Konpei’s NOTE

旅行記や独り言などいろいろ

【GoTo静岡の旅】Part.1 城下町とローカル線

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はい、皆さんこんにちは。今年はまあ異様な一年になったもんで、旅行なんてできないと思っていました。しかしながら、対策をとって行動することで感染リスクを下げることができるというのがわかってきました。そのため、8月に出雲へのひとり旅を敢行しました。

【復活の一人旅】神話の国、出雲に行こう! - Konpei’s NOTE

この他、本州最南端の潮岬に行ったり名古屋に味噌かつを食べに行ったりと行動の頻度を少しずつ増やしていきました。そして9月の連休に静岡遠征を敢行することにしました。

静岡での大きな目的はただ一つ、大井川鐵道に乗りに行く」。事前に決めていたのはこれくらいで、それ以外は直前に計画するという適当さです。そもそも静岡は4年ほど前に浜松へ行ったくらいで自分にとってほぼ未開の地となっているのです。今回は2泊3日の行程を取り、静岡を満喫しようというものです。はてさて、どんな旅になったのでしょうか。

 

恐るべし?GoToトラベル効果

時は9月19日、4連休の初日でございます。いつもの通り新大阪に来ましたが、コロナ前とほぼ変わらない人通りです。人気が戻ってきたのは嬉しいのですが、売店内など所々で密になっている箇所があったので気持ちとしてはかなり複雑です。私としてはできるだけ密になる時間を短くし、「ソーシャルディスタンス」の確保に努めました。やはり「GoToトラベル」の効果でしょうか。皆さん長いことどこにも行けなかったんですから4連休もあればどこかにお出かけしたいのは当然でしょう。

駅弁などを買い込んで新幹線に乗り込みます。以前も乗車しましたが、EX予約の早割で取ったこだまのグリーン車です。こちらの乗車率はかなり低めと思われます。要は空いているということです。

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何と言いますか、グリーン車の暗めの照明は逆に落ち着かない気がするんですが私だけですかね? 目的地である掛川まではおよそ2時間の旅になります。お弁当を食べたり、車窓をぼーっと眺めながら音楽を聴いたり。思い思いの時間を過ごすことができました。

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そして、掛川に到着。ここに本日の宿をとっていますが、チェックイン時間まで時間がたっぷりあります。とりあえず、掛川城へ向かうことにします。掛川駅って新幹線の駅もあるのですが、かなりこじんまりしてるように見えますね。

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大きさ以上の魅力あり!

掛川城掛川駅から徒歩10分ほどの場所に位置しており、非常にアクセスしやすいお城となっています。

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受付で入場券を買うのですが、天守閣と御殿・茶室(茶菓子付き)・竹の丸(掛川城に隣接する廓)がセットで900円とかなりお得。ただし、このチケットは14時までの時間制限が設けられていたので注意が必要です。

掛川城の歴史ですが戦国時代までさかのぼり、駿河守護大名である今川氏が家臣に築かせました。桶狭間の戦い今川義元が討たれ、さらに甲斐の武田氏に駿河を追われた義元の子氏真が掛川城に立て籠もります。ここで登場するのがあの徳川家康、和睦によって開城させたのち武田氏侵攻に対する防御の拠点となりました。さらにさらに、全国平定を達成した豊臣秀吉によって家康が関東に移り、その旧領地へ秀吉配下の大名を配置。ここに入ったのが初代土佐藩藩主となる山内一豊で、掛川城天守閣を築くなど城の拡張や城下の整備を行いました。

天守閣の大きさはそこまで大きくはなく、高さも低い方に分類されます。しかし天守閣を最上層まで上がると、掛川の町を見下ろすことができ、さらには富士山のてっぺんも見えます。この天守閣ですが、パンフレットには「日本で初めて木造天守閣を復元」と記してあります。

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続いて二の丸にある御殿に向かいます。「現存する数少ない城郭御殿」とされており、京都の二条城など全国に4か所しかない珍しいものとなっています。建築様式は「書院造」で、畳を敷き詰めた多くの部屋を襖が仕切る構造です。このような御殿は一般的に儀式を行う場や藩主の公邸、政務をつかさどる役所としての機能を担っていました。

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御殿を出て二の丸茶室へ。こちらでは茶菓子を頂くことができます。小学生の時に作法を習うために茶菓子を頂いた記憶がありますが、おそらくそれ以来となります。こういうのを頂くときってめちゃくちゃ緊張するんですよね。

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この後はさらに竹の丸へ。一見するとただの古風な住宅といった感じもしますが、掛川城の北門の守りを固める位置に存在していたため、防衛上で重要な役割を果たす場所でした。そのため、重臣の屋敷地に割り当てられていたようです。

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このように掛川城天守閣の大きさこそ小ぶりですが、周辺の御殿や竹の丸など見所は盛りだくさんですし、近くには「ステンドグラス美術館」といった施設もあります。ここに来るまで掛川のイメージは「新幹線の駅がある」くらいしかありませんでしたが、来て初めてその土地の魅力や特色に気づくものなんですね。掛川城以外では花鳥園が有名ですが、一人で入る度胸は流石になかったです(^^;)

 

天竜浜名湖鉄道に乗車

今回の旅では「大井川鐡道に乗車する」という最大の目的がありますが、静岡は全国でも指折りのローカル線天国と言える地域です。掛川城界隈を散策しても時間にまだ余裕があるため、天竜浜名湖鉄道に乗って天竜二俣駅に向かいます。

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第一印象は「家やん!」、これが駅なのかと一瞬目を疑いました。位置的にJRの線路と離れているかと思いましたが東海道本線の線路と隣り合っています。列車は1両でやってきました。主に買い物帰りの地域住民の方や部活帰りとみられる学生さんが乗車されています。私のような観光客もいましたが若干名です。

