Konpei’s NOTE

旅行記や独り言などいろいろ

【みちのくひとり旅】Part.2 ああ松島や、松島や(涙)

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前回、人生で初めての東北の地に降り立った筆者。牛タンに舌鼓を打ち、瑞鳳殿青葉城といった仙台の名所を巡り、ずんだ餅を食しました。しかしその後、ずんだ餅の洗礼か腹痛が筆者を襲い掛かる…というところで終了。今回は日本三景の一つ、松島へ向かいます。前回がまだの方は下のリンクからどうぞ!

前回:【みちのくひとり旅】Part.1 ずんだ餅の洗礼 - Konpei’s NOTE

<目次>

 

大都会仙台?

腹痛を抱えたまま仙台駅に戻り、駅前のロフトの中のトイレに駆け込みました。外に出ると雨が降ってきました。写真にもはっきりと雨粒が写っています。次の日も雨模様ということで、天気には期待が持てなさそうです。

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ところで、仙台駅って大きいですよね。新幹線も乗り入れているのでそれなりに大きいとは思っていましたが、思っていたより栄えていましたね。初めて来たところというのは「ここはあそこと似ているな」という感情を抱きがちなのですが、仙台は唯一無二な気がします。駅周辺を見てもバカ高い高層ビルが乱立しているというわけでもないですし、独特の雰囲気があるようにも感じました。

松島へ行くために仙石線に乗車するのですが、なんとホームが地下にあります。そもそも地下にホームがあることを初めて知りました。改めて仙台すげえって思いました。

仙石線は仙台のひとつ前の駅であるあおば通駅から陸前原ノ町駅までは地下を通ります。途中の宮城野原駅東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地であるKoboパーク宮城(現在は「楽天生命パーク」)の最寄り駅なので楽天の球団歌が発車メロディになっています。

 

虹がお出迎え! しかし…

仙台からおよそ40分で松島海岸駅に到着。ホームに降り立つと雨はやみ、虹がかかっていました!

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虹なんて年に1回見られるかどうかわからないんですよね。でもこれを世界遺産で見られたというのは縁起がいい。ああ、松島が楽しみだ。

松島海岸駅から15分ほど歩くと海辺へ出ます。やはり、日本三景の一つであることを大々的にアピールしています。日本三景というのは、江戸時代に儒学者林春斎が記した「日本国事跡考」の中で特に美しいとした景色のことで、この松島のほか京都の天橋立や広島の宮島が選ばれています。また、今回のタイトルにも一部を採用しましたが「松島や ああ松島や 松島や」という句が有名です。この句は松尾芭蕉が詠んだものと思われがちですが、実は芭蕉は松島では句を詠んでいないのです。しかも本当は「松島や さて松島や 松島や」と詠まれたものです。これを作ったのは江戸時代の狂歌師・田原坊という人物。芭蕉が松島を見たときの気持ちをパロディ風に詠んだものとされています。それが後世に語り継がれ今に至るというわけでございます。

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天橋立や宮島は一度ずつ行ったことがありますが、遠く東北の地にある松島なんぞは関西人の私にとっては憧れの地でありました。「とびきり最高の景色がみられるんやろなあ」とハードルを上げまくり、ワクワクが止まりません。

しかし、初めての東北で浮足立ったのかろくに下調べをしていなかった私。時刻はすでに16時半を回っていました。観光地のこの時間は「閉店ガラガラタイム」なのです。限られた時間ではありますが、行けるところに行きます。

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こちらは松島のシンボルとして有名な瑞巌寺に隣接する五大堂すかし橋。中に五大明王像を安置していることからそう呼ばれるようになりました。五大明王とは中央に大聖不動明王、その周りに東方降三世、西方大威徳、南方軍茶利、北方金剛夜叉を指します。全員名前がいかつい。ケンカを売られようもんなら多分10秒足らずでボコられます。

足場が列車の線路みたいになっているすかし橋はその名の通り下が透けて見える構造となっていることからこの名が付きました。五大堂のお参りをするときに「心も体も乱れがないように足元をよく見つめて気を引き締めて渡りなさい」というメッセージが込められているとも言われています。

偉そうに説明しましたが、この時は景色のことに気を取られ歴史のことは考えてもいませんでした。観光はその地の歴史を知る貴重な機会なのですが、この時の私はどうやら落ち着きがなかったようです。反省しなければ…

その後、赤くきれいな橋が島に向かって架かっているのを見つけました。看板を見ると橋の先にある「福浦島」には魅力的なものがいっぱいありそうだったので迷うことなく島へ!

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しかしここで閉店ガラガラの時間に。私の前を歩いていた二人組が係員のおじさまに静止されてしまったのです。橋を渡るには受付で200円の入場料を払ったうえで入場券の提示が必要だったそうですが、少し回り込んでみると橋の入り口に入ることができる柵が開けっ放しになっていたのです。何も知らない私はそこから入りこんでしまいましたが、タダで渡るなんてルール違反ですし罰当たり以外の何物でもないので撤退しました。

ということで、初めての松島は不完全燃焼に終わってしまいました。タイトルの(涙)とはこのことです。近くにあった定食屋でカキフライを食べて松島を後にしました。カキフライめちゃくちゃおいしかったです。食うことに夢中だったのと不完全燃焼に終わったショックから写真を撮れませんでした。いつかリベンジしたいですが、何年先になることやら。最後に松島の風景を一気にどうぞ。

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落ち込んでいる暇はない!

完全にタイムスケジュールが狂ってしまいましたが、まだ東北は始まったばかり。この日の宿に移動するため電車に乗りますが、ものの10分で辺りが暗くなりました。海辺から駅に戻るまでの10分です。

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この時、松島海岸駅の駅舎にいたのは私を含め数人でしたが、物静かでかなり不気味な雰囲気すら感じました。日中の暑さを忘れさせるくらいの涼しい海風、電車が線路を通過する音も響いてきます。このような雰囲気は嫌いではなくむしろ好きなのですが、寒いくらいの海風が不気味さを演出していた感じがします。なんか伝わりにくくてスミマセン。

さて、本日の宿は多賀城駅近くのルートイン。初めてルートインに宿泊しましたが、これまでに泊まったビジネスホテルとはレベルが違いました。ベッドの横に立派なソファとテーブルまでついていて、一人には十分すぎるくらいの空間でした。ルートインの中でもトップクラスじゃないでしょうかね。このほか、広々とした大浴場もありました。普段朝は風呂に入りませんが、夜と朝の2回入りました。ルートインってこんなにいいホテルだったんですね。「宿は妥協するな」と前日の自分に言ってやりたいですね!(Part.0参照)

 

謎!仙台へ戻る!

翌朝、多賀城を後にし仙台へ戻ります。仙台→松島→多賀城→仙台といった具合にUターンしてしまいました。というのも、高速バス北に向かうのに仙台まで戻らざるを得ないのです。そのためだけにわざわざ来た道を戻ります。今考えたらもっと効率的な方法があったんですが、慣れない地なのでしゃーなしですかね。

乗車する高速バスは「高速乗合バス」なので、予約は不要ですが並ばなければなりません。席が埋まってしまったら乗車はできないので早めに乗り場へ着かねばならないのですが、乗り場に着いた時には15人ほど並んでいました。失礼ながら油断していました。座れないことはないですがどうせなら車窓を見ながら移動したいですよね。一抹の不安を抱きながらも結果的に窓側を確保できたのでよかったです。

今回はここで区切りまして、次回は人生初上陸となるあの県へ行きます。当ブログの草創期に次回予告としてNKHってやつをやっていましたが、「誰が興味あんねん!」って話ですよね。恐縮ですが、久々にやらせていただきます!

