Konpei’s NOTE

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【チャリで来た】大阪難読地名の旅 Part.4

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前回、ルーレットで「包近町」を出したところで終了したこの企画。ですがこのことは一旦忘れてください。「約束が違うぞ」って話なんですが、全国的な感染状況の深刻化及び緊急事態宣言の発出により公共交通を使った移動を極力控えざるを得ない状況に陥ったのです。これでは企画が進まないぞ、どうする筆者!?

このような状況の中で私が使ったのはクロスバイクという名の愛車。今回紹介する場所はほとんどが自転車で訪問した場所となります。中には思ったより起伏の激しい場所もありしんどかったです。では早速まいりましょう。あ、前回がまだの方は是非ご覧ください。

【怒涛の9連発】大阪難読地名の旅 Part.3 - Konpei’s NOTE

<目次>

 

20.道祖本(2020.12.19訪問)

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  • 所在地:茨木市
  • 読み方:さいのもと
  • 到達難易度:No Count
  • 初見殺し度:★★★★★

写真が出てこない? ご安心ください。ご使用の端末は正常です。なんと、町名表示板が見当たらないというハプニングに直面しました。それもそのはず。こちらの「道祖本」、全域が茨木カンツリー倶楽部というゴルフ場の土地となっているのです。地図をご覧ください。

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ゴルフ場である以上、部外者がフラフラ立ち入ることはできません。私自身ゴルフなんて一度もプレイしたことがないのでゴルフ場のお世話になることが皆無です。近づくことができたのはゴルフ場のフェンスの手前まで。この写真の左半分、フェンス越しにあるのが「道祖本」です。小高い丘の上にある場所なので自転車で行くには少々ハードな場所。しかも鉄道の駅からはかなり離れているので公共交通を使う場合はバスを利用する必要があります。なお、最寄りのバス停は阪急バスの「茨木ヒルズ」というシャレオツな名前の停留所です。

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名前の由来ですが、付近にある「道祖(どうそ)神社」という神社からきているようです。外来の疫病や悪霊を防ぐ神様である「道祖神」にちなんだ神社で、「どうそじん」と読むこともあれば「さいのかみ」と読むことができます。「疫病・悪霊を『さへぎる(遮る)』」という意味で「さへの神」と記されたこともあり、それが転じたものであると考えられます。また、隣接する豊川地区には「さいのもと保育園」や「道祖本一号公園」といった名前の場所もあります。ゴルフ場になる前の様子は一体どんな感じだったんでしょうか。

 

21.耳原(2020.12.19訪問)

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  • 所在地:茨木市
  • 読み方:みのはら
  • 到達難易度:★★☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★★☆

道祖本から自転車を走らせることおよそ20分、「耳原」と書いて「みのはら」に到着です。こちらも鉄道駅から離れた場所に位置しているのでバスを使った方が良いです。

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近くには「耳原公園」という大きな池を有した公園があります。子供の時は遊具がいっぱいある公園が好きだったのですが、大人になるとこういう公園の方が好きになるんですかね。日がもう少し高ければベンチでぼーっとくつろいでいたかったのですが、夕方5時を過ぎていたのでそんな余裕はありませんでした。今回は行けていませんが、「耳原古墳」という古墳も付近にあるそうです。

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ここ耳原は元々西国街道に面した土地であり、様々な商品を扱う屋号の商人たちが集まっていたところだそうです。由来も調べたのですが、出てきたのは以前Part.2で紹介した堺市の「百舌鳥」の由来である「百舌鳥耳原」にまつわる逸話ばかり。ここ茨木の耳原も「百舌鳥耳原」と関係のある土地なのでしょうか。それともかつて「みみのはら」と読んでいたのが「みのはら」と短縮されたお決まりのパターンなのでしょうか。

 

22.鴫野西/鴫野東(2020.12.20訪問)

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  • 所在地:大阪市城東区
  • 読み方:しぎの
  • 到達難易度:★☆☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★☆☆

茨木の難読地名を2か所制覇した翌日、またも自転車を走らせ今度は南へ。この日最初にたどり着いたのはJRや地下鉄の駅も存在する「鴫野」。厳密にいうと「鴫野西」と「鴫野東」に分かれています。トリッキーな読み方というよりは漢字そのものが難読極まりない地名です。漢検1~2級レベルではないでしょうか。

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近くには大手住宅設備機器メーカーである「タカラスタンダード」の本社があります。筆者も就活をしていたころに1度だけ行った記憶があります。それ以外は普通の下町といった感じで住宅が多く立ち並んでいます。町の北側には寝屋川が流れ、「新喜多(しぎた)大橋」という橋が架かっています。「新喜多」というのは鴫野に隣接する地域の名前でもあります。