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天竜浜名湖鉄道掛川市掛川駅から湖西市新所原駅までの67.7kmを結ぶ路線「天竜浜名湖線(愛称:天浜線)」を運営する会社です。天浜線の起源は国鉄特定地方交通線二俣線でしたが、1986年に第三セクター鉄道会社として天竜浜名湖鉄道を設立。現在に至ります。しかし67.7kmとは相当長距離ですね。これでも同一県内の移動ですから、静岡が相当広い土地であることがわかります。

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天竜浜名湖鉄道HPより。天浜線(天竜浜名湖鉄道株式会社) – 日本の原風景に出逢う旅。 – 天浜線(天竜浜名湖鉄道株式会社)公式ウェブサイト。時刻表・路線図・駅情報と周辺観光情報。奥浜名湖を中心に、静岡県掛川市・袋井市・磐田市・浜松市北部・湖西市を走るローカル列車。

列車は掛川から45分ほどで天竜二俣駅に到着。ここに来るまでに茶畑を数か所見ましたが、本場の茶畑の緑は圧巻でした。静岡は非常に目に優しい土地でもあります。到着した天竜二俣駅ですがラーメン屋が併設されているほか、天竜浜名湖鉄道の本社事務所もここにあります。現在では減少しつつある木造の駅舎で、懐かしさを感じることもできます。

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1時間ほど駅の周辺をぶらつきます。駅のはずれにブルートレインと旧式の赤い列車が留置されています。昔走っていた列車を保存しているものだと思われますが…

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天竜川沿いにある「二俣城祉」を目指して歩いていきます。途中には廃墟と化した元スーパーがあり、異才を放ちます。大通り沿いなので昔は栄えていたと考えられますが、やはり大型ショッピングモールには太刀打ちできないということでしょうか。私の地元にも子供のころから世話になっているスーパーがありますが、どんどん売り場が縮小しているため先は長くないものと思われます。ここが潰れたら涙腺の強さに定評のあるこの私も多分泣くと思います。一時代を築いた商業施設が潰れるのは寂しさを感じずにはいられません。

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天竜二俣駅から20分少々歩いてようやく二俣城跡に到着。天守閣などはなく、石垣が残るのみとなっています。ここから天竜川を望むことができる展望スポットを期待していましたが、そのようなものは特になくうっそうと生い茂る木々に囲まれている半ば秘密基地的存在です。

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二俣城跡に来るまでは石段を上がり、さらに急こう配を上る必要がありますが、それを見下ろしてみるとなかなか良い光景が広がります。夕暮れ時ということもあり、映画のワンシーンに出てきそうでジーンときました。

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天竜二俣駅に戻ってきました。誰も人がいなかったので駅舎内を独り占めすることができました。駅舎を外から撮ってみました。古いタイプの赤ポスト、いいですね。

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また、駅舎内には「音街ウナ」なるキャラクターのパネルもありました。このウナさんは浜松出身のVOCALOIDとのことで、浜名湖のウナギをモチーフにしているようです。天浜線では一面にウナさんがラッピングされた列車も走っています。「うなぴっぴごー!」という電車だそうです(笑)

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改めて駅舎を見ると、古き良き風景が感じられる場所だと思いました。普段都会で生活している分、このような場所にいると心が落ち着きますしなんだか懐かしい気分にもなりますね。

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駅舎内を見物しているうちに帰りの列車がやってきました。行きとは違い、なかなかカラフルな列車がやって来ました。乗車中に日が沈んでしまったので外が見えず残念でしたが、このようなローカル線は乗っているだけで楽しいものです。

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掛川へ戻り、ホテルへのチェックインを済ませます。お腹が空いたので外へ夕食を食べに行きます。やってきたのはあじ助」というラーメン屋で、掛川駅の通路にも案内看板が出ているお店でした。注文したのはラーメンと餃子。ラーメンはこってりしすぎずあっさりしすぎずな豚骨ベースのスープとプリプリの麺が絡み合ってとてもおいしいです。餃子は他店のものと比べるとビッグサイズ、食べ応え抜群でした。お店の方も非常に親切な対応でしたので、また来たいです。

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さて、この辺で一日目を締めます。二日目は待望の大井川鐡道に乗車します。雨予報なのが非常に気がかりですが、どうなるのでしょうか…

では、次回をお楽しみに!

次回:【GoTo静岡の旅】Part.2 大井川鐵道で秘境を行く! - Konpei’s NOTE

【挑戦】フルマラソンを徒歩で完走する男

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皆さんはフルマラソンを走ったことはありますか?

私は中学・高校と陸上部でしたが、跳躍パートの選手だったのでそんな長距離を走ったことはありません。それ故に長距離を走り続ける体力が皆無に等しい人間なのです。10kmほど歩くのは何の抵抗もないのですが、走ると脳に酸素が届かずフラフラです。しかし、マラソンの距離を自分の脚を使って走るってどれだけ長いのだろうか。そこで、気になった私は思いついたのです。

「走るのが嫌なら歩けばいいじゃない」

これだ! 普通の人なら歩くのも憚るでしょうが、良くも悪くも旺盛な好奇心から42kmという距離を歩いて完走(完歩?)しようという狂ったチャレンジをすることになりました。全米が鼻で笑ったパッとしない一人の男の奮闘記、とくとご覧あれ。

 

