【久方ぶり】大阪難読地名の旅 Part.2
「お待たせしました。お待たせしすぎたのかもしれません」と言わせていただいてもよろしいでしょうか。約3ヶ月ぶりに「難読地名の旅」をやっていきたいと思います。前回は大阪市西淀川区御幣島(みてじま)で終了し、今回はルーレットで止まった羽曳野市誉田からのスタートです。
↓前回のリンクを貼っておきます。こちらも是非ご覧ください。
【新企画?】大阪難読地名制覇の旅 - Konpei’s NOTE
④誉田(2020.7.26訪問)
長かった今年の梅雨。そんな梅雨末期の土砂降りの中行ったのが羽曳野市の誉田です。場所としては近鉄南大阪線の古市駅から歩いて10分ほどの場所にあります。
地図で見てみますと、なんと飛び地になっています。街にある方と街の外れにある方とありますが、今回行ったのは当然左上の街にある方です。付近には「誉田御廟山古墳」という史跡があり、応神天皇の陵として外壕と外堤が国の史跡に指定されています。数年前にここを含む「百舌鳥・古市古墳群」が世界文化遺産に登録されたので、これから注目を集めることが期待されます。
さて、地名の由来を解説します。御廟山古墳の近くにある「誉田八幡宮」という神社からきているそうです。先ほど出てきた応神天皇が祀られている神社ですが、彼は「誉田天皇」「誉田別尊(ほむたわけのみこと)」として日本書紀に登場しています。その関係で名付けられたと考えられますが、「こんだ」と読むようになった経緯など詳しいことはわかっていないそうです。余談ですが、「誉田」と書いて「ほんだ」と読む街が千葉にあるとのことです。
ここで、次の目的地を決めるためルーレットを回します。
次なる目的地は南面利町ですが、ここで小休止。2ヶ月ものブランクを空けてしまうことになります。理由としては今年の夏がとにかく暑かったこと、この旅はかなりの歩数を費やすので熱中症のリスクが半端なく高いのです。
⑤柴島(2020.9.26訪問)
さて、ルーレットで出た南面利町に向かう前に立ち寄りです。ここ「柴島」ですが阪急千里線の駅名にもなってますので大阪の方は読めるかと思いますが、府外の方ならほとんどが「しばじま?」と読んでしまうのではないでしょうか。
現在、柴島近辺では阪急の高架化工事が進められていますがなかなか進んでいるように見えません。この2年ほどでそれなりに形ができてきた感はありますが完成はまだまだ先だそうです。
「柴島」は平安時代からの地名で、「クニキ島」と呼ばれておりました。「クニキ」というのは炭の原料となる雑木のことですが、音が近い「此の木」を一文字にした「柴」の字を当て、やがて「キ」が省略されて「クニ(キ)ジマ」と読むようになったそうです。私のミジンコ以下の脳みそではこんなこと考えられないです(笑)
⑥南面利町(2020.9.26訪問)
南海・近鉄の河内長野駅からバスに揺られることおよそ20分のところにある「南面利町」。付近には関西サイクルスポーツセンターや1300年の歴史がある天野山金剛寺があります。山に近く、大阪にしては珍しい長閑な町です。
駅からかなり離れているため、車かバスが必須となります。南面利町へ向かうバスは1時間に一本程度なので行く際は注意が時刻表を要チェックです。
周囲は住宅などが並んでいる非常に静かな場所ですが、山に向かって歩いていくと森が見えてきます。
都会っ子の私としては馴染みの少ない立て看板です。イノシシが出るようで流石にこの先へ進む勇気はありませんでした。関係ないですが、最近の子供たち(特に都会育ちの)ってイノシシと聞いたらやっぱり鬼滅の刃の伊之助を思い浮かべるんですかね。
「南面利」は「南面流」とも表記されるようで、岩床の丘を流れる地形に由来する説があるようですが、残念ながらそれ以上の情報は入手できませんでした。
⑦茱萸木(2020.9.26訪問)
漢検一級ぐらいの方でないと読めないであろう漢字を使った地名です。看板にはご丁寧にふりがなまで振ってくれています。最寄駅は南海高野線の金剛駅か滝谷駅です。私は滝谷駅で下車しましたが、徒歩10分ほどかかります。
北には日本最古のダム式ため池とされる狭山池、南にはマグロ大学でお馴染み近畿大学の医学部附属病院が隣接しており南北に長い町であることがわかります。狭山池は今年2月の連休にサイクリングしに行きました。
「茱萸」という漢字は本来「ぐみ」と読みますが、地名の方は濁らず「くみ」です。1263年の「太政官符」(国の公文書)に記載してあった地名が「佐志久美岡(さしくみのおか)」で、そこから転じて現在の地名になったそうです。
⑧中百舌鳥町(2020.9.26訪問)
地下鉄御堂筋線の終点としても知られる「なかもず」がある中百舌鳥町です。地下鉄の駅名はひらがなですが、南海高野線及び泉北高速の駅名は漢字の「中百舌鳥」です。
由来を調べてみますと、少しグロテスクな逸話がありました。同じ堺市にある日本最大の古墳、大仙古墳に埋葬された仁徳天皇の時代まで話は遡ります。ある日、仁徳天皇が陵の造営場所を決めて工事を始めると、鹿が姿を現し倒れてしまいます。鹿はそのまま息耐えてしまい、死因を調べたところ耳から入った百舌鳥(もず)が鹿の脳を食い荒らしていたということで「百舌鳥耳原」と呼ばれるようになったことからこの地名が付いたのだそうです。恐ろしいですなあ。
ここで、河内エリアの難読地名をある程度回収できたので次なる目的地を再度ルーレットで決めます。何が出るかな、何が出るかな〜
出たのは「別府」。ですが「べっぷ」とは読みませんし、温泉地でもありません。この日5カ所目で疲れが出てきましたが張り切っていきましょう。
⑨別府(2020.9.26訪問)
最寄駅は地下鉄今里筋線の井高野駅ですが、こちらよりも大阪シティバスや近鉄バスの停留所があるのでそちらの方が近いと思われます。読み方的にバック・トゥ・ザ・フューチャーに出てくる不良の名前に似ていますが、彼とは一切関係ありません。また、近隣には「東別府」「南別府町」という町もあります。
どうやら「別府」と書いて「べふ」と読むところは大阪以外にも多数存在するようで、その数46。対して、「べっぷ」と読むのは29カ所。他にも「びょう」「びゅう」と読む地域も存在するようです。こっちの方が難読なのでは。
地名の由来ですが、ネットで調べても大分県の別府の方の由来しか出てきませんでしたのでそちらを説明します。その昔存在した荘園の租税を特別扱いにすることを表す「別府」からきているそうです。大分県の別府は宇佐八幡宮の荘園である石垣荘があり、鎌倉時代に豊後国の国司が「別符」と名付けたことから始まり、そこから「符」が「府」に変わって地名として残ったとされています。おそらくそれがなまることで「べふ」という地名もできたんでしょうか。
この時の私、調子に乗ってもう一カ所行きました。どこが出るのか。ルーレット、スタート!