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では、この辺で失礼します。皆さん、ごきげんよう

【怒涛の9連発】大阪難読地名の旅 Part.3

始める前に嘆きます。体力的にハードなこのシリーズですが、調べるのもかなりの時間がかかります。それを自分の言葉でわかりやすく伝えるということって特に大変なんですね。のっけから愚痴を失礼しました。前回は下のリンクからどうぞ。

前回:【久方ぶり】大阪難読地名の旅 Part.2 - Konpei’s NOTE

<目次>

 

11.安立(2020.11.1訪問)

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  • 所在地:大阪市住之江区
  • 読み方:あんりゅう
  • 到達難易度:★★☆☆☆
  • 初見殺し度:★★☆☆☆

阪堺電車の沿線に位置する町です。最寄りは安立町の電停ですが、少し西へ行くと南海本線の住之江駅に出ることもできます。さらに、「安立商店街」という昔ながらのアーケードを構えた商店街があります。ここがこの町のメインストリートといったところでしょうか。

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町名の由来ですが、江戸時代にこの地にすんでいた医師「半井安立(なからいあんりゅう)」から名付けられたそうです。半井の家系は徳川将軍家御典医で、安立も腕の良い医者で多くの人から信頼を得ていた「名医」としてその名が知られていました。

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商店街の入り口に一寸法師ゆかりの安立町という看板が掲げられています。針で戦うことで知られている一寸法師ですが、安立町はかつて針の行商人が多く住んでいたそうです。一寸法師住吉大社付近にルーツがあるということなので直接の関係があるかどうかはっきりとわかりませんが、住吉大社に近いといった理由で便乗したともいわれています。

 

12.遠里小野(2020.11.1訪問)

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大阪市の南端、大和川沿いに位置するのが「遠里小野」です。大和川には遠里小野橋という橋が架かり、川を超えた堺市にも「遠里小野町」という地名が存在します。普通「遠」という字を「お」とは読みませんので初見の方は困惑待ったなしです。

最寄り駅はこちらも難読、南海高野線我孫子前駅です。「我孫子」については後ほど紹介します。また、大阪シティバスの停留所に「おりおの橋」という停留所があります。こちらは初見殺しを回避するためかひらがな表記です。

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この地名は万葉集に記録があるほど古くからあり、「とをさとをの」と読まれていました。この他、「瓜生野(うりうの)」から訛ったとする記録もあります。

住吉の遠里小野(とほさとをの)の真榛(まはり)もち摺れる衣の盛り過ぎ行く

上の歌は実際に万葉集に載っていたものです。万葉集にはこの歌以外にも「遠里小野」というワードが入っている歌がいくつかあるそうです。

 

13.我孫子(2020.11.1訪問)

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  • 所在地:大阪市住吉区
  • 読み方:あびこ
  • 到達難易度:★☆☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★★☆

遠里小野の最寄駅として、我孫子前駅を挙げましたので続けて紹介しましょう。「我が孫の子」と書いて「あびこ」と読みます。最寄り駅はJR阪和線我孫子町駅と大阪メトロ堺筋線あびこ駅です。

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この地名はかつてこの地に住んでいた豪族、依羅吾彦(よさみのあびこ)からきています。依羅氏は朝鮮にあった百済からの渡来人だったことから「吾」は朝鮮語で「あ」を表す「我」、「孫子」は「孫の子」を意味する「隔子」から転じたものとされています。さらに、この住吉の地はかつて海に面していたことから、漁師を意味する「網曳子」からできた説もあるそうです。依羅吾彦も「依羅→寄網」+「吾彦→網曳子」という説があるとのこと。なるほど、わからん(笑)

なお、千葉県にも我孫子市という場所がありますが、こちらは大阪と由来が異なるそうなので割愛します。

 

14.立売堀(2020.11.1訪問)

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  • 所在地:大阪市西区
  • 読み方:いたちぼり
  • 到達難易度:★☆☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★★★★

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初見殺し度が限界突破しました。特殊な訓練を積んだ大阪府民の方ぐらいしか読めない地名です。私も最近読み方を知ってびっくりポンでございました。場所としては地下鉄中央線・千日前線阿波座駅の南側。見上げてみると阪神高速、周囲には様々なビルが立ち並んでいます。

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なぜこのような地名となったのでしょうか。その昔、東北地方の盟主だった伊達氏が大坂冬の陣及び夏の陣でこの付近に堀を作って陣地を構え、その跡を掘り足して川としたことにより伊達堀(だてぼり)と呼ばれました。やがて「いたちぼり」と呼ばれるようになり、材木の立ち売りが認められるようになったことで読み方はそのままで「立売堀」と字を当てたという説があります。「伊達」というのもかなり難しい読み方ですが、そこから転じて今の読み方になったんですね。この他にも「動物のイタチがいたから」といったシンプルな説もあります。

 

15.放出東(2020.11.7訪問)

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  • 所在地:大阪市鶴見区
  • 読み方:はなてんひがし
  • 到達難易度:★★☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★★★

日付は変わって11月7日。暇を持て余すためのウォーキングを兼ねて難読地名ハントに出かけました。「ほうしゅつひがし」と読んだ方、正解ではありませんがそれが普通だと思います。昔は「ハナテン中古車センター」という中古車屋がありましたが、現在は新卒を大量に採用することで知られるビッグモーターに変わりました。小さいときにテレビやラジオで「♪ハナテン中古車センタ~」というサウンドロゴを耳にしたことがあります。大阪府民の方ならご存知かと思います。

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説としては主に2つあります。1つがかつて存在した河内湖という湖から淀川への放出口に位置していたことから「はなちで」→「はなちてん」→「はなてん」と訛った説、もう一つは熱田神宮から草薙の剣を盗んだ新羅の僧・道行の乗った船が難破してこの地に漂着、神の怒りを恐れて草薙の剣を放った(=放出した)という説などがあります。

 

16.茨田大宮(2020.11.7訪問)

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  • 所在地:大阪市鶴見区
  • 読み方:まったおおみや
  • 到達難易度:★★☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★★☆

続いてこちらも鶴見区にある茨田大宮。大阪市の東端に位置し、北へ進むと門真市へ、東へ進むと大東市に入ります。謎の鉄塔が目印の三井アウトレットパークがこの町のシンボルです。この鉄塔ですが昔はアトラクションとして機能しており、高さ20~30mぐらいまで上がってゆっくりと下りてくる気球型のエレベーター的なものがありました。子供の頃に一回親と乗りましたが高所恐怖症の私としては今思い出すとかなり怖かったです。

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由来としては、日本書紀などに記載がある茨田(万牟田)湿地仁徳天皇の時代に「北の河」とされた現在の淀川の氾濫を防ぐために築かれた茨田堤からきているとされています。読み方としては「まった」以外にも「まむた」「まんだ」という読み方があり、そこから転じて今の読み方になったという説があります。なお、「まむた」は湿地帯を指す言葉ともいわれているそうです。

 

17.住道(2020.11.7訪問)

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  • 所在地:大東市
  • 読み方:すみのどう
  • 到達難易度:★★☆☆☆
  • 初見殺し度:★★☆☆☆

この企画の一発目に「住道矢田(すんじやた)」という地名を紹介しましたが、今度は「すみのどう」と読みます。住道矢田東住吉区でしたが、住道は大東市にあります。混同しないように注意しましょう。

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駅名にもなっている町名ですが、規模としてはJR学研都市線住道駅前のわずかなエリアのみ。「○○住道店」といったお店が多くありますが、所在地の地名としては住道から外れています。お客さんがアクセスしやすいようにそのような手法をとっているのでしょうか。

住道のルーツは1889年、明治22年までさかのぼります。町村制が施行されたことによりいくつかの村やまちが合併され「住道村」が発足します。この名は舟運が盛んだったころに大和方面へ向かう船の荷物を積み替える場所として栄えていた「角ノ堂浜」 が由来となっています。その後、「住道町」と名前が変わり、1956年に現在の大東市が発足しました。

 

18.御厨(2020.11.7訪問)

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  • 所在地:東大阪市
  • 読み方:みくりや
  • 到達難易度:★★☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★★☆

この日最後の難読地名は東大阪市にある御厨。近鉄奈良線八戸ノ里駅から北に10分ほど歩いた場所にあります。北から順に「御厨」「御厨中」「御厨南」という地名が並び、付近には大阪商業大学のキャンパスもあります。ちなみに私は同じ東大阪にある某マンモス大学に通っておりました。ここまで言ったらもうお分かりだと思います(笑)

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「御厨」という言葉は古来より「神の台所」を指す言葉で、お供え物である神饌を調進する場所を意味します。同時に神饌を調進するための領地を意味する言葉でもあり、神社が地域の特産物を納める代わりに神税が免除される荘園を指すものとしても使われました。鎌倉時代には全国に500余りの「御厨」が存在したそうです。その名残で現在も地名や名字として使われているのです。

 

19.道修町(2020.11.21訪問)

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  • 所在地:大阪市中央区
  • 読み方:どしょうまち
  • 到達難易度:★☆☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★★★★

このシリーズ2回目の限界突破でございます。初見殺し度と同じく私の脚が限界突破した先日の徒歩マラソンの道中で通ったので逃すことなく記録しました。御堂筋・堺筋などを東西に貫く細長い街で、商品のネーミングセンスに定評のある小林製薬の本社ビルも存在します。