目的地は貝塚

今回の徒歩マラソンを敢行するにあたり、目的地を設定する必要があります。自宅からちょうど42km(端数は省略)の地点をGoogleマップで見てみますと貝塚市の二色の浜公園。大阪湾を一望でき、淡路島や関西空港が見える景色の素晴らしい公園です。また、所要時間を見てみるとおよそ9時間。朝に出発すれば夕方に到着する計算です。タイミングが良ければ夕焼けを拝むこともできます。ただし、途中で休憩を挟んだり終盤のペースダウンを考慮するともっとかかるかもしれません。

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※自宅の場所はモザイク処理をかけています。「だいたいこの辺やで~」ということが伝われば…

なお、これまでの最長距離としては31km。大学の部活で夜通し歩き続けるというなかなかぶっ飛んだ行事の予行演習で大学のある東大阪から甲子園球場まで歩いた時です。実際に歩いてみたものの、部員たちが口をそろえて「無理」と判断したため本番の目的地はUSJに短縮されました。また、一日の最大歩数は48,791歩。学生の時に東京・横浜を観光した時、当時移動するのに路線バスを使うという概念がなく給料も今と比べて全然ない時代でしたのでとにかく歩きまくりました。桜木町から大阪行きの夜行バスに乗るのに2時間ほど時間が空いたのに店はどこも開いていなかったので、その時間ひたすら桜木町界隈を歩いていました。警察がいたら間違いなく職質案件です。

日没までに目的地へ着くことが最大の目標ですが、無理は禁物ですのでおよそ1時間ごとに5~10分の休憩を挟むことにします。正直、ペースについてはそこまで考えておりません。

 

長い長い大阪市

前置きはこの辺にして、スタートです。三連休初日の11月21日、時刻は朝8時。天気予報では晴れでしたが、雲が厚く風も吹いています。一抹の不安はありますが、楽しみな気持ちの方が大きいです。

南の方に向けて1歩ずつ歩みを進めます。第一の関門としていた淀川の風も穏やかで難なく渡ることができました。1時間が経過したので休憩、関西テレビがある扇町公園までやってきました。ここでの歩数は約7,200歩。数年前にポケモンGOが流行ったとき、私もここでポケモンを乱獲したものです。

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テンポよく進みたいので、トイレ休憩くらいに済ませて先を急ぎます。さらに南へ進みますと大川にかかる難波橋へ。大阪に住んでいても普段ほとんど通らないところなので新しい発見ができるのもウォーキングの醍醐味ですね。

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そこからしばらくは堺筋を南下します。出発から2時間を経過したところでなんば・日本橋エリアへ到達、ここも歩いて通ることはほとんどありません。黒門市場がこの辺にあるのも初めて知りました。

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さらに南下しますと通天閣が見えてきました。このあたりから天下茶屋周辺は一般的に治安が悪いと評判のこのエリアですが、変わった様子はなく無事に通過しました。数年前に職場の先輩と新世界で飲み歩きましたが、別世界に来たみたいで非常に楽しかったです(笑)

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さらに南下したところで3時間が経過。歩数は17,000歩を突破しました。ここで大阪唯一の路面電車である阪堺電車の線路と並走します。道路と線路が一緒になっており、ペーパードライバーの方にとっては屈指の難所となります。ここよりも広島や長崎、松山の方が難易度高そうですけどね。

そして、さらに南に進んだところで見えてきたのは住吉大社。最初はここで徒歩マラソンの無事を祈願しようと思いましたが、先を急ぎたいのと密を避けるのと御朱印帳を持ってきていなかったので断念することにしました。

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3時間経過してまだ大阪市内を抜けることができていません。改めて大阪市の大きさを知ることができました。通った区は東淀川、北、中央、西成、住吉、住之江といったところでしょうか。車を使えばすぐに通り抜けることができると思いますが、これを歩きで通り抜けさらに貝塚を目指そうというバカがここにいます。そんな中、ついに大和川に架かる橋らしきものが見えてきました。すなわち、大阪市を脱し堺市へ入ろうとしています。

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ようこそ堺へ!

出発からおよそ3時間50分、ついに堺市へ到達です。ここらで昼食にする頃合いでしたので、道路沿いにあったラーメン屋でお昼休憩。私が入ってから他のお客さんも増えてきたのでいいタイミングでお昼を済ませることができました。外出していっぱい歩く日はなぜかお昼のタイミングを逃して最悪飯抜きとかになることも少なくないので、このタイミングを逃していたらいろんな意味で結構しんどかったのではないかと思います。

堺市に入ったところで2つの変化に気が付きます。一つ目は「風が強まったこと」。堺に入ってからは海に近い道を歩いていくので、わずかではありますが風が強くなってきました。この日は幸運にも追い風でラッキーだったのですが、向かい風だったらタイムロスとなっていました。向かい風じゃなくて本当に良かったです。そして2つ目の変化ですが、「一丁目、二丁目ではなく一丁、二丁と読む」ところです。心底どうでもいいと感じる方が多いとは思いますが、「大阪難読地名制覇の旅」という企画をやっている手前、どうしても気になってしまいました。この時はもちろん調べる気力はなかったのでまた暇なときに調べてみようと思います。

 

はじまった失速、疲労との闘い

途中の浜寺公園で休憩を挟みつつ、出発から6時間が経とうとするところで高石市へ突入。歩数は3万歩を超えてきました。

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ここで両足が悲鳴を上げ始めます。コンクリートの上を歩く負担は相当なもので、乳酸が溜まって太ももがパンパン。両足首もかなりのダメージを受けているようでした。しかし、日没までの到着を目指し気合で歩みを進めます。先ほど風の強さについてお話ししましたが、道路標識の青い看板が風に煽られているではありませんか。これが落ちてきたら車なんて真っ二つなんじゃないか。そんなことを考えながら恐る恐る歩きました。そんなわけありませんが。

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時刻は15時。忠岡町に入るところで左の太ももが今にも攣りそうな状態に。高校時代は「フィッシャーマン」と呼ばれるくらいに脚をつりやすい体質だった私。いらぬ力を使わないよう、今まで以上に気を付けてスピードを落とします。ですが不思議なことに歩いている間はそこまで気にならないのです。これがアドレナリンですか。忠岡町は小さな町なのですぐに抜け、ようやくだんじりの町岸和田市へ。紀州街道沿いの古い町並みを横目に前進を続けます。そんな中、時刻は16時を過ぎておりました。日も傾き気温が下がってきました。潮風がもろに当たらないのが幸いしてかろうじて体力は温存できているようですが、脚は限界寸前です。

 

感動のゴール!