10.水走(2020.9.26訪問)
方角的にほぼ逆戻りする形となりました。やってきたのは生駒山の麓にある町、水走です。近鉄けいはんな線の吉田駅が最寄りとなります。
阪神高速のインターチェンジに「水走」というところがあり、ラジオの渋滞情報でよく耳にするイメージです。しょっちゅう混んでいるみたいです。
かつて、河内国の一部で勢力を伸ばした「水走氏」という豪族が存在していたことがこの地名の由来だそうです。この水走氏ですが、同じ東大阪市にある枚岡神社(ひらおかじんじゃ)主神の天児屋根命(あまのこやねのみこと)を祖とする平岡氏の末裔にあたるそうです。
ということで、一気に7カ所も回収しちゃいました。めっちゃ疲れました。しかしさらなる難読地名が待ち構えていますので、ここで音をあげちゃいけませんね。
さて、次回に向けてルーレットを回して終わりましょうか!
では、次回は「安立」からスタート。お楽しみに!!
【管理人からの注意】
プライバシー等の観点から地名表示板を撮影する際、一般のご家庭の外壁にかけてあるものに関しては極力撮影を避け、電柱などに掲示しているものを撮影するようにしています。撮影する際は周囲へのご配慮をお願いします。
【参考にしたサイト】
大阪水道の歴史と柴島(くにじま)の由来 - 大阪府保険医協会
http://osakasayama-sc.jp/matidaifuzii.pdf
大阪には難読地名がなぜ多い?その歴史と由来とは | 住まいの本当と今を伝える情報サイト【LIFULL HOME'S PRESS】
【みちのくひとり旅】Part.1 ずんだ餅の洗礼
【みちのくひとり旅】Part.0 宿なしのピンチ! - Konpei’s NOTE
前回のあらすじ。関西空港で安く泊まろうと試みるも空きはなし。結局カプセルホテルに課金して一泊、翌朝ピンクの飛行機に乗り込みました。
このように終始グダグタな回でしたが、今回ようやく仙台の地に足を踏み入れます。生まれてはじめての東北です。緊張します。
いきなり牛たん!
関空を飛行機で発ちおよそ2時間、仙台空港に到着です。東北の玄関口的役割も果たしているためかこんな看板が。旅の始まりを歓迎するようでテンションが上がりますね。
仙台空港からは電車で仙台市中心部へ。二両の電車でしたが、かなりの人が乗車していました。時間によっては倍の四両で運転することもあるそうですが、空港から市の中心部を結ぶとなると人が多いのも納得です。
仙台駅に到着しましたが、早くも空腹に襲われます。そこで仙台駅の地下にある牛たん屋で昼食とします。この時まだ11時前、店も開店前でしたが数人並んでいて仰天しました。
入ったお店は東京や大阪にも進出している有名店「喜助」。定番メニューである「牛たん炭火焼定食」はしお・たれ・みそから味が選べるほか、牛たんシチューなど豊富なメニューが揃っています。今回は「牛たん炭火焼定食」を注文!