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ここは「薬の街」として有名な場所であり、先ほどの小林製薬以外にも武田薬品工業塩野義製薬田辺三菱製薬といった製薬大手が本社を構えています。江戸時代に輸入薬を扱う「薬種問屋」がこの地に集住したことがはじまりとされています。その後、日本を産地とする薬を検査する「和薬種改会所」が設けられ、日本で売り買いされる薬がここ道修町に集められ、そこでの検査をクリアした薬が全国へ流通されていった時代もあったそうです。町名の由来としては「近くに『道修寺』という寺があったことから名づけられた」という説や、北山道修(きたやまどうしゅう)という薬学者がいたことから名づけられた説などが存在します。

 

今回はここまでですが、なんとまだ折り返しにも達していません。あと30か所以上回らなければなりません。いつ終わるかわかりませんが、来年の夏までには必ず終わらせたいと思います。1年以上時間を費やしてしまうと夏が来て猛暑で足止めを食らってしまいますからね。最後に次の目的地を決めるルーレットを回して終わります。

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次回は「包近町」からスタート。実際に行けるのは年明けになりそうですが、当ブログはまだ更新する予定です。では、皆さんごきげんよう

次回:【チャリで来た】大阪難読地名の旅 Part.4 - Konpei’s NOTE

 

【参考としたサイト等(一部)】

高砂橋・成清橋と「安立」由来 西住之江を辿る - 大阪府保険医協会

大阪に関するよくある質問 - 大阪市立図書館

我孫子=あびこの由来 : すみよし探歩

大阪市西区:西区のあらまし (区政情報>西区について)

「放出」の地名の由来

大阪市鶴見区:区名、地名の由来 (区政情報>区のあらまし)

住道町 - Wikipedia

御厨 - Wikipedia

なにわ地名よもやま話 道修町 | 地図から学ぶ、生薬(きぐすり)のふるさと | 漢方を知る | 漢方薬 漢方薬局 薬店のことなら きぐすり.com

【GoTo静岡の旅】Part.2 大井川鐵道で秘境を行く!

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前回は静岡遠征初日。掛川の城下町を散策し天竜浜名湖鉄道でちょっとしたローカル線の旅を楽しみ、ラーメンと餃子を食べたところで終了。今回はこの遠征のメイン、大井川鐵道に乗車します。

【GoTo静岡の旅】Part.1 城下町とローカル線 - Konpei’s NOTE

<目次>

 

気分は遠足に行く小学生!?

旅というものは疲れるもので、普通であればベッドに入れば比較的すぐに眠りにつくことができます。しかしこの日は遠足前日の小学生にでもなったのか全く眠れず。寝ていたとは思いますが、寝た感じが皆無なのです。目をつむっているのに意識が遠のかないというアレです。旅先でこんな目に遭ったのはおそらく初めてです。

そして翌朝、眠れなかったわりに目覚めは意外とすっきり。ホテルにはバイキング会場がなかったため、朝食は前日にコンビニで買ったパンなどで済ませました。大井川鐵道の始発駅、金谷駅へは掛川からわずか2駅ですが駅間が長いため15分ほどかかります。JR金谷駅を出て右側に大井川鐵道金谷駅があります。こちらも天竜浜名湖鉄道掛川駅と同様、始発駅なのに駅感がありません。

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ここで、大井川鐵道の概要を。金谷から千頭までの大井川本線と、千頭から井川までの井川線と2つの路線に分かれます。大井川本線は普通の列車が走っていますが、井川線は日本唯一のアプト式列車」が走ります。「アプト式列車」とは、急こう配を上るため車体の下に歯車が付いた列車のこと。この歯車と線路の真ん中に敷かれた歯形のレール(ラックレール)をかみ合わせて坂道を上り下りします。井川線アプトいちしろ駅長島ダム駅の間で採用されています。

そして、窓口で金谷から井川までの全線と路線バスの一部区間で使用可能な「奥大井周遊きっぷ」を購入。普段は4,980円のところ、キャンペーン価格ということで(ほぼ)50%オフの2,450円。金谷から井川までの運賃が3,180円ですから、往復すればキャンペーンがなくても元が取れてしまう悪魔的乗車券でございます。このほか、A3サイズの沿線ガイドやノベルティのマスクケースまで頂いちゃいました。至れり尽くせりとはまさにこのことか。

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まるで「大井川再生工場」!?

乗車券を買った後、JRの乗り換え口からハイキングに行かれる方々とみられる集団がやって来ました。その後も観光客の方々がぞろぞろとホームに集まります。窓口には3人ほどしか駅員さんがいらっしゃらなかったのですが、素早く丁寧に対応します。

そして出発時刻になりました。やってきた列車はいかにも年季が入っているであろう車両、写真やらで見覚えがあるのですが初めて乗車する車両であることは間違いありません。

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調べてみますと、かつて南海電車の急行・特急で使用された21000系。製造年は驚愕の1958年。なんと62年選手です。難波から高野山を結ぶ高野線で使用されていた車両とのことで、急こう配を上る車両という共通点から大井川鐵道に譲られたのでしょう。このほか、近鉄特急で活躍していた16000系や東急や青森の十和田電鉄で走っていた7200系も活躍中です。さらに、現在は引退済みですが京阪電車で「テレビカー」として活躍した3000系も走っていました。

大井川鐵道はSLが有名ですが、このように他社で役目を終えた車両を再利用することで有名です。最近は南海で走っていた車両が新たに導入予定ということで、「大井川再生工場」(勝手に命名)の今後に注目です。

21000系の車内を撮影したいところでしたが、たくさんの方が乗車されていたため控えました。座席は赤いモケットに転換クロスシート、座面が意外に低く沈み込む感じがしました。60年以上使われている車両ですが、乗り心地は悪くありません。

金谷から一駅の新金谷駅では「きかんしゃトーマス」のキャラクターを模したSL機関車が止まっていました。これ目当ての家族連れの方も多くいらっしゃいました。新金谷を過ぎると車窓からは静岡を象徴する茶畑、大井川の清流を眺めることができます。あいにくの天候ですが、茶畑はいつ見てもきれいな緑色してますね。

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日本唯一のアプト式列車に乗車

金谷駅から1時間10分ちょいで終点の千頭駅に到着しました。この先の井川線は線路の形状が変わるため、乗り換えが必要です。ここにもトーマスのキャラクターが並びます。

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井川線への乗り換え口では駅員さんが検温を実施しています。検温をパスできれば黄色い紙のリストバンドが渡されるのでそれを見える場所に着用します。井川線の車両は大井川本線の車両と比べて小型ですが、その分両数が長くなります。1両につき32人乗車可能ということで、小ささのわりにキャパシティはそれなりにあります。体感としては遊園地にあるミニSLとかその辺の乗り物に乗っている感覚です。

ここからの井川線南アルプスあぷとラインの愛称が付けられており、元々は大井川水系のダム建設での資材運搬用のトロッコとして作られました。それを奥大井エリアの観光列車として転用したという経緯があります。

千頭駅を出た列車は大井川上流に向けてゆっくりと進んでいきます。カーブが多い路線なのですが、カーブを曲がるときは特に「ギギギ~」とけたたましく音を立てて曲がっていきます。都会の列車でここまで音を立てる列車は現代ではそうそうないでしょう。だだし、この列車だとその音さえも楽しむことができてしまいます。

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井川線の駅は今までの駅よりも「秘境色」マシマシといった感じで、ホームすらない駅もあります。これを見たときは流石の私も度肝を抜かされました。改札がないならまだしも、ホームもないし駅名標を立てただけといった構造です。日本にはまだまだ知らない光景があるもんですね。非日常の景色に驚く間もなく列車はアプトいちしろ駅に着きました。ここでアプト式機関車を連結し、急斜面を上っていきます。機関車の側面にはアプト式機関車を表す歯車と歯形のレールのイラストが描かれています。

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ここから長島ダム駅まで1区間のみですがこのアプト式機関車が引っ張っていきます。カーブを曲がるときのきしむ音に加え、歯車とレールの噛み合う音も聞こえます。列車に乗っているときは大したことはないのですが、外から見ると相当な傾斜があります。