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いよいよラストスパート。知らぬ間に貝塚市に入り、ゴールの二色の浜公園はもう目の前。街路樹も色づき始めています。そういえば去年のちょうどこの時期も紅葉を求めてひたすら歩いていたなあとふと思い出しました。

【過酷】香嵐渓へ紅葉を見に行った話+α - Konpei’s NOTE

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武道館からサライが流れるわけでもなく、沿道の観衆が応援してくれるわけでもありませんがもう必死でした。最後の気力を振り絞り二色の浜公園に入ります。そして、16時55分ごろ、ついにゴール!!!!

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ここで私を出迎えるかのように大阪湾の夕焼けが見えてきました。こんなにきれいな夕焼けを見たのはいつぶりだろう。今風の言葉を使うとするならば「エモい」という言葉がぴったりです。関空や淡路島、さらには明石海峡大橋もきれいに見えました。

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しかしながら、疲労が感動を大きく上回ったためか涙は一滴も出ませんでした。涙腺の強さに定評があるせいでしょうか。年を取るにつれ涙腺ってもろくなるものらしいですが。自慢にも何にもなりませんが、思い返すとかれこれ7年くらい泣いてませんかね。さすがにもうこれ以上は歩けない。夕日を眺めた後、すぐに最寄り駅に向かいます。何で行くの? 悲しいかな、残念ながら徒歩です。

ここからが地獄でした。二色の浜公園は最寄駅である南海二色浜駅から歩いて15分ほどの場所で、普段の私なら余裕で歩くのですが42km歩いてきた体には流石に堪え、20分ほどかかりました。駅に着いたと思ったら改札に入った瞬間に電車が来て、脚を引きずりながら走って電車に乗り込みました。「もうやめてくれ、こちとら走る気力も残ってねえんだよ!」と心の中で叫ぶ私でした。

 

42kmを歩いた感想

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ラソンランナーの皆さん、これだけ言わせてください。あ、褒め言葉として捉えてくださいね…?

「おまえら人間じゃねえ!!!」

この一言に尽きます。しかし、42kmという距離は想像以上にきつかったです。30km手前くらいまでは全然余裕だったのですが、それを超えると脚が悲鳴を上げます。太もも、足首、足の裏… 常人だと歩くだけでも精一杯です。これを2時間ちょいで走るマラソンランナーの方はもう人間辞めてますよね。

それにしても、普段歩かない場所を歩けたのはとても楽しかったですし、新しい発見もありました。電車や車の車窓では見られないものをたくさん見ることができてものすごく新鮮でした。もう40kmなんて距離を歩くことは当分ないでしょうが、他の場所でもやってみたいものです。今度はどこを目指そうかな。

ということで、フルマラソン(と同じくらい)の距離を歩いた話でした。これから「マラソン走りたい」とお考えの方、参考にしてみてください(笑)

【久方ぶり】大阪難読地名の旅 Part.2

「お待たせしました。お待たせしすぎたのかもしれません」と言わせていただいてもよろしいでしょうか。約3ヶ月ぶりに「難読地名の旅」をやっていきたいと思います。前回は大阪市西淀川区御幣島(みてじま)で終了し、今回はルーレットで止まった羽曳野市誉田からのスタートです。

↓前回のリンクを貼っておきます。こちらも是非ご覧ください。

【新企画?】大阪難読地名制覇の旅 - Konpei’s NOTE

 

④誉田(2020.7.26訪問)

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  • 所在地:大阪府羽曳野市
  • 読み方:こんだ
  • 到達難易度:★★⭐︎⭐︎⭐︎
  • 初見殺し度:★★★⭐︎⭐︎

長かった今年の梅雨。そんな梅雨末期の土砂降りの中行ったのが羽曳野市の誉田です。場所としては近鉄南大阪線の古市駅から歩いて10分ほどの場所にあります。

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地図で見てみますと、なんと飛び地になっています。街にある方と街の外れにある方とありますが、今回行ったのは当然左上の街にある方です。付近には「誉田御廟山古墳という史跡があり、応神天皇の陵として外壕と外堤が国の史跡に指定されています。数年前にここを含む「百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産に登録されたので、これから注目を集めることが期待されます。

さて、地名の由来を解説します。御廟山古墳の近くにある「誉田八幡宮」という神社からきているそうです。先ほど出てきた応神天皇が祀られている神社ですが、彼は「誉田天皇」「誉田別尊(ほむたわけのみこと)」として日本書紀に登場しています。その関係で名付けられたと考えられますが、「こんだ」と読むようになった経緯など詳しいことはわかっていないそうです。余談ですが、「誉田」と書いて「ほんだ」と読む街が千葉にあるとのことです。

ここで、次の目的地を決めるためルーレットを回します。

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次なる目的地は南面利町ですが、ここで小休止。2ヶ月ものブランクを空けてしまうことになります。理由としては今年の夏がとにかく暑かったこと、この旅はかなりの歩数を費やすので熱中症のリスクが半端なく高いのです。

 

柴島(2020.9.26訪問)

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  • 所在地:大阪市東淀川区
  • 読み方:くにじま
  • 到達難易度:★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
  • 初見殺し度:★★★★⭐︎

さて、ルーレットで出た南面利町に向かう前に立ち寄りです。ここ「柴島」ですが阪急千里線の駅名にもなってますので大阪の方は読めるかと思いますが、府外の方ならほとんどが「しばじま?」と読んでしまうのではないでしょうか。

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現在、柴島近辺では阪急の高架化工事が進められていますがなかなか進んでいるように見えません。この2年ほどでそれなりに形ができてきた感はありますが完成はまだまだ先だそうです。

柴島」は平安時代からの地名で、「クニキ島」と呼ばれておりました。「クニキ」というのは炭の原料となる雑木のことですが、音が近い「此の木」を一文字にした「柴」の字を当て、やがて「キ」が省略されて「クニ(キ)ジマ」と読むようになったそうです。私のミジンコ以下の脳みそではこんなこと考えられないです(笑)

 

⑥南面利町(2020.9.26訪問)

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  • 所在地:大阪府和泉市
  • 読み方:なめりちょう
  • 到達難易度:★★★⭐︎⭐︎
  • 初見殺し度:★★★⭐︎⭐︎

南海・近鉄河内長野駅からバスに揺られることおよそ20分のところにある「南面利町」。付近には関西サイクルスポーツセンターや1300年の歴史がある天野山金剛寺があります。山に近く、大阪にしては珍しい長閑な町です。

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駅からかなり離れているため、車かバスが必須となります。南面利町へ向かうバスは1時間に一本程度なので行く際は注意が時刻表を要チェックです。

周囲は住宅などが並んでいる非常に静かな場所ですが、山に向かって歩いていくと森が見えてきます。

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都会っ子の私としては馴染みの少ない立て看板です。イノシシが出るようで流石にこの先へ進む勇気はありませんでした。関係ないですが、最近の子供たち(特に都会育ちの)ってイノシシと聞いたらやっぱり鬼滅の刃の伊之助を思い浮かべるんですかね。

「南面利」は「南面流」とも表記されるようで、岩床の丘を流れる地形に由来する説があるようですが、残念ながらそれ以上の情報は入手できませんでした。

 

茱萸木(2020.9.26訪問)

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  • 所在地:大阪府大阪狭山市
  • 読み方:くみのき
  • 到達難易度:★★⭐︎⭐︎⭐︎
  • 初見殺し度:★★★★★

漢検一級ぐらいの方でないと読めないであろう漢字を使った地名です。看板にはご丁寧にふりがなまで振ってくれています。最寄駅は南海高野線の金剛駅か滝谷駅です。私は滝谷駅で下車しましたが、徒歩10分ほどかかります。

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北には日本最古のダム式ため池とされる狭山池、南にはマグロ大学でお馴染み近畿大学の医学部附属病院が隣接しており南北に長い町であることがわかります。狭山池は今年2月の連休にサイクリングしに行きました。

茱萸」という漢字は本来「ぐみ」と読みますが、地名の方は濁らず「くみ」です。1263年の「太政官符」(国の公文書)に記載してあった地名が「佐志久美岡(さしくみのおか)」で、そこから転じて現在の地名になったそうです。

 

⑧中百舌鳥町(2020.9.26訪問)

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  • 所在地:大阪府堺市北区
  • 読み方:なかもずちょう
  • 到達難易度:★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
  • 初見殺し度:★★★★⭐︎

地下鉄御堂筋線の終点としても知られる「なかもず」がある中百舌鳥町です。地下鉄の駅名はひらがなですが、南海高野線及び泉北高速の駅名は漢字の「中百舌鳥」です。

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由来を調べてみますと、少しグロテスクな逸話がありました。同じ堺市にある日本最大の古墳、大仙古墳に埋葬された仁徳天皇の時代まで話は遡ります。ある日、仁徳天皇が陵の造営場所を決めて工事を始めると、鹿が姿を現し倒れてしまいます。鹿はそのまま息耐えてしまい、死因を調べたところ耳から入った百舌鳥(もず)が鹿の脳を食い荒らしていたということで「百舌鳥耳原」と呼ばれるようになったことからこの地名が付いたのだそうです。恐ろしいですなあ。

ここで、河内エリアの難読地名をある程度回収できたので次なる目的地を再度ルーレットで決めます。何が出るかな、何が出るかな〜

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出たのは「別府」。ですが「べっぷ」とは読みませんし、温泉地でもありません。この日5カ所目で疲れが出てきましたが張り切っていきましょう。

 

⑨別府(2020.9.26訪問)

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  • 所在地:大阪府摂津市
  • 読み方:べふ
  • 到達難易度:★★⭐︎⭐︎⭐︎
  • 初見殺し度:★★★⭐︎⭐︎

最寄駅は地下鉄今里筋線井高野駅ですが、こちらよりも大阪シティバス近鉄バスの停留所があるのでそちらの方が近いと思われます。読み方的にバック・トゥ・ザ・フューチャーに出てくる不良の名前に似ていますが、彼とは一切関係ありません。また、近隣には「東別府」「南別府町」という町もあります。

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どうやら「別府」と書いて「べふ」と読むところは大阪以外にも多数存在するようで、その数46。対して、「べっぷ」と読むのは29カ所。他にも「びょう」「びゅう」と読む地域も存在するようです。こっちの方が難読なのでは。

地名の由来ですが、ネットで調べても大分県の別府の方の由来しか出てきませんでしたのでそちらを説明します。その昔存在した荘園の租税を特別扱いにすることを表す「別府」からきているそうです。大分県の別府は宇佐八幡宮の荘園である石垣荘があり、鎌倉時代豊後国国司が「別符」と名付けたことから始まり、そこから「符」が「府」に変わって地名として残ったとされています。おそらくそれがなまることで「べふ」という地名もできたんでしょうか。

この時の私、調子に乗ってもう一カ所行きました。どこが出るのか。ルーレット、スタート!