やってきました。やはり本場の牛たんはレベルが違います。焼肉屋に出てくる牛たんがハムに思えてきます。歯応えも抜群でいつまでも噛み続けられます。大阪にもあるみたいなのでこの味を思い出しに今度食べに行こうかなと思います。
政宗公とずんだ餅
お腹を牛たんで満たした後は仙台の街を徘徊します。まずは観光バス「るーぷる仙台」の一日乗車券を買ってバスに乗り込みます。
この「るーぷる仙台」ですが、9時から16時まで15〜20分間隔で運行しています。仙台駅から観光名所を縫うように走り、また仙台駅に戻るというルートをとっています。車窓からの景色も非常によく、一日乗車券は仙台観光には必要不可欠なアイテムと言えます。
【るーぷる仙台 一日乗車券】大人620円
バスでまず私が向かったのは「瑞鳳殿」。仙台の英雄、伊達政宗公が眠る霊屋(おたまや)です。バス停から瑞鳳殿に向かうまでは長めの石段があり、ものの10分でかなりの大汗をかきました。仙台ってこんな暑いんですね…
ぱっと見ですが日光東照宮と雰囲気が似ている気がします。この近くには二代目伊達家藩主の忠宗の「感仙殿」、三代目藩主の綱宗の「善応殿」がそれぞれの霊屋として鎮座しています。
(なぜか引きの写真がなかったです。スミマセン)
【瑞鳳殿】大人一人550円
瑞鳳殿を後にし、再び「るーぷる」に乗り込みます。向かう先は仙台のランドマークである仙台城跡です。写真でよく見る伊達政宗公の騎馬像がある超有名スポットですが、かなり標高の高いところに位置しているので仙台の街を一望できます。
そして政宗公の騎馬像をパシャリ。
顔をはっきりと写すことができませんでしたが、政宗公といえば「独眼竜」として知られており隻眼の武将として名を馳せた人物です。幼少の頃に天然痘の影響で右眼を失明したことからこの名がつけられたとされています。右眼に関しては家臣に切り取らせたという説や自らが切り取ったという説もありますが、眼帯で隠したという説が一般的とされているようです。政宗公はどうやら隻眼だったことを苦にしていたようで、双眼に描かれた自画像や木像が見つかっています。
騎馬像の近くにはお土産屋やレストランが軒を連ね、その付近には資料展示館もあります。そして、仙台に来たからにはこれを食べなければなりません。
牛たんと双璧を成す仙台名物の一つ、「ずんだ餅」です。もちろん美味しかったのですが、餅のインパクトが思ったよりもヘビーでかなりお腹にきます。「ずんだ」というのは、枝豆やそら豆をすりつぶした緑色のペーストのことを指します。元々はお盆やお彼岸の時期に米農家が作っていたものですが、それをある店が「冷凍ずんだ餅」として開発・販売したことをきっかけに全国的なヒットを博したということだそうです。
ずんだ餅を食ってから「るーぷる」で仙台駅に戻りましたが、この時お腹に違和感を覚えました。牛たんとずんだ餅という普段滅多に食べられないものを一気にお腹に入れてしまったせいで体がびっくりしたのでしょう。特にずんだ餅の「餅」のインパクトは絶大だったようです。急いでトイレに駆け込みました。まあただの食べすぎなんですがね(笑)
ひと波乱ありましたが今回はここで区切り、次の目的地へ向かいます。日本三景といえば、もうおわかりでしょうか。NKHいきます。
ヒントになってねぇですね。では、今回はこの辺で。ごきげんよう。
突然ですが…
突然ですが、当ブログはちょっとだけ変わります。言わば「マイナーチェンジ」です。
今までのコンセプトは継承しつつ、幅広いジャンルに対して思ったことをお話しさせていただこうかと。更新頻度も増やすつもりで頑張ろうと思っています。新たなブログ名はこちらです!!
Konpei's NOTE
ブログ名を変えた理由ですが、メインの旅行記のみならず自分の考えなど旅行記以外のテーマも取り上げる機会が増えたためです。「Diary」という単語も候補にありましたが、日記とするほど更新頻度が高いわけでもない為「NOTE」と名付けました。
また、マイナーチェンジを行うにあたり、以下の「3ヶ条」を徹底しようと思います。
- 他者を差別・批判するようなことは書かない。
- ネガティブなことを記事にする場合もネガティブなまま終わらせない。
- ここで書いた目標・願望を必ず実現させるように努力する。
また、当初より「自己満足」のためのブログとはお伝えしておりますが、アクセス数が芳しくありません。ネット上でもコミュ障をこじらせてInstagramにしかリンクを貼っていないことが原因だと考えています。ですので、今後はより多くの方々に見ていただけるような努力もしていこうかと思います。
という訳で、今後とも「Konpei's NOTE」をよろしくお願い申し上げますm(_ _)m
【独り言】ブロガー・動画投稿者の振る舞いとは
こんなトーシローの底辺ブロガーである私ごときが言えることではないのですが、ブロガーや動画投稿者(いわゆるYouTuber)にも最低限の振る舞いってものがあると思います。私が思う「最低限の振る舞い」というのは、「他人に敬意を表すること(特に同ジャンルで活動される方に対して)」と「謙虚さを持つこと」だと考えています。
たまに鉄道ネタを取り扱うYouTuberさんの動画を見て旅行気分に浸っているのですが、その中であまりにも配慮に欠けた言動をされた方がいらっしゃいます。彼は鉄道ネタを中心に動画を投稿し、ある一定の人気を博していましたが、ある動画の中で同ジャンルの動画投稿者を「底辺YouTuber」と吐き捨て、さらにはそのジャンルでトップに君臨する方に対して喧嘩を売っているとも取られかねない言動を取り、多くのファンの方々から非難を浴びました。彼は大した謝罪もせず、現在も動画投稿活動を自粛しているそうです。私自身は騒動の前に何本か彼の動画を拝見したのみですが、自己満足な内容で独りよがりな感じが見受けられ好みではありませんでした(かくいう私のブログも自己満足かつ独りよがりなものですが…)。その一方で、独特の切り口で動画を作られていたことと全国各地を飛び回るフットワークの軽さについては見習うべきポイントでした。ファンの方との交流の機会を増やしたり、同ジャンルの投稿者の方とコラボでもすればより一層ウケる可能性はあったと思いますので勿体ない感じがしました。
