページ