Konpei’s NOTE

旅行記や独り言などいろいろ

【あけおめ】2021年の抱負【ことよろ】

皆様、新年あけましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。また、当ブログを閲覧いただきありがとうございました。今年も厳しい状況が続くと思いますが、地道にマイペースを貫いて頑張る所存でございます。引き続き宜しくお願いいたします。

さて、新年一発目のブログ更新ということで簡単に本年の抱負を発表してまいります。大きく分けると二つだけですが順に発表いたします。

 

1.共通の趣味を持った「仲間」を作る

まずは一つ目。「国内メインの一人旅」を軸としている当ブログですが、筆者の周りに共通の趣味を持った方というのがほとんどいないというのが現状です。私自身かなり不器用な性格ゆえに、昔から仲間や友達を作るのがとても下手くそです。旅自体は一人で実行したいのですが、どうせなら同じような趣味を持っている方々と経験談を共有したり、旅先での情報共有をしたいなと考えるようになりました。リアルの世界でもSNSの世界でも受け身になりがちな性格ですが、私自身も「小さなことからコツコツと」の精神で背伸びをしすぎず、できることからやっていきたいと思っています。

ということで、ここで一つ宣伝を。当ブログと連動(?)したTwitterアカウントを開設しております。ブログ更新時の通知(筆者による手動)と出先での様子をリアルタイムでお伝えしたり過去の旅の様子を紹介するアカウントですので、是非フォローをお願いいたします!

Konpei@自称ぼっち系旅ブロガー (@KNPI007900) | Twitter

 

2.自分の言葉で自分の意見・やりたいことを伝える

仕事でもプライベートでもそうですが、意見を求められる時があります。当然自分の思っていることを伝えているつもりなのですが、どうしても「コピペ」になっている感じが否めません。というのは、「ネットなどの意見をそのまま引用してしまいがち」なのです。おそらく自分なりに考えてはいるのですが、簡潔に説明しないといけないと思うあまり自分の見聞きしたニュースの記事やそれに対するコメントをそのまま口にしてしまっている時があります。ですから今年は「少々言葉に詰まってもいい」くらいの気概を持って、自分の考えをありのままの自分の言葉で発信しなければならないと思います。ただし、同時に簡潔に伝えるという意識も持ち続けることも大事ですので、少しずつできるように努力します。

 

昨年から続くコロナ禍の影響で今年も何かと制限のかかる1年になるかと思います。むしろ今年は昨年より厳しい状況になりうるとも勝手に考えております。それ故に国内外を問わず自由な行き来も制限される状況も当分は続くことでしょう。昨年はそんな中でも状況が落ち着けばいろいろな場所に出向きましたが、私が住んでいる近畿地方と隣接している地方に限定しました。現在でこそ全国で感染が再拡大し、医療体制もひっ迫し続けていますので大阪にとどまっている状況が一か月ほど続いておりますが、もし仮に状況がひと段落(感染者数や陽性率、重症者病床の使用率など)すれば行動範囲を全国に広げたいと考えています。しかし、一時的に状況が落ち着くとすれば遅くとも春以降になるとは思いますので、それまでは我慢したいと思います。また、場所によって感染状況にバラつきもあるかと思いますので状況がよろしくないエリアへの往来は慎むようにしたいと思います。もしも感染状況が落ち着き、行動範囲を広げられたとしても今まで通りマスク着用や手洗い・うがい、人との接触を最低限まで減らすといった感染防止対策を取りながら行動します。ちなみに、今年行きたいところ/やりたいと考えていることは以下の通りです。

  • 青春18きっぷの旅 第三弾(九州方面を予定)
  • 真冬に豪雪地方に行く
  • どこか一つ離島に行く(隠岐の島、佐渡島などが候補)
  • 一人暮らし?

こんな感じですかね。四つ目の「一人暮らし」に関してはかなり前向きでしたが、私より人生経験が豊富な諸先輩方をはじめとするいろいろな方から「無理せんでええ」的なことを言われているので気持ちがかなり揺らいでいます(笑)

というわけで、抱負ややりたいことをいろいろと書かせていただきましたがこの中の一つだけでも実現できるように頑張っていきます。最後になりましたが本年もどうぞ宜しくお願いいたします!!!

【超超超超激動】2020年を振り返る

2020年も残すところあと少しとなりました。今年は前例のないことばかりで幾度となく心が折れかけたのは私だけではないかと思います。世間的にはマイナスなことばかりでしたが、私としては気づきが多くむしろプラスの多い一年になったのではないかと思います。というのも、自粛期間中に自分と向き合う時間が増え、自分自身をより客観的に見ることができたと自分なりに評価しています。

堅い話は置いといて本題に移ります。今年はこういう一年でしたからあまりアクティブに動けていません。感染対策をとって制限をかけながらの行動になりましたが、それなりに行けるところには行くことができたと思います。3月ぐらいには「もう旅行なんてできない」とまで考えたぐらいでしたが、結果的には様々な制限がありながらも楽しむことができ満足しています。今回は2020年の振り返り、私が行ったところを時系列順で紹介します。かなり駆け足で紹介しますので、各スポットの詳細は各自でお調べくださいm(__)m

<目次>

 

1月

熊野那智大社へ初詣

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2020年の初お出かけです。和歌山の思いっきり南、紀伊勝浦まで行きましたが同じ近畿圏内とは思えないくらいの距離でした。滞在時間が5時間少々だったのに対し、移動時間が片道で4時間近く、往復だと8時間もかかるという異常事態が起こりました。移動時間の方が長い観光なんて齢25にして初めてでした。

初詣を兼ねて熊野那智大社那智の滝に行きました。那智の滝は見上げると首を痛めるのではないかと思うくらいの高さでした。やはり五重塔と滝の組み合わせは絵になりますね。那智大社では初めて御朱印帳を手に入れまして、現在も大きな寺社仏閣に行ったときは書いていただくようにしていますがよく忘れてしまうのでリュックに常備しておかないとだめですね。さて、本宮大社と速玉大社に行くことができるのはいつになることやら…

 

2月

険しい山道を上って備中松山城へ&倉敷の夜景をチラ見

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ついに以前より行きたかった日本三大山城の一つ、岡山の備中松山城へ。しかしその道のりというのが過酷で、最寄りの駅から約1時間半の道のり(途中には山道も!)を経てようやくたどり着くことができます。皆さんは無理せず車やタクシーを使いましょう。天守閣では猫城主の「さんじゅーろー」が待ち構えています。

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帰り際に時間があったので倉敷に寄り道。旅客鉄道と貨物列車の両方が走る水島臨海鉄道に乗車し、海辺の工場群を一望できる公園で夜景を撮ってみました。しかし、何とも言えない仕上がりに。これはこれでいいと思いますが…(自画自賛)

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3月

和歌山・雑賀崎とわかやま電鉄貴志川線

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今年2回目の和歌山来訪です。大阪府民ですが和歌山に行ったことは片手で数えることができる程度です。そんな和歌山の中心地からバスでおよそ40分のところにある雑賀崎は、景色の美しさから「日本のアマルフィと言われている場所です。景色もさることながら、番所庭園などの景勝地もおすすめです。道中で3回ほど野犬に追いかけられそうになったのは冷や汗でした。

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また、「たま駅長」でおなじみの貴志川線にも乗車しました。終点の貴志駅で駅長を務め全国的に知られたたま駅長は数年前に死んでしまいましたが、現在は「ニタマ駅長」が貴志駅の駅長を務めています。ニタマ駅長、図体がでっかいというか結構ぽっちゃりしてました。


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5年ぶりの伊良湖岬

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愛知県渥美半島の先端にある伊良湖岬。実は5年ほど前、筆者がピッチピチの大学生だったころにゼミの合宿で訪れた場所です。当時はタイトなスケジュールで非常に忙しなかったですが、一人で観光するとなると景色が全く違いました。恋人の聖地としても大変有名で、「二人で鳴らすと幸せになれる」という触れ込みの鐘があります。その鐘を意味もなく鳴らしてみましたが、一人で鳴らしたらどんな効果があるんでしょうね。現在のところ、鐘を鳴らした効果は一切実感できていません。

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6月

憂さ晴らしの京都観光!