ここからは私の憶測、彼はコミュニケーションが苦手でリアルの世界でも趣味でも相談できる人がいなかったのではと思います。それを少々過激な言い方をする事で誰かに構って欲しかったのではないかと。仮にこの憶測通りであれば私も正直彼と似たような一面があるので人のことを言えた立場ではありませんが、自虐ならまだしも他人に対して「底辺YouTuber」と口に出すのは言語道断だと思います。当然登録者数や再生回数の多さに差が出る世界ではありますが、数が大きくなったとしても最低限の敬意と謙虚さは持って然るべきです。特に同ジャンルで活動する方々に対しては。負けられない相手というのはわかりますが、素直に相手の良いところを認めることが最も重要かと思います。同業の方はお互いに切磋琢磨すべきライバルであり仲間でもあるのではないでしょうか。
彼の人格を否定することはできません。しかしながら、取った行動は許されるべきことではありません。今後の進退に関してはご本人次第なので「ど底辺」の私がとやかくいう立場ではないのは重々承知していますが、もし反省もせず他者への配慮を欠くような態度を改められないようであれば潔く動画制作・投稿を引退すべきですし、まだやりたいと言うのであれば視聴者の前でしっかりとご自身の言葉で謝罪された上で復帰すべきだと思います。
また他人を非難することはもちろん、嫉妬も良くありません。嫉妬から劣等感を産み、劣等感から自己嫌悪を産み、それがトラブルのもとになったりもします。私はすぐ他人と比べてしまう性格で、劣等感を感じやすい性格です。しかし、他人との比較は何の意味も為さないと思います。今の時代は他人との競争に勝った者ではなく、最後まで自分らしく生きることができた者が勝つ時代ではないかと勝手に考えています。他人とすぐ比較しては高望みをするようではいつか自分を見失います。
少し話が脱線してしまいました。話を戻します。もし自身のブログや動画がウケるようになり人気のコンテンツになったとしても「初心忘れるべからず」で謙虚さをもって振る舞うことが大事だと思います。先述のYouTuberさんのようなことは例えヤケになったとしてもしてはいけません。トップに君臨するような方でも最初は右も左もわからず、色々な方の助けがあってのし上がることができたのだと思います。経験を重ねて「ベテラン」という立場になっても、経験の浅い方に自分の経験を交えて優しく助言してあげられるような人こそが理想と言えるのではないかと私は思います。
以上がブログや動画の制作に携わる人が心がけるべきポイントではないかと考えています。私もまだまだペーペーの素人ですが、ブログをしている一人として「敬意と謙虚さ」を大切に頑張っていきたいと思う次第です。仕事でも私生活でも他人の粗探しなんかよりもいいところを見つける、そして「ベテラン」と言われる域に達しても初心を忘れず、驕り高ぶらず優しく助言してあげられる人間になれるよう生きていきます。
【難読地名制覇の旅】番外編・「毛斯倫大橋」ってなんと読む?
こんにちは。
私自身も忘れかけていたのですが、6月ぐらいに新しい企画として「大阪難読地名制覇の旅」を始めていました。
【新企画?】大阪難読地名制覇の旅 - Konpei’s TRAVEL
それなりに気合入れてやるつもりだったのですが予想を超える猛暑が続いたため、一旦活動を休止させていただきました。ようやく涼しくなってきたのでそろそろ活動を再開しようかと考えておりますが、今回は番外編としてとあるスポットを紹介したいと思います。地名ではありませんが、珍名・難読スポットということで番外編ということにさせていただきます。
自宅から自転車をかっ飛ばすことおよそ30分、大阪市淀川区加島と兵庫県尼崎市戸ノ内町を結ぶ橋が今回紹介するスポット。その名も…
初見の方だとおそらく読めないのではないでしょうか。私も初めて見たときはひたすら「?」でした。すぐに正解を発表しても面白くもなんともないので、ヒントを与えましょう。
- 由来は織物の名称
- 「毛斯倫」の読み方は4文字
さて、「毛斯倫大橋」の周りの様子を見てみることにしましょう。まず尼崎側からですが、すぐ近くに公園があります。この公園の名も例の橋から取っています。至って普通の公園ですが、私が来たときは不気味なことに自転車が3台ほど散乱していました。中高生のたまり場的存在になっている印象です。また、この公園の北側にはファミマがあり、車の出入りもそれなりに多いです。さらに公園の入り口付近には阪神バス尼崎市内線のバス停「戸ノ内」停留所があり、尼崎市中心部へのアクセスが可能です。
↑尼崎側の様子。ぼかしていますが、交番の名称も例の橋から取っています。
続いて、尼崎側から橋を渡ってみましょう。この橋、写真の通り傾斜がかなりきついのです。向こう側が見えません。
橋の頂点からはなかなかいい景色が見えます。西の方角には六甲の山々が、東の方角には大阪市街のビル群が見えます。
府県を跨ぐこの橋ですが、境界を示すものは一切見当たりません。知らぬ間に大阪府に入り、向こう岸に到着です。どちらかといえば住宅地と言える尼崎側とは対照的にこちらは工場地帯が広がります。
この橋、昭和45年に完成したようです。今年でちょうど50歳でしょうか。私の両親よりいくつか後輩となります。
そろそろ「答えを教えろ」という声が聞こえてきそうですので、正解発表と簡単な歴史の解説に移ります。正解はこちら!