アプト式と言えば、かつては群馬県碓氷峠を鉄道で超える際にも使われていました。1963年にアプト式碓氷峠から姿を消しましたが、その後も碓氷峠の急こう配を上り下りするために電気機関車を連結しての上り下りが必須となりました。現在は北陸新幹線の開業に伴い、この区間は廃止され遊歩道として活用されています。一度行ってみたいものです。

 

秘境は続くよどこまでも

急こう配を上ると行ったことがないですがマチュピチュに近い雰囲気の建造物が見えてきました。駅名にもなっている長島ダムです。完成は2002年と比較的新しいダムとのことです。ここで機関車の切り離しを行います。千頭方面へ向かう対向列車もここで機関車の連結を行います。

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列車はかなり奥まったところまで上ってきたようです。川の色も濃い目のエメラルドグリーンに変わってきました。ここで大井川鐵道を代表する名所の一つ、「レインボーブリッジ」を渡ります。高いところから眺めるこの橋は絶景とのことなので、あとで寄ってみようかと思います。

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先ほどお話しした駅のお話ですが、井川線の駅はこのような所ばかりです。下の尾盛駅はホームがある分まだ中規模の駅といったところでしょうか。

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千頭駅から1時間と40分ほどしてようやく終点の井川駅に到着。金谷駅からは3時間が過ぎていました。これだけ内容盛りだくさんの鉄道路線は後にも先にもこれが初めてになるのではないでしょうか。

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井川駅を出て5分ほどでまたダムが見えてきました。中部電力管轄の井川ダムです。近くには「井川展示館」という博物館もあります。トイレ休憩だけの使用にとどまりましたが…

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トイレ休憩もそこそこに井川駅にとんぼ返りします。この後はレインボーブリッジの絶景を見るために奥大井湖上駅に向かいます。

 

山奥の「レインボーブリッジ」

井川駅に戻り、乗ってきた電車の折り返しに乗って千頭方面へ。30分ほどで奥大井湖上駅に着きました。大井川鐵道を代表する駅ということでホーム上には十数人の人がいました。どうやら「恋人の聖地」としての役割も担っているのかハート形のベンチが置かれています。さらに、タバコに見せかけた静岡茶「Chabacco」の自販機もあります。お値段は600円と本物のタバコよりも高級品です。お金を入れてボタンを押すまでは普通の自販機と同じですが、この自販機ではSLの写真の上にあるつまみを引っ張らないと商品が出てこない仕組みになっています。

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さらに、「中部の駅100選」にも選出されたようです。これで入っていなければ中部地方の駅どんだけレベル高いんだってなりますね…

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駅のすぐ近くには小さなカフェもあり、軽食を頂くこともできます。ここで昼食にすればよかったのですが、早くレインボーブリッジの絶景を見たかったせいかスルーしてしまいます。最終的な話、この日は昼食なしに終わりました(´;ω;`)

絶景ポイントを目指して山道をずんずん進んでいきます。ここで思わぬ遭遇が。しばらく進んで10メートルほど前方に待ち構えていたのは野生の猿。このまま前進を続けると身ぐるみ剝がされかねません。しかし大事なのは自分の体、そりゃねえぜと泣く泣く引き返します。と思いきや逆に進んでいたことが判明、正しいルートを進みます。歩くこと20分ぐらいでしょうか、ようやく絶景ポイントへたどり着きます!

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素晴らしいの一言です。コロナ禍で大変な年にこんな景色を見られるなんて。来てよかった、静岡。乗ってよかった、大井川鐵道。東京のレインボーブリッジは封鎖できないというけれど、こっちのレインボーブリッジは封鎖して独り占めしたい…

なんかポエム調になってしまいましたがとにかく綺麗でした。私の他にも何人かの観光客の方がいらっしゃいましたが、口をそろえて「きれい」「すごい」とおっしゃっていました。大井川鐵道を語るうえで不可欠なスポットです。少し山道を歩きますが安いもんだと思います。

 

謎の大吊り橋を発見!

次の電車まで1時間以上あるので、奥大井湖上駅からひとつ前の接岨峡温泉駅まで歩いて行きたいと思います。駅間は約2キロほど離れています。

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山道を歩いていると大きな橋が見えてきました。小さなころから橋好きなこの私、行かないはずがございません。この橋は南アルプス接岨大吊橋」、後から調べてびっくりしましたがあのGoogleマップにも反映されていない「謎の橋」です。橋の名前自体は出てきますが、橋にあるはずの川を架ける道は見当たりません。

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ここを渡るとハイキングコースに出ることができるそうで、「八橋小道」という道を歩くことができます。その名の通り、八つの小さな橋を渡るハイキングコースになっています。「吊橋」と聞くとグラグラするイメージがありますが、ここは比較的しっかりしているので安心して渡ることができます。

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 ここからさらに歩きますと、目的地の接岨峡温泉駅が見えてきました。駅前には「森林露天風呂」という小さな温泉施設のほか、川根本町資料館「やまびこ」もあります。いずれも時間がなく行くことができなかったのが残念です。森林露天風呂でひとっ風呂浴びることができていたら最高だったでしょうねえ。

 

来た道をひたすら下る

さて、秘境での時間も終わりに近づいてきました。接岨峡温泉の駅からは電車に乗り来た道を逆戻りです。かなりの山奥に感じますが、これでも海抜496メートルだそうです。あれだけの山道を上ってきたのだからもっとあると思っていました。

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余談ですが、「標高」と「海抜」の違いをご存じでしょうか。ほぼ同じ意味ですが、「標高」は東京湾を基準とした土地の高さ、「海抜」は近傍の海からの土地の高さを表しています。ここではおそらく駿河湾あたりを基準にしていますから「海抜」という表現が使われます。

名残惜しいですが、千頭方面に戻ります。行きが「登山列車」ならば帰りは「下山列車」というべきでしょうか。風景も行きに見たものとほぼ変わりませんが、雨が止み日差しも顔を出しつつあるというのが行きと違ったところです。前夜眠れなかった影響か車内では爆睡でした。「寝る」というよりは「気を失う」といった方が適切かもしれません。

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そして約6時間ぶりに千頭駅に戻ります。半分の方は改札を出て、半分の方は大井川本線に乗り換えました。私は大井川本線金谷駅に戻ります。ここからさらに1時間ちょい列車に揺られます。乗車するのは行きと同じ21000系ですが、ヘッドマークが行きの列車と違います。

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列車は遅れもなく終点の金谷駅に到着。すでに18時を過ぎており、山の麓だからか肌寒さを感じます。白の長袖Tシャツでは寒すぎました。

金谷からは東海道本線に乗り換え、宿がある藤枝へ。夕食を食べ、ホテルにチェックインしてからはハイボール片手に半沢直樹を見て就寝しました。もちろん、この日は目を閉じた瞬間眠ることができました(笑)

 

さて次回ですが、かの有名な「三保の松原」に行きます。さらに、あるアニメの聖地として町おこしに成功したあの町にもいきます。

このGoTo静岡シリーズ、次回は来年になると思います。ただ、別の記事は更新する予定ですのでどうぞお楽しみに。では、みなさんごきげんよう!!

次回:【GoTo静岡の旅】Part.3 出でよ富士山! - Konpei’s NOTE

【GoTo静岡の旅】Part.1 城下町とローカル線

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はい、皆さんこんにちは。今年はまあ異様な一年になったもんで、旅行なんてできないと思っていました。しかしながら、対策をとって行動することで感染リスクを下げることができるというのがわかってきました。そのため、8月に出雲へのひとり旅を敢行しました。

【復活の一人旅】神話の国、出雲に行こう! - Konpei’s NOTE

この他、本州最南端の潮岬に行ったり名古屋に味噌かつを食べに行ったりと行動の頻度を少しずつ増やしていきました。そして9月の連休に静岡遠征を敢行することにしました。

静岡での大きな目的はただ一つ、大井川鐵道に乗りに行く」。事前に決めていたのはこれくらいで、それ以外は直前に計画するという適当さです。そもそも静岡は4年ほど前に浜松へ行ったくらいで自分にとってほぼ未開の地となっているのです。今回は2泊3日の行程を取り、静岡を満喫しようというものです。はてさて、どんな旅になったのでしょうか。

 

恐るべし?GoToトラベル効果

時は9月19日、4連休の初日でございます。いつもの通り新大阪に来ましたが、コロナ前とほぼ変わらない人通りです。人気が戻ってきたのは嬉しいのですが、売店内など所々で密になっている箇所があったので気持ちとしてはかなり複雑です。私としてはできるだけ密になる時間を短くし、「ソーシャルディスタンス」の確保に努めました。やはり「GoToトラベル」の効果でしょうか。皆さん長いことどこにも行けなかったんですから4連休もあればどこかにお出かけしたいのは当然でしょう。

駅弁などを買い込んで新幹線に乗り込みます。以前も乗車しましたが、EX予約の早割で取ったこだまのグリーン車です。こちらの乗車率はかなり低めと思われます。要は空いているということです。

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何と言いますか、グリーン車の暗めの照明は逆に落ち着かない気がするんですが私だけですかね? 目的地である掛川まではおよそ2時間の旅になります。お弁当を食べたり、車窓をぼーっと眺めながら音楽を聴いたり。思い思いの時間を過ごすことができました。

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そして、掛川に到着。ここに本日の宿をとっていますが、チェックイン時間まで時間がたっぷりあります。とりあえず、掛川城へ向かうことにします。掛川駅って新幹線の駅もあるのですが、かなりこじんまりしてるように見えますね。

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大きさ以上の魅力あり!