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10.水走(2020.9.26訪問)

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  • 所在地:大阪府東大阪市
  • 読み方:みずはい
  • 到達難易度:★★⭐︎⭐︎⭐︎
  • 初見殺し度:★★★★⭐︎

方角的にほぼ逆戻りする形となりました。やってきたのは生駒山の麓にある町、水走です。近鉄けいはんな線の吉田駅が最寄りとなります。

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阪神高速インターチェンジに「水走」というところがあり、ラジオの渋滞情報でよく耳にするイメージです。しょっちゅう混んでいるみたいです。

かつて、河内国の一部で勢力を伸ばした「水走氏」という豪族が存在していたことがこの地名の由来だそうです。この水走氏ですが、同じ東大阪市にある枚岡神社(ひらおかじんじゃ)主神の天児屋根命(あまのこやねのみこと)を祖とする平岡氏の末裔にあたるそうです。

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ということで、一気に7カ所も回収しちゃいました。めっちゃ疲れました。しかしさらなる難読地名が待ち構えていますので、ここで音をあげちゃいけませんね。

さて、次回に向けてルーレットを回して終わりましょうか!

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では、次回は「安立」からスタート。お楽しみに!!

 

【管理人からの注意】

プライバシー等の観点から地名表示板を撮影する際、一般のご家庭の外壁にかけてあるものに関しては極力撮影を避け、電柱などに掲示しているものを撮影するようにしています。撮影する際は周囲へのご配慮をお願いします。

 

【参考にしたサイト】

大阪水道の歴史と柴島(くにじま)の由来 - 大阪府保険医協会

http://osakasayama-sc.jp/matidaifuzii.pdf

大阪には難読地名がなぜ多い?その歴史と由来とは | 住まいの本当と今を伝える情報サイト【LIFULL HOME'S PRESS】

「点辞館」コラム

【みちのくひとり旅】Part.1 ずんだ餅の洗礼

【みちのくひとり旅】Part.0 宿なしのピンチ! - Konpei’s NOTE

前回のあらすじ。関西空港で安く泊まろうと試みるも空きはなし。結局カプセルホテルに課金して一泊、翌朝ピンクの飛行機に乗り込みました。

このように終始グダグタな回でしたが、今回ようやく仙台の地に足を踏み入れます。生まれてはじめての東北です。緊張します。

 

いきなり牛たん!

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関空を飛行機で発ちおよそ2時間、仙台空港に到着です。東北の玄関口的役割も果たしているためかこんな看板が。旅の始まりを歓迎するようでテンションが上がりますね。

仙台空港からは電車で仙台市中心部へ。二両の電車でしたが、かなりの人が乗車していました。時間によっては倍の四両で運転することもあるそうですが、空港から市の中心部を結ぶとなると人が多いのも納得です。

仙台駅に到着しましたが、早くも空腹に襲われます。そこで仙台駅の地下にある牛たん屋で昼食とします。この時まだ11時前、店も開店前でしたが数人並んでいて仰天しました。

入ったお店は東京や大阪にも進出している有名店「喜助」。定番メニューである「牛たん炭火焼定食」はしお・たれ・みそから味が選べるほか、牛たんシチューなど豊富なメニューが揃っています。今回は「牛たん炭火焼定食」を注文!

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やってきました。やはり本場の牛たんはレベルが違います。焼肉屋に出てくる牛たんがハムに思えてきます。歯応えも抜群でいつまでも噛み続けられます。大阪にもあるみたいなのでこの味を思い出しに今度食べに行こうかなと思います。

 

政宗公とずんだ餅

お腹を牛たんで満たした後は仙台の街を徘徊します。まずは観光バスるーぷる仙台の一日乗車券を買ってバスに乗り込みます。

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この「るーぷる仙台」ですが、9時から16時まで15〜20分間隔で運行しています。仙台駅から観光名所を縫うように走り、また仙台駅に戻るというルートをとっています。車窓からの景色も非常によく、一日乗車券は仙台観光には必要不可欠なアイテムと言えます。

るーぷる仙台 一日乗車券】大人620円

 

バスでまず私が向かったのは瑞鳳殿。仙台の英雄、伊達政宗公が眠る霊屋(おたまや)です。バス停から瑞鳳殿に向かうまでは長めの石段があり、ものの10分でかなりの大汗をかきました。仙台ってこんな暑いんですね…


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ぱっと見ですが日光東照宮と雰囲気が似ている気がします。この近くには二代目伊達家藩主の忠宗の「感仙殿」、三代目藩主の綱宗の「善応殿」がそれぞれの霊屋として鎮座しています。


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(なぜか引きの写真がなかったです。スミマセン)

瑞鳳殿】大人一人550円

 

瑞鳳殿を後にし、再び「るーぷる」に乗り込みます。向かう先は仙台のランドマークである仙台城跡です。写真でよく見る伊達政宗公の騎馬像がある超有名スポットですが、かなり標高の高いところに位置しているので仙台の街を一望できます。

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そして政宗公の騎馬像をパシャリ。

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顔をはっきりと写すことができませんでしたが、政宗公といえば「独眼竜」として知られており隻眼の武将として名を馳せた人物です。幼少の頃に天然痘の影響で右眼を失明したことからこの名がつけられたとされています。右眼に関しては家臣に切り取らせたという説や自らが切り取ったという説もありますが、眼帯で隠したという説が一般的とされているようです。政宗公はどうやら隻眼だったことを苦にしていたようで、双眼に描かれた自画像や木像が見つかっています。