正解は「もすりんおおはし」でした。
「もすりん? どっかのゆるキャラか?」と思われる方もいらっしゃるのではないかと思いますが、先ほどもヒントでお伝えした通り織物の名称です。日本においては現在ほとんど流通していないとのことですが、かつては和服や軍服などに用いられたそうです。
先ほど、現在の毛斯倫大橋は昭和45年に完成したとお伝えしましたが、起源は大正時代にまで遡ります。この頃の毛斯倫大橋は「毛斯倫株式会社」という民間企業が設立したいわゆる「私設橋」で、この会社が架橋したことに因んで社名がそのまま付けられたものと思われます(現在は毛斯倫株式会社の敷地跡など橋の周囲から当時の様子を窺い知ることはできません)。その後、昭和7年に大阪市に引き継ぎましたが狭い幅員や交通量の増加、老朽化などにより危険な状態となったため、昭和43年に架け替え工事を開始。その2年後に現在の毛斯倫大橋が完成したのです。ちなみに、この頃ヒットした藤田まことさん(俳優、故人)の「十三の夜」という曲の中に毛斯倫大橋の名前(モスリン橋として歌詞に登場)が出てきます。
ということで、ざっくりではありますが難読スポットということで「毛斯倫大橋」をご紹介しました。皆さんの街の近くにも珍名・難読スポットがあるかもしれません。時間があれば探してみてはいかがでしょうか。新しい学びや発見があると思いますよ。
【参考にしたサイト】
【復活の一人旅】神話の国、出雲に行こう!
皆さんこんにちは。いきなり無性に食べたくなる食べ物ってありますよね。今まさにアイスのパピコが食べたい気分です。あと久しぶりにビスコも食べたいですね。なぜグリコの商品ばかりなんでしょう。
いつものくだらん前置きは置いといて、今回は出来立てホヤホヤのネタです。この度、一連のコロナ禍で府県を跨ぐ観光を自粛しておりましたが、「今後このウイルスと共存しなければならない」ということを考え、最大限の感染防止対策を講じながら他地方への旅行を再開しました。
再開の理由として繰り返しになりますが、今後も新型コロナウイルスとは共存しながら生活しなければならないと思います。このようなウイルスにいつまでも怯えての「過度な自粛は良くない」という私自身の考えもありますし、何より自粛期間中に低迷した観光地に足を運び、そこにお金を落とすことで少しでも観光地のお力になればという目的があります。
本編に入る前に、以前説明した外出時の個人ルールについておさらいしておく必要があると思いますので、その説明からさせていただきます。
- 外出には公共交通機関を使うことが多いため、当面は隣接府県の往来のみ。隣接府県でも基準を100kmとし、100kmを超える移動は状況を見て慎重に判断。
- 7月中旬〜8月上旬にかけて全国的な感染者数の顕著な増加がなければ隣接地方(東海・北陸地方、中国・四国地方)への移動を解禁。
- 電車・バスなど交通機関から降りたら手洗い・うがいを徹底する。消毒液は必携とする。
まず1について。近畿圏内という縛りは解除します。当然100kmという制限も同様です。この結果、少し遅くなりましたが2の段階へ移行することにいたしました。2に記載の地方以外への移動はしばらく様子見とします。また、一番大事な3についてはもちろん徹底して継続します。これに加え、出発前の検温も実施することにします。
長くなりましたね、本編いきます。ちなみに今回は単発ですがかなり長くなりますのでご覚悟を(笑)
半年ぶりの新幹線!
いつもの(?)新大阪駅からスタート。まさかこれほどの間が空くとは思いもしてませんでした。乗り慣れたはずの新幹線ですが、少し緊張していました。新大阪に着く前、地元の駅からJRの駅で乗り換える時に改札機で切符を詰まらせてしまった時は不吉やなあと思いました。
色々ありましたが、無事新幹線に乗り込むことができました。今回は昼出発なので車内で昼ごはんをいただくことに。
ガッツリ中華ですね。やはり電車の中で食べるご飯の味は最高です。普通に食べるより美味しく感じますからね。
1時間ほどで岡山到着。ここからは特急「やくも」に乗り換えます。
西日が眩しいわぁ〜
この見出しの元ネタ知ってる人ってどれくらいいますかね。それは置いといて、特急「やくも」に乗車するのですが、年季の入った車両を使っています。松江から岡山まで乗車したことはありますが、逆方向かつフルで乗車するのは初めてです。
「やくも」といえば、カーブの多い伯備線を疾走することで知られています。私は三半規管の強い人間なので乗り物酔いの心配は一切していませんでしたが、想定外の敵との戦いが待っていました。それが「西日」です。進行方向左側に座っていたのですが、日差しの強いこと強いこと。もちろん車内の空調は効いていましたが、それを打ち消すぐらいの暑さでびっくりしました。「カーテン閉めろ」という話ですが、車窓を見るのが大好きなのでそれはできませんでした。
これに耐えることおよそ3時間、ようやく終点の出雲市に到着です。
飯食って酒飲んで寝る=最高
駅前をブラブラし、ホテルに荷物を置いて夕飯を食べに行きます。
そして駅前にあったお店に入り、「島根牛のどんぶり」をいただきます。
普通の牛丼みたいなものかと思っていましたが、思っていたよりも豪華でした。肉は牛丼で使うようなものではなく、すき焼きで使うような大きく薄いもの。島根牛は初めて食べましたが、口の中で溶けるようでとても美味しいです。また、味噌汁にはしじみがこれでもかというくらいに入っており、島根感が満載の夕飯となりました。
ホテルに帰ってからはお風呂に入り、晩酌の時間です。旅行先で1番の楽しみです。
1杯目はレモンサワー。新大阪で買ったたこ焼き味のじゃがりこ(関西限定)をつまみながらゆったりのんびり。至福の時ですね。
そして、このホテルではこんな素晴らしいものが出されていました。