掛川城掛川駅から徒歩10分ほどの場所に位置しており、非常にアクセスしやすいお城となっています。

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受付で入場券を買うのですが、天守閣と御殿・茶室(茶菓子付き)・竹の丸(掛川城に隣接する廓)がセットで900円とかなりお得。ただし、このチケットは14時までの時間制限が設けられていたので注意が必要です。

掛川城の歴史ですが戦国時代までさかのぼり、駿河守護大名である今川氏が家臣に築かせました。桶狭間の戦い今川義元が討たれ、さらに甲斐の武田氏に駿河を追われた義元の子氏真が掛川城に立て籠もります。ここで登場するのがあの徳川家康、和睦によって開城させたのち武田氏侵攻に対する防御の拠点となりました。さらにさらに、全国平定を達成した豊臣秀吉によって家康が関東に移り、その旧領地へ秀吉配下の大名を配置。ここに入ったのが初代土佐藩藩主となる山内一豊で、掛川城天守閣を築くなど城の拡張や城下の整備を行いました。

天守閣の大きさはそこまで大きくはなく、高さも低い方に分類されます。しかし天守閣を最上層まで上がると、掛川の町を見下ろすことができ、さらには富士山のてっぺんも見えます。この天守閣ですが、パンフレットには「日本で初めて木造天守閣を復元」と記してあります。

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続いて二の丸にある御殿に向かいます。「現存する数少ない城郭御殿」とされており、京都の二条城など全国に4か所しかない珍しいものとなっています。建築様式は「書院造」で、畳を敷き詰めた多くの部屋を襖が仕切る構造です。このような御殿は一般的に儀式を行う場や藩主の公邸、政務をつかさどる役所としての機能を担っていました。

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御殿を出て二の丸茶室へ。こちらでは茶菓子を頂くことができます。小学生の時に作法を習うために茶菓子を頂いた記憶がありますが、おそらくそれ以来となります。こういうのを頂くときってめちゃくちゃ緊張するんですよね。

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この後はさらに竹の丸へ。一見するとただの古風な住宅といった感じもしますが、掛川城の北門の守りを固める位置に存在していたため、防衛上で重要な役割を果たす場所でした。そのため、重臣の屋敷地に割り当てられていたようです。

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このように掛川城天守閣の大きさこそ小ぶりですが、周辺の御殿や竹の丸など見所は盛りだくさんですし、近くには「ステンドグラス美術館」といった施設もあります。ここに来るまで掛川のイメージは「新幹線の駅がある」くらいしかありませんでしたが、来て初めてその土地の魅力や特色に気づくものなんですね。掛川城以外では花鳥園が有名ですが、一人で入る度胸は流石になかったです(^^;)

 

天竜浜名湖鉄道に乗車

今回の旅では「大井川鐡道に乗車する」という最大の目的がありますが、静岡は全国でも指折りのローカル線天国と言える地域です。掛川城界隈を散策しても時間にまだ余裕があるため、天竜浜名湖鉄道に乗って天竜二俣駅に向かいます。

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第一印象は「家やん!」、これが駅なのかと一瞬目を疑いました。位置的にJRの線路と離れているかと思いましたが東海道本線の線路と隣り合っています。列車は1両でやってきました。主に買い物帰りの地域住民の方や部活帰りとみられる学生さんが乗車されています。私のような観光客もいましたが若干名です。

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天竜浜名湖鉄道掛川市掛川駅から湖西市新所原駅までの67.7kmを結ぶ路線「天竜浜名湖線(愛称:天浜線)」を運営する会社です。天浜線の起源は国鉄特定地方交通線二俣線でしたが、1986年に第三セクター鉄道会社として天竜浜名湖鉄道を設立。現在に至ります。しかし67.7kmとは相当長距離ですね。これでも同一県内の移動ですから、静岡が相当広い土地であることがわかります。

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天竜浜名湖鉄道HPより。天浜線(天竜浜名湖鉄道株式会社) – 日本の原風景に出逢う旅。 – 天浜線(天竜浜名湖鉄道株式会社)公式ウェブサイト。時刻表・路線図・駅情報と周辺観光情報。奥浜名湖を中心に、静岡県掛川市・袋井市・磐田市・浜松市北部・湖西市を走るローカル列車。

列車は掛川から45分ほどで天竜二俣駅に到着。ここに来るまでに茶畑を数か所見ましたが、本場の茶畑の緑は圧巻でした。静岡は非常に目に優しい土地でもあります。到着した天竜二俣駅ですがラーメン屋が併設されているほか、天竜浜名湖鉄道の本社事務所もここにあります。現在では減少しつつある木造の駅舎で、懐かしさを感じることもできます。

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1時間ほど駅の周辺をぶらつきます。駅のはずれにブルートレインと旧式の赤い列車が留置されています。昔走っていた列車を保存しているものだと思われますが…

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天竜川沿いにある「二俣城祉」を目指して歩いていきます。途中には廃墟と化した元スーパーがあり、異才を放ちます。大通り沿いなので昔は栄えていたと考えられますが、やはり大型ショッピングモールには太刀打ちできないということでしょうか。私の地元にも子供のころから世話になっているスーパーがありますが、どんどん売り場が縮小しているため先は長くないものと思われます。ここが潰れたら涙腺の強さに定評のあるこの私も多分泣くと思います。一時代を築いた商業施設が潰れるのは寂しさを感じずにはいられません。

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天竜二俣駅から20分少々歩いてようやく二俣城跡に到着。天守閣などはなく、石垣が残るのみとなっています。ここから天竜川を望むことができる展望スポットを期待していましたが、そのようなものは特になくうっそうと生い茂る木々に囲まれている半ば秘密基地的存在です。

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二俣城跡に来るまでは石段を上がり、さらに急こう配を上る必要がありますが、それを見下ろしてみるとなかなか良い光景が広がります。夕暮れ時ということもあり、映画のワンシーンに出てきそうでジーンときました。

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天竜二俣駅に戻ってきました。誰も人がいなかったので駅舎内を独り占めすることができました。駅舎を外から撮ってみました。古いタイプの赤ポスト、いいですね。

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また、駅舎内には「音街ウナ」なるキャラクターのパネルもありました。このウナさんは浜松出身のVOCALOIDとのことで、浜名湖のウナギをモチーフにしているようです。天浜線では一面にウナさんがラッピングされた列車も走っています。「うなぴっぴごー!」という電車だそうです(笑)

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改めて駅舎を見ると、古き良き風景が感じられる場所だと思いました。普段都会で生活している分、このような場所にいると心が落ち着きますしなんだか懐かしい気分にもなりますね。

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駅舎内を見物しているうちに帰りの列車がやってきました。行きとは違い、なかなかカラフルな列車がやって来ました。乗車中に日が沈んでしまったので外が見えず残念でしたが、このようなローカル線は乗っているだけで楽しいものです。

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掛川へ戻り、ホテルへのチェックインを済ませます。お腹が空いたので外へ夕食を食べに行きます。やってきたのはあじ助」というラーメン屋で、掛川駅の通路にも案内看板が出ているお店でした。注文したのはラーメンと餃子。ラーメンはこってりしすぎずあっさりしすぎずな豚骨ベースのスープとプリプリの麺が絡み合ってとてもおいしいです。餃子は他店のものと比べるとビッグサイズ、食べ応え抜群でした。お店の方も非常に親切な対応でしたので、また来たいです。

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さて、この辺で一日目を締めます。二日目は待望の大井川鐡道に乗車します。雨予報なのが非常に気がかりですが、どうなるのでしょうか…

では、次回をお楽しみに!