 

騎馬像の近くにはお土産屋やレストランが軒を連ね、その付近には資料展示館もあります。そして、仙台に来たからにはこれを食べなければなりません。

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牛たんと双璧を成す仙台名物の一つ、ずんだ餅です。もちろん美味しかったのですが、餅のインパクトが思ったよりもヘビーでかなりお腹にきます。「ずんだ」というのは、枝豆やそら豆をすりつぶした緑色のペーストのことを指します。元々はお盆やお彼岸の時期に米農家が作っていたものですが、それをある店が「冷凍ずんだ餅」として開発・販売したことをきっかけに全国的なヒットを博したということだそうです。

 

ずんだ餅を食ってから「るーぷる」で仙台駅に戻りましたが、この時お腹に違和感を覚えました。牛たんとずんだ餅という普段滅多に食べられないものを一気にお腹に入れてしまったせいで体がびっくりしたのでしょう。特にずんだ餅の「餅」のインパクトは絶大だったようです。急いでトイレに駆け込みました。まあただの食べすぎなんですがね(笑)

 

ひと波乱ありましたが今回はここで区切り、次の目的地へ向かいます。日本三景といえば、もうおわかりでしょうか。NKHいきます。

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ヒントになってねぇですね。では、今回はこの辺で。ごきげんよう

突然ですが…

突然ですが、当ブログはちょっとだけ変わります。言わば「マイナーチェンジ」です。

 

今までのコンセプトは継承しつつ、幅広いジャンルに対して思ったことをお話しさせていただこうかと。更新頻度も増やすつもりで頑張ろうと思っています。新たなブログ名はこちらです!!

 

Konpei's NOTE

 

ブログ名を変えた理由ですが、メインの旅行記のみならず自分の考えなど旅行記以外のテーマも取り上げる機会が増えたためです。「Diary」という単語も候補にありましたが、日記とするほど更新頻度が高いわけでもない為「NOTE」と名付けました。

 

また、マイナーチェンジを行うにあたり、以下の「3ヶ条」を徹底しようと思います。

  1. 他者を差別・批判するようなことは書かない。
  2. ネガティブなことを記事にする場合もネガティブなまま終わらせない。
  3. ここで書いた目標・願望を必ず実現させるように努力する。

 

また、当初より「自己満足」のためのブログとはお伝えしておりますが、アクセス数が芳しくありません。ネット上でもコミュ障をこじらせてInstagramにしかリンクを貼っていないことが原因だと考えています。ですので、今後はより多くの方々に見ていただけるような努力もしていこうかと思います。

 

という訳で、今後とも「Konpei's NOTE」をよろしくお願い申し上げますm(_ _)m

【独り言】ブロガー・動画投稿者の振る舞いとは

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こんなトーシローの底辺ブロガーである私ごときが言えることではないのですが、ブロガーや動画投稿者(いわゆるYouTuber)にも最低限の振る舞いってものがあると思います。私が思う「最低限の振る舞い」というのは、「他人に敬意を表すること(特に同ジャンルで活動される方に対して)」と「謙虚さを持つこと」だと考えています。

 

たまに鉄道ネタを取り扱うYouTuberさんの動画を見て旅行気分に浸っているのですが、その中であまりにも配慮に欠けた言動をされた方がいらっしゃいます。彼は鉄道ネタを中心に動画を投稿し、ある一定の人気を博していましたが、ある動画の中で同ジャンルの動画投稿者を「底辺YouTuber」と吐き捨て、さらにはそのジャンルでトップに君臨する方に対して喧嘩を売っているとも取られかねない言動を取り、多くのファンの方々から非難を浴びました。彼は大した謝罪もせず、現在も動画投稿活動を自粛しているそうです。私自身は騒動の前に何本か彼の動画を拝見したのみですが、自己満足な内容で独りよがりな感じが見受けられ好みではありませんでした(かくいう私のブログも自己満足かつ独りよがりなものですが…)。その一方で、独特の切り口で動画を作られていたことと全国各地を飛び回るフットワークの軽さについては見習うべきポイントでした。ファンの方との交流の機会を増やしたり、同ジャンルの投稿者の方とコラボでもすればより一層ウケる可能性はあったと思いますので勿体ない感じがしました。

 

ここからは私の憶測、彼はコミュニケーションが苦手でリアルの世界でも趣味でも相談できる人がいなかったのではと思います。それを少々過激な言い方をする事で誰かに構って欲しかったのではないかと。仮にこの憶測通りであれば私も正直彼と似たような一面があるので人のことを言えた立場ではありませんが、自虐ならまだしも他人に対して「底辺YouTuber」と口に出すのは言語道断だと思います。当然登録者数や再生回数の多さに差が出る世界ではありますが、数が大きくなったとしても最低限の敬意と謙虚さは持って然るべきです。特に同ジャンルで活動する方々に対しては。負けられない相手というのはわかりますが、素直に相手の良いところを認めることが最も重要かと思います。同業の方はお互いに切磋琢磨すべきライバルであり仲間でもあるのではないでしょうか。

 

彼の人格を否定することはできません。しかしながら、取った行動は許されるべきことではありません。今後の進退に関してはご本人次第なので「ど底辺」の私がとやかくいう立場ではないのは重々承知していますが、もし反省もせず他者への配慮を欠くような態度を改められないようであれば潔く動画制作・投稿を引退すべきですし、まだやりたいと言うのであれば視聴者の前でしっかりとご自身の言葉で謝罪された上で復帰すべきだと思います。

 