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4月5月と自粛期間が続いたため、県をまたぐ外出は仕事を除いて3か月ほどできませんでした。落ち着いてきた6月半ばごろ、朝から日が傾くまで時間の許す限り京都を観光しまくるという荒業に出ました。結果、嵐山周辺→伏見稲荷大社清水寺高台寺周辺をはしご。ラストは嵐電に乗車するという欲張りセットぶり。コロナ前は観光客でごった返していたため「近くて遠い」存在の京都でしたが、大がいくらあっても足りないくらい満足しました。

 

7月

海軍の町、舞鶴

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小学校時代に一年だけ昭和風超スパルタ指導の監督の下で野球をやっていた筆者ですが、遠征で舞鶴に行ったことがあります。舞鶴に行ったのはこの一度だけだったので、改めてどんな町か行ってみたくなりました。クルージングで舞鶴港を一望し、赤レンガ倉庫を見て海軍カレーを食べました。小さいころに行ったところは大人になってから再訪した方がよいですね。大人になってはじめてわかる魅力に気づくと思います。

 

8月

玄武洞城崎温泉

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「夏だから涼しいとこ行きたいよね」。そう思った筆者は兵庫の豊岡にある玄武洞へ。最寄りの玄武洞駅からは船をチャーターするという面白いアクセス方法でした。ここで「柱状節理」という言葉を初めて知りました。大昔この近くには火山があり、そのマグマが冷やされたことによってできた多角形の岩が集まって現在の形になったのだとか。涼を求め「洞窟に入れる!」と思って行きましたが中には入れません。逆にめちゃくちゃ暑いです。

その後、某議員が政務活動費で何百回も行ったとされる城崎温泉へ。思い付きで外湯めぐりをしましたが、着替えのシャツを用意しておらず温泉に入ったのに汗まみれのシャツを再び着るという非効率極まりないミスを犯してしまいました。これこそ某議員みたいに泣きたくなりますよね。余談ですが、前回行ったときは学生時代、友人が誘ってくれたのですが、号泣する某議員の写真とともに「城崎行こう」とLINEを送ってきました。あの時は楽しかったなあ。

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 久々の関西脱出!出雲への旅

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8月末、実に5か月ぶりに近畿地方を飛び出し出雲に行きました。「今年いっぱいは近畿を出られない」と覚悟した時期もあっただけに感無量でした。出雲大社だけでなく、出雲そば灯台も楽しむことができました。詳しくは以前にあげた記事をご覧ください!

【復活の一人旅】神話の国、出雲に行こう! - Konpei’s NOTE 

 

2日連続日帰り旅その① 潮岬

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ひそかに「日本の端っこ制覇」を目論んでいる筆者。地元から最も近い「端っこ」が本州最南端として有名な和歌山県の潮岬です。これまた熊野那智大社と同じく行きだけで3時間はかかる場所ですが天気に恵まれ夏空が広がり、電車からの眺めも良く一切苦にはなりませんでした。空模様は最高に素晴らしかったのですが、殺人的な暑さで汗が止まりません。それでも青い空と白い雲、真っ青な海が広がる景色は圧巻の一言。暑さを吹き飛ばしてくれること間違いなしです。いつか青春18きっぷかドライブで紀伊半島一周してみたいです。

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2日連続日帰り旅その② 「ひのとり」で行く、名古屋弾丸ツアー

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今までどこにも行けなかった分を取り戻すべく潮岬から帰ってきた次の日、休む間もなく名古屋へ行きました。利用したのは3月に誕生した近鉄の新型特急「ひのとり」。なんとプレミアムシートに乗車しました。これだけの豪華さで新幹線より安いというのはなんとも魅力的です。陶器メーカーが運営する「ノリタケの森」に行ったり、矢場とんでとんかつを食べたり、名古屋港に保存されている南極観測船「ふじ」を見たりと限られた時間の中でいろいろできて楽しかったです。

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9月

「GoTo静岡の旅」

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4連休を使い人生で一度しか行ったことがなかった静岡へ。掛川の町をブラブラしたり、天竜浜名湖鉄道大井川鐵道といったローカル線に乗車したり、三保の松原や沼津も観光しました。この3日間で静岡が私の中で「好きな県ベスト5」に入ったことは間違いありません。 詳しくは以下の記事をご覧ください!

【GoTo静岡の旅】Part.1 城下町とローカル線 - Konpei’s NOTE

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10月

赤目四十八滝へハイキング

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その名の通り48もの滝がある三重県の「赤目四十八滝」。絶滅危惧種であるオオサンショウウオの生息地としても有名で実際に飼育もしています。ちなみに山椒のようなにおいを出すことからこの名が付いたらしいです。滝の最深部までは早歩きでも1時間半は見ておいた方がいいです。足場が岩だらけで道も狭く、離合の際は譲り合いながら進む必要があります。それでもいやというほどマイナスイオンを浴びることができますので、癒しの欲しい方は是非。

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岐阜・樽見鉄道に乗車

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私にとって至福の時というのが「乗り物の中から景色を眺めている時」なのですが、知らない土地でこれをやるのが最高に幸せな瞬間です。要するに「乗り鉄」の端くれです。ということで、岐阜の大垣から本巣市樽見までの34.5kmを結ぶ樽見鉄道に乗車。終点の樽見駅から20分ほど歩くと国の天然記念物である根尾谷淡墨桜が、水鳥(みどり)駅の近くには120年近く前に起こった濃尾地震(国内最大の内陸地震)の爪痕を残す根尾谷断層があります。また、沿線上に「モレラ岐阜」という大型ショッピングモールがあり、帰りの電車は地元の買い物客でごった返していました。列車は1両しかないので完全なる「密」状態でした。Social Distance!

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11月

兵庫・北条鉄道に乗車

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こちらも初乗車のローカル線、北条鉄道兵庫県西部の小野市にある粟生駅から加西市北条町駅までの13.7kmを結ぶ路線です。かつてはバスと列車のハーフ的存在である「レールバス」が走っていましたが、現在は他社に譲渡されたようです。加西市には「兵庫県立フラワーセンター」という植物園があることから、車両の型式が「フラワ」と名付けられています。今年の9月には路線の中間にある法華口駅に交換設備ができた関係で3往復の増便が実現しました。北条鉄道の今後に期待です。

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香川でうどん食べまくりの旅

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今年最後の遠出は香川へ。源平合戦の舞台となった屋島特別名勝に指定されている栗林公園、「こんぴらさん」でおなじみの金刀比羅宮、2年半ぶりの再訪となった丸亀城といった香川の有名スポットをはしごしてきました。二日目の朝食を除いて食事はすべてうどん、やっぱりうどんはコシのある讃岐うどんに限ります。ここだけでは収まりきらないので、詳細は後日別で更新できればいいなと思っています。

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以上が2020年の行動記録(一部)です。コロナに翻弄され続けた一年でしたが、こうして振り返ると案外いろいろな場所に出かけることができました。来年以降も当分コロナ禍は続きそうですが、これに臆することなくできるだけアクティブに活動していきたいなと思います。もちろんできる限りの感染防止対策も引き続き抜かりなく行った上で、感染状況を見ながら機敏に活動したいです。

最後になりましたが、来年こそは皆様にとっても良き一年となりますよう祈念いたします。では、よいお年を!!

【みちのくひとり旅】Part.2 ああ松島や、松島や(涙)

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前回、人生で初めての東北の地に降り立った筆者。牛タンに舌鼓を打ち、瑞鳳殿青葉城といった仙台の名所を巡り、ずんだ餅を食しました。しかしその後、ずんだ餅の洗礼か腹痛が筆者を襲い掛かる…というところで終了。今回は日本三景の一つ、松島へ向かいます。前回がまだの方は下のリンクからどうぞ!

前回:【みちのくひとり旅】Part.1 ずんだ餅の洗礼 - Konpei’s NOTE

<目次>

 

大都会仙台?

腹痛を抱えたまま仙台駅に戻り、駅前のロフトの中のトイレに駆け込みました。外に出ると雨が降ってきました。写真にもはっきりと雨粒が写っています。次の日も雨模様ということで、天気には期待が持てなさそうです。

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ところで、仙台駅って大きいですよね。新幹線も乗り入れているのでそれなりに大きいとは思っていましたが、思っていたより栄えていましたね。初めて来たところというのは「ここはあそこと似ているな」という感情を抱きがちなのですが、仙台は唯一無二な気がします。駅周辺を見てもバカ高い高層ビルが乱立しているというわけでもないですし、独特の雰囲気があるようにも感じました。

松島へ行くために仙石線に乗車するのですが、なんとホームが地下にあります。そもそも地下にホームがあることを初めて知りました。改めて仙台すげえって思いました。

仙石線は仙台のひとつ前の駅であるあおば通駅から陸前原ノ町駅までは地下を通ります。途中の宮城野原駅東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地であるKoboパーク宮城(現在は「楽天生命パーク」)の最寄り駅なので楽天の球団歌が発車メロディになっています。

 

虹がお出迎え! しかし…

仙台からおよそ40分で松島海岸駅に到着。ホームに降り立つと雨はやみ、虹がかかっていました!