宿泊者に無料でサービスのラーメンです。しょうゆと味噌の2種類があり、しかもおかわり自由。その気になれば夕飯代わりにもできてしまいます。非常にシンプルで量も少なめですが美味しかったです。さて、部屋に戻り2杯目です。
松江の地ビール「ビアへるん」。「へるん」というのは一時松江に在住していた小説家・小泉八雲の本名「ラフカディオ・ハーン」から取ったもの。日本では「ハーン」を「ヘルン」とも名乗ることが多かったらしく、この名がついたものかと思います。非常に苦味が効いていて飲み応えがありました。苦味のあるビールの方が好きかもしれません。こちらを飲み干してから就寝。
「ばたでん」に乗って出雲大社へ
翌日。6時半ごろに起床し、1時間ほどで朝シャンと朝食と支度を済ませてチェックアウト。電鉄出雲市駅から一畑電車(通称:ばたでん)で出雲大社へ向かいます。発車ギリギリに乗り込み、途中の川跡駅で乗り換えます。電鉄出雲市から出雲大社前までの直通電車はほとんどないため、注意が必要です。
そして出雲大社前駅に到着。ここには以前活躍していた車両が留置されています。
私が着いた時はまだ中に入ることはできませんでしたが、中には一畑電車を題材にした映画「RAILWAYS」の紹介がされていました。丁度10年前に公開された中井貴一さん主演の映画だそうです。あらすじとしては、50歳目前のサラリーマンが故郷島根に住む母が病気に倒れたことなどをきっかけに帰郷し、第二の人生を一畑電車の運転士としてスタートさせるといったものです。
広すぎ!出雲大社
到着したのは8時ちょっと前ということで、人もまばらでした。人のいない観光地というのは静かで不気味さすら感じます。
鳥居がでかい。後ろに連なる山もいい味を出してますね。この大鳥居から5分ほど「神門通り」を歩きますと、正面玄関的ポジションの「勢溜の大鳥居」が見えてきます。
そしてここからさらに10分ほど歩いてようやく本殿なのですが、道中にもさまざまなスポットがあります。まずはこちら。
「野見宿禰神社」です。「野見宿禰」というのは相撲の始祖と言われ、初めて相撲をとり勝った力士だそうです。その野見宿禰を祀るための神社で、近くには土俵もあります。白鵬関や日馬富士関といった著名な力士もここで土俵入りを果たしたそうです。
また、道中の至る所には神話にも登場する「因幡の白兎」が鎮座しています。
そんな見どころ沢山の参道を抜けると、ついに本殿が見えてきました。来た時に比べ、雲行きが怪しいのが気がかりですがお参りといきましょう。
右の写真の奥に見える建物が本殿で、兜みたいな黒い出っ張りが特徴です。普通、神社を参拝する時は「二礼・二拍手・一礼」なのですが出雲大社は「二礼・四拍手・一礼」です。この時丁度神主さんと思しき方々が朝礼をするためか集合していましたが、やはり四拍手でした。また、毎年5月14日の例祭の日はなんと八拍手もしているとのこと。「8」というのは古くから無限を意味する数字で、神様に対し限りない拍手をもってお讃えする作法とのことです。ただし、普段のお参りではこの半分の四拍手でもお祈りを讃える心に変わりはないとのことです。
ゲリラ豪雨に襲われかける
本殿周辺をを一通り散策し、おみくじを引いて開運のお守りを買ったところで、空の色がシャレにならないレベルの灰色になってきました。急いで雨雲レーダーを起動すると、出雲周辺は真っ赤っか。急いで隣接している「古代出雲歴史博物館」へ。入った時は小雨でしたが、館内のトイレから出てきた時は災害級の豪雨。「バケツをひっくり返す雨」を通り越し、「バケツをぶっ壊すような雨」といったレベルでした。まさに間一髪、まさに首の皮一枚といった感じですね。傘があればよかったのですが、大きなカバンと一緒に折りたたみ傘を出雲大社前駅のコインロッカーに置いてきてしまいました。残念。
スサノオ神話を学ぶ
この古代出雲歴史博物館ですが、出雲大社の歴史はもちろん島根全体の歴史などについても詳しく解説していました。島根は昔から水害に見舞われ続けた地域であり、木綿や製鉄が有名だったというのは初めて知りました。島根といえば正直、この出雲大社としじみと鷹の爪に出てくる吉田くんぐらいしかイメージがありませんでしたが、こういう所に行ってその土地の特徴を知ることができるというのは博物館の魅力だと思います。
また、大昔の出雲大社本殿の模型も展示されていました。長ーい階段を有し、高さが50メートル近くあったというから驚きです。
そして、出雲の歴史を語るに外すことができない神話について勉強する機会がありました。丁度館内の小さな劇場で「スサノオ神話」に関する映像が流れていたのですが、映像は撮ってませんし撮っていたにしても流石に流せないのでざっくりと口下手野郎が解説します。
スサノオ(スサノオノミコト、素盞嗚尊)は父であるイザナギが死者の国(黄泉の国)から帰った後、穢れを落とすため禊をして生まれた「三貴神」の一人。スサノオと共に生まれたのが皆さんも聞いたことがあるであろうアマテラス(アマテラスオオミカミ、天照大神)とツクヨミ(ツクヨミノミコト、月読命)です。父イザナギより海原を治めるよう命じられましたが、母イザナミに会いたいと駄々をこね泣き喚きます(イザナギ一人が産んだのはずなのですが)。これにキレたイザナギが「おまえもうやめろ」とクビを宣告、スサノオは黄泉の国行きを決心。
黄泉の国へ行く前に姉アマテラスに挨拶をしようと高天原(たかまがはら)へ。侵略者が来たと思い込み戦闘態勢に入ったアマテラスに対し、誤解を解くために身の潔白を証明する「誓約」を提案。スサノオはこれに見事成功します。しかし、ここで調子に乗ったスサノオは高天原で大暴れ。田んぼを荒らしたり、ウから始まる汚物を神殿に撒き散らしたりとやりたい放題。これらの行いにアマテラスはブチギレ。最終的にスサノオは高天原を追放されます。