次回:【GoTo静岡の旅】Part.2 大井川鐵道で秘境を行く! - Konpei’s NOTE

【挑戦】フルマラソンを徒歩で完走する男

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皆さんはフルマラソンを走ったことはありますか?

私は中学・高校と陸上部でしたが、跳躍パートの選手だったのでそんな長距離を走ったことはありません。それ故に長距離を走り続ける体力が皆無に等しい人間なのです。10kmほど歩くのは何の抵抗もないのですが、走ると脳に酸素が届かずフラフラです。しかし、マラソンの距離を自分の脚を使って走るってどれだけ長いのだろうか。そこで、気になった私は思いついたのです。

「走るのが嫌なら歩けばいいじゃない」

これだ! 普通の人なら歩くのも憚るでしょうが、良くも悪くも旺盛な好奇心から42kmという距離を歩いて完走(完歩?)しようという狂ったチャレンジをすることになりました。全米が鼻で笑ったパッとしない一人の男の奮闘記、とくとご覧あれ。

 

目的地は貝塚

今回の徒歩マラソンを敢行するにあたり、目的地を設定する必要があります。自宅からちょうど42km(端数は省略)の地点をGoogleマップで見てみますと貝塚市の二色の浜公園。大阪湾を一望でき、淡路島や関西空港が見える景色の素晴らしい公園です。また、所要時間を見てみるとおよそ9時間。朝に出発すれば夕方に到着する計算です。タイミングが良ければ夕焼けを拝むこともできます。ただし、途中で休憩を挟んだり終盤のペースダウンを考慮するともっとかかるかもしれません。

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※自宅の場所はモザイク処理をかけています。「だいたいこの辺やで~」ということが伝われば…

なお、これまでの最長距離としては31km。大学の部活で夜通し歩き続けるというなかなかぶっ飛んだ行事の予行演習で大学のある東大阪から甲子園球場まで歩いた時です。実際に歩いてみたものの、部員たちが口をそろえて「無理」と判断したため本番の目的地はUSJに短縮されました。また、一日の最大歩数は48,791歩。学生の時に東京・横浜を観光した時、当時移動するのに路線バスを使うという概念がなく給料も今と比べて全然ない時代でしたのでとにかく歩きまくりました。桜木町から大阪行きの夜行バスに乗るのに2時間ほど時間が空いたのに店はどこも開いていなかったので、その時間ひたすら桜木町界隈を歩いていました。警察がいたら間違いなく職質案件です。

日没までに目的地へ着くことが最大の目標ですが、無理は禁物ですのでおよそ1時間ごとに5~10分の休憩を挟むことにします。正直、ペースについてはそこまで考えておりません。

 

長い長い大阪市

前置きはこの辺にして、スタートです。三連休初日の11月21日、時刻は朝8時。天気予報では晴れでしたが、雲が厚く風も吹いています。一抹の不安はありますが、楽しみな気持ちの方が大きいです。

南の方に向けて1歩ずつ歩みを進めます。第一の関門としていた淀川の風も穏やかで難なく渡ることができました。1時間が経過したので休憩、関西テレビがある扇町公園までやってきました。ここでの歩数は約7,200歩。数年前にポケモンGOが流行ったとき、私もここでポケモンを乱獲したものです。

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テンポよく進みたいので、トイレ休憩くらいに済ませて先を急ぎます。さらに南へ進みますと大川にかかる難波橋へ。大阪に住んでいても普段ほとんど通らないところなので新しい発見ができるのもウォーキングの醍醐味ですね。

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そこからしばらくは堺筋を南下します。出発から2時間を経過したところでなんば・日本橋エリアへ到達、ここも歩いて通ることはほとんどありません。黒門市場がこの辺にあるのも初めて知りました。

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さらに南下しますと通天閣が見えてきました。このあたりから天下茶屋周辺は一般的に治安が悪いと評判のこのエリアですが、変わった様子はなく無事に通過しました。数年前に職場の先輩と新世界で飲み歩きましたが、別世界に来たみたいで非常に楽しかったです(笑)

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さらに南下したところで3時間が経過。歩数は17,000歩を突破しました。ここで大阪唯一の路面電車である阪堺電車の線路と並走します。道路と線路が一緒になっており、ペーパードライバーの方にとっては屈指の難所となります。ここよりも広島や長崎、松山の方が難易度高そうですけどね。

そして、さらに南に進んだところで見えてきたのは住吉大社。最初はここで徒歩マラソンの無事を祈願しようと思いましたが、先を急ぎたいのと密を避けるのと御朱印帳を持ってきていなかったので断念することにしました。

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3時間経過してまだ大阪市内を抜けることができていません。改めて大阪市の大きさを知ることができました。通った区は東淀川、北、中央、西成、住吉、住之江といったところでしょうか。車を使えばすぐに通り抜けることができると思いますが、これを歩きで通り抜けさらに貝塚を目指そうというバカがここにいます。そんな中、ついに大和川に架かる橋らしきものが見えてきました。すなわち、大阪市を脱し堺市へ入ろうとしています。

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ようこそ堺へ!

出発からおよそ3時間50分、ついに堺市へ到達です。ここらで昼食にする頃合いでしたので、道路沿いにあったラーメン屋でお昼休憩。私が入ってから他のお客さんも増えてきたのでいいタイミングでお昼を済ませることができました。外出していっぱい歩く日はなぜかお昼のタイミングを逃して最悪飯抜きとかになることも少なくないので、このタイミングを逃していたらいろんな意味で結構しんどかったのではないかと思います。

堺市に入ったところで2つの変化に気が付きます。一つ目は「風が強まったこと」。堺に入ってからは海に近い道を歩いていくので、わずかではありますが風が強くなってきました。この日は幸運にも追い風でラッキーだったのですが、向かい風だったらタイムロスとなっていました。向かい風じゃなくて本当に良かったです。そして2つ目の変化ですが、「一丁目、二丁目ではなく一丁、二丁と読む」ところです。心底どうでもいいと感じる方が多いとは思いますが、「大阪難読地名制覇の旅」という企画をやっている手前、どうしても気になってしまいました。この時はもちろん調べる気力はなかったのでまた暇なときに調べてみようと思います。

 

はじまった失速、疲労との闘い

途中の浜寺公園で休憩を挟みつつ、出発から6時間が経とうとするところで高石市へ突入。歩数は3万歩を超えてきました。

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ここで両足が悲鳴を上げ始めます。コンクリートの上を歩く負担は相当なもので、乳酸が溜まって太ももがパンパン。両足首もかなりのダメージを受けているようでした。しかし、日没までの到着を目指し気合で歩みを進めます。先ほど風の強さについてお話ししましたが、道路標識の青い看板が風に煽られているではありませんか。これが落ちてきたら車なんて真っ二つなんじゃないか。そんなことを考えながら恐る恐る歩きました。そんなわけありませんが。

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時刻は15時。忠岡町に入るところで左の太ももが今にも攣りそうな状態に。高校時代は「フィッシャーマン」と呼ばれるくらいに脚をつりやすい体質だった私。いらぬ力を使わないよう、今まで以上に気を付けてスピードを落とします。ですが不思議なことに歩いている間はそこまで気にならないのです。これがアドレナリンですか。忠岡町は小さな町なのですぐに抜け、ようやくだんじりの町岸和田市へ。紀州街道沿いの古い町並みを横目に前進を続けます。そんな中、時刻は16時を過ぎておりました。日も傾き気温が下がってきました。潮風がもろに当たらないのが幸いしてかろうじて体力は温存できているようですが、脚は限界寸前です。

 

感動のゴール!

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いよいよラストスパート。知らぬ間に貝塚市に入り、ゴールの二色の浜公園はもう目の前。街路樹も色づき始めています。そういえば去年のちょうどこの時期も紅葉を求めてひたすら歩いていたなあとふと思い出しました。

【過酷】香嵐渓へ紅葉を見に行った話+α - Konpei’s NOTE

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武道館からサライが流れるわけでもなく、沿道の観衆が応援してくれるわけでもありませんがもう必死でした。最後の気力を振り絞り二色の浜公園に入ります。そして、16時55分ごろ、ついにゴール!!!!