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虹なんて年に1回見られるかどうかわからないんですよね。でもこれを世界遺産で見られたというのは縁起がいい。ああ、松島が楽しみだ。

松島海岸駅から15分ほど歩くと海辺へ出ます。やはり、日本三景の一つであることを大々的にアピールしています。日本三景というのは、江戸時代に儒学者林春斎が記した「日本国事跡考」の中で特に美しいとした景色のことで、この松島のほか京都の天橋立や広島の宮島が選ばれています。また、今回のタイトルにも一部を採用しましたが「松島や ああ松島や 松島や」という句が有名です。この句は松尾芭蕉が詠んだものと思われがちですが、実は芭蕉は松島では句を詠んでいないのです。しかも本当は「松島や さて松島や 松島や」と詠まれたものです。これを作ったのは江戸時代の狂歌師・田原坊という人物。芭蕉が松島を見たときの気持ちをパロディ風に詠んだものとされています。それが後世に語り継がれ今に至るというわけでございます。

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天橋立や宮島は一度ずつ行ったことがありますが、遠く東北の地にある松島なんぞは関西人の私にとっては憧れの地でありました。「とびきり最高の景色がみられるんやろなあ」とハードルを上げまくり、ワクワクが止まりません。

しかし、初めての東北で浮足立ったのかろくに下調べをしていなかった私。時刻はすでに16時半を回っていました。観光地のこの時間は「閉店ガラガラタイム」なのです。限られた時間ではありますが、行けるところに行きます。

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こちらは松島のシンボルとして有名な瑞巌寺に隣接する五大堂すかし橋。中に五大明王像を安置していることからそう呼ばれるようになりました。五大明王とは中央に大聖不動明王、その周りに東方降三世、西方大威徳、南方軍茶利、北方金剛夜叉を指します。全員名前がいかつい。ケンカを売られようもんなら多分10秒足らずでボコられます。

足場が列車の線路みたいになっているすかし橋はその名の通り下が透けて見える構造となっていることからこの名が付きました。五大堂のお参りをするときに「心も体も乱れがないように足元をよく見つめて気を引き締めて渡りなさい」というメッセージが込められているとも言われています。

偉そうに説明しましたが、この時は景色のことに気を取られ歴史のことは考えてもいませんでした。観光はその地の歴史を知る貴重な機会なのですが、この時の私はどうやら落ち着きがなかったようです。反省しなければ…

その後、赤くきれいな橋が島に向かって架かっているのを見つけました。看板を見ると橋の先にある「福浦島」には魅力的なものがいっぱいありそうだったので迷うことなく島へ!

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しかしここで閉店ガラガラの時間に。私の前を歩いていた二人組が係員のおじさまに静止されてしまったのです。橋を渡るには受付で200円の入場料を払ったうえで入場券の提示が必要だったそうですが、少し回り込んでみると橋の入り口に入ることができる柵が開けっ放しになっていたのです。何も知らない私はそこから入りこんでしまいましたが、タダで渡るなんてルール違反ですし罰当たり以外の何物でもないので撤退しました。

ということで、初めての松島は不完全燃焼に終わってしまいました。タイトルの(涙)とはこのことです。近くにあった定食屋でカキフライを食べて松島を後にしました。カキフライめちゃくちゃおいしかったです。食うことに夢中だったのと不完全燃焼に終わったショックから写真を撮れませんでした。いつかリベンジしたいですが、何年先になることやら。最後に松島の風景を一気にどうぞ。

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落ち込んでいる暇はない!

完全にタイムスケジュールが狂ってしまいましたが、まだ東北は始まったばかり。この日の宿に移動するため電車に乗りますが、ものの10分で辺りが暗くなりました。海辺から駅に戻るまでの10分です。

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この時、松島海岸駅の駅舎にいたのは私を含め数人でしたが、物静かでかなり不気味な雰囲気すら感じました。日中の暑さを忘れさせるくらいの涼しい海風、電車が線路を通過する音も響いてきます。このような雰囲気は嫌いではなくむしろ好きなのですが、寒いくらいの海風が不気味さを演出していた感じがします。なんか伝わりにくくてスミマセン。

さて、本日の宿は多賀城駅近くのルートイン。初めてルートインに宿泊しましたが、これまでに泊まったビジネスホテルとはレベルが違いました。ベッドの横に立派なソファとテーブルまでついていて、一人には十分すぎるくらいの空間でした。ルートインの中でもトップクラスじゃないでしょうかね。このほか、広々とした大浴場もありました。普段朝は風呂に入りませんが、夜と朝の2回入りました。ルートインってこんなにいいホテルだったんですね。「宿は妥協するな」と前日の自分に言ってやりたいですね!(Part.0参照)

 

謎!仙台へ戻る!

翌朝、多賀城を後にし仙台へ戻ります。仙台→松島→多賀城→仙台といった具合にUターンしてしまいました。というのも、高速バス北に向かうのに仙台まで戻らざるを得ないのです。そのためだけにわざわざ来た道を戻ります。今考えたらもっと効率的な方法があったんですが、慣れない地なのでしゃーなしですかね。

乗車する高速バスは「高速乗合バス」なので、予約は不要ですが並ばなければなりません。席が埋まってしまったら乗車はできないので早めに乗り場へ着かねばならないのですが、乗り場に着いた時には15人ほど並んでいました。失礼ながら油断していました。座れないことはないですがどうせなら車窓を見ながら移動したいですよね。一抹の不安を抱きながらも結果的に窓側を確保できたのでよかったです。

今回はここで区切りまして、次回は人生初上陸となるあの県へ行きます。当ブログの草創期に次回予告としてNKHってやつをやっていましたが、「誰が興味あんねん!」って話ですよね。恐縮ですが、久々にやらせていただきます!

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では、この辺で失礼します。皆さん、ごきげんよう

【怒涛の9連発】大阪難読地名の旅 Part.3

始める前に嘆きます。体力的にハードなこのシリーズですが、調べるのもかなりの時間がかかります。それを自分の言葉でわかりやすく伝えるということって特に大変なんですね。のっけから愚痴を失礼しました。前回は下のリンクからどうぞ。

前回:【久方ぶり】大阪難読地名の旅 Part.2 - Konpei’s NOTE

<目次>

 

11.安立(2020.11.1訪問)

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  • 所在地:大阪市住之江区
  • 読み方:あんりゅう
  • 到達難易度:★★☆☆☆
  • 初見殺し度:★★☆☆☆

阪堺電車の沿線に位置する町です。最寄りは安立町の電停ですが、少し西へ行くと南海本線の住之江駅に出ることもできます。さらに、「安立商店街」という昔ながらのアーケードを構えた商店街があります。ここがこの町のメインストリートといったところでしょうか。

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町名の由来ですが、江戸時代にこの地にすんでいた医師「半井安立(なからいあんりゅう)」から名付けられたそうです。半井の家系は徳川将軍家御典医で、安立も腕の良い医者で多くの人から信頼を得ていた「名医」としてその名が知られていました。

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商店街の入り口に一寸法師ゆかりの安立町という看板が掲げられています。針で戦うことで知られている一寸法師ですが、安立町はかつて針の行商人が多く住んでいたそうです。一寸法師住吉大社付近にルーツがあるということなので直接の関係があるかどうかはっきりとわかりませんが、住吉大社に近いといった理由で便乗したともいわれています。

 

12.遠里小野(2020.11.1訪問)

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大阪市の南端、大和川沿いに位置するのが「遠里小野」です。大和川には遠里小野橋という橋が架かり、川を超えた堺市にも「遠里小野町」という地名が存在します。普通「遠」という字を「お」とは読みませんので初見の方は困惑待ったなしです。

最寄り駅はこちらも難読、南海高野線我孫子前駅です。「我孫子」については後ほど紹介します。また、大阪シティバスの停留所に「おりおの橋」という停留所があります。こちらは初見殺しを回避するためかひらがな表記です。

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この地名は万葉集に記録があるほど古くからあり、「とをさとをの」と読まれていました。この他、「瓜生野(うりうの)」から訛ったとする記録もあります。

住吉の遠里小野(とほさとをの)の真榛(まはり)もち摺れる衣の盛り過ぎ行く

上の歌は実際に万葉集に載っていたものです。万葉集にはこの歌以外にも「遠里小野」というワードが入っている歌がいくつかあるそうです。

 