そして、地上へやってきたスサノオは地上で大暴れしていた「ヤマタノオロチ(八岐大蛇)」を退治し、生贄となっていたイナダヒメという若い女性を助け出します。そしてそのイナダヒメと結ばれ、オオクニヌシが生まれるという結末です。
まあ本当にあったかどうかはわかりませんが、「神話」なのでフィクションに近いものがあるのではと思います。しかしスサノオは何を思って汚物を撒き散らしたのか、理解に苦しみますね。
【古代出雲歴史博物館】
常設展のみの観覧:一般620円
※企画展とのセット券もありますが、その都度セット券の価格も変動します。
出雲そばを喰らう
結局、博物館には1時間半ほど滞在しました。博物館を出てからは出雲大社周辺をあてもなくブラブラ。歩くとお腹が空くもので、出雲そばを食べようと有名店「八雲」へ。お昼時でしたが、すんなり席につくことができました。「五色割子」というメニューを注文。山いも、卵、大根、揚げ玉、かつおぶしと器ごとに違う具材がのっており、色々な味を楽しむことができます。
出雲そばは器に蕎麦つゆが入っていません。別でついてくる蕎麦つゆをお好みでかけて、食べ終わってから残ったつゆを次の器に注ぐという食べ方。しかし、各器に残ったつゆが少なすぎて新たに注いでしまいました。コシがあり、そば粉の香りが強く非常に私好みのそばでした。
レトロな旧大社駅を散策
食事の後、次の目的地へ向かうバスの出発時刻までまだ余裕があります。その間、かつて存在した国鉄(現在のJR)の旧大社駅を見物します。
出雲大社の大鳥居から南へ歩くこと10分弱のところにある瓦葺きの大きな建物が旧大社駅です。1912年から78年の間、国鉄大社線の駅として存在し、廃止後の2004年には国の重要文化財に指定されました。駅舎内だけでなくホームにも入ることができ、構内の奥の方には以前大活躍したSL機関車も留置されています。また、駅舎の中には観光案内所も併設されています。
9時から17時まで解放しており、入場料は無料で自由に出入りができます。
青空のもと、日御碕灯台へ!
旧大社駅を出て、一度出雲大社周辺を後にします。次なる行き先は「出雲日御碕灯台」。日本一の高さを誇る灯台です。出雲大社からバスに乗り込みおよそ25分ほどで到着。バスで来る人より車やバイクで来る人の方が圧倒的に多かったようです。また、先程ゲリラ豪雨が降っていた出雲地方ですが、雨はすっかり上がり強い日差しが差し込んでいました。さて、灯台からの景色はどんなもんなのでしょうか。
海と青空をバックにしますと白さがより目立ちます。私が今までに見てきた灯台に比べるとのっぽさんの灯台で、高さが43.65メートル。水面からの高さは63.30メートルと日本一の高さを誇り、設置されてから115年以上もの歴史があります。
また、火曜サスペンス劇場に出てきそうな断崖絶壁と松並木も見ものです。
また灯台は内部に入ることができ、最上部へ上がることもできます。この階段が狭い螺旋階段となっており、120段ほど続きます。暑さも相まってかなりしんどかったです。
しかしここは日本一の高さを誇る灯台。最上部から眺める海岸線がとても美しく、海風が気持ちよく感じました。
【出雲日御碕灯台】中学生以上300円
灯台の上り下りでかなり体力を使ったので、灯台近くのカフェで休憩。アイスティーを飲んで涼みます。一緒についてきた灯台型のクッキーがかわいかったです。
30分ほど休憩してからは少しだけ日御碕神社を覗きに行きます。ここで先ほど出てきたスサノオとアマテラスが祀られています。伊勢神宮が「日本の昼を守る神社」と言われているのに対し、こちら日御碕神社は「日本の夜を守る神社」と呼ばれているそうです。
全体的に赤を基調とした造りとなっていました。出雲では有名なスポットの一つですが、参拝客は私も含め3人ほどでした。出雲大社では「二礼・四拍手・一礼」だったのでこちらでもそれを守るべきなのかと思いましたが、出雲大社の分院でもないので通常通り「二礼・二拍手・一礼」で問題ないようです。
旅の終わり・まとめ
神社を後にし、バスで出雲市駅方面へ戻ります。しかし、ここから出雲市駅方面直通のバスはなく、一度出雲大社近くのバスターミナルで乗り換えしなくてはなりません。25分ほどかけてバスターミナルに戻りましたが、乗り換えの出雲市駅行きのバスは先ほど乗ってきたのと同じバス。地方特有のダイヤなのかもしれませんが、おそらく運転士さんも同じお客さんが一回降りてまた乗ってくるというのは慣れっこなのでしょう。行き帰りどちらも同じ運転士さんのバスって何故か気まずいんですよね…
出雲市駅からは行きと全く同じルートで特に変わったこともなかったので省略としますが、「やくも」の車窓から大山が見えたので最後にその写真をどうぞ。
さてさて、この旅のまとめといきましょう。地方を跨ぐ旅行自体が約5ヶ月ぶりということで、少し実戦感覚ならぬ「旅行感覚」が落ちているなと感じました。なんか終始フワフワしてた感が半端なかったです。また最近よくPRされている「新しい旅のエチケット」を遵守しながらの旅でしたが、特に苦になるようなこともなく十分に楽しめました。今後、感染防止対策をしっかりと取り、周囲への配慮を行いながら今まで行けなかった分しっかりと取り返していこうと思います(笑)
出雲に関してですが、歴史を感じることのできるとても良い街でした。神話というものにはあまり興味がなかったのですが、スサノオ神話を見て少し興味が湧いてきました。また、一畑電車も少ししか乗れませんでしたので、もう少し乗車したかったですね。
という訳で、一人旅復活第一弾でした。9月も東海の某県に行く予定にしておりますのでその様子もまた更新します。
それでは皆さん、また次回お会いしましょう。ごきげんよう!
