Konpei’s NOTE

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【怒涛の9連発】大阪難読地名の旅 Part.3

始める前に嘆きます。体力的にハードなこのシリーズですが、調べるのもかなりの時間がかかります。それを自分の言葉でわかりやすく伝えるということって特に大変なんですね。のっけから愚痴を失礼しました。前回は下のリンクからどうぞ。

前回:【久方ぶり】大阪難読地名の旅 Part.2 - Konpei’s NOTE

<目次>

 

11.安立(2020.11.1訪問)

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  • 所在地:大阪市住之江区
  • 読み方:あんりゅう
  • 到達難易度:★★☆☆☆
  • 初見殺し度:★★☆☆☆

阪堺電車の沿線に位置する町です。最寄りは安立町の電停ですが、少し西へ行くと南海本線の住之江駅に出ることもできます。さらに、「安立商店街」という昔ながらのアーケードを構えた商店街があります。ここがこの町のメインストリートといったところでしょうか。

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町名の由来ですが、江戸時代にこの地にすんでいた医師「半井安立(なからいあんりゅう)」から名付けられたそうです。半井の家系は徳川将軍家御典医で、安立も腕の良い医者で多くの人から信頼を得ていた「名医」としてその名が知られていました。

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商店街の入り口に一寸法師ゆかりの安立町という看板が掲げられています。針で戦うことで知られている一寸法師ですが、安立町はかつて針の行商人が多く住んでいたそうです。一寸法師住吉大社付近にルーツがあるということなので直接の関係があるかどうかはっきりとわかりませんが、住吉大社に近いといった理由で便乗したともいわれています。

 

12.遠里小野(2020.11.1訪問)

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大阪市の南端、大和川沿いに位置するのが「遠里小野」です。大和川には遠里小野橋という橋が架かり、川を超えた堺市にも「遠里小野町」という地名が存在します。普通「遠」という字を「お」とは読みませんので初見の方は困惑待ったなしです。

最寄り駅はこちらも難読、南海高野線我孫子前駅です。「我孫子」については後ほど紹介します。また、大阪シティバスの停留所に「おりおの橋」という停留所があります。こちらは初見殺しを回避するためかひらがな表記です。

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この地名は万葉集に記録があるほど古くからあり、「とをさとをの」と読まれていました。この他、「瓜生野(うりうの)」から訛ったとする記録もあります。

住吉の遠里小野(とほさとをの)の真榛(まはり)もち摺れる衣の盛り過ぎ行く

上の歌は実際に万葉集に載っていたものです。万葉集にはこの歌以外にも「遠里小野」というワードが入っている歌がいくつかあるそうです。

 

13.我孫子(2020.11.1訪問)

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  • 所在地:大阪市住吉区
  • 読み方:あびこ
  • 到達難易度:★☆☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★★☆

遠里小野の最寄駅として、我孫子前駅を挙げましたので続けて紹介しましょう。「我が孫の子」と書いて「あびこ」と読みます。最寄り駅はJR阪和線我孫子町駅と大阪メトロ堺筋線あびこ駅です。

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この地名はかつてこの地に住んでいた豪族、依羅吾彦(よさみのあびこ)からきています。依羅氏は朝鮮にあった百済からの渡来人だったことから「吾」は朝鮮語で「あ」を表す「我」、「孫子」は「孫の子」を意味する「隔子」から転じたものとされています。さらに、この住吉の地はかつて海に面していたことから、漁師を意味する「網曳子」からできた説もあるそうです。依羅吾彦も「依羅→寄網」+「吾彦→網曳子」という説があるとのこと。なるほど、わからん(笑)

なお、千葉県にも我孫子市という場所がありますが、こちらは大阪と由来が異なるそうなので割愛します。

 

14.立売堀(2020.11.1訪問)

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  • 所在地:大阪市西区
  • 読み方:いたちぼり
  • 到達難易度:★☆☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★★★★

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初見殺し度が限界突破しました。特殊な訓練を積んだ大阪府民の方ぐらいしか読めない地名です。私も最近読み方を知ってびっくりポンでございました。場所としては地下鉄中央線・千日前線阿波座駅の南側。見上げてみると阪神高速、周囲には様々なビルが立ち並んでいます。

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なぜこのような地名となったのでしょうか。その昔、東北地方の盟主だった伊達氏が大坂冬の陣及び夏の陣でこの付近に堀を作って陣地を構え、その跡を掘り足して川としたことにより伊達堀(だてぼり)と呼ばれました。やがて「いたちぼり」と呼ばれるようになり、材木の立ち売りが認められるようになったことで読み方はそのままで「立売堀」と字を当てたという説があります。「伊達」というのもかなり難しい読み方ですが、そこから転じて今の読み方になったんですね。この他にも「動物のイタチがいたから」といったシンプルな説もあります。

 

15.放出東(2020.11.7訪問)

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  • 所在地:大阪市鶴見区
  • 読み方:はなてんひがし
  • 到達難易度:★★☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★★★

日付は変わって11月7日。暇を持て余すためのウォーキングを兼ねて難読地名ハントに出かけました。「ほうしゅつひがし」と読んだ方、正解ではありませんがそれが普通だと思います。昔は「ハナテン中古車センター」という中古車屋がありましたが、現在は新卒を大量に採用することで知られるビッグモーターに変わりました。小さいときにテレビやラジオで「♪ハナテン中古車センタ~」というサウンドロゴを耳にしたことがあります。大阪府民の方ならご存知かと思います。