13.我孫子(2020.11.1訪問)

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  • 所在地:大阪市住吉区
  • 読み方:あびこ
  • 到達難易度:★☆☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★★☆

遠里小野の最寄駅として、我孫子前駅を挙げましたので続けて紹介しましょう。「我が孫の子」と書いて「あびこ」と読みます。最寄り駅はJR阪和線我孫子町駅と大阪メトロ堺筋線あびこ駅です。

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この地名はかつてこの地に住んでいた豪族、依羅吾彦(よさみのあびこ)からきています。依羅氏は朝鮮にあった百済からの渡来人だったことから「吾」は朝鮮語で「あ」を表す「我」、「孫子」は「孫の子」を意味する「隔子」から転じたものとされています。さらに、この住吉の地はかつて海に面していたことから、漁師を意味する「網曳子」からできた説もあるそうです。依羅吾彦も「依羅→寄網」+「吾彦→網曳子」という説があるとのこと。なるほど、わからん(笑)

なお、千葉県にも我孫子市という場所がありますが、こちらは大阪と由来が異なるそうなので割愛します。

 

14.立売堀(2020.11.1訪問)

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  • 所在地:大阪市西区
  • 読み方:いたちぼり
  • 到達難易度:★☆☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★★★★

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初見殺し度が限界突破しました。特殊な訓練を積んだ大阪府民の方ぐらいしか読めない地名です。私も最近読み方を知ってびっくりポンでございました。場所としては地下鉄中央線・千日前線阿波座駅の南側。見上げてみると阪神高速、周囲には様々なビルが立ち並んでいます。

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なぜこのような地名となったのでしょうか。その昔、東北地方の盟主だった伊達氏が大坂冬の陣及び夏の陣でこの付近に堀を作って陣地を構え、その跡を掘り足して川としたことにより伊達堀(だてぼり)と呼ばれました。やがて「いたちぼり」と呼ばれるようになり、材木の立ち売りが認められるようになったことで読み方はそのままで「立売堀」と字を当てたという説があります。「伊達」というのもかなり難しい読み方ですが、そこから転じて今の読み方になったんですね。この他にも「動物のイタチがいたから」といったシンプルな説もあります。

 

15.放出東(2020.11.7訪問)

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  • 所在地:大阪市鶴見区
  • 読み方:はなてんひがし
  • 到達難易度:★★☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★★★

日付は変わって11月7日。暇を持て余すためのウォーキングを兼ねて難読地名ハントに出かけました。「ほうしゅつひがし」と読んだ方、正解ではありませんがそれが普通だと思います。昔は「ハナテン中古車センター」という中古車屋がありましたが、現在は新卒を大量に採用することで知られるビッグモーターに変わりました。小さいときにテレビやラジオで「♪ハナテン中古車センタ~」というサウンドロゴを耳にしたことがあります。大阪府民の方ならご存知かと思います。

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説としては主に2つあります。1つがかつて存在した河内湖という湖から淀川への放出口に位置していたことから「はなちで」→「はなちてん」→「はなてん」と訛った説、もう一つは熱田神宮から草薙の剣を盗んだ新羅の僧・道行の乗った船が難破してこの地に漂着、神の怒りを恐れて草薙の剣を放った(=放出した)という説などがあります。

 

16.茨田大宮(2020.11.7訪問)

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  • 所在地:大阪市鶴見区
  • 読み方:まったおおみや
  • 到達難易度:★★☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★★☆

続いてこちらも鶴見区にある茨田大宮。大阪市の東端に位置し、北へ進むと門真市へ、東へ進むと大東市に入ります。謎の鉄塔が目印の三井アウトレットパークがこの町のシンボルです。この鉄塔ですが昔はアトラクションとして機能しており、高さ20~30mぐらいまで上がってゆっくりと下りてくる気球型のエレベーター的なものがありました。子供の頃に一回親と乗りましたが高所恐怖症の私としては今思い出すとかなり怖かったです。

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由来としては、日本書紀などに記載がある茨田(万牟田)湿地仁徳天皇の時代に「北の河」とされた現在の淀川の氾濫を防ぐために築かれた茨田堤からきているとされています。読み方としては「まった」以外にも「まむた」「まんだ」という読み方があり、そこから転じて今の読み方になったという説があります。なお、「まむた」は湿地帯を指す言葉ともいわれているそうです。

 

17.住道(2020.11.7訪問)

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  • 所在地:大東市
  • 読み方:すみのどう
  • 到達難易度:★★☆☆☆
  • 初見殺し度:★★☆☆☆

この企画の一発目に「住道矢田(すんじやた)」という地名を紹介しましたが、今度は「すみのどう」と読みます。住道矢田東住吉区でしたが、住道は大東市にあります。混同しないように注意しましょう。

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駅名にもなっている町名ですが、規模としてはJR学研都市線住道駅前のわずかなエリアのみ。「○○住道店」といったお店が多くありますが、所在地の地名としては住道から外れています。お客さんがアクセスしやすいようにそのような手法をとっているのでしょうか。

住道のルーツは1889年、明治22年までさかのぼります。町村制が施行されたことによりいくつかの村やまちが合併され「住道村」が発足します。この名は舟運が盛んだったころに大和方面へ向かう船の荷物を積み替える場所として栄えていた「角ノ堂浜」 が由来となっています。その後、「住道町」と名前が変わり、1956年に現在の大東市が発足しました。

 

18.御厨(2020.11.7訪問)

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  • 所在地:東大阪市
  • 読み方:みくりや
  • 到達難易度:★★☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★★☆

この日最後の難読地名は東大阪市にある御厨。近鉄奈良線八戸ノ里駅から北に10分ほど歩いた場所にあります。北から順に「御厨」「御厨中」「御厨南」という地名が並び、付近には大阪商業大学のキャンパスもあります。ちなみに私は同じ東大阪にある某マンモス大学に通っておりました。ここまで言ったらもうお分かりだと思います(笑)

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「御厨」という言葉は古来より「神の台所」を指す言葉で、お供え物である神饌を調進する場所を意味します。同時に神饌を調進するための領地を意味する言葉でもあり、神社が地域の特産物を納める代わりに神税が免除される荘園を指すものとしても使われました。鎌倉時代には全国に500余りの「御厨」が存在したそうです。その名残で現在も地名や名字として使われているのです。

 

19.道修町(2020.11.21訪問)

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  • 所在地:大阪市中央区
  • 読み方:どしょうまち
  • 到達難易度:★☆☆☆☆
  • 初見殺し度:★★★★★★

このシリーズ2回目の限界突破でございます。初見殺し度と同じく私の脚が限界突破した先日の徒歩マラソンの道中で通ったので逃すことなく記録しました。御堂筋・堺筋などを東西に貫く細長い街で、商品のネーミングセンスに定評のある小林製薬の本社ビルも存在します。

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ここは「薬の街」として有名な場所であり、先ほどの小林製薬以外にも武田薬品工業塩野義製薬田辺三菱製薬といった製薬大手が本社を構えています。江戸時代に輸入薬を扱う「薬種問屋」がこの地に集住したことがはじまりとされています。その後、日本を産地とする薬を検査する「和薬種改会所」が設けられ、日本で売り買いされる薬がここ道修町に集められ、そこでの検査をクリアした薬が全国へ流通されていった時代もあったそうです。町名の由来としては「近くに『道修寺』という寺があったことから名づけられた」という説や、北山道修(きたやまどうしゅう)という薬学者がいたことから名づけられた説などが存在します。

 

今回はここまでですが、なんとまだ折り返しにも達していません。あと30か所以上回らなければなりません。いつ終わるかわかりませんが、来年の夏までには必ず終わらせたいと思います。1年以上時間を費やしてしまうと夏が来て猛暑で足止めを食らってしまいますからね。最後に次の目的地を決めるルーレットを回して終わります。

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次回は「包近町」からスタート。実際に行けるのは年明けになりそうですが、当ブログはまだ更新する予定です。では、皆さんごきげんよう

次回:【チャリで来た】大阪難読地名の旅 Part.4 - Konpei’s NOTE

 

【参考としたサイト等(一部)】

高砂橋・成清橋と「安立」由来 西住之江を辿る - 大阪府保険医協会

大阪に関するよくある質問 - 大阪市立図書館

我孫子=あびこの由来 : すみよし探歩

大阪市西区:西区のあらまし (区政情報>西区について)

「放出」の地名の由来

大阪市鶴見区:区名、地名の由来 (区政情報>区のあらまし)

住道町 - Wikipedia

御厨 - Wikipedia

なにわ地名よもやま話 道修町 | 地図から学ぶ、生薬(きぐすり)のふるさと | 漢方を知る | 漢方薬 漢方薬局 薬店のことなら きぐすり.com

【GoTo静岡の旅】Part.2 大井川鐵道で秘境を行く!