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ここで私を出迎えるかのように大阪湾の夕焼けが見えてきました。こんなにきれいな夕焼けを見たのはいつぶりだろう。今風の言葉を使うとするならば「エモい」という言葉がぴったりです。関空や淡路島、さらには明石海峡大橋もきれいに見えました。

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しかしながら、疲労が感動を大きく上回ったためか涙は一滴も出ませんでした。涙腺の強さに定評があるせいでしょうか。年を取るにつれ涙腺ってもろくなるものらしいですが。自慢にも何にもなりませんが、思い返すとかれこれ7年くらい泣いてませんかね。さすがにもうこれ以上は歩けない。夕日を眺めた後、すぐに最寄り駅に向かいます。何で行くの? 悲しいかな、残念ながら徒歩です。

ここからが地獄でした。二色の浜公園は最寄駅である南海二色浜駅から歩いて15分ほどの場所で、普段の私なら余裕で歩くのですが42km歩いてきた体には流石に堪え、20分ほどかかりました。駅に着いたと思ったら改札に入った瞬間に電車が来て、脚を引きずりながら走って電車に乗り込みました。「もうやめてくれ、こちとら走る気力も残ってねえんだよ!」と心の中で叫ぶ私でした。

 

42kmを歩いた感想

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ラソンランナーの皆さん、これだけ言わせてください。あ、褒め言葉として捉えてくださいね…?

「おまえら人間じゃねえ!!!」

この一言に尽きます。しかし、42kmという距離は想像以上にきつかったです。30km手前くらいまでは全然余裕だったのですが、それを超えると脚が悲鳴を上げます。太もも、足首、足の裏… 常人だと歩くだけでも精一杯です。これを2時間ちょいで走るマラソンランナーの方はもう人間辞めてますよね。

それにしても、普段歩かない場所を歩けたのはとても楽しかったですし、新しい発見もありました。電車や車の車窓では見られないものをたくさん見ることができてものすごく新鮮でした。もう40kmなんて距離を歩くことは当分ないでしょうが、他の場所でもやってみたいものです。今度はどこを目指そうかな。

ということで、フルマラソン(と同じくらい)の距離を歩いた話でした。これから「マラソン走りたい」とお考えの方、参考にしてみてください(笑)

【久方ぶり】大阪難読地名の旅 Part.2

「お待たせしました。お待たせしすぎたのかもしれません」と言わせていただいてもよろしいでしょうか。約3ヶ月ぶりに「難読地名の旅」をやっていきたいと思います。前回は大阪市西淀川区御幣島(みてじま)で終了し、今回はルーレットで止まった羽曳野市誉田からのスタートです。

↓前回のリンクを貼っておきます。こちらも是非ご覧ください。

【新企画?】大阪難読地名制覇の旅 - Konpei’s NOTE

 

④誉田(2020.7.26訪問)

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  • 所在地:大阪府羽曳野市
  • 読み方:こんだ
  • 到達難易度:★★⭐︎⭐︎⭐︎
  • 初見殺し度:★★★⭐︎⭐︎

長かった今年の梅雨。そんな梅雨末期の土砂降りの中行ったのが羽曳野市の誉田です。場所としては近鉄南大阪線の古市駅から歩いて10分ほどの場所にあります。

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地図で見てみますと、なんと飛び地になっています。街にある方と街の外れにある方とありますが、今回行ったのは当然左上の街にある方です。付近には「誉田御廟山古墳という史跡があり、応神天皇の陵として外壕と外堤が国の史跡に指定されています。数年前にここを含む「百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産に登録されたので、これから注目を集めることが期待されます。

さて、地名の由来を解説します。御廟山古墳の近くにある「誉田八幡宮」という神社からきているそうです。先ほど出てきた応神天皇が祀られている神社ですが、彼は「誉田天皇」「誉田別尊(ほむたわけのみこと)」として日本書紀に登場しています。その関係で名付けられたと考えられますが、「こんだ」と読むようになった経緯など詳しいことはわかっていないそうです。余談ですが、「誉田」と書いて「ほんだ」と読む街が千葉にあるとのことです。

ここで、次の目的地を決めるためルーレットを回します。

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次なる目的地は南面利町ですが、ここで小休止。2ヶ月ものブランクを空けてしまうことになります。理由としては今年の夏がとにかく暑かったこと、この旅はかなりの歩数を費やすので熱中症のリスクが半端なく高いのです。

 

柴島(2020.9.26訪問)

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  • 所在地:大阪市東淀川区
  • 読み方:くにじま
  • 到達難易度:★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
  • 初見殺し度:★★★★⭐︎

さて、ルーレットで出た南面利町に向かう前に立ち寄りです。ここ「柴島」ですが阪急千里線の駅名にもなってますので大阪の方は読めるかと思いますが、府外の方ならほとんどが「しばじま?」と読んでしまうのではないでしょうか。

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現在、柴島近辺では阪急の高架化工事が進められていますがなかなか進んでいるように見えません。この2年ほどでそれなりに形ができてきた感はありますが完成はまだまだ先だそうです。

柴島」は平安時代からの地名で、「クニキ島」と呼ばれておりました。「クニキ」というのは炭の原料となる雑木のことですが、音が近い「此の木」を一文字にした「柴」の字を当て、やがて「キ」が省略されて「クニ(キ)ジマ」と読むようになったそうです。私のミジンコ以下の脳みそではこんなこと考えられないです(笑)

 

⑥南面利町(2020.9.26訪問)

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  • 所在地:大阪府和泉市
  • 読み方:なめりちょう
  • 到達難易度:★★★⭐︎⭐︎
  • 初見殺し度:★★★⭐︎⭐︎

南海・近鉄河内長野駅からバスに揺られることおよそ20分のところにある「南面利町」。付近には関西サイクルスポーツセンターや1300年の歴史がある天野山金剛寺があります。山に近く、大阪にしては珍しい長閑な町です。

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駅からかなり離れているため、車かバスが必須となります。南面利町へ向かうバスは1時間に一本程度なので行く際は注意が時刻表を要チェックです。

周囲は住宅などが並んでいる非常に静かな場所ですが、山に向かって歩いていくと森が見えてきます。

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都会っ子の私としては馴染みの少ない立て看板です。イノシシが出るようで流石にこの先へ進む勇気はありませんでした。関係ないですが、最近の子供たち(特に都会育ちの)ってイノシシと聞いたらやっぱり鬼滅の刃の伊之助を思い浮かべるんですかね。

「南面利」は「南面流」とも表記されるようで、岩床の丘を流れる地形に由来する説があるようですが、残念ながらそれ以上の情報は入手できませんでした。

 

茱萸木(2020.9.26訪問)

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  • 所在地:大阪府大阪狭山市
  • 読み方:くみのき
  • 到達難易度:★★⭐︎⭐︎⭐︎
  • 初見殺し度:★★★★★

漢検一級ぐらいの方でないと読めないであろう漢字を使った地名です。看板にはご丁寧にふりがなまで振ってくれています。最寄駅は南海高野線の金剛駅か滝谷駅です。私は滝谷駅で下車しましたが、徒歩10分ほどかかります。

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北には日本最古のダム式ため池とされる狭山池、南にはマグロ大学でお馴染み近畿大学の医学部附属病院が隣接しており南北に長い町であることがわかります。狭山池は今年2月の連休にサイクリングしに行きました。

茱萸」という漢字は本来「ぐみ」と読みますが、地名の方は濁らず「くみ」です。1263年の「太政官符」(国の公文書)に記載してあった地名が「佐志久美岡(さしくみのおか)」で、そこから転じて現在の地名になったそうです。

 

⑧中百舌鳥町(2020.9.26訪問)

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  • 所在地:大阪府堺市北区
  • 読み方:なかもずちょう
  • 到達難易度:★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
  • 初見殺し度:★★★★⭐︎

地下鉄御堂筋線の終点としても知られる「なかもず」がある中百舌鳥町です。地下鉄の駅名はひらがなですが、南海高野線及び泉北高速の駅名は漢字の「中百舌鳥」です。

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由来を調べてみますと、少しグロテスクな逸話がありました。同じ堺市にある日本最大の古墳、大仙古墳に埋葬された仁徳天皇の時代まで話は遡ります。ある日、仁徳天皇が陵の造営場所を決めて工事を始めると、鹿が姿を現し倒れてしまいます。鹿はそのまま息耐えてしまい、死因を調べたところ耳から入った百舌鳥(もず)が鹿の脳を食い荒らしていたということで「百舌鳥耳原」と呼ばれるようになったことからこの地名が付いたのだそうです。恐ろしいですなあ。