ここ鴫野はかつて水田が広がる地域で、「シギ(鴫)」という鳥がたくさん群れていたことからこの名前が付いたそうです。それじゃあ「新喜多」も似たようなもんなのか。こちらはまた別で、かつてこのあたりの新田を開発した「鴻池十郎」「鴻池七」「今喜多兵衛」の3人の頭文字を一文字ずつ取った地名だそうです。

 

23.馬場町(2020.12.20訪問)

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  • 所在地:大阪市中央区
  • 読み方:ばんばちょう
  • 到達難易度:★☆☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★★☆

「一見簡単に読めそうなのに読めない」。そんな感じでフェイントをかけてくる腹立つタイプの難読地名です。

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場所は大阪の代名詞の一つでもある大阪城の目と鼻の先、さらにNTT西日本の本社ビルが建っておりこの馬場町一帯を支配しているかのような存在感を醸し出しています。かつてはNHK大阪放送会館があったそうですが、現在は上町筋を挟んで少し西側に移転しまして大阪歴史博物館と隣り合った場所にあります。

馬場町」という地名自体は全国に数多くあります。読み方は様々で「ばばちょう」「ばばのちょう」「ばばんちょう」などといった読み方があります。どこの「馬場町」もかつて厩舎や練習用の馬場があったことからこの名が付いたとされています。城下町に多い地名ということで、この馬場町大阪城のすぐ近くですからそれが関係しているものと思われます。

 

24.衣摺(2020.12.20訪問)

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  • 所在地:東大阪市
  • 読み方:きずり
  • 到達難易度:★★☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★☆☆

馬場町からさらに南東へ自転車を走らせ東大阪市へ突入。JRおおさか東線の駅名の一部にも採用されている「衣摺」にやって来ました。付近はごく普通の閑静な住宅街が広がっており、これと言って目立った施設などは特に見当たりませんでした。

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この地名の由来としてまず挙げられるのが、この地域ではかつて「摺衣」を作っていた人が多く住んでいたこと。「摺衣」とは模様染の一種で、草木の花や葉を衣に擦り付けて自然のまま文様を染め出したものだそうです。もう一つの説がかつての豪族であった物部守屋がこの地で討たれ、これを哀れんだ厩戸皇子聖徳太子と言えば通じるでしょうか?)が大エノキの木に衣の袖を擦り付けるくらいに嘆き悲しまれたことからついた地名なのではないかと言われています。

 

25.深野(2020.12.20訪問)

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  • 所在地:大東市
  • 読み方:ふこの
  • 到達難易度:★★☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★☆☆

先ほどの馬場町と同じくフェイントをかけてくるタイプの難読地名です。当初立ち寄る予定はありませんでしたが、帰る途中で深野方面を指す標識を見つけたので寄ってみました。

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場所はJR野崎駅の西側一帯。東の方角に目をやりますと生駒の山々が大きくはっきりと見えます。この時は紅葉シーズンを少し過ぎたぐらいでしたが、山が程よい感じに色づいていました。また、近くに「新深野橋」という橋が架かっていましたが、こちらは地名と違って「しんふかのばし」と読むようです。

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この地にはかつて「深野池(ふこのいけ、ふこうのいけ)」という大きな池が存在していました。地名もここから名づけられたものであると考えられますが、なぜ「ふこの」と読むのかまではわかりませんでした。現在も深北緑地という大きな公園の中に同名の池が人工池として残っていますが、かつての深野池は現在のものよりはるかに大きな池でした。しかし、江戸時代あたりで深野池を干拓したことによって浸水による被害が多発。このような被害を抑えるために作られた深北緑地が遊水地としての役割を果たすようになり、緑地内に(河川の方の)寝屋川からの越流水を減勢するために「深野池」と名付けられた人工池が作られました。なお、深北緑地にある深野池は過去にあった深野池が縮小したものではないようです。

 

26.蔀屋本町(2020.12.20訪問)

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  • 所在地:四條畷市
  • 読み方:しとみやほんまち
  • 到達難易度:★★☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★☆☆

初見だと読むのが難しい四條畷市、JRの駅の漢字は「四条畷」でしかも大東市にあるという大阪有数のカオスな町です。この蔀屋本町の他に「蔀屋新町」という地名も存在します。

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少し北の方角にはイオンモール四條畷があります。こちらも敷地が半分四條畷で半分寝屋川という少し変わったスポットとなっております。

「蔀」という漢字自体を使う機会が少ないかと思われますが、寺院などでよくみられる「蔀戸」からきています。言葉で説明するのが難しいので気になる方は調べてみてください。由来については不詳だそうですが、その蔀戸で囲った小屋のことを「蔀屋」と読んだそうで、この付近にそのようなものがあったことから名づけられたと推測されています。