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前回は静岡遠征初日。掛川の城下町を散策し天竜浜名湖鉄道でちょっとしたローカル線の旅を楽しみ、ラーメンと餃子を食べたところで終了。今回はこの遠征のメイン、大井川鐵道に乗車します。

【GoTo静岡の旅】Part.1 城下町とローカル線 - Konpei’s NOTE

<目次>

 

気分は遠足に行く小学生!?

旅というものは疲れるもので、普通であればベッドに入れば比較的すぐに眠りにつくことができます。しかしこの日は遠足前日の小学生にでもなったのか全く眠れず。寝ていたとは思いますが、寝た感じが皆無なのです。目をつむっているのに意識が遠のかないというアレです。旅先でこんな目に遭ったのはおそらく初めてです。

そして翌朝、眠れなかったわりに目覚めは意外とすっきり。ホテルにはバイキング会場がなかったため、朝食は前日にコンビニで買ったパンなどで済ませました。大井川鐵道の始発駅、金谷駅へは掛川からわずか2駅ですが駅間が長いため15分ほどかかります。JR金谷駅を出て右側に大井川鐵道金谷駅があります。こちらも天竜浜名湖鉄道掛川駅と同様、始発駅なのに駅感がありません。

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ここで、大井川鐵道の概要を。金谷から千頭までの大井川本線と、千頭から井川までの井川線と2つの路線に分かれます。大井川本線は普通の列車が走っていますが、井川線は日本唯一のアプト式列車」が走ります。「アプト式列車」とは、急こう配を上るため車体の下に歯車が付いた列車のこと。この歯車と線路の真ん中に敷かれた歯形のレール(ラックレール)をかみ合わせて坂道を上り下りします。井川線アプトいちしろ駅長島ダム駅の間で採用されています。

そして、窓口で金谷から井川までの全線と路線バスの一部区間で使用可能な「奥大井周遊きっぷ」を購入。普段は4,980円のところ、キャンペーン価格ということで(ほぼ)50%オフの2,450円。金谷から井川までの運賃が3,180円ですから、往復すればキャンペーンがなくても元が取れてしまう悪魔的乗車券でございます。このほか、A3サイズの沿線ガイドやノベルティのマスクケースまで頂いちゃいました。至れり尽くせりとはまさにこのことか。

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まるで「大井川再生工場」!?

乗車券を買った後、JRの乗り換え口からハイキングに行かれる方々とみられる集団がやって来ました。その後も観光客の方々がぞろぞろとホームに集まります。窓口には3人ほどしか駅員さんがいらっしゃらなかったのですが、素早く丁寧に対応します。

そして出発時刻になりました。やってきた列車はいかにも年季が入っているであろう車両、写真やらで見覚えがあるのですが初めて乗車する車両であることは間違いありません。

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調べてみますと、かつて南海電車の急行・特急で使用された21000系。製造年は驚愕の1958年。なんと62年選手です。難波から高野山を結ぶ高野線で使用されていた車両とのことで、急こう配を上る車両という共通点から大井川鐵道に譲られたのでしょう。このほか、近鉄特急で活躍していた16000系や東急や青森の十和田電鉄で走っていた7200系も活躍中です。さらに、現在は引退済みですが京阪電車で「テレビカー」として活躍した3000系も走っていました。

大井川鐵道はSLが有名ですが、このように他社で役目を終えた車両を再利用することで有名です。最近は南海で走っていた車両が新たに導入予定ということで、「大井川再生工場」(勝手に命名)の今後に注目です。

21000系の車内を撮影したいところでしたが、たくさんの方が乗車されていたため控えました。座席は赤いモケットに転換クロスシート、座面が意外に低く沈み込む感じがしました。60年以上使われている車両ですが、乗り心地は悪くありません。

金谷から一駅の新金谷駅では「きかんしゃトーマス」のキャラクターを模したSL機関車が止まっていました。これ目当ての家族連れの方も多くいらっしゃいました。新金谷を過ぎると車窓からは静岡を象徴する茶畑、大井川の清流を眺めることができます。あいにくの天候ですが、茶畑はいつ見てもきれいな緑色してますね。

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日本唯一のアプト式列車に乗車

金谷駅から1時間10分ちょいで終点の千頭駅に到着しました。この先の井川線は線路の形状が変わるため、乗り換えが必要です。ここにもトーマスのキャラクターが並びます。

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井川線への乗り換え口では駅員さんが検温を実施しています。検温をパスできれば黄色い紙のリストバンドが渡されるのでそれを見える場所に着用します。井川線の車両は大井川本線の車両と比べて小型ですが、その分両数が長くなります。1両につき32人乗車可能ということで、小ささのわりにキャパシティはそれなりにあります。体感としては遊園地にあるミニSLとかその辺の乗り物に乗っている感覚です。

ここからの井川線南アルプスあぷとラインの愛称が付けられており、元々は大井川水系のダム建設での資材運搬用のトロッコとして作られました。それを奥大井エリアの観光列車として転用したという経緯があります。

千頭駅を出た列車は大井川上流に向けてゆっくりと進んでいきます。カーブが多い路線なのですが、カーブを曲がるときは特に「ギギギ~」とけたたましく音を立てて曲がっていきます。都会の列車でここまで音を立てる列車は現代ではそうそうないでしょう。だだし、この列車だとその音さえも楽しむことができてしまいます。

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井川線の駅は今までの駅よりも「秘境色」マシマシといった感じで、ホームすらない駅もあります。これを見たときは流石の私も度肝を抜かされました。改札がないならまだしも、ホームもないし駅名標を立てただけといった構造です。日本にはまだまだ知らない光景があるもんですね。非日常の景色に驚く間もなく列車はアプトいちしろ駅に着きました。ここでアプト式機関車を連結し、急斜面を上っていきます。機関車の側面にはアプト式機関車を表す歯車と歯形のレールのイラストが描かれています。

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ここから長島ダム駅まで1区間のみですがこのアプト式機関車が引っ張っていきます。カーブを曲がるときのきしむ音に加え、歯車とレールの噛み合う音も聞こえます。列車に乗っているときは大したことはないのですが、外から見ると相当な傾斜があります。

アプト式と言えば、かつては群馬県碓氷峠を鉄道で超える際にも使われていました。1963年にアプト式碓氷峠から姿を消しましたが、その後も碓氷峠の急こう配を上り下りするために電気機関車を連結しての上り下りが必須となりました。現在は北陸新幹線の開業に伴い、この区間は廃止され遊歩道として活用されています。一度行ってみたいものです。

 

秘境は続くよどこまでも

急こう配を上ると行ったことがないですがマチュピチュに近い雰囲気の建造物が見えてきました。駅名にもなっている長島ダムです。完成は2002年と比較的新しいダムとのことです。ここで機関車の切り離しを行います。千頭方面へ向かう対向列車もここで機関車の連結を行います。

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列車はかなり奥まったところまで上ってきたようです。川の色も濃い目のエメラルドグリーンに変わってきました。ここで大井川鐵道を代表する名所の一つ、「レインボーブリッジ」を渡ります。高いところから眺めるこの橋は絶景とのことなので、あとで寄ってみようかと思います。

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先ほどお話しした駅のお話ですが、井川線の駅はこのような所ばかりです。下の尾盛駅はホームがある分まだ中規模の駅といったところでしょうか。

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千頭駅から1時間と40分ほどしてようやく終点の井川駅に到着。金谷駅からは3時間が過ぎていました。これだけ内容盛りだくさんの鉄道路線は後にも先にもこれが初めてになるのではないでしょうか。

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井川駅を出て5分ほどでまたダムが見えてきました。中部電力管轄の井川ダムです。近くには「井川展示館」という博物館もあります。トイレ休憩だけの使用にとどまりましたが…

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トイレ休憩もそこそこに井川駅にとんぼ返りします。この後はレインボーブリッジの絶景を見るために奥大井湖上駅に向かいます。

 