ここで、河内エリアの難読地名をある程度回収できたので次なる目的地を再度ルーレットで決めます。何が出るかな、何が出るかな〜

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出たのは「別府」。ですが「べっぷ」とは読みませんし、温泉地でもありません。この日5カ所目で疲れが出てきましたが張り切っていきましょう。

 

⑨別府(2020.9.26訪問)

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  • 所在地:大阪府摂津市
  • 読み方:べふ
  • 到達難易度:★★⭐︎⭐︎⭐︎
  • 初見殺し度:★★★⭐︎⭐︎

最寄駅は地下鉄今里筋線井高野駅ですが、こちらよりも大阪シティバス近鉄バスの停留所があるのでそちらの方が近いと思われます。読み方的にバック・トゥ・ザ・フューチャーに出てくる不良の名前に似ていますが、彼とは一切関係ありません。また、近隣には「東別府」「南別府町」という町もあります。

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どうやら「別府」と書いて「べふ」と読むところは大阪以外にも多数存在するようで、その数46。対して、「べっぷ」と読むのは29カ所。他にも「びょう」「びゅう」と読む地域も存在するようです。こっちの方が難読なのでは。

地名の由来ですが、ネットで調べても大分県の別府の方の由来しか出てきませんでしたのでそちらを説明します。その昔存在した荘園の租税を特別扱いにすることを表す「別府」からきているそうです。大分県の別府は宇佐八幡宮の荘園である石垣荘があり、鎌倉時代豊後国国司が「別符」と名付けたことから始まり、そこから「符」が「府」に変わって地名として残ったとされています。おそらくそれがなまることで「べふ」という地名もできたんでしょうか。

この時の私、調子に乗ってもう一カ所行きました。どこが出るのか。ルーレット、スタート!

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10.水走(2020.9.26訪問)

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  • 所在地:大阪府東大阪市
  • 読み方:みずはい
  • 到達難易度:★★⭐︎⭐︎⭐︎
  • 初見殺し度:★★★★⭐︎

方角的にほぼ逆戻りする形となりました。やってきたのは生駒山の麓にある町、水走です。近鉄けいはんな線の吉田駅が最寄りとなります。

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阪神高速インターチェンジに「水走」というところがあり、ラジオの渋滞情報でよく耳にするイメージです。しょっちゅう混んでいるみたいです。

かつて、河内国の一部で勢力を伸ばした「水走氏」という豪族が存在していたことがこの地名の由来だそうです。この水走氏ですが、同じ東大阪市にある枚岡神社(ひらおかじんじゃ)主神の天児屋根命(あまのこやねのみこと)を祖とする平岡氏の末裔にあたるそうです。

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ということで、一気に7カ所も回収しちゃいました。めっちゃ疲れました。しかしさらなる難読地名が待ち構えていますので、ここで音をあげちゃいけませんね。

さて、次回に向けてルーレットを回して終わりましょうか!

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では、次回は「安立」からスタート。お楽しみに!!

 

【管理人からの注意】

プライバシー等の観点から地名表示板を撮影する際、一般のご家庭の外壁にかけてあるものに関しては極力撮影を避け、電柱などに掲示しているものを撮影するようにしています。撮影する際は周囲へのご配慮をお願いします。

 

【参考にしたサイト】

大阪水道の歴史と柴島(くにじま)の由来 - 大阪府保険医協会

http://osakasayama-sc.jp/matidaifuzii.pdf

大阪には難読地名がなぜ多い?その歴史と由来とは | 住まいの本当と今を伝える情報サイト【LIFULL HOME'S PRESS】

「点辞館」コラム

【みちのくひとり旅】Part.1 ずんだ餅の洗礼

【みちのくひとり旅】Part.0 宿なしのピンチ! - Konpei’s NOTE

前回のあらすじ。関西空港で安く泊まろうと試みるも空きはなし。結局カプセルホテルに課金して一泊、翌朝ピンクの飛行機に乗り込みました。

このように終始グダグタな回でしたが、今回ようやく仙台の地に足を踏み入れます。生まれてはじめての東北です。緊張します。

 

いきなり牛たん!

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関空を飛行機で発ちおよそ2時間、仙台空港に到着です。東北の玄関口的役割も果たしているためかこんな看板が。旅の始まりを歓迎するようでテンションが上がりますね。

仙台空港からは電車で仙台市中心部へ。二両の電車でしたが、かなりの人が乗車していました。時間によっては倍の四両で運転することもあるそうですが、空港から市の中心部を結ぶとなると人が多いのも納得です。

仙台駅に到着しましたが、早くも空腹に襲われます。そこで仙台駅の地下にある牛たん屋で昼食とします。この時まだ11時前、店も開店前でしたが数人並んでいて仰天しました。

入ったお店は東京や大阪にも進出している有名店「喜助」。定番メニューである「牛たん炭火焼定食」はしお・たれ・みそから味が選べるほか、牛たんシチューなど豊富なメニューが揃っています。今回は「牛たん炭火焼定食」を注文!

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やってきました。やはり本場の牛たんはレベルが違います。焼肉屋に出てくる牛たんがハムに思えてきます。歯応えも抜群でいつまでも噛み続けられます。大阪にもあるみたいなのでこの味を思い出しに今度食べに行こうかなと思います。

 

政宗公とずんだ餅

お腹を牛たんで満たした後は仙台の街を徘徊します。まずは観光バスるーぷる仙台の一日乗車券を買ってバスに乗り込みます。

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この「るーぷる仙台」ですが、9時から16時まで15〜20分間隔で運行しています。仙台駅から観光名所を縫うように走り、また仙台駅に戻るというルートをとっています。車窓からの景色も非常によく、一日乗車券は仙台観光には必要不可欠なアイテムと言えます。

るーぷる仙台 一日乗車券】大人620円

 

バスでまず私が向かったのは瑞鳳殿。仙台の英雄、伊達政宗公が眠る霊屋(おたまや)です。バス停から瑞鳳殿に向かうまでは長めの石段があり、ものの10分でかなりの大汗をかきました。仙台ってこんな暑いんですね…


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ぱっと見ですが日光東照宮と雰囲気が似ている気がします。この近くには二代目伊達家藩主の忠宗の「感仙殿」、三代目藩主の綱宗の「善応殿」がそれぞれの霊屋として鎮座しています。


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(なぜか引きの写真がなかったです。スミマセン)

瑞鳳殿】大人一人550円

 

瑞鳳殿を後にし、再び「るーぷる」に乗り込みます。向かう先は仙台のランドマークである仙台城跡です。写真でよく見る伊達政宗公の騎馬像がある超有名スポットですが、かなり標高の高いところに位置しているので仙台の街を一望できます。

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そして政宗公の騎馬像をパシャリ。

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顔をはっきりと写すことができませんでしたが、政宗公といえば「独眼竜」として知られており隻眼の武将として名を馳せた人物です。幼少の頃に天然痘の影響で右眼を失明したことからこの名がつけられたとされています。右眼に関しては家臣に切り取らせたという説や自らが切り取ったという説もありますが、眼帯で隠したという説が一般的とされているようです。政宗公はどうやら隻眼だったことを苦にしていたようで、双眼に描かれた自画像や木像が見つかっています。

 

騎馬像の近くにはお土産屋やレストランが軒を連ね、その付近には資料展示館もあります。そして、仙台に来たからにはこれを食べなければなりません。

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牛たんと双璧を成す仙台名物の一つ、ずんだ餅です。もちろん美味しかったのですが、餅のインパクトが思ったよりもヘビーでかなりお腹にきます。「ずんだ」というのは、枝豆やそら豆をすりつぶした緑色のペーストのことを指します。元々はお盆やお彼岸の時期に米農家が作っていたものですが、それをある店が「冷凍ずんだ餅」として開発・販売したことをきっかけに全国的なヒットを博したということだそうです。

 

ずんだ餅を食ってから「るーぷる」で仙台駅に戻りましたが、この時お腹に違和感を覚えました。牛たんとずんだ餅という普段滅多に食べられないものを一気にお腹に入れてしまったせいで体がびっくりしたのでしょう。特にずんだ餅の「餅」のインパクトは絶大だったようです。急いでトイレに駆け込みました。まあただの食べすぎなんですがね(笑)

 

ひと波乱ありましたが今回はここで区切り、次の目的地へ向かいます。日本三景といえば、もうおわかりでしょうか。NKHいきます。

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ヒントになってねぇですね。では、今回はこの辺で。ごきげんよう