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説としては主に2つあります。1つがかつて存在した河内湖という湖から淀川への放出口に位置していたことから「はなちで」→「はなちてん」→「はなてん」と訛った説、もう一つは熱田神宮から草薙の剣を盗んだ新羅の僧・道行の乗った船が難破してこの地に漂着、神の怒りを恐れて草薙の剣を放った(=放出した)という説などがあります。

 

16.茨田大宮(2020.11.7訪問)

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  • 所在地:大阪市鶴見区
  • 読み方:まったおおみや
  • 到達難易度:★★☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★★☆

続いてこちらも鶴見区にある茨田大宮。大阪市の東端に位置し、北へ進むと門真市へ、東へ進むと大東市に入ります。謎の鉄塔が目印の三井アウトレットパークがこの町のシンボルです。この鉄塔ですが昔はアトラクションとして機能しており、高さ20~30mぐらいまで上がってゆっくりと下りてくる気球型のエレベーター的なものがありました。子供の頃に一回親と乗りましたが高所恐怖症の私としては今思い出すとかなり怖かったです。

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由来としては、日本書紀などに記載がある茨田(万牟田)湿地仁徳天皇の時代に「北の河」とされた現在の淀川の氾濫を防ぐために築かれた茨田堤からきているとされています。読み方としては「まった」以外にも「まむた」「まんだ」という読み方があり、そこから転じて今の読み方になったという説があります。なお、「まむた」は湿地帯を指す言葉ともいわれているそうです。

 

17.住道(2020.11.7訪問)

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  • 所在地:大東市
  • 読み方:すみのどう
  • 到達難易度:★★☆☆☆
  • 初見殺し度:★★☆☆☆

この企画の一発目に「住道矢田(すんじやた)」という地名を紹介しましたが、今度は「すみのどう」と読みます。住道矢田東住吉区でしたが、住道は大東市にあります。混同しないように注意しましょう。

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駅名にもなっている町名ですが、規模としてはJR学研都市線住道駅前のわずかなエリアのみ。「○○住道店」といったお店が多くありますが、所在地の地名としては住道から外れています。お客さんがアクセスしやすいようにそのような手法をとっているのでしょうか。

住道のルーツは1889年、明治22年までさかのぼります。町村制が施行されたことによりいくつかの村やまちが合併され「住道村」が発足します。この名は舟運が盛んだったころに大和方面へ向かう船の荷物を積み替える場所として栄えていた「角ノ堂浜」 が由来となっています。その後、「住道町」と名前が変わり、1956年に現在の大東市が発足しました。

 

18.御厨(2020.11.7訪問)

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  • 所在地:東大阪市
  • 読み方:みくりや
  • 到達難易度:★★☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★★☆

この日最後の難読地名は東大阪市にある御厨。近鉄奈良線八戸ノ里駅から北に10分ほど歩いた場所にあります。北から順に「御厨」「御厨中」「御厨南」という地名が並び、付近には大阪商業大学のキャンパスもあります。ちなみに私は同じ東大阪にある某マンモス大学に通っておりました。ここまで言ったらもうお分かりだと思います(笑)

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「御厨」という言葉は古来より「神の台所」を指す言葉で、お供え物である神饌を調進する場所を意味します。同時に神饌を調進するための領地を意味する言葉でもあり、神社が地域の特産物を納める代わりに神税が免除される荘園を指すものとしても使われました。鎌倉時代には全国に500余りの「御厨」が存在したそうです。その名残で現在も地名や名字として使われているのです。

 

19.道修町(2020.11.21訪問)

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  • 所在地:大阪市中央区
  • 読み方:どしょうまち
  • 到達難易度:★☆☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★★★★

このシリーズ2回目の限界突破でございます。初見殺し度と同じく私の脚が限界突破した先日の徒歩マラソンの道中で通ったので逃すことなく記録しました。御堂筋・堺筋などを東西に貫く細長い街で、商品のネーミングセンスに定評のある小林製薬の本社ビルも存在します。

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ここは「薬の街」として有名な場所であり、先ほどの小林製薬以外にも武田薬品工業塩野義製薬田辺三菱製薬といった製薬大手が本社を構えています。江戸時代に輸入薬を扱う「薬種問屋」がこの地に集住したことがはじまりとされています。その後、日本を産地とする薬を検査する「和薬種改会所」が設けられ、日本で売り買いされる薬がここ道修町に集められ、そこでの検査をクリアした薬が全国へ流通されていった時代もあったそうです。町名の由来としては「近くに『道修寺』という寺があったことから名づけられた」という説や、北山道修(きたやまどうしゅう)という薬学者がいたことから名づけられた説などが存在します。

 

今回はここまでですが、なんとまだ折り返しにも達していません。あと30か所以上回らなければなりません。いつ終わるかわかりませんが、来年の夏までには必ず終わらせたいと思います。1年以上時間を費やしてしまうと夏が来て猛暑で足止めを食らってしまいますからね。最後に次の目的地を決めるルーレットを回して終わります。

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次回は「包近町」からスタート。実際に行けるのは年明けになりそうですが、当ブログはまだ更新する予定です。では、皆さんごきげんよう

次回:【チャリで来た】大阪難読地名の旅 Part.4 - Konpei’s NOTE

 

【参考としたサイト等(一部)】

高砂橋・成清橋と「安立」由来 西住之江を辿る - 大阪府保険医協会

大阪に関するよくある質問 - 大阪市立図書館

我孫子=あびこの由来 : すみよし探歩

大阪市西区:西区のあらまし (区政情報>西区について)

「放出」の地名の由来

大阪市鶴見区:区名、地名の由来 (区政情報>区のあらまし)

住道町 - Wikipedia

御厨 - Wikipedia

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