 

27.内代町(2020.12.27訪問)

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  • 所在地:大阪市都島区
  • 読み方:うちんだいちょう
  • 到達難易度:★☆☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★☆☆

ここからは公共交通機関を使っての訪問が続きます。都島区にある内代町ですが、どう考えても「ん」はいらんやろというのが率直な感想です。

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場所は地下鉄谷町線野江内代駅を出て北西に進んだところ。この野江内代駅は「内代町」と「野江」という地域の間にあることから名づけられたものであると考えられます。ここから少し南東に進みますとJR野江駅と京阪の野江駅に出ます。また、南の方角に進むと京橋駅に出ることもできます。

この地名は江戸時代に徳川家代官の支配地だったことから「代官の領地内にある土地」という意味で名づけられたそうです。江戸時代に記された摂津国についてまとめられた資料では「うちむだい」と記されていたということで、これが転じて「うちんだい」と読まれるようになったものであると考えられます。また、内代町は京橋から京都の伏見を結ぶ京街道のルートの一部となっており、それを示す石碑もありました。京街道、一度歩いてみたいですね。

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28.小橋町(2020.12.27訪問)

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  • 所在地:大阪市天王寺区
  • 読み方:おばせちょう
  • 到達難易度:★☆☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★★☆

近鉄大阪上本町駅から歩いてすぐのところにあるのが小橋町です。今回は一見すると読めそうなのにフェイントをかけてくる地名が多いですね。

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大阪の難読地名というのは大半が住宅街ですが、ここは完全に都会のほぼ真ん中に位置しております。この地域の南側には千日前通という大きな道が通っていますが、やはり多くの車が行き来していました。

この小橋町ですが、「日本書紀」や「古事記」に少し出てきています。「日本書紀」にはこの近くに小橋がかけられていたという記述が、「古事記」には神功皇后の側近だった雷大臣の子である大小橋命の館舎が付近にあったという記述があります。 

 

29.喜連(2020.12.27訪問)

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  • 所在地:大阪市平野区
  • 読み方:きれ
  • 到達難易度:★☆☆☆☆
  • 初見殺し度:★★☆☆☆

地下鉄谷町線喜連瓜破駅の北側に位置するのが「喜連」です。両隣には「喜連西」と「喜連東」という地区もあります。長居公園通りを挟んだ南側には後ほど紹介する「瓜破」があります。こちらも先ほどの「野江内代」と同じ理屈で「喜連」と「瓜破」の間にあるから喜連瓜破という名が付いたのです。おそらく初見の人に読ませる気はゼロでしょう。

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長居公園通り沿いにはお店が多く立ち並んでいますが、通りを外れると下町でよく見る風景が広がります。地図を見る限りですが、学校など教育施設が多い印象です。小学校以外にも特別支援学校や英会話教室、さらには日本語学校までありました。

下の写真は長居公園通りを東向きに撮った写真です。道路挟んで左側が「喜連」、右側が「瓜破」です。

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この地名のルーツですが、古代と言われる時代までさかのぼります。この地に「伎人」と言われた朝鮮・高句麗からの渡来人が集団移住してきたことに由来します。そのことから「伎人郷(くれのごう)」という地名ができあがり、そこから訛って「きれ」となり現在使われている漢字があてがわれたという経緯だそうです。なお、「伎人」は「久礼」ともいうそうなのですが、読み方がいろいろありすぎて説明するのが大変ややこしいです(泣)

 

30.瓜破(2020.12.27訪問)

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  • 所在地:大阪市平野区
  • 読み方:うりわり
  • 到達難易度:★☆☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★☆☆

続きまして「喜連」とニコイチの「瓜破」です。 長居公園通りを挟んで北側が「喜連」、南側が「瓜破」です。こちらも両隣に「瓜破西」「瓜破東」という地区があり、「瓜破西」のさらに西側にはこの企画の記念すべき一発目、「住道矢田」があります。この辺って難読地名激戦区なんでしょうか。

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駅のすぐそこにはみんな大好きイオンがあります。訪問したのが年末の日曜だったのでそれなりに人がいました。「イオンモール」と言われる施設くらいの大きさはありませんが、他のスーパーと比較するとかなり大きい方かと思われます。ちなみにイオンの前は「ダイヤモンドシティ」の第一号店だったそうです。私的にダイヤモンドシティと言えば伊丹が真っ先に思い浮かびますね。小さいころによく行ったので。

地名の由来として主に二つの説が挙げられています。一つ目は飛鳥時代の僧侶である道昭が疫病が流行っていたころにこの地を通りかかり、お祈りをしているところに天神さまの像が出現。お堂に天神さまをお祀りして瓜を二つに割ってお供えをすると疫病が収まったという説。二つ目が弘法大師がここを通りかかったときに住民が瓜を勧めたという説です。現在でこそ「破」という漢字は「わる」と読みませんが、よく考えてみると読めないこともないかもですね。