【情報収集にあたり、参考にしたサイト】
【みちのくひとり旅】Part.0 宿なしのピンチ!
皆さんこんにちは。このような状況ではありますが、過度な自粛も体に毒だと思います。まだまだ暑い日が続きそうで外に出る気も失せますが、少しずつ行動範囲を広げていきたいと思う今日この頃です。
今回からはちょうど2年前に行った東北へのひとり旅、「みちのくひとり旅編」の様子をお伝えします。宮城と岩手、そして栃木にも立ち寄り非常に内容の濃いとても充実した旅になりました。今回はPart.0として、関空入りしてから大阪を発つまでの様子を綴ります。久しぶりの過去の旅シリーズですので気合入れて頑張ります。では、宜しくお願いします!
真夏の夜の関空へ
時は2018年8月24日金曜日、仕事が早く終わり準備もそこそこに関西空港へ向かいます。翌日予約している飛行機が早朝に出る便なので、関空に泊まることにしたのです。しかし、この時点で宿は取っていません。と言うのも、関空にはいくつか手ごろに泊まることのできる場所があったため、空いていればそこに泊まろうと考えていました。博打に近いものがあります。
しかし、その期待は早くも打ち砕かれます。第一ポイントは第1ターミナル2階にある「KIXエアポートラウンジ」。ネットカフェを融合させた空港ラウンジで、宿泊できるスペースも数席あるとのこと。しかし、受付のスタッフに確認したところそのようなスペースは既に満席。仕方なく漫画を読んでジュースを飲みながら暇を持て余すことに。ちなみにこの時ずっと読んでいたのが野球漫画の「グラゼニ」という作品。現実離れした描写というのがほぼないので、野球が好きな方はハマると思われます。興味のある方は是非。
https://www.kansai-airport.or.jp/service/business/01.html
1時間半ぐらいでしょうか、正確な時間は覚えていませんがエアポートラウンジを後にし、第二ポイントへ急ぎます。
これが現実ッ…
第二ポイントは「エアロプラザ」の2階にある無料休憩所。宿泊施設というよりは待合室的なところで、大きめのベンチが所狭しと並んでいます。この時すでに22時前後となっていましたので、毛布にくるんで横になるお客さんでいっぱいでした。ある意味、今では懐かしく感じる光景ですね。考えることは皆さん同じで、宿も安く抑えたいと誰しもが思うんでしょう。申し訳ないですが、ここで一泊するのは少し勇気がいりますね。色々な方が行き来している空間で寝ているときに貴重品なんて盗られてしまったらと考えるとゾッとします。身の安全を重視し、勇気ある撤退を決断。
ちなみに、ここでは毛布の貸し出しも有料で行っているそうです。画像を貼りたいとこですが、ここの写真を撮りそびれましたので気になる方は検索してみてください。
最終手段?
「もう宿があればいい。安く泊まるなど甘い考え。金より宿!」。完全にヤケクソです。いちるの望みをかけ、たどり着いたのは空港内にあるとあるカプセルホテル。フロントで確認すると「空きがある」とのことで宿泊決定。今考えると戦地(ネカフェ・休憩所)へ丸腰で乗り込むより、お金を出して確実に泊まる方が体力的に一番いいですね。ただし、金銭的にはなかなかの痛手(約7,000円)になりました。ぴえん。
カプセルホテルだけあって普通のホテルより大きさは劣りますが、余裕で足を伸ばして寝ることはできますし、荷物を置くスペースもとれます。ベットの柔らかさも特に問題はなかったので、ネカフェや休憩所だったら体バッキバキだったでしょうね。私のモットーの一つに「旅行・観光は体力勝負」という言葉がありますが、体力温存は本当に大事ですよ。
ファーストキャビン関西空港(休業中)|ファーストキャビン公式サイト
なお、このホテルの運営会社がこのコロナ禍で破産申立を行ったようです。この系列のホテルを利用したのはこの時限りでしたが、一度でも利用したところがこのような形で苦境に立たされるのを見ると胸が苦しい限りです。
ついに東北へ!
ようやく宿問題も無事解決したので眠りにつきました。空港内を動き回ったお陰でぐっすり眠れました。
そして翌朝。飛行機の離陸は8:15。ですがLCCで締め切りが早いので早め早めに行動。朝ご飯を済ませ、テンポよくチェックイン。飛行機に乗るのにギリギリの行動をするのはどうも落ち着きません。待っている時間の方が長く感じました。
そしてついに飛行機に乗り込みます。牛タンやずんだもち、伊達政宗が俺を呼んでいる。
離陸する直前ですが、ここで終わりにします。次回はついに東北の地へ降り立ちます。何が待っているのか。
では、次回をお楽しみに。ごきげんよう!