また他人を非難することはもちろん、嫉妬も良くありません。嫉妬から劣等感を産み、劣等感から自己嫌悪を産み、それがトラブルのもとになったりもします。私はすぐ他人と比べてしまう性格で、劣等感を感じやすい性格です。しかし、他人との比較は何の意味も為さないと思います。今の時代は他人との競争に勝った者ではなく、最後まで自分らしく生きることができた者が勝つ時代ではないかと勝手に考えています。他人とすぐ比較しては高望みをするようではいつか自分を見失います。

 

少し話が脱線してしまいました。話を戻します。もし自身のブログや動画がウケるようになり人気のコンテンツになったとしても「初心忘れるべからず」で謙虚さをもって振る舞うことが大事だと思います。先述のYouTuberさんのようなことは例えヤケになったとしてもしてはいけません。トップに君臨するような方でも最初は右も左もわからず、色々な方の助けがあってのし上がることができたのだと思います。経験を重ねて「ベテラン」という立場になっても、経験の浅い方に自分の経験を交えて優しく助言してあげられるような人こそが理想と言えるのではないかと私は思います。

 

以上がブログや動画の制作に携わる人が心がけるべきポイントではないかと考えています。私もまだまだペーペーの素人ですが、ブログをしている一人として「敬意と謙虚さ」を大切に頑張っていきたいと思う次第です。仕事でも私生活でも他人の粗探しなんかよりもいいところを見つける、そして「ベテラン」と言われる域に達しても初心を忘れず、驕り高ぶらず優しく助言してあげられる人間になれるよう生きていきます。

【難読地名制覇の旅】番外編・「毛斯倫大橋」ってなんと読む?

こんにちは。

私自身も忘れかけていたのですが、6月ぐらいに新しい企画として「大阪難読地名制覇の旅」を始めていました。

【新企画?】大阪難読地名制覇の旅 - Konpei’s TRAVEL

それなりに気合入れてやるつもりだったのですが予想を超える猛暑が続いたため、一旦活動を休止させていただきました。ようやく涼しくなってきたのでそろそろ活動を再開しようかと考えておりますが、今回は番外編としてとあるスポットを紹介したいと思います。地名ではありませんが、珍名・難読スポットということで番外編ということにさせていただきます。

自宅から自転車をかっ飛ばすことおよそ30分、大阪市淀川区加島と兵庫県尼崎市戸ノ内町を結ぶ橋が今回紹介するスポット。その名も…

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初見の方だとおそらく読めないのではないでしょうか。私も初めて見たときはひたすら「?」でした。すぐに正解を発表しても面白くもなんともないので、ヒントを与えましょう。

  1. 由来は織物の名称
  2. 「毛斯倫」の読み方は4文字

 

さて、「毛斯倫大橋」の周りの様子を見てみることにしましょう。まず尼崎側からですが、すぐ近くに公園があります。この公園の名も例の橋から取っています。至って普通の公園ですが、私が来たときは不気味なことに自転車が3台ほど散乱していました。中高生のたまり場的存在になっている印象です。また、この公園の北側にはファミマがあり、車の出入りもそれなりに多いです。さらに公園の入り口付近には阪神バス尼崎市内線のバス停「戸ノ内」停留所があり、尼崎市中心部へのアクセスが可能です。

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↑尼崎側の様子。ぼかしていますが、交番の名称も例の橋から取っています。

 

続いて、尼崎側から橋を渡ってみましょう。この橋、写真の通り傾斜がかなりきついのです。向こう側が見えません。

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橋の頂点からはなかなかいい景色が見えます。西の方角には六甲の山々が、東の方角には大阪市街のビル群が見えます。


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府県を跨ぐこの橋ですが、境界を示すものは一切見当たりません。知らぬ間に大阪府に入り、向こう岸に到着です。どちらかといえば住宅地と言える尼崎側とは対照的にこちらは工場地帯が広がります。

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この橋、昭和45年に完成したようです。今年でちょうど50歳でしょうか。私の両親よりいくつか後輩となります。

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そろそろ「答えを教えろ」という声が聞こえてきそうですので、正解発表と簡単な歴史の解説に移ります。正解はこちら!


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正解は「もすりんおおはし」でした。
「もすりん? どっかのゆるキャラか?」と思われる方もいらっしゃるのではないかと思いますが、先ほどもヒントでお伝えした通り織物の名称です。日本においては現在ほとんど流通していないとのことですが、かつては和服や軍服などに用いられたそうです。

先ほど、現在の毛斯倫大橋は昭和45年に完成したとお伝えしましたが、起源は大正時代にまで遡ります。この頃の毛斯倫大橋は「毛斯倫株式会社」という民間企業が設立したいわゆる「私設橋」で、この会社が架橋したことに因んで社名がそのまま付けられたものと思われます(現在は毛斯倫株式会社の敷地跡など橋の周囲から当時の様子を窺い知ることはできません)。その後、昭和7年大阪市に引き継ぎましたが狭い幅員や交通量の増加、老朽化などにより危険な状態となったため、昭和43年に架け替え工事を開始。その2年後に現在の毛斯倫大橋が完成したのです。ちなみに、この頃ヒットした藤田まことさん(俳優、故人)の「十三の夜」という曲の中に毛斯倫大橋の名前(モスリン橋として歌詞に登場)が出てきます。

 

ということで、ざっくりではありますが難読スポットということで「毛斯倫大橋」をご紹介しました。皆さんの街の近くにも珍名・難読スポットがあるかもしれません。時間があれば探してみてはいかがでしょうか。新しい学びや発見があると思いますよ。

 

【参考にしたサイト】

大阪市:毛斯倫大橋(もすりんおおはし) (…>橋>橋の紹介)