山奥の「レインボーブリッジ」

井川駅に戻り、乗ってきた電車の折り返しに乗って千頭方面へ。30分ほどで奥大井湖上駅に着きました。大井川鐵道を代表する駅ということでホーム上には十数人の人がいました。どうやら「恋人の聖地」としての役割も担っているのかハート形のベンチが置かれています。さらに、タバコに見せかけた静岡茶「Chabacco」の自販機もあります。お値段は600円と本物のタバコよりも高級品です。お金を入れてボタンを押すまでは普通の自販機と同じですが、この自販機ではSLの写真の上にあるつまみを引っ張らないと商品が出てこない仕組みになっています。

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さらに、「中部の駅100選」にも選出されたようです。これで入っていなければ中部地方の駅どんだけレベル高いんだってなりますね…

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駅のすぐ近くには小さなカフェもあり、軽食を頂くこともできます。ここで昼食にすればよかったのですが、早くレインボーブリッジの絶景を見たかったせいかスルーしてしまいます。最終的な話、この日は昼食なしに終わりました(´;ω;`)

絶景ポイントを目指して山道をずんずん進んでいきます。ここで思わぬ遭遇が。しばらく進んで10メートルほど前方に待ち構えていたのは野生の猿。このまま前進を続けると身ぐるみ剝がされかねません。しかし大事なのは自分の体、そりゃねえぜと泣く泣く引き返します。と思いきや逆に進んでいたことが判明、正しいルートを進みます。歩くこと20分ぐらいでしょうか、ようやく絶景ポイントへたどり着きます!

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素晴らしいの一言です。コロナ禍で大変な年にこんな景色を見られるなんて。来てよかった、静岡。乗ってよかった、大井川鐵道。東京のレインボーブリッジは封鎖できないというけれど、こっちのレインボーブリッジは封鎖して独り占めしたい…

なんかポエム調になってしまいましたがとにかく綺麗でした。私の他にも何人かの観光客の方がいらっしゃいましたが、口をそろえて「きれい」「すごい」とおっしゃっていました。大井川鐵道を語るうえで不可欠なスポットです。少し山道を歩きますが安いもんだと思います。

 

謎の大吊り橋を発見!

次の電車まで1時間以上あるので、奥大井湖上駅からひとつ前の接岨峡温泉駅まで歩いて行きたいと思います。駅間は約2キロほど離れています。

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山道を歩いていると大きな橋が見えてきました。小さなころから橋好きなこの私、行かないはずがございません。この橋は南アルプス接岨大吊橋」、後から調べてびっくりしましたがあのGoogleマップにも反映されていない「謎の橋」です。橋の名前自体は出てきますが、橋にあるはずの川を架ける道は見当たりません。

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ここを渡るとハイキングコースに出ることができるそうで、「八橋小道」という道を歩くことができます。その名の通り、八つの小さな橋を渡るハイキングコースになっています。「吊橋」と聞くとグラグラするイメージがありますが、ここは比較的しっかりしているので安心して渡ることができます。

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 ここからさらに歩きますと、目的地の接岨峡温泉駅が見えてきました。駅前には「森林露天風呂」という小さな温泉施設のほか、川根本町資料館「やまびこ」もあります。いずれも時間がなく行くことができなかったのが残念です。森林露天風呂でひとっ風呂浴びることができていたら最高だったでしょうねえ。

 

来た道をひたすら下る

さて、秘境での時間も終わりに近づいてきました。接岨峡温泉の駅からは電車に乗り来た道を逆戻りです。かなりの山奥に感じますが、これでも海抜496メートルだそうです。あれだけの山道を上ってきたのだからもっとあると思っていました。

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余談ですが、「標高」と「海抜」の違いをご存じでしょうか。ほぼ同じ意味ですが、「標高」は東京湾を基準とした土地の高さ、「海抜」は近傍の海からの土地の高さを表しています。ここではおそらく駿河湾あたりを基準にしていますから「海抜」という表現が使われます。

名残惜しいですが、千頭方面に戻ります。行きが「登山列車」ならば帰りは「下山列車」というべきでしょうか。風景も行きに見たものとほぼ変わりませんが、雨が止み日差しも顔を出しつつあるというのが行きと違ったところです。前夜眠れなかった影響か車内では爆睡でした。「寝る」というよりは「気を失う」といった方が適切かもしれません。

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そして約6時間ぶりに千頭駅に戻ります。半分の方は改札を出て、半分の方は大井川本線に乗り換えました。私は大井川本線金谷駅に戻ります。ここからさらに1時間ちょい列車に揺られます。乗車するのは行きと同じ21000系ですが、ヘッドマークが行きの列車と違います。

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列車は遅れもなく終点の金谷駅に到着。すでに18時を過ぎており、山の麓だからか肌寒さを感じます。白の長袖Tシャツでは寒すぎました。

金谷からは東海道本線に乗り換え、宿がある藤枝へ。夕食を食べ、ホテルにチェックインしてからはハイボール片手に半沢直樹を見て就寝しました。もちろん、この日は目を閉じた瞬間眠ることができました(笑)

 

さて次回ですが、かの有名な「三保の松原」に行きます。さらに、あるアニメの聖地として町おこしに成功したあの町にもいきます。

このGoTo静岡シリーズ、次回は来年になると思います。ただ、別の記事は更新する予定ですのでどうぞお楽しみに。では、みなさんごきげんよう!!

次回:【GoTo静岡の旅】Part.3 出でよ富士山! - Konpei’s NOTE

【GoTo静岡の旅】Part.1 城下町とローカル線

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はい、皆さんこんにちは。今年はまあ異様な一年になったもんで、旅行なんてできないと思っていました。しかしながら、対策をとって行動することで感染リスクを下げることができるというのがわかってきました。そのため、8月に出雲へのひとり旅を敢行しました。

【復活の一人旅】神話の国、出雲に行こう! - Konpei’s NOTE

この他、本州最南端の潮岬に行ったり名古屋に味噌かつを食べに行ったりと行動の頻度を少しずつ増やしていきました。そして9月の連休に静岡遠征を敢行することにしました。

静岡での大きな目的はただ一つ、大井川鐵道に乗りに行く」。事前に決めていたのはこれくらいで、それ以外は直前に計画するという適当さです。そもそも静岡は4年ほど前に浜松へ行ったくらいで自分にとってほぼ未開の地となっているのです。今回は2泊3日の行程を取り、静岡を満喫しようというものです。はてさて、どんな旅になったのでしょうか。

 

恐るべし?GoToトラベル効果

時は9月19日、4連休の初日でございます。いつもの通り新大阪に来ましたが、コロナ前とほぼ変わらない人通りです。人気が戻ってきたのは嬉しいのですが、売店内など所々で密になっている箇所があったので気持ちとしてはかなり複雑です。私としてはできるだけ密になる時間を短くし、「ソーシャルディスタンス」の確保に努めました。やはり「GoToトラベル」の効果でしょうか。皆さん長いことどこにも行けなかったんですから4連休もあればどこかにお出かけしたいのは当然でしょう。

駅弁などを買い込んで新幹線に乗り込みます。以前も乗車しましたが、EX予約の早割で取ったこだまのグリーン車です。こちらの乗車率はかなり低めと思われます。要は空いているということです。

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何と言いますか、グリーン車の暗めの照明は逆に落ち着かない気がするんですが私だけですかね? 目的地である掛川まではおよそ2時間の旅になります。お弁当を食べたり、車窓をぼーっと眺めながら音楽を聴いたり。思い思いの時間を過ごすことができました。

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そして、掛川に到着。ここに本日の宿をとっていますが、チェックイン時間まで時間がたっぷりあります。とりあえず、掛川城へ向かうことにします。掛川駅って新幹線の駅もあるのですが、かなりこじんまりしてるように見えますね。

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大きさ以上の魅力あり!