 

31.西五百住町(2021.1.17訪問)

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  • 所在地:高槻市
  • 読み方:にしよすみちょう
  • 到達難易度:★☆☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★★☆

ここまで10か所紹介しましたがもう少しだけ頑張ります。こちらは新年一発目の難読地名回収です。またまた自転車での訪問となります。最初は「にしごひゃくじゅうちょう?」と読んでしまいましたが、初見だとほとんどの方がこうなりますよね。「五百住」と書いて「いおずみ」と読む名字がありますが、この地域が発祥だと言われています。

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場所は阪急の富田駅から少し南東に進んだところ。西五百住町の北東には「東五百住町」という地域も存在します。いずれも閑静な住宅街となっています。当たり前のことですが、西があれば東もあるのは当然なんですね。

はるか昔(西暦500年代)、この地域の首長が天皇に田を献上し、その田を耕すために農民500人を遣わせたことからこの名が付いたとされています。ただし、「よすみ」と読むようになったいきさつはよくわかっていません。

 

32.芝生町(2021.1.17訪問)

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  • 所在地:高槻市
  • 読み方:しぼちょう
  • 到達難易度:★★★☆☆
  • 初見殺し度:★★★☆☆

先ほどの西五百住町から東の方向に自転車を走らせますと、20分ほどで「芝生町」に着きます。公共交通を使う場合、鉄道駅からは少し離れたところにあるので高槻市バスに乗車するのがベターです。阪急高槻市駅富田駅からもバスは出ていますが、JR高槻駅からの方が本数は断トツで多いようです。

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付近には「高槻芝生住宅」という大きな団地が広がり、さらには高槻市バスの車庫もあります。町の東側には高槻を代表する河川とも言える芥川が流れています。

ここで悲しいお知らせです。ネットでは調べても調べても「しぼちょう」と読むようになった由来に関する記載が出てきません。粘って文献などを読み漁ったら何かわかるかもしれませんがそんな気力も体力も時間もございません。「わからない」で済ませたくなかったのですが、ここはひとつ温かい目で見ていただけませんでしょうか。大変申し訳ない。。。

 

33.点野(2021.1.17訪問)

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  • 所在地:寝屋川市
  • 読み方:しめの
  • 到達難易度:★★★☆☆
  • 初見殺し度:★★★★★

今回最後の難読地名です。最後の最後で曲者が出てきました。小学生の時に「点」は「てん」と読むと習ったはずなのに何がどうなって「しめ」と読むようになったんでしょうか。

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目の前には淀川が流れており、橋を超えると摂津市茨木市高槻市方面に抜けることができます。ちょうど淀川新橋と鳥飼仁和寺大橋に挟まれるところに位置しているので向こう岸との行き来が非常にしやすい場所となっています。また、川沿いということもあるので風がきつく感じます。国道1号線寝屋川バイパスが通っているので交通量は常に多めです。

「点野」というのは皇室や貴人が占拠して一般の人の立ち入りを禁じた場所である「標野(しめの)」からきています。宇多天皇の時代に天皇が鷹狩りをするときの猟場で、囲いをして多くの人が入って猟をすることを禁じたことに由来しており、「標野」→「〆野」→「点野」と転じたとされています。なお、同じ寝屋川市にある「禁野(きんや)」という地名も同じ由来だそうです。

 

非常に長くなりましたがいかがでしたでしょうか。一気に14か所もつぶすことができました。ここまでやるとさすがに半分をを超えたようで、ようやく残すところ20か所を切りました。現地に行くことよりも文章を考えながらキーボードを叩いているこの瞬間が一番しんどいです。その一方で由来や歴史などを知ることができて楽しいという気持ちもあります。地味に当ブログの目玉企画になりつつあるみたいなので、もう少しですが最後までやり切りたいと思います。

 

次回こそは行けずじまいの「包近町」に行きたいと思います。ではでは、皆さんごきげんよう

 

【参考としたサイト等(一部)】

「道祖本」の地名の由来

大阪市城東区鴫野「南鴫野商店街」 : 大阪どっかいこ!

馬場町 - Wikipedia

東大阪、地名の由来

深野池 - Wikipedia

難読駅「野江内代」をぶらぶら歩いてみた|ジモトぶらぶらマガジン サンポー

大阪市天王寺区:2 味原地域にある資源 (…>地域活動協議会・各地域の情報>味原)

「喜連」の地名の由来

瓜破地域の歴史 - 瓜破西地域の地域活動

点野(しめの)/寝屋川市ホームページ