掛川城掛川駅から徒歩10分ほどの場所に位置しており、非常にアクセスしやすいお城となっています。

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受付で入場券を買うのですが、天守閣と御殿・茶室(茶菓子付き)・竹の丸(掛川城に隣接する廓)がセットで900円とかなりお得。ただし、このチケットは14時までの時間制限が設けられていたので注意が必要です。

掛川城の歴史ですが戦国時代までさかのぼり、駿河守護大名である今川氏が家臣に築かせました。桶狭間の戦い今川義元が討たれ、さらに甲斐の武田氏に駿河を追われた義元の子氏真が掛川城に立て籠もります。ここで登場するのがあの徳川家康、和睦によって開城させたのち武田氏侵攻に対する防御の拠点となりました。さらにさらに、全国平定を達成した豊臣秀吉によって家康が関東に移り、その旧領地へ秀吉配下の大名を配置。ここに入ったのが初代土佐藩藩主となる山内一豊で、掛川城天守閣を築くなど城の拡張や城下の整備を行いました。

天守閣の大きさはそこまで大きくはなく、高さも低い方に分類されます。しかし天守閣を最上層まで上がると、掛川の町を見下ろすことができ、さらには富士山のてっぺんも見えます。この天守閣ですが、パンフレットには「日本で初めて木造天守閣を復元」と記してあります。

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続いて二の丸にある御殿に向かいます。「現存する数少ない城郭御殿」とされており、京都の二条城など全国に4か所しかない珍しいものとなっています。建築様式は「書院造」で、畳を敷き詰めた多くの部屋を襖が仕切る構造です。このような御殿は一般的に儀式を行う場や藩主の公邸、政務をつかさどる役所としての機能を担っていました。

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御殿を出て二の丸茶室へ。こちらでは茶菓子を頂くことができます。小学生の時に作法を習うために茶菓子を頂いた記憶がありますが、おそらくそれ以来となります。こういうのを頂くときってめちゃくちゃ緊張するんですよね。

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この後はさらに竹の丸へ。一見するとただの古風な住宅といった感じもしますが、掛川城の北門の守りを固める位置に存在していたため、防衛上で重要な役割を果たす場所でした。そのため、重臣の屋敷地に割り当てられていたようです。

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このように掛川城天守閣の大きさこそ小ぶりですが、周辺の御殿や竹の丸など見所は盛りだくさんですし、近くには「ステンドグラス美術館」といった施設もあります。ここに来るまで掛川のイメージは「新幹線の駅がある」くらいしかありませんでしたが、来て初めてその土地の魅力や特色に気づくものなんですね。掛川城以外では花鳥園が有名ですが、一人で入る度胸は流石になかったです(^^;)

 

天竜浜名湖鉄道に乗車

今回の旅では「大井川鐡道に乗車する」という最大の目的がありますが、静岡は全国でも指折りのローカル線天国と言える地域です。掛川城界隈を散策しても時間にまだ余裕があるため、天竜浜名湖鉄道に乗って天竜二俣駅に向かいます。

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第一印象は「家やん!」、これが駅なのかと一瞬目を疑いました。位置的にJRの線路と離れているかと思いましたが東海道本線の線路と隣り合っています。列車は1両でやってきました。主に買い物帰りの地域住民の方や部活帰りとみられる学生さんが乗車されています。私のような観光客もいましたが若干名です。

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天竜浜名湖鉄道掛川市掛川駅から湖西市新所原駅までの67.7kmを結ぶ路線「天竜浜名湖線(愛称:天浜線)」を運営する会社です。天浜線の起源は国鉄特定地方交通線二俣線でしたが、1986年に第三セクター鉄道会社として天竜浜名湖鉄道を設立。現在に至ります。しかし67.7kmとは相当長距離ですね。これでも同一県内の移動ですから、静岡が相当広い土地であることがわかります。

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天竜浜名湖鉄道HPより。天浜線(天竜浜名湖鉄道株式会社) – 日本の原風景に出逢う旅。 – 天浜線(天竜浜名湖鉄道株式会社)公式ウェブサイト。時刻表・路線図・駅情報と周辺観光情報。奥浜名湖を中心に、静岡県掛川市・袋井市・磐田市・浜松市北部・湖西市を走るローカル列車。

列車は掛川から45分ほどで天竜二俣駅に到着。ここに来るまでに茶畑を数か所見ましたが、本場の茶畑の緑は圧巻でした。静岡は非常に目に優しい土地でもあります。到着した天竜二俣駅ですがラーメン屋が併設されているほか、天竜浜名湖鉄道の本社事務所もここにあります。現在では減少しつつある木造の駅舎で、懐かしさを感じることもできます。

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1時間ほど駅の周辺をぶらつきます。駅のはずれにブルートレインと旧式の赤い列車が留置されています。昔走っていた列車を保存しているものだと思われますが…

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天竜川沿いにある「二俣城祉」を目指して歩いていきます。途中には廃墟と化した元スーパーがあり、異才を放ちます。大通り沿いなので昔は栄えていたと考えられますが、やはり大型ショッピングモールには太刀打ちできないということでしょうか。私の地元にも子供のころから世話になっているスーパーがありますが、どんどん売り場が縮小しているため先は長くないものと思われます。ここが潰れたら涙腺の強さに定評のあるこの私も多分泣くと思います。一時代を築いた商業施設が潰れるのは寂しさを感じずにはいられません。

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天竜二俣駅から20分少々歩いてようやく二俣城跡に到着。天守閣などはなく、石垣が残るのみとなっています。ここから天竜川を望むことができる展望スポットを期待していましたが、そのようなものは特になくうっそうと生い茂る木々に囲まれている半ば秘密基地的存在です。

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二俣城跡に来るまでは石段を上がり、さらに急こう配を上る必要がありますが、それを見下ろしてみるとなかなか良い光景が広がります。夕暮れ時ということもあり、映画のワンシーンに出てきそうでジーンときました。

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天竜二俣駅に戻ってきました。誰も人がいなかったので駅舎内を独り占めすることができました。駅舎を外から撮ってみました。古いタイプの赤ポスト、いいですね。

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また、駅舎内には「音街ウナ」なるキャラクターのパネルもありました。このウナさんは浜松出身のVOCALOIDとのことで、浜名湖のウナギをモチーフにしているようです。天浜線では一面にウナさんがラッピングされた列車も走っています。「うなぴっぴごー!」という電車だそうです(笑)

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改めて駅舎を見ると、古き良き風景が感じられる場所だと思いました。普段都会で生活している分、このような場所にいると心が落ち着きますしなんだか懐かしい気分にもなりますね。

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駅舎内を見物しているうちに帰りの列車がやってきました。行きとは違い、なかなかカラフルな列車がやって来ました。乗車中に日が沈んでしまったので外が見えず残念でしたが、このようなローカル線は乗っているだけで楽しいものです。

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掛川へ戻り、ホテルへのチェックインを済ませます。お腹が空いたので外へ夕食を食べに行きます。やってきたのはあじ助」というラーメン屋で、掛川駅の通路にも案内看板が出ているお店でした。注文したのはラーメンと餃子。ラーメンはこってりしすぎずあっさりしすぎずな豚骨ベースのスープとプリプリの麺が絡み合ってとてもおいしいです。餃子は他店のものと比べるとビッグサイズ、食べ応え抜群でした。お店の方も非常に親切な対応でしたので、また来たいです。

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さて、この辺で一日目を締めます。二日目は待望の大井川鐡道に乗車します。雨予報なのが非常に気がかりですが、どうなるのでしょうか…

では、次回をお楽しみに!

次回:【GoTo静岡の旅】Part.2 大井川鐵道で秘境を行く! - Konpei’s NOTE

【挑戦】フルマラソンを徒歩で完走する男

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皆さんはフルマラソンを走ったことはありますか?

私は中学・高校と陸上部でしたが、跳躍パートの選手だったのでそんな長距離を走ったことはありません。それ故に長距離を走り続ける体力が皆無に等しい人間なのです。10kmほど歩くのは何の抵抗もないのですが、走ると脳に酸素が届かずフラフラです。しかし、マラソンの距離を自分の脚を使って走るってどれだけ長いのだろうか。そこで、気になった私は思いついたのです。

「走るのが嫌なら歩けばいいじゃない」

これだ! 普通の人なら歩くのも憚るでしょうが、良くも悪くも旺盛な好奇心から42kmという距離を歩いて完走(完歩?)しようという狂ったチャレンジをすることになりました。全米が鼻で笑ったパッとしない一人の男の奮闘記、とくとご覧あれ。

 

目的地は貝塚

今回の徒歩マラソンを敢行するにあたり、目的地を設定する必要があります。自宅からちょうど42km(端数は省略)の地点をGoogleマップで見てみますと貝塚市の二色の浜公園。大阪湾を一望でき、淡路島や関西空港が見える景色の素晴らしい公園です。また、所要時間を見てみるとおよそ9時間。朝に出発すれば夕方に到着する計算です。タイミングが良ければ夕焼けを拝むこともできます。ただし、途中で休憩を挟んだり終盤のペースダウンを考慮するともっとかかるかもしれません。

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※自宅の場所はモザイク処理をかけています。「だいたいこの辺やで~」ということが伝われば…

なお、これまでの最長距離としては31km。大学の部活で夜通し歩き続けるというなかなかぶっ飛んだ行事の予行演習で大学のある東大阪から甲子園球場まで歩いた時です。実際に歩いてみたものの、部員たちが口をそろえて「無理」と判断したため本番の目的地はUSJに短縮されました。また、一日の最大歩数は48,791歩。学生の時に東京・横浜を観光した時、当時移動するのに路線バスを使うという概念がなく給料も今と比べて全然ない時代でしたのでとにかく歩きまくりました。桜木町から大阪行きの夜行バスに乗るのに2時間ほど時間が空いたのに店はどこも開いていなかったので、その時間ひたすら桜木町界隈を歩いていました。警察がいたら間違いなく職質案件です。

日没までに目的地へ着くことが最大の目標ですが、無理は禁物ですのでおよそ1時間ごとに5~10分の休憩を挟むことにします。正直、ペースについてはそこまで考えておりません。

 

長い長い大阪市

前置きはこの辺にして、スタートです。三連休初日の11月21日、時刻は朝8時。天気予報では晴れでしたが、雲が厚く風も吹いています。一抹の不安はありますが、楽しみな気持ちの方が大きいです。

南の方に向けて1歩ずつ歩みを進めます。第一の関門としていた淀川の風も穏やかで難なく渡ることができました。1時間が経過したので休憩、関西テレビがある扇町公園までやってきました。ここでの歩数は約7,200歩。数年前にポケモンGOが流行ったとき、私もここでポケモンを乱獲したものです。

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テンポよく進みたいので、トイレ休憩くらいに済ませて先を急ぎます。さらに南へ進みますと大川にかかる難波橋へ。大阪に住んでいても普段ほとんど通らないところなので新しい発見ができるのもウォーキングの醍醐味ですね。

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そこからしばらくは堺筋を南下します。出発から2時間を経過したところでなんば・日本橋エリアへ到達、ここも歩いて通ることはほとんどありません。黒門市場がこの辺にあるのも初めて知りました。

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さらに南下しますと通天閣が見えてきました。このあたりから天下茶屋周辺は一般的に治安が悪いと評判のこのエリアですが、変わった様子はなく無事に通過しました。数年前に職場の先輩と新世界で飲み歩きましたが、別世界に来たみたいで非常に楽しかったです(笑)

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さらに南下したところで3時間が経過。歩数は17,000歩を突破しました。ここで大阪唯一の路面電車である阪堺電車の線路と並走します。道路と線路が一緒になっており、ペーパードライバーの方にとっては屈指の難所となります。ここよりも広島や長崎、松山の方が難易度高そうですけどね。

そして、さらに南に進んだところで見えてきたのは住吉大社。最初はここで徒歩マラソンの無事を祈願しようと思いましたが、先を急ぎたいのと密を避けるのと御朱印帳を持ってきていなかったので断念することにしました。

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3時間経過してまだ大阪市内を抜けることができていません。改めて大阪市の大きさを知ることができました。通った区は東淀川、北、中央、西成、住吉、住之江といったところでしょうか。車を使えばすぐに通り抜けることができると思いますが、これを歩きで通り抜けさらに貝塚を目指そうというバカがここにいます。そんな中、ついに大和川に架かる橋らしきものが見えてきました。すなわち、大阪市を脱し堺市へ入ろうとしています。

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ようこそ堺へ!

出発からおよそ3時間50分、ついに堺市へ到達です。ここらで昼食にする頃合いでしたので、道路沿いにあったラーメン屋でお昼休憩。私が入ってから他のお客さんも増えてきたのでいいタイミングでお昼を済ませることができました。外出していっぱい歩く日はなぜかお昼のタイミングを逃して最悪飯抜きとかになることも少なくないので、このタイミングを逃していたらいろんな意味で結構しんどかったのではないかと思います。

堺市に入ったところで2つの変化に気が付きます。一つ目は「風が強まったこと」。堺に入ってからは海に近い道を歩いていくので、わずかではありますが風が強くなってきました。この日は幸運にも追い風でラッキーだったのですが、向かい風だったらタイムロスとなっていました。向かい風じゃなくて本当に良かったです。そして2つ目の変化ですが、「一丁目、二丁目ではなく一丁、二丁と読む」ところです。心底どうでもいいと感じる方が多いとは思いますが、「大阪難読地名制覇の旅」という企画をやっている手前、どうしても気になってしまいました。この時はもちろん調べる気力はなかったのでまた暇なときに調べてみようと思います。

 

はじまった失速、疲労との闘い

途中の浜寺公園で休憩を挟みつつ、出発から6時間が経とうとするところで高石市へ突入。歩数は3万歩を超えてきました。

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ここで両足が悲鳴を上げ始めます。コンクリートの上を歩く負担は相当なもので、乳酸が溜まって太ももがパンパン。両足首もかなりのダメージを受けているようでした。しかし、日没までの到着を目指し気合で歩みを進めます。先ほど風の強さについてお話ししましたが、道路標識の青い看板が風に煽られているではありませんか。これが落ちてきたら車なんて真っ二つなんじゃないか。そんなことを考えながら恐る恐る歩きました。そんなわけありませんが。

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時刻は15時。忠岡町に入るところで左の太ももが今にも攣りそうな状態に。高校時代は「フィッシャーマン」と呼ばれるくらいに脚をつりやすい体質だった私。いらぬ力を使わないよう、今まで以上に気を付けてスピードを落とします。ですが不思議なことに歩いている間はそこまで気にならないのです。これがアドレナリンですか。忠岡町は小さな町なのですぐに抜け、ようやくだんじりの町岸和田市へ。紀州街道沿いの古い町並みを横目に前進を続けます。そんな中、時刻は16時を過ぎておりました。日も傾き気温が下がってきました。潮風がもろに当たらないのが幸いしてかろうじて体力は温存できているようですが、脚は限界寸前です。

 

感動のゴール!

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いよいよラストスパート。知らぬ間に貝塚市に入り、ゴールの二色の浜公園はもう目の前。街路樹も色づき始めています。そういえば去年のちょうどこの時期も紅葉を求めてひたすら歩いていたなあとふと思い出しました。

【過酷】香嵐渓へ紅葉を見に行った話+α - Konpei’s NOTE

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武道館からサライが流れるわけでもなく、沿道の観衆が応援してくれるわけでもありませんがもう必死でした。最後の気力を振り絞り二色の浜公園に入ります。そして、16時55分ごろ、ついにゴール!!!!

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ここで私を出迎えるかのように大阪湾の夕焼けが見えてきました。こんなにきれいな夕焼けを見たのはいつぶりだろう。今風の言葉を使うとするならば「エモい」という言葉がぴったりです。関空や淡路島、さらには明石海峡大橋もきれいに見えました。

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しかしながら、疲労が感動を大きく上回ったためか涙は一滴も出ませんでした。涙腺の強さに定評があるせいでしょうか。年を取るにつれ涙腺ってもろくなるものらしいですが。自慢にも何にもなりませんが、思い返すとかれこれ7年くらい泣いてませんかね。さすがにもうこれ以上は歩けない。夕日を眺めた後、すぐに最寄り駅に向かいます。何で行くの? 悲しいかな、残念ながら徒歩です。

ここからが地獄でした。二色の浜公園は最寄駅である南海二色浜駅から歩いて15分ほどの場所で、普段の私なら余裕で歩くのですが42km歩いてきた体には流石に堪え、20分ほどかかりました。駅に着いたと思ったら改札に入った瞬間に電車が来て、脚を引きずりながら走って電車に乗り込みました。「もうやめてくれ、こちとら走る気力も残ってねえんだよ!」と心の中で叫ぶ私でした。

 

42kmを歩いた感想

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ラソンランナーの皆さん、これだけ言わせてください。あ、褒め言葉として捉えてくださいね…?

「おまえら人間じゃねえ!!!」

この一言に尽きます。しかし、42kmという距離は想像以上にきつかったです。30km手前くらいまでは全然余裕だったのですが、それを超えると脚が悲鳴を上げます。太もも、足首、足の裏… 常人だと歩くだけでも精一杯です。これを2時間ちょいで走るマラソンランナーの方はもう人間辞めてますよね。

それにしても、普段歩かない場所を歩けたのはとても楽しかったですし、新しい発見もありました。電車や車の車窓では見られないものをたくさん見ることができてものすごく新鮮でした。もう40kmなんて距離を歩くことは当分ないでしょうが、他の場所でもやってみたいものです。今度はどこを目指そうかな。

ということで、フルマラソン(と同じくらい)の距離を歩いた話でした。これから「マラソン走りたい」とお考えの方、参考にしてみてください(笑)